加賀まりこの若い頃・昔がかわいいと話題!美人画像や歴代の彼氏も紹介
大物女優である加賀まりこ。現在もとても美人な女優であり、物語の重要な役柄を演じることが多い加賀まりこ。そんな加賀まりこの若い頃は、実は非常に可愛い人物なんです。そんな若い頃の加賀まりこの画像を見ると、いまのアイドルにも負けないほどの可愛い画像がたくさんあるです。今も昔も恋多き人物として知られており、昔から加賀まりこの彼氏には様々な人物の名前があがっているんです。そんな加賀まりこの若い頃の画像や、昔の彼氏について紹介します。
目次
- 実は加賀まりこの若い頃がとっても可愛い
- 昔の若い頃の加賀まりこは別格
- 昔から加賀まりこは東京の新宿で暮らしている
- 若い頃から有名人に囲まれたお嬢様だった
- 昔から毒舌家だった加賀まりこ
- 加賀まりこは昔から美女として有名
- 若い頃にスカウトを受けた加賀まりこ
- 若い頃の加賀まりこに目をつけた寺山修司たち
- 昔から続く加賀まりこへの週刊誌のバッシング
- 若い頃からのお金で豪遊した加賀まりこだが
- 昔の若い頃の加賀まりこは引く手数多
- 若い頃だけでなく近年のドラマでも活躍
- 加賀まりこの昔からの特技
- 加賀まりこは若い頃から恋多き女
- 加賀まりこは昔は布施明と付き合っていた
- 加賀まりこは若い頃に出産を経験している
- 昔の加賀まりこはあの石坂浩二とも恋仲に
- 若い頃とは違って落ち着いたかもな加賀まりこ
- 昔から加賀まりこが狙っていた人物
- 加賀まりこと清弘誠を引き寄せたのは昔からのアレ
- 昔の若い頃の加賀まりこの発言がやばい
- 昔の恋人たちと共演
- 昔の彼氏は若い頃と変わらず
- 加賀まりこは昔から石坂浩二を怪しんでいたかも
- 若い頃の彼氏と共演は大丈夫だったのか
- 加賀まりこと若い頃の恋人が共演したドラマの中身
- 加賀まりこがまさかの若い頃の恋人と結婚!?
- 若い頃や昔の彼氏のことは笑い話に
- 昔の若い頃から変わらない可愛さ
- これからも加賀まりこ節は変わらない
実は加賀まりこの若い頃がとっても可愛い
名女優である加賀まりこは、現在も変わらぬ美しさと、チャーミングなキャラクターで、ドラマや映画だけでなく、バラエティ番組でも重宝されている存在です。

実は、そんな加賀まりこは若い頃は今以上に可愛い人物で、非常にモテる女優だったようです。そして、そんな加賀まりこの若い頃の画像が、SNSを中心に話題になっているようなんです。

また、それだけ若い頃の可愛いと言われた加賀まりこだけに、彼氏として様々な人物と浮き名を流したことがあるようなんです。

名女優の昔の若い頃の画像とともに、その加賀まりこの歴代の彼氏と女優としての経歴について紹介します。若い頃の加賀まりこは、本当にいまのアイドルにも負けないほどキュートで可愛い人物なんですよ。
昔の若い頃の加賀まりこは別格
加賀まりこは1943年12月11日生まれの74歳です。加賀まりこは実は芸名で、本名は加賀雅子と言うそうです。

女優として長らくテレビを支えてきた人物であり、司会者としての手腕も高く評価されている人物です。また、非常に自由奔放な人物でマスコミをわかせることも多く「小悪魔」や「和製ブリジッド・バルドー」と呼ばれたこともあるんです。

加賀まりこは東京都神田区小川町出身で、東京都神楽坂で成人したそうで、加賀まりこは昔と同じく東京都新宿区に在住しているそうです。
昔から加賀まりこは東京の新宿で暮らしている
加賀まりこの父親は、加賀四郎という人物で、大映のプロデューサーだったそうです。また、加賀まりこの姪には、俳優の田中健人夫人で女優の、加賀千景がおり、加賀まりこは芸能一家の中で育ったそうです。

また、叔父の加賀一郎はアントワープオリンピックで100mと200mに出場しており、ベルリンオリンピックっでは、役員として選手団に同行しているんです。

その上、加賀まりこの祖父は元衆議院議員の加賀卯之吉、母方の祖母は神田錦町で貸席を営んでいた松本フミ、叔父の加賀二郎は松竹株式会社の元常務なんです。

しかもしかも、父方・母方の従兄妹は元女優の岸雅子やシャボン玉ホリデーカバーガールをつとめた加賀美和子、元日本テレビプロデューサーの加賀義二など、まさに大物揃いな親戚一同なんです。
若い頃から有名人に囲まれたお嬢様だった
加賀まりこには兄弟がおり、13歳年上の姉と12歳年上の兄がいたそうです。そんな加賀まりこの幼少期は、小学生のころから隣町にある神田神保町にある古本街に通って「マルキ・ド・サド選集」を愛読していたようです。
若い頃から少し、サディスティックな部分があったようで、思ったことは何でも口にする歯に衣着せぬ毒舌家だったようですね。

その上、映画で見たオードリー・ヘップバーンの髪型にするために、1人で美容院に行くようなおませな女の子だったようです。
昔から毒舌家だった加賀まりこ
とはいえ、加賀まりこは中学校時代は陸上競技を行っており、2年生のときには走り幅跳びで都大会で優勝も経験しているんです。

しかし、そのアクティブな性格は高校生に入ると加速して、六本木や麻布界隈で遊んでおり、高級イタリアンレストラン「キャンティ」に学生服のまま通うような性格だったようです。

同時に、キャンティで働くママの自立した生き方に強い憧れを抱くようになり、将来のことをいろいろと夢描くことがあったようです。

ちなみに、田辺靖雄を中心に結成されていたティーンネイジャーグループの六本木野獣会のメンバーと誤解されることがあるようですが、加賀まりこはそのことを否定しており、野獣会は田舎者の集まりときつい返しをしているようです。
加賀まりこは昔から美女として有名
加賀まりこは千代田区の一橋中学を経て、明星学園高等学校に入学しています。そして、同行に在学中の1960年に、可愛い加賀まりこの通学姿にやられたのか、篠田正浩と寺山修司に路上でスカウトされることになるんです。

篠田正浩は映画監督として有名で、寺山修司は詩人や劇作家として有名な人物ですよね。そして、加賀まりこはそのスカウトからフジテレビ系ドラマ「東京タワーは知っている」で芸能界デビューを果たしています。

そして、芸名を写真家の秋山庄太郎につけてもらい、明るいという理由に「まりこ」という名前をもらったそうです。
若い頃にスカウトを受けた加賀まりこ
加賀まりこは、松竹と5年間の新人契約を交わして1952年に映画「涙を、獅子のたて髪に」で映画デビューを果たしています。

若い頃から可愛いと噂になっていた加賀まりこは、その可愛い顔だけでんかう、プロフェッショナルともいえる演技力が評価されて、数々の映画やCMに出演することになります。

しかし、若い頃から「小悪魔」と呼ばれるように、やや歯に衣着せぬ発言は、強気すぎると「生意気」と言われることもあったようです。そのため、加賀まりこには尖ったキャラクターを要求する周囲の声も増えてしまったようですね。
そのことが加賀まりこが司会を務めた「夜のヒットスタジオSUPER」の司会の言動につながることになるんです。ただし、加賀まりこ本人は、そういった周囲の声はあくまで誇張表現や創作も多く、最終的には否定することすら面倒になってしまったそうです。
若い頃の加賀まりこに目をつけた寺山修司たち
加賀まりこのデビューのきっかけになったのは、若い頃の可愛い加賀まりこを見かけて、女優に誘った篠田正浩と寺山修司。そんな二人は、かなり必死に加賀まりこを女優に誘ったようです。

二人に汁粉屋に連れて行かれた加賀まりこは、二人にかなりしつこく勧誘されてしまったようです。もともと、二人が制作しようとしていた映画のヒロインが、横やりが入ってしまったために、制作が中止になりそうだったようです。

とにかくヒロインが欲しかった寺山修司たちは、加賀まりこに泣き落としをかけて、出演を依頼したそうですね。そんな話を聞いた加賀まりこも、かわいそうだと思って助けてあげようとおもったようです。また、父に相談したところ、自分が助けてあげられるなら力になるように言われたそうですね。
昔から続く加賀まりこへの週刊誌のバッシング
昔の週刊誌は、今以上にゴシップ記事は厳しい内容が多く、加賀まりこも20代のころになると、次々と舞い込んでくる仕事と同時に、そういった女性週刊誌の記事に嫌気が出てしまったようです。

そのため、若い頃から働き続けていた加賀まりこは、人生を一度リセットするとして、半年先までのスケジュールをキャンセルして、単身でパリに渡ったそうです。

若い頃から女優として稼いだお金を使って、パリでかなり豪遊をしていたようで、イブ・サンローランやフランソワ・トリュフォーやジャンリュック・ゴーダル、フランソワーズ・サガンなどと交友したそうです。
若い頃からのお金で豪遊した加賀まりこだが
さすがにパリで豪遊しすぎたのか、加賀まりこもお金が付きてしまい、半年ほどで帰国を考えた頃に、国際電話で演出家の浅利慶太から、舞台出演への誘いが来ることになります。
そして帰国した加賀まりこは、劇団四季の舞台「オンディーヌ」に出演し、連日大入りの大盛況になるんです。いまのようにネットで画像などを見れるわけではないので、加賀まりこのブロマイドなどはとても売れたようですね。
また、加賀まりこがそれだけ人気が出るのは、こうやって当時の画像を見ると十分に理解できますよね。可愛い画像ですが、それと同時に抜群の演技力を持っており、大成功をおさめることになったんです。
同時に、加賀まりこは若い頃から続けてきた女優としての仕事に喜びを感じ、このことがきっかけで、加賀まりこは本格的に女優として本腰を入れることになるんです。
昔の若い頃の加賀まりこは引く手数多
若い頃の加賀まりこを気に入っていたのは、寺山修司以外にもいろんな人がいたようです。文豪で「雪国」の作者として知られる川端康成も加賀まりこの大ファンだったようです。

そのため、加賀まりこを見るために、撮影所や劇場に見学に来ており、一緒に朝食をとるような仲だったそうです。そんな川端康成のことを、加賀まりこ良いダチだとおもっていたようですね。

そんなさなか、川端康成が原作の「美しさと哀しみと」が1965年に映画化されることになります。この作品の中に登場するレズビアンの役を加賀まりこが演じることになり、川端康成は原作者として加賀まりことあることになります。
そして、川端康成はリハーサルの加賀まりこの演技を見て、かなりドキドキしてしまったようですね。そして、まるで自分の作品が、元から加賀まりこのために書かれた作品だと感じるほどだったようで、加賀まりこ以外に演じる人物は思いつかないと感じたようです。
若い頃だけでなく近年のドラマでも活躍
加賀まりこはその後も、第一線で活躍し続け、2007年にドラマ「花より男子」に出演し、若い世代からも「道明寺のお母さん」として有名になることになります。

この作品に出演したことにより、加賀まりこは、プライベートで女子高生から声をかけられることが増えたのだとか。ただし、本人は最初はこの役柄には乗り気ではなかったものの、プロデューサーと演出家に説得されて出演したそうです。

また、2011年には俳優の中尾彬とともに、肺炎予防対しに就任したり、2013年にはスポーツニッポンで「我が道」を連載するなど、多方面に渡って活動しています。
加賀まりこの昔からの特技
実は加賀まりこには、昔からの特技があり、その腕前に関しては芸能界屈指のもののようです。その加賀まりこの昔からの特技というのが、麻雀なんです。
同じ芸能界でも雀士として強いと有名な、風間杜夫や萩原聖人とともに、テレビで対決することも多く、フジテレビ系「THEわれめDEポン」では4回の優勝経験もあるんです。
その他の趣味としては、相撲や野球が好きで観戦に行くことも多いようです。ちなみに、アンチ巨人なんだとか。また、「鉄腕稲尾」と言われる稲尾和久とは、麻雀で対局したこともある仲のようです。
ちなみに、加賀まりこがどうしてもやめられないことはタバコのようですね。健康のために禁酒だけは成功したものの、タバコに関してはどうしてもやめられない愛煙家のようです。
加賀まりこは若い頃から恋多き女
若い頃の加賀まりこの画像を見ると、本当に可愛い画像がたくさんで、その可愛い姿からわかるようにとてもモテたようですね。

それだけに、その可愛い画像通り、加賀まりこは芸能界でも有名な人物たちと熱愛報道が出たことがあるようです。そんな可愛いと有名だった加賀まりこの歴代の彼氏も確認していきましょう。

まず、先程登場した寺山修司らは、あちら側はある程度行好意はあったかもしれませんが、それほど深い関係にはならなかったようです。

そして、加賀まりこにベタぼれしていた川端康成は、食事の相手をしてもらえるぐらいだったようで、加賀まりこはあくまで友人のような存在としてしか見ていなかったようです。ちなみに、川端康成は、美輪明宏にもお熱だったようですよ。
加賀まりこは昔は布施明と付き合っていた
歌謡界でもひときわその美声が魅力的な歌手の布施明。「シクラメンのかほり」や「君は薔薇より美しい」などで、若い世代にも有名な歌手です。
昔の布施明はかなりのプレイボーイ
しかし、若い頃の布施明は加賀まりこと同じくかなり多くの人物と熱愛関係にあったようです。そんなプレイボーイな布施明は、加賀まりことは秘めたる関係だったようですね。
二人はかなり良い関係だったようですが、布施明がプレイボーイだったこともあり、加賀まりこのイメージを守るために、事務所からは別れるように言われてしまったようですね。
加賀まりこは若い頃に出産を経験している
そんな加賀まりこが唯一、事務所に対して反抗出来る行為だったのが出産だったようです。実は、加賀まりこは1972年に子供を未婚のまま出産しているんです。

誕生した子供は女の子だったようですが、その子供の父親は布施明だと噂されているんです。もちろん、加賀まりこも布施明もそのことは認めておらず、あくまで未婚の母として、子供を育てようとしたようです。

しかし、どうやら加賀まりこは出産のときに、緊急帝王切開になったようで、出生されたばかりの子供はわずか7時間で亡くなってしまったそうです。
可愛い画像が目立つ加賀まりこですが、やはりその自由奔放な生き様は、多くの相手との恋を経験することになり、布施明を含め多くの芸能人とも噂になっているわけです。
昔の加賀まりこはあの石坂浩二とも恋仲に
実は、加賀まりこはこの布施明と恋仲になる前は、あの俳優の石坂浩二とも恋仲にあったようです。しかも、加賀まりこと石坂浩二は同棲をしていたという噂もあるようです。

石坂浩二はその後、女優の浅丘ルリ子と結婚しているのですが、その浅丘ルリ子と石坂浩二を引き合わせたのは加賀まりこなんだそうです。

どうやら、加賀まりこには浅丘ルリ子に、石坂浩二がデートをしたがっていると話を紹介して、二人を引き合わせたようなんです。そこには、加賀まりこが新しい恋人である布施明の存在があったからだと言われています。
石坂浩二も加賀まりこに捨てられると分かっていたのかは不明ですが、紹介された浅丘ルリ子とは良い感じになったようで、そのまま浅丘ルリ子と付き合って結婚してしまったというわけです。
若い頃とは違って落ち着いたかもな加賀まりこ
このような多くの人物と噂になった加賀まりこも、あるころからか、とある人物と恋仲になり、その後は落ち着いていると言われているんです。

それが、元テレビ局員で、現在はドラマ演出家の清弘誠という人物なんです。加賀まりこよりも6歳年下の人物で、2010年9月24日には、TBSの演出家として「ぴったんこカン・カン」にも出演しているんです。
実はこのとき、加賀まりこと作家の内館牧子がゲストとして出演していたんです。内館牧子は東北大学相撲部の監督も務めている人物で、加賀まりこと内館牧子が相撲部を訪れていた場所に、ゲストとして清弘誠が登場したんです。

そして、MCであるアナウンサーの安住紳一郎の口から、二人が現在は事実婚状態で、加賀まりこの旦那にあたる人物が清弘誠であることが紹介されたようです。
昔から加賀まりこが狙っていた人物
加賀まりこは2010年10月11日にTBSで放送された単発ドラマ「塀の中の中学校」宣伝のために、加賀まりこが手書きで300枚ものはがきを書いたこともあるそうなんです。

この塀の中の中学校は、長野県松本市に実際にある松本刑務所内の公立中学校を元にしたドラマで、脚本が内館牧子で、清弘誠が中心となって制作されたドラマなんです。

そして、この作品は文化庁芸術祭参加作品になり、モンテカルロ・テレビ祭で、テレビフィルム部門でゴールデンニンフ賞とモナコ赤十字賞、そして、出演した渡辺謙が最優秀男優賞を受賞しているんです。

このように、加賀まりこは内縁関係にある清弘誠を影で支えるような支援を行っており、いわゆる内助の功をして、旦那の作品が有名になるように協力していたようです。
加賀まりこと清弘誠を引き寄せたのは昔からのアレ
では、加賀まりこと清弘誠は、どのような馴れ初めで仲良くなったのでしょうか。どうやら、加賀まりこと清弘誠は、昔から加賀まりこが得意としていたアレがきっかけで仲良くなったようですね。

どうも、加賀まりこと清弘誠の関係は15年以上まえから続いているような関係だったようで、知り合ったきっかけは麻雀だったようです。

そのため、麻雀仲間として親しくなった二人なのですが、実は加賀まりこが清弘誠に対してお熱になったようなんです。そのときの加賀まりこの年齢は55歳ぐらいだったようで、そこから5年ほど経って、60代になって、やっと清弘誠が加賀まりこに振り向いてくれたそうです。

最初の頃は加賀まりこがアプローチしても、ほとんど相手にしてもらえず、麻雀をするときも、先に清弘誠が帰ってしまって家まで送ってくれるようなことはなかったそうです。

あまりにも自分に振り向いてくれないことから、一時期の加賀まりこは清弘誠のことを諦めようと考えていたこともあるようです。しかし、その後もアプローチを続けたことで、清弘誠は内縁関係のままではありますが、一緒に生きていくことを選んでくれたようですね。
昔の若い頃の加賀まりこの発言がやばい
可愛い画像が多い加賀まりこですが、紹介したように、昔から毒舌家として有名で、夜のヒットスタジオ時代は本当に、その発言がやばかったことで有名なんです。

現代であれば、基本的には歌手にたいしてMC側は良いことしか言わず、宣伝のために気持ちよく帰ってもらうようなやり取りが多いですよね。しかし、夜のヒットスタジオの古舘伊知郎と加賀まりこのコンビは、現代では考えられないような絡み方が多かったようです。

例えば、B'zが1990年に出演したときには、稲葉浩志をもっとかっこいい人物だと思っていたのか、思っていたほどではなかったと対応したり、松本孝弘を不細工な方だとして、適当に扱ったようです。

また、週刊誌に書かれているようなネタを、出演したアーティストにそのまま追求するようなことも多かったようです。そのため、ガールズバンドだったプリンセス・プリンセスに週刊誌のスキャンダルネタを追求するなどして、次第に番組の視聴率は低下してしまったようです。
昔の恋人たちと共演
加賀まりこは、2017年にドラマ「やすらぎの郷」に出演することになります。このドラマは、かつてのテレビをささえた名俳優や名女優が出演するものになっており、過去への心残りをテーマに葛藤するという物語になっているんです。
そして、このドラマの主演にはかつて加賀まりこと恋仲だった石坂浩二が選ばれているんです。また、その加賀まりこが仲を取り持った浅丘ルリ子も出演しているんです。

1971年に浅丘ルリ子と結婚した石坂浩二ですが、程なくして結局は別居しており、2000年12月に実母の介護をさせるわけにはいかないとして、石坂浩二は浅丘ルリ子と離婚しているんです。しかし、その後の2001年に石坂浩二は再婚を発表しており、その行動が非難されるものになりました。
昔の彼氏は若い頃と変わらず
この石坂浩二の離婚に関しては、加賀まりこに紹介されて浅丘ルリ子と結婚したものの、すぐに別居した理由が気になりますよね。彼氏として石坂浩二はどのような部分がうまくいかない理由だったのでしょう。

どうやら、加賀まりこや浅丘ルリ子、そして石坂浩二もそれぞれ、他にもいろいろと愛人と呼べるような存在がいたようで、石坂浩二も浅丘ルリ子と結婚しても、愛人との関係を断ち切れていなかったようです。

そして、別居の理由になったのは、石坂浩二がなんと「アトリエ」が欲しいということを言い出したからなんです。自分用のアトリエを用意するということは、いわば別荘のようなものを用意するわけで、そこで石坂浩二は創作活動を行いたかったようです。
加賀まりこは昔から石坂浩二を怪しんでいたかも
しかし、浅丘ルリ子からすれば、自分の目の届かないところで一体何をしているか分からず、石坂浩二が愛人を連れ込むと考えていたようですね。そういったことをされるぐらいならと、結局は別居をすることをえらんでしまったようです。

まわりまわって、そういったプレイボーイな行動は年を重ねてからも変わらず、浅丘ルリ子に実母の介護をさせたくないという理由から離婚したものの、実は12年ほど愛人関係だった人物がおり、すぐに再婚してしまったというわけなんです。

結局は、加賀まりこも昔から、彼氏であった石坂浩二のそういった怪しい行動に気づいていたのかもしれませんね。自分も布施明という新しい彼氏が出来て、早めにこの彼氏を別の女性とくっつけて、良い感じに別れようと考えたのかもしれません。
若い頃の彼氏と共演は大丈夫だったのか
気になるのは、若い頃の彼氏だった石坂浩二と、その元妻であり友人の浅丘ルリ子と、加賀まりこが共演しても大丈夫だったのでしょうか。
記者会見などの画像では、それぞれ堂々としたものだったようで、すでに昔の話という感じで、元彼氏でも元旦那でも関係ないというような感じだったようです。

石坂浩二は、昔は一緒に芝居をした仲であり、この年になって緊張したりジタバタするようなことはないという感じの態度だったようです。

そして、実際に放送が開始されると、初回は8.7%と、昼の時間帯のドラマにしては高視聴率を記録することが出来たんです。
加賀まりこと若い頃の恋人が共演したドラマの中身
このやすらぎの郷というドラマは、石坂浩二演じる主役が、かつては売れっ子脚本家という設定になっているんです。そして、その主役が一時代を築いたスターしか入れないという老人ホームに入居するという筋書きになっているんです。

そして、その老人ホームで起きる悲喜交交な人間ドラマを主役の視点で描いていくものになっているようです。浅丘ルリ子は「緑の天使」というドラマでデビューを果たして以来、国民的人気女優として活躍した人物を演じています。

加賀まりこは、ある意味そのままの役とも言えるのですが、きつい口調が特徴の女優として出演しており、愛煙家で酒も強い「悪女」として出演しているんです。

しかも、昔から他者の心を読むのに長けており、それを遠慮なく追求するため、どんな彼氏とも長続きしなかったなんて役柄なんです。まるで、加賀まりこの人生をそのまま反映された役柄に感じますよね。
加賀まりこがまさかの若い頃の恋人と結婚!?
実はこのドラマの撮影の最終日に驚きの展開があったんです。それは、なんとあの加賀まりこと浅丘ルリ子が、かつての元彼氏であり元旦那とウェディングドレスで、両方から腕を組むという画像が撮影されたんです。

その画像は、浅丘ルリ子がかつての旦那と共演出来たことを喜び、何よりも石坂浩二が主演だったからこそ、最後までドラマが成り立ったと感じたこともあったようです。

これはドラマの演出の中で、最終的に加賀まりこと浅丘ルリ子がウェディングを着るという演出があり、その流れからこのような画像が撮影されたようですね。

また、いかにも加賀まりこらしいのが、ウェディングドレスの着心地は最悪だったという感想を残したことです。どうやら、ウェディングドレスの締め上げがかなりきついうえに、浅丘ルリ子のリクエストで着た裾の長いスカートは重く、とても動きにくくはやく撮影が終わってほしかったそうですね。

そのことから、加賀まりこは二度とウェディングドレスを着たくないと思ったようですが、このあたりの毒舌ぶりも若い頃からまったく変わっていないといえますよね。
若い頃や昔の彼氏のことは笑い話に
最近の加賀まりこは、そういった昔の彼氏と共演することもあり、相変わらず昔の彼氏を前にしても堂々としたものであることが話題になりました。

最近では、あの「相棒 season16」の最終回では、極妻として水谷豊と初共演も果たしているんです。いろんな彼氏を話題になった加賀まりこですが、水谷豊と初共演だったのは意外ですよね。

加賀まりこは、大阪を拠点とする暴力団組長の妻として出演しており、その快活な演技を見た水谷豊は、かなり笑ってしまうことも多かったようです。どうやら、加賀まりこの豊かな表情に笑ってしまったようですね。

また、その評定の演技だけでなく、もともとは典型的な江戸っ子である加賀まりこは、台本をもらったときに、大阪弁の役であることに気づいたようです。そのため、台本をもらって1ヶ月は、ずっとこの大阪弁の役を練習し続けていたそうですよ。
昔の若い頃から変わらない可愛さ
改めてこうやって加賀まりこの昔の若い頃からの画像を見ていると、その可愛さに驚かされますよね。いろんな彼氏たちも、なんとか加賀まりこと仲良くなりたくて、やっと彼氏には慣れたものの、結局は翻弄されっぱなしだったのかもしれません。
また、2018年2月23日のフジテレビ系「ダウンタウンなう」に出演した加賀まりこは、司会の坂上忍の、当時のモテ話を聞かれて、やはり加賀まりこは相当いろんな人物に言い寄られたようで、自分が可愛かったことも認めたようですね。

しかし、そんな彼氏になろうとする男たちに対して、加賀まりこは相手から言い寄られるのは好きではなかったことも明かしたようです。つまり、加賀まりこが最終的に内縁の夫となった人物のときのように、自分から口説くような恋しか興味がないというわけなんです。

また、坂上忍が若い頃に、見栄を張って訪れた小洒落た店で、加賀まりこが若いイケメンを連れていたことも暴露されたようですね。
これからも加賀まりこ節は変わらない
そんな加賀まりこは50代ぐらいまでは、年下は20ぐらいまで大丈夫だと考えていたようで、そういったイケメン彼氏たちと歩くときも、まったく変装しないのが昔からのスタイルだったようです。

若い頃からコソコソするのは大嫌いだったようで、それは名女優になってからも変わらず、ずっと変装をすることなく、若い彼氏たちといろんなところで遊ぶのが好きだったようですね。

そういった加賀まりこに対する評価は、昔とどんどん変わってきており、加賀まりこは良い意味でも悪い意味でもストレートな人物であることが紹介されたようですね。しかも、過去には松本人志と共演して気に入ったのか、プロデューサー経由で自分の連絡先を渡したこともあったようです。

追われるより追う恋にしかないという加賀まりこは、長年追いかけていた人物にやっと振り向いてもらえて、幸せな毎日を送っているというわけなんです。いろんな男性が追いかけたのに対して、加賀まりこは追いかけられる恋に興味を持たなかったというのが、まさに加賀まりこという感じですね。

昔からその生き方を全く変えることのない加賀まりこ。常に自分に正直でいることは、尊敬に値しますよね。そういったストレートな性格と可愛い容姿が、多くの男を引き寄せる原動力だったのかもしれませんね。
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