加賀まりこの旦那は清弘誠?事実婚の真相や布施明との関係も調査
「魔性の女」、「小悪魔」など様々なあだ名を持つ女優の加賀まりこ。そのあだ名の由来には、多くの男性と浮き名を流したという過去があるからのようです。そんな加賀まりこは現在は、清弘誠という人物と事実婚状態にあると言われているんです。加賀まりこのその現在の旦那といえる清弘誠とはどのような人物なのでしょうか。また、かつて旦那ともいえるほど懇意にしていた歌手の布施明との関係も紹介します。加賀まりこの若い頃の画像と、現在の画像も交えながらその旦那たちの画像もチェックしましょう。
目次
加賀まりこの旦那は清弘誠なのか
昔から変わらないそのチャーミングな顔立ちは、いままで多くの男性を虜にしてきました。女優の加賀まりこは、現在も結婚して旦那が居るわけではないのですが、事実婚状態の旦那のような存在が居るようです。

かつて多くの男性と浮き名を流したことから、「小悪魔」とまで言われた加賀まりこですが、現在の旦那と言われている、清弘誠とはどのような人物なのでしょう。

そして、旦那とはならなかったものの、加賀まりこが子供を妊娠したとも言われている、歌手の布施明との関係についても紹介します。
旦那と呼べるような存在は多かったかも
加賀まりこは1943年12月11日生まれの74歳です。東京都神田区小川町に生まれ、新宿区神楽坂で成人したそうです。

女優や「夜のヒットスタジオSUPER」での司会業など、歯に衣着せぬ発言が人気の人物でもあります。また、加賀まりこの本名は加賀雅子というそうですね。

現在の女優としての自由奔放ぶりも有名ですが、幼少期から自由奔放な人物だったようで、テレビでもそのことが賛否両論になることも多かったようです。
名家のお嬢様だった加賀まりこ
「和製ブリジット・バルドー」と言われた加賀まりこは、父親である加賀四郎が大映のプロデューサーだったことで有名です。

姪に俳優の田中健夫人の女優、加賀千景を持つ、芸能一家で育った加賀四郎は、昔の画像を見ると本当に可愛らしい顔立ちをしていますよね。

また、他にもアントワープオリンピックで100mと200mに出場した叔父の加賀一郎を始め、様々な人物が親戚におり、名家と言ってもいいほどの、家庭で自由奔放に育ったようです。
おませだったかもな加賀まりこ
加賀まりこには13歳年上の姉と12歳年上の兄が居たこともあってか、小学生のころから隣町である神田神保町の古本街に通うような女の子だったようです。

そして、「サディズム」の由来にもなった「マルキ・ド・サド選集」を愛読していたようで、現在の加賀まりこの毒舌っぷりは、幼少期からそういった要素があったのかもしれませんね。

また、映画で見たオードリー・ヘップバーンの髪型にするために、子供ながら1人で美容院に行くような早熟な子供だったようで、小悪魔とまで呼ばれた加賀まりこは、小さなときから周りを魅了するような人物だったといえるでしょう。

とはいえ、中学校時代は陸上競技をやっており、2年生のときには走り幅跳びで都大会で優勝も経験しているんです。そして、そんな足の力は、高校に入ると遊びまわるほうに使われて、六本木や麻布界隈で、高級レストラン「キャンティ」に通うような方に使われたようです。
旦那も驚きな加賀まりこのモテっぷり
加賀まりこが芸能界でデビューしたきっかけは、千代田区の一橋中学を経て、明星学園高等学校に入学してからのことだったようです。
1960年に、通学姿を見初めた篠田正浩と作家の寺山修司に路上でスカウトされてしまうんです。このとき、寺山修司たちは、ドラマを制作しようとしていたところ、予定していた女優が出演できなくなり、代わりとなる人物を探していたようです。

加賀まりこは。おじさんたちを助けると思ってやってくれよ的な感じで、かなり頼み込まれたようで、二人を助けてあげようというぐらいの気持ちで、このスカウトを受け入れたようですね。
瞬く間に有名になった加賀まりこ
この二人の誘いを受けて出演したのは、フジテレビ系ドラマ「東京タワーは知っている」だったようです。そして、芸名を秋山庄太郎につけてもらい、明るいという印象がもらえる「まりこ」という芸名をつけてもらったそうです。

芸能界デビューを果たした加賀まりこは、松竹と5年契約を交わして、1962年に「涙を、獅子のたて髪に」で映画デビューを果たしました。

そして、数々の映画やCMに出演し、その洋風な雰囲気とお人形さんのような顔立ち、そして若くしてプロフェッショナルといえる演技力は、絶大な人気を呼ぶことになります。

しかし、女優になっても、加賀まりこの自由奔放ぶりは変わることはなく、常に歯に衣着せぬ発言をし、かなり強気な性格だったことから「生意気」と言われることも多かったようです。
そのことは、司会を務めた「夜のヒットスタジオSUPER」でも同様で、時には歌手と加賀まりこがケンカのような雰囲気になることもあり、出演を断るような歌手も出たという噂があるほどでした。
旦那探しにもなったかもな一時休業
週刊誌などで、加賀まりこに対するバッシングのような記事が増え、加賀まりこもそういったバッシングをいちいち相手にはしてられないというようなやり取りが続くことになりました。

そういったことがあった中で、加賀まりこは20歳のときに、仕事の忙しさと週刊誌のバッシングが煩わしくなり、半年先までのスケジュールをキャンセルして、単身でパリに渡ることを決意したんです。

20代で十分にお金を稼いでいたこともあり、パリでは、かなりの豪遊生活だったようですね。そして、イブ・サンローランやフランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワーズ・サガンなどと交遊したようです。
旦那に近いような男たちとの交際
半年ほど豪遊を続けた加賀まりこは、流石に資金が付きてきてどうしようか考えていたようです。そういったときに、国際電話で演出家の浅利慶太から、舞台への出演を打診されて帰国することになります。

そして、劇団四季の舞台「オンディーヌ」に出演し、これが日生劇場始まって以来の大盛況となり、連日の大入りになったそうです。

加賀まりこにとっても、この経験は大きなものになったようで、初めて女優としての喜びを感じるほどのものだったようです。そして、ここから加賀まりこは女優として本腰を入れるようになり、さらなる名作を生み出していくことになります。
加賀まりこに惚れ込んだ文豪
そういった中で、加賀まりことの熱愛が噂されるような人物が出てくることになります。画像を見ればわかるように、若い頃の画像の加賀まりこはほんとにチャーミングですよね。

加賀まりこに惚れ込んでいたことで有名なのは「雪国」などの作品で有名な文豪の川端康成です。日本人で初めてノーベル文学賞を受賞した人物で、そんな人物も加賀まりこに惚れ込んでいたことがあるようです。

加賀まりこが15歳の頃から出入りしていた、当時の各界の著名人が集まる最先端の社交場だった六本木のイタリアンレストラン「キャンティ」。ここは、加賀まりこだけでなく、川端康成もこの店の常連だったんです。

そこで知り合った二人は、川端康成が加賀まりこのことを大好きで、加賀まりこのために映画の原作を書き下ろすほどだったようです。
旦那のような関係にはならず
加賀まりこと川端康成は、料亭旅館のようなところで朝ごはんを食べるようなこともあったようですが、肉体関係のよなものはなく、川端康成を旦那に選ぶということもなかったようです。

また、当時、すでに年齢を重ねていた川端康成の相手をするよりも、加賀まりこは夜は夜でいろいろ、別の男性のところを渡り歩いていたようです。そのため、朝しか時間を割いてあげるところがなかったようですね。

なによりも、文豪として大物扱いされていることに疲れていた川端康成にとって、まったくそういうことを気にせず関わってくれる加賀まりこに好感を持っていたようですね。
加賀まりこと石坂浩二と布施明
加賀まりこは1966年に舞台で共演したことから知り合った俳優の石坂浩二と交際を始めていたようです。そして、一時期は、加賀まりこと石坂浩二は同棲するような関係だったようです。

しかし、次第に忙しくなったことで加賀まりこと石坂浩二の関係は終わりを迎えてしまったようです。そして、そのタイミングに合わせるかのように、加賀まりこは、石坂浩二を女優の浅丘ルリ子と引き合わせたようなんです。

石坂浩二と浅丘ルリ子は、とても気があったようで、そのことで二人は結婚することになるなど、加賀まりこが恋のキューピット的な役割を果たすことになるんです。

ただし、この裏には加賀まりこが石坂浩二に飽きたことや、別の男性とすでに懇意になっていることが大きな理由だったようです。そして、その懇意になっていた人物というのが歌手の布施明だったんです。
加賀まりこは布施明の子供を妊娠も
実は、加賀まりこは1972年に未婚のまま女児を出産しています。そして、加賀まりこはシングルマザーとして子供を育てる決意をしていたものの、出産から7時間ほどで子供は亡くなってしまったそうです。

この加賀まりこが妊娠した子供の父親に関しては、明確な相手が明かされているわけではないのですが、どうやらこの相手が布施明だといわれているようなんです。

昔の画像からわかるように、布施明も加賀まりこに負けず劣らずでプレイボーイな人物なようで、事務所としては加賀まりこと布施明という二人が恋仲であることは隠したかったようですね。
布施明とは石坂浩二と交際中に知り合って、そういった仲になったようですが、加賀まりこも布施明とは結婚ということは選ばなかったようですね。布施明も加賀まりこに対しては、気持ちはあったのかもしれませんが、お互い、自分らの気持ちだけでは決められない部分もあったのかもしれません。
事実婚状態と言われる加賀まりこの旦那の存在は
実は加賀まりこは1974年に当時フジテレビのプロデューサーの高田明侑という人物と結婚しているんです。しかし、この結婚も1980年に離婚を迎えて、破局してしまっています。

この旦那との間には、子供はいなかったそうです。そして、加賀まりこには2010年頃から事実婚状態にある人物が居るそうなんです。

それが、元TBSの演出家の清弘誠という人物のようです。この加賀まりこと事実婚状態にある清弘誠とは、いったいどのような関係で知り合ったのでしょうか。
加賀まりこの旦那と言われる清弘誠について
加賀まりこの旦那と言われる清弘誠は、TBSで「渡る世間は鬼ばかり」や「居酒屋もへじ」、「おやじの背中」などと担当してたようです。

年齢は加賀まりこよりも年下で、清弘誠のほうが6歳年下なので1949年ごろに生まれていると予測できます。もともとは、大学を教育大学系に通っていたようで、教職に就きたかったのではといわれていますね。

その中で、映像に興味が生まれて、演出家への道を選んだ清弘誠。そんな、清弘誠が加賀まりこと知り合ったのは、加賀まりこのとある趣味が理由だったんです。
加賀まりこと旦那が知り合った共通の趣味
加賀まりこと清弘誠が仲良くなったきっかけは麻雀だったそうです。日本プロ麻雀連盟感謝祭で、2016年や2017年で一緒に参加している画像などもあるようですね。
実は、この関係はあのキュートな画像が印象的の加賀まりこ側が、清弘誠にぞっこんだったようです。もともと、加賀まりこは追いかけられる恋愛よりも、追いかける恋愛のほうが好きなようで、清弘誠には5年ほど片思いだったようです。
テレビや画像などで、その事実婚の関係がはっきりとしたのは、2017年10月18日にフジテレビ系で放送された「良かれと思って!」だったようです。
加賀まりこが旦那の作品のために宣伝活動も
加賀まりこは、「ぴったんこカンカンSP」に出演した際に、作家の内館牧子と共演しています。横綱審議委員会の委員としても有名な内館牧子と共演し、東北大学相撲部をアナウンサーの安住紳一郎らと訪れました。

そして、その場にいたのは、なんと加賀まりこの事実婚状態の旦那である清弘誠だったんです。安住紳一郎にそのことを問われたりしながら、清弘誠が制作したドラマ「塀の中の中学校」の宣伝を、加賀まりこが行うことも行われました。

この作品は、文化庁芸術祭参加作品でもあり、清弘誠の定年最後の作品として手がけたもので、内館牧子が脚本を担当しているんです。

この作品の広報のために、加賀まりこは手書きでハガキを300枚のハガキを書くなど、旦那の作品を多くの人にしてもらうために、内助の功のようなことも行っているんです。
旦那には内緒の加賀まりこと松本人志
このような好きになった男の子には、すっかり女の子になってしまう加賀まりこですが、実は過去にあのダウンタウンの松本人志にも電話番号を渡していたそうなんです。

これは「ダウンタウンなう」の中で、ダウンタウンや坂上忍らと加賀まりこがお酒を飲みながら、その恋愛遍歴の話題になっていたときのことです。自分から口説くことにしか興味がない加賀まりこは、プロデューサーに電話番号を書いて、松本人志に渡してもらうように頼んだこともあったそうです。

しかし、松本人志からは電話がかかってこなかったそうですね。また、いまの松本人志には興味が無いようで、浜田雅功のほうがセクシーだと感じているそうです。

そして、加賀まりこは過去から現在まで、男性と行動するときも変装をするということが無いようで、堂々と普段どおりの格好で夜の街をあるそうです。交際する相手も20歳ぐらいの年齢でも全然ありなようで、同時に、人の男に手を出すようなことも無いことも明かしたようですね。
旦那との間に子供は?
事実婚状態の清弘誠との間には子供はいないそうです。ただし、清弘誠はかつてCAと結婚していたという噂もあるようで、その相手との間には子供が居たという噂もあるようです。

年齢的にわざわざ結婚という形を選ぶのも面倒なのか、そのまま事実婚状態の加賀まりこ。過去の恋人である石坂浩二と、その元妻である小柳ルミ子らと出演した「やすらぎの郷」では、ウェディングドレスを着て、非常に不自由だったから二度と着たくないと感じたことも明かしています。

年齢を重ねても過去の画像と美しさが変わらない加賀まりこ。事実婚状態の旦那の前で見せる姿は、普段とは違う女の子な一面も楽しめるだけに、また事実婚の旦那さんと共演してみてほしいですよね。
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