吉永小百合の夫・岡田太郎の現在とは?馴れ初めや子供について調査

女優・吉永小百合について説明いたします。子供の頃から芸能界入りし、映画と共に育った吉永小百合の半生はどのような半生だったのでしょうか?波瀾万丈な恋もあったようです。現在の夫・岡田太郎とはどんな人なのでしょう?夫との出会いは、どのようにして出会い結ばれたのでしょうか?国民的女優・吉永小百合について生まれ育った環境・家族に関することや現在に至るまで調査したことを紹介させていただきます。

目次

  1. 吉永小百合プロフィールと夫との生活は?
  2. 吉永小百合の生まれたところは?
  3. 吉永小百合の家族構成は?!
  4. デビューしたきっかけ
  5. 日活の救世主・すい星のごとく現れた吉永小百合
  6. サユリストと女学生・吉永小百合
  7. 吉永小百合の恋愛の数々
  8. 吉永小百合と夫・岡田太郎との馴れ初めと結婚
  9. 吉永小百合と夫・岡田太郎の間に子供は?
  10. 吉永小百合が子供を産まなかった訳
  11. 出演した映画の本数と受賞した賞
  12. 吉永小百合・今も活躍
  13. 結婚に反対した家族と吉永小百合が和解
  14. 現在の吉永小百合と夫との生活
  15. まとめ:吉永小百合の今と今後

吉永小百合プロフィールと夫との生活は?

夫・岡田太郎と幸せに暮らしている?

吉永小百合の半生の説明をさせていただきます。小学生の頃からラジオ・映画に出演し、サユリストという名言のファンを作ってしまった吉永小百合とはいったいどんな人なのでしょう。生い立ちや芸能界に入っての活躍や、夫・岡田太郎との馴れ初め、そして現在の生活など紹介させていただきます。まずは、吉永小百合プロフィールから見ていきましょう。

吉永小百合プロフィール

芸名 : 吉永小百合
本名 : 岡田小百合(旧姓:吉永)
生年月日:1945年3月13日
血液型: O型
身長 : 157cm
出身 : 東京都渋谷区
学歴 : 早稲田大学
職業 : 女優(デビュー:1957年)

吉永小百合の生まれたところは?

吉永小百合が生まれ育ったところ東京都渋谷区西原

吉永小百合が生まれ育ったところは東京都渋谷区西原です。東京・代々木公園の西側に位置する場所です。現在では街中になっていますが、第二次世界大戦終盤に生まれた時期です。空襲にあった東京ですが当時の渋谷区西原は、緑豊かな住宅街だったそうです。その場所で父・吉永芳之と母・和枝の間に1945年3月13日に生まれました。

吉永小百合は文化人の家庭に育つ

吉永小百合の父・吉永芳之は東大法学部卒業し会社や外務省の嘱託などを経験したのち、映画関係の出版社「シネ・ロマンス社」を経営していました。母・和枝は夫の事業がうまく行っていなかったためピアノの教師をして家計を支えていたそうです。母・和枝の実家は旧姓は川田といい、出版社・大観社という会社を経営していて和枝は裕福な家庭で育ち、ピアノも人に教えることができるレベルたっだそうです。

周りは文化人がいっぱいだった吉永小百合

吉永小百合の父・芳之が映画関係の出版社を経営していたため多くの文化人が吉永小百合を家に訪問してきたそうです。映画評論家の双葉十三郎や飯島正といった人達が出入りしていたそうです。また、母方の叔母・川田泰代は婦人画報の編集長をやった人です。このように小さい頃の吉永小百合の周りには文化人がたくさんいました。

吉永小百合の家族構成は?!

吉永小百合の家族は両親と三姉妹

吉永小百合の家族構成は、父・母・姉・本人・妹でした。吉永小百合は次女でした。父・芳之は鹿児島県の出身で学業のために鹿児島から出て来、その後、和枝と結婚しました。姉は5歳年上、妹は年子で2学年下の姉妹です。

姉妹3人とも吉永姓を継いでいない:吉永小百合の芸名だけが残っている

吉永小百合の5歳上の姉は東京教育大学(現在のつくば大学)を卒業した才女でした。卒業後東京都庁勤務し、児童心理カウンセリング関係の仕事をして女性管理職となりました。三女は東京学芸大学(先生を育成する大学)を卒業後学校の先生になりました。姉と妹、そして吉永小百合の姉妹3人とも各々職場の男性と結婚し、「吉永」姓を捨ててしまいました。吉永小百合の芸名だけが「吉永」姓を守っています。

デビューしたきっかけ

吉永小百合のデビューのきっかけは母が出した応募

吉永小百合が芸能界デビューになったきっかけは、1956年12月に母・和枝がラジオ東京に送った応募がきっかけでした。ラジオ東京は当時人気があったマンガ「赤胴鈴之助」をラジオ放送するにあたり、声優さん達を一般公募(オーディション)をしたのでした。そのオーディションで吉永小百合は合格し声優としてデビューしました。当時は録音技術が確立されいなかったので生放送の劇でした。

芸能界デビューは声優から:吉永小百合

「赤胴鈴之助」の原作はマンガで「少年画報」に連載されていて武内つなよしが書いたものです。現代のレンジャーものといったところでしょうか?時代は江戸時代「真空切り」という技で悪人どもをやっつけるというストーリーで小学生に大人気のマンガでした。このマンガはラジオでの放送や映画化され人気を呼んだものです。吉永小百合は剣術の師・千葉周作の娘・さゆり役が吉永小百合でした。(画像:左、真中:藤田弓子)

日活の救世主・すい星のごとく現れた吉永小百合

日活のマンネリを救った吉永小百合

1950年代の映画会社日活は男性俳優達によって最盛期を向かえていました。石原裕次郎、小林旭、津川雅彦、赤木圭一郎、宍戸錠などが活躍し銀幕を支えていましたが、マンネリ化が始まり日活は女優を探しているときに、吉永小百合を発見したのです。

銀幕のスター・吉永小百合

日活に所属した吉永小百合の人気は瞬く間に上がり、「伊豆の踊子」、「青い山脈」、「若い人」などに出演し、「キユーボラのある街」ではブルーリボン主演女優貰を受賞しました。日活の青春映画路線は成功しました。吉永小百合は、1960年代だけでも70本以上に出演し、スターとしての座を確保しました。

歌手としてもデビュー:吉永小百合

吉永小百合は映画出演だけでなく、同時に歌手デビューし多くの歌を唄っています。上の写真は歌手・橋幸男とデュエットした「いつでも夢を」の1シーンです。この曲は今でも歌われている昭和の名曲です。その他に「泥だらけの純情」、「光る海」、「伊豆の踊子」、「愛と死のテーマ」、和田弘とマヒナスターズと歌った「寒い朝」等があります。

サユリストと女学生・吉永小百合

吉永小百合のファン:サユリスト

「サユリスト」という言葉が生まれました。吉永小百合と同年代の男性ファンのことをいいます。現在ならファンクラブです。当時は、組織的ファンクラブがありませんでしたから個々に動き回る熱狂的なファン達といったところです。芸能界では笑福亭鶴瓶やタモリが自称「サユリスト」です。

猛勉強して大学へ:吉永小百合

吉永小百合は女優をしながら早稲田大学に通っていました。早稲田大学は学生数が多いことでも有名であり、在学生のファンも多くいました。多くの男子学生が一目吉永小百合をみようと大学に行ったそうです。サユリストの語源がここにあるのかも知れません。吉永小百合は女優業のために高校を中退しています。しかし、特別な計らいで大学を受験することを許され猛勉強し、合格たそうです。

吉永小百合の恋愛の数々

赤木圭一郎との噂:吉永小百合・馴れ初めは共演から?

「純情派女優」「清潔女優」とかいわれている吉永小百合ですが、恋多き乙女でもあった吉永小百合で噂は絶えませんでした。しかし吉永小百合は「恵まれない恋」を数多く経験していると噂されています。その一人が日本のジェームズ・ディーンといわれた赤木圭一郎と付き合っているという噂がありました。しかし、赤木圭一郎は撮影所でゴーカートを乗り回し壁に激突し亡くなってしまいました。

浜田光夫との噂:吉永小百合・馴れ初めは共演?

日活純情映画の良きコンビであった浜田光夫との噂もありました。吉永小百合と浜田光夫とのコンビの映画は実に44作品もあり、二人の関係を噂する人は多かったです。しかし、浜田光夫は食事中に二人の男に絡まれ、電気スタンドを投げつけられ、割れた電球のガラスが目に入り失明寸前の重傷になりました。そのため吉永小百合とのコンビは解消され噂も消滅してしまいました。

あこがれが多い:吉永小百合・馴れ初めは共演から?

吉永小百合と噂があったのは、その他にも山本學、山本圭、加藤剛、石坂浩二などが噂になりましたが、いずれの恋も実らなかったようです。加藤剛との噂は、加藤剛が吉永小百合が一方的に好きになったようです。何故なら加藤剛には当時婚約者がいました。また、石坂浩二との恋の噂は、石坂浩二から吉永小百合に求婚したそうですが、当時石坂浩二は加賀まりこと恋愛をしており、二股は嫌だと断ったそうです。

噂の本命・渡哲也との恋愛:吉永小百合・馴れ初めは共演

噂の本命・渡哲也です。1966年吉永小百合と渡哲也は「愛と死の記録」という映画で共演しています。二人の馴れ初めは共演を通じて二人は急接近をしたと噂され、周りの人たちは二人の仲を知っていたとのことです。もう噂ではなくなってしまいました。しかし、吉永小百合の両親は結婚には猛反対。吉永小百合は両親の反対を押し切ってまで、結婚に踏み切れず吉永小百合の方から渡哲也に別れを告げたそうです・

吉永小百合と夫・岡田太郎との馴れ初めと結婚

夫・岡田太郎との出会い:馴れ初め

渡哲也との失恋のあと、吉永小百合は仕事に集中し、大学の受験勉強にも励み毎日3~4時間の睡眠しかとらなかったそうです。その疲労か蓄積し遂には声が出ない病気にかかってしまいました。そのような状況の吉永小百合の前に現れたのが、現在の夫・岡田太郎でした。当時、岡田太郎はフジテレビのディレクターをしており裏方として吉永小百合をみていました。これが二人の出会いの始まり、馴れ初めです。

夫・岡田太郎との馴れ初めは病気の相談

現在の夫・岡田太郎が吉永小百合が声がでない病気について治療法や病院などを紹介した甲斐があって吉永小百合の病気は回復に向かいました。二人はその間親密になり結婚を約束し吉永小百合は両親に結婚の許しをもらいに行ったのですが、ここでも両親に猛反対されたのです。なぜなら岡田太郎はバツイチで、渡哲也との一件もあり反対している家族と絶縁してまで岡田太郎と結婚してしまいました。凄い馴れ初めですね。

夫・岡田太郎との結婚式はひっそりと

当時、岡田太郎は43歳、吉永小百合28歳でした。二人の馴れ初めから間もない電撃発表・電撃結婚でした。家族にも反対された結婚だったため、二人は結婚式も披露宴もせず、友人宅で5人の出席者だけで結婚式を行ったそうです。スーパー女優の結婚式としては密かな結婚式でしたが、現在でも続いている二人をみていると絆の強さを感じます。

夫・岡田太郎との新婚生活は

結婚したばかりの吉永小百合の料理自慢は、サラダとカレーライスでした。それもそのはず、小学生の頃から女優をやっていれば料理を習う時間はありませでした。吉永小百合は料理を習うため料理教室へ通い始めたそうです。二人が一緒に暮らす現在になっても、吉永小百合の料理に対して岡田太郎は「まぁ、まぁだね」と言っているそうです。

吉永小百合と夫・岡田太郎の間に子供は?

吉永小百合と夫・岡田太郎との間には子供はいません。吉永小百合が売れっ子女優として忙しく子供を産む余裕がなかったという説があります。もう一つの説は、当時の吉永小百合と母・和枝との確執にあったようです。あるときインタビューにて吉永小百合は「母親と非常に特殊な親子関係だったと感じていたので、自分が子どもを持ったときにどういう母親になるかが、怖かった」とコメントしています。

吉永小百合が子供を産まなかった訳

女優として家計を支えていた吉永小百合

吉永小百合が女優になる前、家の家計は苦しかったです。吉永小百合が芸能界入りすると母の和枝は、吉永小百合のマネージャーになり、吉永小百合に多くを求めるようになりました。苦しい家計は吉永小百合の女優としての収入だけが頼りでした。一時は、父親も仕事がなくなり両親ともマネージャーになりました。家に帰っても吉永小百合は女優でなければならず、10歳前の子供にとって重大な責任を背負ってしまいました。

優しい母であって欲しかった吉永小百合

吉永小百合は小さい頃の母親との関係がトラウマになってしまったこと、渡哲也との結婚に反対され、さらに今の夫・岡田太郎との結婚にも反対されたことが、母親と吉永小百合の距離が離れてしまい、さらに、吉永小百合・自身が子供を産むとうまく育てることができないのではないかという不安が生じでいたためでした。

出演した映画の本数と受賞した賞

120本の映画に出演:吉永小百合

吉永小百合はデビューしてから120本の映画に出演しています。デビュー当初の青春純情映画から最近の人間模様を映し出す映画に出演するようになっています。その中で吉永小百合は4つの作品で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞の受賞をしています。1984年「おはん」、1988年「華の乱」、2000年「長崎ぶらぶら節」、2005年「北の零年」です。娯楽的映画のイメージがある吉永小百合にとって嬉しかった賞でした。

ドラマの代表作:夢千代日記

吉永小百合のテレビドラマの代表作として「夢千代日記」があります。広島で被爆者となった主人公・夢千代が芸者として兵庫県の温泉で生きていくドラマでしたが、吉永小百合は「夢千代日記」の撮影中、何度も広島を訪れドラマ終了後、原爆の恐ろしさ・悲惨さを語り部として精力的に活動しています。

吉永小百合・今も活躍

吉永小百合の持論「女優は格闘技」

70歳を過ぎた現在でも、積極的に活動する吉永小百合は今でも若さと美貌を保っています。毎年1本程度の割合で映画に出演している吉永小百合は、共演する俳優仲間たちもその若さに驚かせています。2018年3月に出演したバラエティ「マツコの知らない世界」で吉永小百合はマツコ・デラックスが若さと美貌を保つ秘訣について質問したところ吉永小百合は「俳優は、格闘技」と答えたそうです。

サユリスト今だ健在:笑福亭鶴瓶とタモリ

山田洋次監督の作品「おとうと」で吉永小百合と笑福亭鶴瓶が姉弟を演じています。世話のやける自由奔放な弟・笑福亭鶴瓶が演じ、その世話をし弟を看取る姉役を吉永小百合が演じた作品です。その完成記者会見で吉永小百合の方から「次回は夫婦役で」と言ったそうです。それを聞いたタモリは羨ましく思い「笑っていいとも」の最終回に吉永小百合をゲストに招待したそうです。サユリスト健在です。

結婚に反対した家族と吉永小百合が和解

吉永小百合は家族から夫・岡田太郎との結婚に反対され家族の縁を切っていました。しかし、吉永小百合の父・吉永芳之が脳梗塞で倒れた時に、吉永小百合は家族と和解しました。翌年(1989年:平成元年)に父・吉永芳之は息を引き取りました。また、母・和枝は身体を壊し他界する4年前から車椅子生活をしたのですが、病院に入院することを嫌ったため自宅で家族によって亡くなる(90歳)まで面倒を看たそうです。

現在の吉永小百合と夫との生活

夫・岡田太郎は現在も健康?

吉永小百合の夫・岡田太郎は結婚当初フジテレビのディレクターでありましたが、その後、フジサンケイグループの制作事業を担当する子会社「共同テレビジョン」の社長・会長を歴任しています。裏方の仕事が多く、テレビやタレントさんが居る場所へは顔を出さなかったようです。現在でも、仲良く暮らしているとのことです。

夫・岡田太郎との生活

吉永小百合の夫・岡田太郎は現在病気を患っているとのことです。そのため吉永小百合は、車椅子でも生活できるようバリアフリーの住宅に改築したそうです。結婚してから最近まで夫・岡田太郎をかばってやることができなかった吉永小百合にとって、今の時間が二人にとって幸せの時間だそうです。

まとめ:吉永小百合の今と今後

永遠の美少女と言われていた吉永小百合も2018年で73歳になります。国民的映画女優として長い間活躍してきた吉永小百合は疲れをしりません。十代の頃のような若々しさを保ちいつまでも清純派女優であることを期待したいです。これからも新しい銀幕に姿を見せてくれるのが楽しみな女優さんです。

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