香山美子の旦那・三條正人や子供の情報まとめ!現在と若い頃の画像も紹介
女優・香山美子さんをご紹介します。若かりし頃の香山美子さんはどんな人だったのでしょうか?芸能界入りしたきっかけはなんだったのでしょう?出演された数多くの映画やドラマのいくつかを画像を交えて紹介して参ります。また、香山美子さんは結婚しているのでしょうか?もし結婚しているとすると子供はいるのでしょうか?結婚していれば旦那様の紹介や、子供がいればお子さんの紹介などさせていただきます。
目次
香山美子さんってどんな人
香山美子さんの紹介

女優・香山美子さんをご紹介します。現在でも凜とされた美貌をお持ちですが、若い頃の香山美子さんはキュートで可愛い女性でした。若い頃の写真を交えて、出演されたドラマや映画を紹介いたします。香山美子さんは結婚されているのでしょうか?もし、結婚されているとするとその馴れ初めは? また、子供はいるのでしょうか?そんな香山美子さんをご紹介いたします...まずはプロフィールから
香山美子さんプロフィール

芸名:香山美子
本名:渡辺紀子(旧姓:岩本)
生年月日:1944年1月1日
出身:東京都練馬区
身長:160cm
血液型:O型
学歴:富士見高校卒業、
趣味:油絵
香山美子さんの若い頃・芸能界へのきっかけは?
若い頃の香山美子さんはお茶目で可愛い女の子

上の写真は、若い頃の香山美子さんの写真です。本当に可愛いです。1955年の小学校5年生になると児童劇団「こまどり」に入団しています。子役として教育映画などに出演していました。劇団「こまどり」は1948年の創立された児童劇団でしたが、徐々に児童だけでなく大人の俳優さんも対象とし、さらに声優養成も力を入れ、現在では「グループこまどり」と変名し、声優さんだけを扱うプロダクションとなっています。
リカちゃん人形のモデルは香山美子さんだった

上の写真は、現在タカラトミー(旧:タカラ)が発売している「リカちゃん」人形です。1966年タカラが少女向けに制作・販売した着せ替え人形です。当時、アメリカからハービー人形が輸入されていましたが日本人には大きすぎることで開発され、現在までに世界を含めて5,000万体が出荷されています。この「リカちゃん」人形の本名は、「香山リカ」といいます。若い頃の香山美子さんをモデルに作られました。
芸能界入りするきっかけ「ミスコン」:香山美子さん
香山美子さんが芸能界入りするきっかけとなったのは、東京都練馬区の富士見高校に在学中だった香山美子さんは、映画会社・松竹とフランスの航空会社エール・フランスが共催して行った「ミス・エール・フランス・コンテスト」に応募し、「準ミス・エール・フランス」に輝きました。そして、高校を卒業し「松竹」に入社しました。それにしても、若い頃の香山美子さん綺麗です。
初めての主演映画は「にっぽんぱらだいす」
徐々に頭角を現し始めた香山美子さん

松竹に入社した香山美子さんは、俳優座養成所に入り女優としての勉強をしながら、脇役としてもいくつかの映画に出演していました。「学生芸者・恋と喧嘩」、「七人の刑事」などに出演し、次第に人気がでるようになり、1964年、前田陽一監督デビュー作「にっぽんぱらだいす」に始めて主演に抜擢されたのです。若い頃の香山美子さんの写真は綺麗です。
初主演で「製作者協会新人賞」を受賞した香山美子さん

映画「にっぽんぱらだいす」は、1958年(昭和33年)売春防止法が施行される直前の買収宿をテーマに、戦後すぐの日本の敗戦事情と、アメリカ軍と日本人の争いや身体を売って身銭を稼ぐ女性風刺を描いた映画です。香山美子さんは若いウブな娼婦を演じ、身体を売りながら成長し一人前の娼婦に変わっていく様を見事に演じました。香山美子さんは、この映画で「製作者協会新人賞」を受賞しました。
「銭形平次」は香山美子さんの絶対的代表作
14年続いた「銭形平次」:香山美子さんの旦那は大川橋蔵さん
香山美子さんにとっての代表作と言ったら時代劇「銭形平次」です。14年間もの間、銭形平次役の大川橋蔵さんの妻役を香山美子さんが演じました。時代劇「銭形平次」の妻・お静役は3人変わっています。始めは、八千草薫さん、2代目が鈴木紀子さん、そして、3代目が香山美子さんです。18年間放送された「銭形平次」のうち14年間の209話~888話目(最終回)までを香山美子さんが演じています。
芸は盗めと言われた香山美子さん
映画スターだった大川橋蔵さん。18年間「銭形平次」で主役を演じた大川橋蔵さんは「テレビの1時間番組世界最長出演」ギネスブックに登録されています。若い頃の香山美子さんにとって、夫婦役は難しかったようでしぐさや視線の送り方、間の取り方は夫婦の"あうん"の呼吸が必要と感じていました。演技の上で旦那である大川橋蔵さんからは「芸は教えてもらうものではない。盗むものだ」と言われていたそうです。
一人の旦那と二人の女房と言っていた大川橋蔵さん
大川橋蔵さんは歌舞伎界・女型出身の俳優さんです。ですから、至るところに仕草や立ち振る舞いに女性以上の女を感じるところがあり、その仕草を香山美子さんは盗みました。また、撮影の合間に二人はプライベートで食事をさることもありましたが、いつも妻である真理子さんが同行されれていました。大川橋蔵さんは「ボクには女房が2人いる。昼の女房はよっちゃん(香山美子さん)、夜は真理子」と言っていたそうです。
銀幕のスターだった大川橋蔵さん

東京・柳橋の芸子の子として生まれ、歌舞伎役者に容姿に行き歌舞伎俳優として成長した大川橋蔵さんは、1930年に歌舞伎の初舞台に立っています。1955年に映画界へ転身し数多くの時代劇映画に出演されました。当時の銀幕スター長谷川一夫さんと並んで時代劇のスターと呼ばれていました。しかしながら、大川橋蔵さんは癌におかされ1984年55歳の若さで亡くなっています。
若者のアイドルだった香山美子さん
大学出たての社会人が解決する映画「天下の快男児」
映画「天下の快男児」は、当時人気絶好調の竹脇無我さんと香山美子さんの共演映画です。社会人成り立ての青年(竹脇無我さん)が、競争相手の会社の妹(香山美子さん)に紆余曲折もありながら結ばれていく、青春痛快ストーリーの映画です。上の写真は若い頃の竹脇無我さんと香山美子さんの映画の1シーンです。
人気絶好調:若い頃の香山美子さんと竹脇無我さん

建設会社・社長の息子である次郎は、親のコネの会社を断り友達の家に居候となります。父の会社が入札に失敗し、その失敗の原因が不正だったのですが父は亡くなってしまいます。次郎は、不正を仕掛けた会社を見つけましたが、不正を起こした会社は、大学の後輩・三枝子(香山美子さん)の実家でした。主犯は三枝子の兄・伸だったことが分かり、三枝子は次郎のもとに走り、兄は不慮に事故で亡くなるという話しです。
青春歌謡映画で主演「アンコ椿は恋の花」
香山美子さん主演の映画「アンコ椿は恋の花」

1965年に公開された映画「アンコ椿は恋の花」の1シーンです。バスガイドの制服似合っていますね。現在でも観光バスにはバスガイドさんはいますが、1966年頃のバスガイドさんの職業は、現在のCAと同じくらい女子学生に人気の職業でした。紺色の制服に、白い襟と手袋は女学生の的でした。それにしても、惚れ惚れしてしまう香山美子さんの制服姿です。レコード大賞新人賞をとった都はるみさん歌を映画にしました。
花嫁遺書も綺麗な香山美子さん

大島でバスガイドする明子(香山美子さん)は、旅行にきた工員・修一(竹脇無我さん)と互い気にする関係になりました。明子には島の旅館の御曹司との縁談話があり、その矢先に父が亡くなります。妹(都はるみさん)を歌手の本格的勉強させようと明子と妹は東京に出て、その後妹は歌手として成功します。あるとき大島の町に火事がおき、復興作業をしている旅館の御曹司とい結婚する決意をした明子だったのです。
女優して誰もが認めるマドンナ役
寅さんシリーズ第3弾「男はつらいよ フーテンの寅」に出演した香山美子さん

渥美清さんの寅さんシリーズに出演した女優さんは人気が出ると言われる程「男はつらいよ」に出たがる女優さんは多くいました。その中で早々の第3弾で新玉三千代さんとダブル・マドンナ役を獲得した香山美子さんでした。ロケ地は三重県湯ノ山温泉、四日市市などで行われました。
「男はつらいよ フーテンの寅」は2人のマドンナ:新玉三千代さんと香山美子さん

湯ノ山温泉の女将・志津(新玉三千代さん)に番頭として勤める寅さんのところへ、叔父夫婦が旅館に泊まりに来ました。寅さんが番頭としていることが分かり叔父夫婦は帰ってしまいます。志津の弟・信夫が恋人の芸者・染奴(香山美子さん)に逢いに来ると、寅さんはいつものおせっかいで二人の仲をとり持ちます。こんどは女将・志津に縁談がまとまってしまうと、寅さんはまたも失恋し湯ノ山温泉を去っていきました。
えん罪をテーマにした恋を描いた映画
えん罪をテーマに社会的問題を取り上げた映画「この声なき叫び」

香山美子さんはこの映画では、青春映画ではなくえん罪をテーマとした社会的問題に体当たりしています。現在では障がい者の受入は積極的に職場で雇うように政府は指導していますが、この映画が制作された1965年頃は、社会は障がい者を受け入れる体制はなく、むしろ邪魔者扱いされていました。耳の聞こえない障がい者役に田村正和さん、その恋人役に香山美子さんが演じています。
若い頃の田村正和さんと香山美子さんが演じた「この声なき叫び」

障がい者・晋一は、母と二人暮らしの工員である。ある日、工員相手のバー(ママには南田洋子さん)に勤める幸子(香山美子さん)に出会って生きる元気になっていきます。ある日、晋一が買ってきたワカサギのおかずを食べた母親が翌朝死んでしまって、晋一が犯人にされ逮捕されてしまいました。刑事の質問にうまく応えられない晋一は、獄中で自殺未遂をします。幸子は弁護士を雇い真犯人を見つけるというお話です。
バストセラーにもなった「がばいばあちゃん」
ベストセラー小説を映画化「佐賀のがばいばあちゃん」

お笑い芸人・島田洋一さんのベストセラー小説「佐賀のがばいばあちゃん」の映画で主役の”がばいばあちゃん”役を演じた香山美子さんです。撮影時のとき香山美子さんは63歳の年齢でした。映画は2006年と2008年の2回制作されていますが、第1弾は吉行和子さん、第2弾は香山美子さんが演じています。生前の”がばいばあちゃん”を知る人は香山美子さんが本物の”がばいばあちゃん”似ているといっています。
もんぺ姿が似合っている香山美子さん

島田洋一さんは第2弾の「がばいばあちゃん」で初監督をしました。洋一さん役には小学校から中学校までの年齢に合わせた子役を3人、5,000人の中から選出しました。洋一さんの母親役には高島礼子さん、その他に島田紳助さんや東国原英夫さんも参加し、ユーモアと人情味溢れる映画となっています。
香山美子さんその他の作品
香山美子さん任侠ものの映画にも出演「やくざの横顔」

香山美子さんは任侠ものの映画にも出演しています。上の写真は「やくざの横顔」の1シーンです。共演しているのは渡哲也さん。渡哲也さんは勘当されたやくざで九州から横浜に来ているという想定です。一方、香山美子さんはやくざの情婦役を演じています。
香山美子さんの代表作「玉ねぎ横丁の花嫁さん」

ドラマ「だいこんの花」の続編として制作されたドラマ「玉ねぎ横丁の花嫁さん」です。10年前に旦那(杉浦直樹さん)が蒸発し、旦那を探しに出た妻(香山美子さん)が「玉ねぎ横町」に来て横町の若者(石立鉄男さん)から求婚され承諾し、「玉ねぎ横町」に住むことになりました。ところが二人が新居にした隣に蒸発した夫が住んでいたと言うところから話しが展開していきます...
香山美子さんの代表作「風少女」

後藤久美子さん主演のドラマ「風少女」に、後藤久美子さんの母親役で香山美子さんは出演しています。夫(津川雅彦さん)の浮気を知った家族が「家庭崩壊」していく様をドラマは表現しています。
旦那・三條正人さんとの馴れ初め
香山美子さんと旦那・三條正人さん:幸せな結婚

当時の香山さんと三條正人さん。
香山美子さんと旦那になった男性コーラスグループ「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のメインヴォーカル、三條正人さんとの出会いは、テレビのお見合い番組で知り合いになりました。有名女優の香山美子さんと、当時絶好調であった演歌グループ歌手との結婚騒動は世間を騒がせました。それにしても有名人がテレビの番組から結婚までいかれるのは珍しいことです。
香山美子さんと旦那・三條正人さんとの会話はメモ
香山美子さんと旦那の三條正人さんはオシドリ夫婦となりました。香山美子は女優業の人気絶頂のあった頃であり、旦那の三條正人さんは紅白に出場する人気グループの頃であり、新婚生活はすれ違いが当たり前で、お互いにメモを残し合って会話をしていました。一般家庭では、変に見える夫婦の会話ですが香山美子さんと旦那の三條正人さんにとっては、別に普通のことと思っていました。二人の間に子供が一人できました。
旦那・三條正人さんとは
甘い声でファンを魅了した三條正人さん

香山美子さんの旦那・三條正人さんは、1943年生まれで香山美子さんより歳は1つ上です。滋賀県大津市出身で、法政大学に在学中にコーラスグループを結成し、ダンスホールで歌ったり音楽活動をしていました。1967年、コーラスグループ「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」に入り本格的歌手活動を開始します。東京ロマンチカのリードボーカルとして歌った曲「旅路のひとよ」でレコード大賞を受賞し、紅白に出場しました。
気さくな人柄でファンの心を掴んだ三條正人さん

旦那・三條正人さんは1968年の紅白出場から6回連続して出場したほど東京ロマンチカの人気があり、その絶好調の時に香山美子と結婚しました。その後三條正人さんは東京ロマンチカを離れたり、復帰を繰り返すのですが、飾らない人柄が好評で多くのファンがいました。また、麻雀、ゴルフ、競馬など遊ぶことは何でも好きだったようです。
病と戦った旦那・三條正人さん
参列者に挨拶する香山美子さんと子供

2016年になると旦那・三條正人さんは体調を崩します。当初は足のむくみから始まり、むくみが痛くなったそうです。病院で調べてみると「好酸球性多発血管炎性肉芽腫症」と判断されました。白血球が増加し血管に炎症を起こす病気だそうです。その治療をしている内にもっと大きな病気が潜んでいました。悪性リンパ腫でした。そして、2017年10月に74歳でお亡くなりになりました。
旦那・三條正人さんを見送った香山美子さん

旦那の三條正人さんは抗がん剤治療を行い入退院を繰り返しながら、毎月のようにライブ活動をされていました。香山美子さんが一般の妻らしく夫と生活したのは三條正人さんが入院されてからです。香山美子さんは「毎日、病院に面会に行って、夫婦らしかったなあと、今は思ったりしています。私がいなければ、この人は心根が弱くなるんじゃないかって...必要とされているという幸せがありました。」と語っています。
香山美子さんには子供がいる?
香山美子さんの子供は成人している

香山美子さんは以前のインタビューで子供がいることを発表されていますが、その子供の性別・年齢、現在は何をしているかなど一切公表されていません。旦那・三條正人さんの告別式で四六時中香山美子さんの側に寄り添っている方、写真左の方が子供のようです。息子さんですね。マユ・目・鼻はお母さん似でしょうか?
香山美子さんの子供は医者をしてる?
香山美子さんはインタビューで子供は会社勤めをしてるとだけ言っています。ある情報でによると、香山美子さんの子供は、日本大学医学部を卒業し、現在は聖路加病院で医師として働いていると噂がありますが、確かな情報ではありません。あくまでも噂です。芸能界で働いていない子供さんに迷惑をかけたくないという香山美子さんの親心です。
まとめ:香山美子さんは今後もすてきな女優さん

香山美子さんの若い頃から現在に至るまでを紹介させていただきました。若い頃の絶頂期の香山美子さんの写真は華びやかな美しさがありました。現在の香山美子さんの写真は、華びやかの上に落ち着きを感じます。旦那・三條正人さんを亡くされ現在は女優活動を休止されています。心身ともに体調が良くなり、私たちの前に姿を見せてくれる香山美子さんを待ちたいものです。
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