多岐川裕美は現在も美人?若い頃の画像や娘・華子の離婚理由も調査
女優・多岐川裕美さんを紹介させていただきます。多岐川裕美さんはどうやって芸能界入りをしたのでしょう?どのような映画やドラマに出演され演技力はどうだったのでしょうか?また、私生活では結婚されていたようですが、今も旦那と一緒にくらしているのでしょうか?娘の華子さんは現在どうしているのでしょうか?娘の華子さんについても調査し報告させていただきます。多岐川裕美さんは今でも健在なのでしょうか?
目次
- 女優・多岐川裕美さんってどんな
- マルチタレント多岐川裕美さん
- 芸能界入りしたきっかけは
- 若い頃の多岐川裕美さん
- 結婚した相手はマネージャー
- 離婚そして別れ
- 娘・華子は多岐川裕美さんにとって溺愛の子
- 親の反対を押し切って結婚した2世俳優達
- 娘の離婚はスピード離婚
- 現在の華子さん離婚したその後は?
- 東映のもくろみは第2の「佐久間良子」さんに
- 人気が出始めた理由
- テレビドラマで開花した多岐川裕美さん
- 歌手・多岐川裕美
- モデルとしても活躍した多岐川裕美さん
- 司会・審査委員
- 出演したドラマ・映画・舞台などの紹介
- デビューで主演「聖獣学園」
- 東宝映画の純情とスケバンの格闘映画「続・愛と誠」
- 梶三枝子さんの代表作「サソリ」の次期主役として・・・
- 時代捕物帖にレギュラー出演した「鬼平犯科帳」
- 純情派女優に変身させたドラマ
- 少年ドラマシリーズSF小説をドラマ化「七瀬ふたたび」
- 女優さん達をより優雅にみせる舞台にも出演
- 数多くのCMに起用された多岐川裕美さん
- 多岐川裕美さんはお酒好き
- まとめ:多岐川裕美さんは現在も美人だった!
女優・多岐川裕美さんってどんな
女優・多岐川裕美さんの紹介・結婚している?現在は?

女優・多岐川裕美さんの紹介をさせていただきます。若い頃の多岐川裕美さんは、どんな人なのでしょうか?現在も元気にされているのでしょうか?結婚はされているのでしょうか?子供はいるのでしょうか?芸能界に入られてどのような作品に出演されてかなど、私生活も含めて多岐川裕美さんを紹介して参ります。多岐川裕美さんはどんな人なのでしょう...まずは、プロフィールから
多岐川裕美さんのプロフィール

名前:多岐川裕美(たきがわゆみ)
本名:大内薫(おおうちかおる)
出身地:東京都杉並区
生年月日:1951年2月16日
身長:160cm
血液型:O型
学歴:山脇学園短期大学英文科中退
現職:女優、歌手
所属事務所:トライストーン・エンタテイメント
マルチタレント多岐川裕美さん
若い頃の多岐川裕美さんは美魔女オーラ
すい星のごとく現れるスター!若い娘の女優さんのデビューは清純派とか純情派のイメージを持ってプロダクションや映画会社は売り出すのですが、多岐川裕美さんの場合は違っていました。世間では1980年頃から人気が出て来た多岐川裕美さんですが、実は東映の監督からスカウトされ1975年に映画出演されています。写真のような女性が街を歩いていたらスカウトでなくても声をかけたくなりますよね。
ヌードになることを固辞した多岐川裕美さん・一体何が?
女優としてなんでもこなせる多岐川裕美さん、映画・ドラマ・劇・歌手・バラエティ・司会などなんでもこなせる多岐川裕美さん、一つだけ固辞しているものがあります。それは脱ぐ(ヌード)ことです。実は芸能界に飛び込んだ第1作目の作品で多岐川裕美さんは、ヌードになっています。その時の印象がよほど強かったのだと思います。以後、出演依頼がある作品に多岐川裕美さんが脱ぐシーンがあった作品は断固断っています。
時には天使・時には魔女になれる若い頃の多岐川裕美さん
こんなにムンムンとした女性のオーラを出している多岐川裕美さんはどうして脱がないのでしょうか?67歳になった多岐川裕美さん。もし、おばあちゃん役で脱ぐシーンのオファーがきてもやっぱり断るのでしょうか?モデルとしても男達を引きつけるオーラは凄いです。では、女優・多岐川裕美さんはどうやって芸能界に現れ、人気がでてきたのでしょうか?
芸能界入りしたきっかけは
若い頃アルバイトしていた時にスカウトされた多岐川裕美さん

多岐川裕美さんは、共稼ぎ夫婦の家庭・会社員の父と保険のセールスをする母との子供として一般の家庭環境で育ちました。山脇学園短期大学在学中、東京駅近くでアルバイトをしていた時、東映の鈴木則史監督が映画の主役になる女性を探していたところ、たまたまアルバイトをしていた多岐川裕美さんが目にとまり、鈴木監督から映画出演の依頼を承諾した多岐川裕美さんは、さっそく東映の社長面接を受けることになりました。
芸名「多岐川裕美」の名前の由来は

最終面接である社長面接も合格となり、女優としてスタートした多岐川裕美さんは通っていた短大を中退し女優一筋にする覚悟をしました。芸名の多岐川裕美は由来は、初主演で主役となる役名「多岐川魔矢」の「多岐川」を名字とし、鈴木監督が持つ雑誌の懸賞当選者の名前を縁起が良いということで「由美」の字をいただき「多岐川裕美」となりました。
若い頃の多岐川裕美さん
やくざもの任侠ものの映画に出演した若い頃の多岐川裕美さん

上の写真は若い頃の多岐川裕美さんです。東映映画に入社した多岐川裕美さんは入社するとすぐに主演映画に出演します。東映の現代劇では高倉健さん、梅宮辰夫さん、中原ひとみさん、佐久間良子さん、千葉真一さんら今でも名前を言うとすぐ分かる銀幕のスター達が所属していました。多岐川裕美さんが入社した頃の東映はやくざや任侠ものの映画が大盛況の時代でした。
多岐川裕美さんがしていたイメージと合わなかった?!東映

入社したのち多岐川裕美さんは東映にて、聖獣学園(1974年)、任侠花一輪(1974年)、けんか空手 極真拳(1975年)、けんか空手 極真無頼拳(1975年)、仁義の墓場(1975年)、港のヨーコ ヨコハマ ヨコスカ(1975年)に出演しますが映画のタイトルからして任侠もの映画でありことが容易にうかがえます。東映や松竹のような清純派とか純情派の女優さんではなかったのです。
結婚した相手はマネージャー
多岐川裕美さんが結婚した相手はマネージャーで元・俳優

多岐川裕美さんは1984年、多岐川裕美さん33歳の時に結婚されました。お相手はマネージャーの阿知波信介(あちはしんすけ)さん本名: 阿知波信雄さんです。多岐川裕美さんより11歳年上の1940年生まれの方です。多岐川裕美さんが東映を離れ、三船プロダクションに移った時に多岐川裕美さん付きのマネージャーになり、三船プロダクションが分裂した時に多岐川裕美さんと共に三船プロダクションを離れました。
多岐川裕美さんの夫は「ウルトラセブン」のソガ隊員

三船プロダクションを離れた多岐川裕美さんと阿知波信介は竜雷太さんを社長に置き、アクターズプロモーションを創設しました阿知波信介さんは副社長となり実質的・社長として働きました。多岐川裕美さんのマネージャーも引き続き担当していましたので、信頼関係が生まれ結婚となりました。阿知波信介は元男優さんをしており「ウルトラセブン」のソガ隊員役を演じましたが、俳優の才能がないと悟り俳優を引退しました。
肉食系女子?多岐川裕美さん
多岐川裕美さんと阿知波信介さんが結婚する前に、阿知波信介は別の女性と結婚していました。多岐川裕美さんは猛烈に阿知波信介にアタックし、前の奥さんと阿知波信介さんを離婚させ妻の座につくという大胆な戦略に出られたそうです。でも、多岐川裕美さんと阿知波信介さんは幸せに結婚しました。
離婚そして別れ
女性問題?で離婚した多岐川裕美さん

幸せな家庭を作り娘も産まれた多岐川裕美さんでしたが、1997年に離婚されました。多岐川裕美さんと阿知波信介との結婚生活は13年間でしたが、その間に娘が産まれ、現在多岐川裕美さんは娘の華子さんと暮らしています。二人の離婚の理由は女性問題が原因とまで判明したのですが詳しくは分かりませんでした。阿知波信介さんは多岐川裕美さんと離婚したのちも、多岐川裕美さんのマネージャーを担当していました。
会社経営と持病で心身が疲れた阿知波信介さん

多岐川裕美さんと離婚した10年後の2007年に阿知波信介さんは自殺で亡くなっています。阿知波信介さん多岐川裕美さんとの離婚後も、アクターズプロモーション副社長として働いていました。2004年に脳梗塞で倒れ入院をしています。その後高血圧の持病が出たりして仕事の辛労や病気のことで悩んでいたとのことです。公私共に疲れた末での自殺だったのです。その後アクターズプロモーションは倒産しました。
娘・華子は多岐川裕美さんにとって溺愛の子
若い頃?の母・多岐川裕美さんと娘の華子さん

1988年結婚3年目で多岐川裕美さんは娘・華子さんを産みました。多岐川裕美さんは夫・阿知波信介と離婚をした際も娘・華子さんの親権を握り、娘・華子さんを大切に育てました。多岐川裕美さんの娘・華子さんは若い頃から女優を目指しますが、14歳になった時に母・多岐川裕美さんの反対を押し切り、内緒で10社以上の芸能・タレント事務所のオーディションを受けますが、ことごとく不合格になってしまいました。
親ばかを発揮した多岐川裕美さん

内緒で受けた芸能事務所のオーディションをすべて落ちたことを知った多岐川裕美さんは以前反対していた芸能界入りを反故にして、積極的に娘・華子を人脈とコネを最大限に娘の華子のために使います。自分が所属している事務所に入れ、華子さんを売り出しラーメン「寿がきや」のコマーシャルに出演させ雑誌のグラビアモデルなどのにおも出し、映画「旅の贈りもの 0:00発」で初主演をする機会を作ってあげました。
タレント華子さんのプロフィール

本名:大内 華子
芸名:華子 (旧芸名:多岐川 華子)
出身地:神奈川県
生年月日:1988年9月16日
身長:161cm
体重:43kg
スリーサイズ:98-58-87
血液型:A型
学歴:堀越高等学校卒業
現職:女優、タレント
所属事務所:トライストーン・エンタテイメント
親の反対を押し切って結婚した2世俳優達
娘・多岐川華子さんの結婚相手は大物芸能人の息子

現在、華子さんは30歳です。2011年に華子さんは結婚し2012年に離婚しています。多岐川裕美さんの娘・華子さんの結婚した相手は、華子さんより6歳年上の仁科克基さんです。仁科克基さんは、俳優の松方弘樹さんと女優の仁科明子さんご夫妻(既に離婚)の長男で、多岐川華子さんも仁科克基さんも2世俳優です。それにしても娘の華子さんは若い頃の多岐川裕美さんにそっくりです。
娘・多岐川華子さんと仁科克基との馴れ初めは多岐川裕美さんにあった

娘・多岐川華子と仁科克基さんの馴れ初めは、多岐川裕美さんがきっかけです。2008年娘・華子さんは多岐川裕美さんが出演している演劇を観に行き、その舞台で仁科克基さんは多岐川裕美さんと共演をしていました。演劇が終わった後で多岐川裕美さんは、仁科克基さんと娘・華子さんを誘って三人で食事に行きました。これが、華子さんと仁科克基の出会いです。
駆け落ちのように多岐川華子さんと仁科克基との結婚式:グアムにて

華子さんと仁科克基は、二人が出会った日からも付き合いだし2009年に仁科克基は華子さんにポロポーズしましたが、多岐川裕美さんはじめ周りの多くの方々から結婚に反対されました。そこで、華子さんと仁科克基は親の反対を押し切って黙ってグアムへ二人で行き結婚をしてしまいました。二人の結婚に反対していた親たちも二人の結婚を許し、日本で結婚披露宴を行いました。
娘の離婚はスピード離婚
離婚の原因は恵まれた家庭で育ったせい?

娘・多岐川華子さんと仁科克基とは2年足らずの結婚生活ののち離婚しています。周囲からの反対を押し切ってまで結婚した二人はいったいなんだったのでしょう?!裕福な環境で不自由なく育った二人は、自分にブレーキをかけることができず、気持ちがぶつかってしまったようです。現在でも、仁科克基は華子さんのことを好きだと周りの人に言っています。では、離婚の原因はなんだったのでしょう?
離婚の本当の原因は元夫の女癖?!

離婚の原因は、公には”性格の不一致”と発表されていますが、本当は仁科克基さんの女性問題です。特に仁科克基さんはキャバクラ通いが好きなようです。華子さんと離婚したのち、仁科克基さんは女優の矢吹春奈さんと交際しましたが、キャバクラ嬢を自宅に連れ込んだことがバレて交際は破局しました。また、バラエティ番組でも「再婚してもキャバクラ通いは止めない」と言っています。離婚の原因はこれですね。現在も...
現在の華子さん離婚したその後は?
一時は引退も考えた華子さん
離婚した華子さんは現在どうしているのでしょうか?離婚を境に華子さんの元へは、それまで来ていた仕事の話が来なくなり、離婚体験を語って欲しいといろいろな番組からきたそうですが、華子さんは断りました。これが、当時のタレントとしての実力だったのです。離婚のショックと仕事が来なくなった華子さんは芸能界を引退しようとまで考えました。
現在の華子さんは親に頼らず勉強中

仕事の依頼を断り続けた華子さんは、過食症になり体重が10kgも増えました。引退の事を母の多岐川裕美さんに相談したところ、喝!!のひと言「やっとスタート地点に立ったのに、努力もしないでまた逃げるの!」と言われました。その言葉を聞き、成功してきた人は努力して成功してきたことに気づき反省したそうです。芸名を「多岐川華子」から「華子」に変え、現在も女優を目指し頑張っています。
若い頃の苦労は買ってでもしろ

華子さんは芸能界を引退するかしまいか迷っていた頃に、不動産事務のアルバイトの仕事を時給1,150円で朝から晩まで週5日やりました。これで、稼ぐことの厳しさを知ったとのことです。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という格言が身にしみて分かりました。現在の多岐川裕美と娘の華子さんは仲直りして、二人で旅行に行ったりして暮らしています。
東映のもくろみは第2の「佐久間良子」さんに
東映の女優看板スター「佐久間良子」さんの後釜にと...

話題を多岐川裕美さんに戻します。東映は多岐川裕美さんの美しさと綺麗さを売り出し、多岐川裕美さんが入社した若い頃には東映の看板女優だった佐久間良子さんの代わりにしようと考えていました。その頃の東映はやくざ映画とポルノ映画を主流としていたため佐久間良子さんは東映での出演する回数が減り、代わって多岐川裕美さんをやくざ映画に出演させ東映の看板女優に仕立てようとします。しかし...
若い頃の佐久間良子さんはお嬢様だった

女優・佐久間良子さんは多岐川裕美さんより12歳上の恵まれた家庭で育ったお嬢さんでした。親から東映へは1年という条件つきで芸能界入りを承諾された佐久間良子さんは東映の入社試験では補欠入社、脇役などの下積みをしたのち頭角を現しました。入社2年目で雑誌「平凡」の人気投票ベスト10入りになりました。東映の任侠・ポルノ映画路線を嫌いテレビドラマへの出演を好むようになり多くの番組で活躍されました。
人気が出始めた理由
東映のやくざ映画路線を嫌った多岐川裕美さん・目標は純情派女優?!
女優の佐久間良子さんが東映のやくざ映画路線を嫌ったように、多岐川裕美さんも同様のことを考えていました。東映の多岐川裕美さんを看板女優に育て上げる計画と、多岐川裕美さん本人が考える理想とする女優の道の考え方が違っていたのです。そのズレのため出演依頼がある映画の中に多岐川裕美さんがヌードになるシーンがある映画には頑固として断っています。
映画出演からテレビドラマ出演へシフトした多岐川裕美さん

多岐川裕美さんは、東映のやくざ映画路線を嫌い東映を離れる覚悟をし始めました。そこで多岐川裕美さんが考え始めたのは、映画ではなくテレビドラマに目をつけました。1976年のNHKが放送した大河ドラマ「風と雲と虹と」で加藤剛さん演じる主役の平将門の恋人の小督役を皮切りに、「新宿警察」、「柳生一族の陰謀」などに出演するようになりました。
テレビドラマで開花した多岐川裕美さん
若い頃の作品「聖獣学園」が世の中に露見

テレビに仕事を移し、所属事務所を東映から御船プロダクションに移すのですがこれがまた、移籍に対して東映側から横やりが入りました。最後には東映も折れて御船プロダクションへの転籍を承諾しましたが、移籍問題を知った週刊誌は多岐川裕美さんの過去を暴き、多岐川裕美さんの初主演作「聖獣学園」を発見したのです。「聖獣学園」は多岐川裕美さんがヌードになっていた事を書きたてました。若い頃の痛手ですかね。
東映は「聖獣学園」の第2弾で大儲け

さらにインタビューで多岐川裕美さんは「あの映画は、鈴木監督から騙され無理矢理脱がされた」と言ったもので、東映の鈴木則文監督は「騙したとは何事だ、名誉毀損で告訴する」と反論したため世間は大騒ぎしました。これに便乗し東映は「聖獣学園」の第2弾と称して「狂い咲きサンダーロード」という題名の映画を作りヒットさせました。このヒットにより告訴はなくなりました。東映の商魂は凄いです。
歌手・多岐川裕美
CMソングでヒットした「酸っぱい経験」歌手:多岐川裕美さん

多岐川裕美さんは歌手としても活躍しました(過去形です)。上のレコードのカバーは若い頃の多岐川裕美さんを全面に出し、少し色気を出したカバーになっています。この曲「酸っぱい経験」はカゴメのCMソングとして採用されています。テンポのいいリズムの中に、多岐川裕美さんの低くハスキーっぽい歌声の曲となっています。曲は明るく、声は夜のムードを思わせる曲です。現在でも通用しますかね?!
デュエット曲もヒット:渡哲也さんと多岐川裕美さんのコンビ
「酸っぱい経験」の次に出した曲が渡哲也さんと多岐川裕美さんおデュエット「めぐり逢いしのび逢い」です。1983年にヒットしました。この曲は当時カラオケ・ルームが普及していない頃、バーの片隅においてあったカラオケを使ってお店の娘とおじさん連中がデュエットしヒットしました。演歌調の酒場が似合う曲です。
多岐川裕美さんは現在も唄っている?

他にも「あいつの残影」山口洋子さん作詞、平尾昌晃さん作曲の歌や、「愛しのララバイ」、「濡れてさよなら」、「彼女と彼」、「黒のオートバイ」、「恋、爛漫」など数多くの歌を唄っています。最後に紹介した「恋、爛漫」は多岐川裕美さん自身が出演しているテレビコマーシャルのバックミュージックとして使われいます。正にマルチタレントの多岐川裕美さん。現在でも唄たっているのでしょうか?
モデルとしても活躍した多岐川裕美さん
若者男性達の情報雑誌「プレイボーイ」のモデルとして

多岐川裕美さんは。数多くの雑誌や週刊誌にも表紙モデルとして活躍しました。上の写真は男性週刊誌「プレイボーイ」の表紙の多岐川裕美さんです。多くの若者男性ファンにとって彼女の存在はたまらなく素敵だったのです。現在でも一緒に歳を重ねてきたファンが多岐川裕美さんを支えています。
一般大衆向けの週刊誌の表紙として

上の写真は週刊誌「週刊朝日」に掲載された多岐川裕美さん表紙モデルです。「プレーボーイ」誌は若者男性中心の雑誌ですが、「週刊朝日」一般誌であり週刊誌の中では誤ったゴシップなど掲載しない堅いと言われている週刊誌です。この頃には多岐川裕美さんの名前が一般にも浸透し始めことの証明です。化粧は少し薄くなっていることと、マユが細くなっているのが特徴です。
カメラのセミプロやプロ達が読む専門雑誌の表紙モデルとして

上の写真は、カメラに興味のある方を対象にしたカメラ専門月刊誌「アサヒカメラ」の表紙を飾った多岐川裕美さんです。カメラ愛好家が読む雑誌の表紙を飾った多岐川裕美さんは自他共に認める女優として大成したことをしめします。今まで紹介した多岐川裕美さんの雰囲気とは違い、力の抜けた自然体の多岐川裕美さんが表現されています。
司会・審査委員
多岐川裕美さんは演技・モデルだけでなく、バラエティや司会のMCなどもされています。上の写真はテレビ東京系で開催されたメガロポリス歌謡祭のMCをされている多岐川裕美さんの1シーンです。その他にも「クイズ!!ひらめきパスワード」の女子のキャプテンや、「オールスター激突クイズ 当たってくだけろ!」の司会もなされています。タレント性豊かな多岐川裕美さんです。
出演したドラマ・映画・舞台などの紹介
ここまでは、多岐川裕美さんと才能をご紹介していきましたが、多岐川裕美さんが出演した映画やドラマ・劇など紹介させていただきます。20歳前後の若い頃は東映に在籍していた多岐川裕美さんはスケバン的な役柄が多かったです。それが、徐々に人気ある清純派へシフトしていきます。清純派女優が汚れものに挑戦する話しはよくありますが、その逆をいった多岐川裕美さんはどのようにして清純派へシフトしたのでしょう。

65歳を超えた現在でも、多岐川裕美さんは機会があれば、映画・ドラマ・演劇へ出演されている息が長い女優さんです。いったいどこにそんなパワーを持ってお持ちなのでしょうか?ストレスを発散する方法はお持ちなのでしょうか?ご紹介します。
デビューで主演「聖獣学園」
いきなり主演・デビューの「聖獣学園」

まずご紹介するのは、これまでに話題にさせていただきました多岐川裕美さん初演で主役を張った映画「聖獣学園」です。アルバイトをしていた時スカウトされ、できた映画です。修道院を舞台にした繰り広げられるエロティック&バイオレンスな映画です。全国の劇場で公開されていますが、全くヒットしませんでした。ヒットしたのは、多岐川裕美さんが移籍を考えた頃に週刊誌が騒ぎ立て、DVDがたくさん売れました。
多岐川裕美にとってトラウマとなった「聖獣学園」

「聖獣学園」には修道女の役の多岐川裕美さんが、ヌードになり拷問をうけるシーンがあります。現在ではあり得ないシーンですよね。魔女狩り、生け贄(いけにえ)、死の儀式などR20の映画としてもどうかと思う内容の映画です。多岐川裕美さんにとってこの後、ヌードの映画・ドラマに出演していないことは、この映画がトラウマとなり清純派を目指したのです。
東宝映画の純情とスケバンの格闘映画「続・愛と誠」
シリーズ化された番長青春学園映画「愛と誠」

「愛と誠」は漫画梶原一騎さん原作、ながやす巧さん画の漫画をもとに東映が映画化したもので、全4シリーズ作られ始めの2シーズは松竹が最後のシリーズは東映が製作しました。第1弾の映画「愛と誠」は西城秀樹さんと女優・早乙女愛さんが出演しヒットした映画でした。多岐川裕美さんは第2作目で登場しスケバンの役を演じています。第4作目は武井咲さんが愛役を演じています。
スケバン番長を演じた多岐川裕美さん

第2作目は第1作目の事件で高校を退学になった誠は、悪学生がたむろする花園高校へ転校し、愛も誠を追って転入しますが、誠を生意気に思ったスケバンの影の大番長(多岐川裕美さん)は誠に嫌がらせをします。スケバンの番長を見つけ出した誠は決闘を挑み、もう少しで勝つところを用心棒が現れ誠は病院送りとなります。愛の誠を看病する姿をみてスケバン番長はちょっぴり好きだった誠を諦め消えて行きます。
梶三枝子さんの代表作「サソリ」の次期主役として・・・
梶芽衣子さんの代表作「さそり」
「女囚さそりシリーズ」は、梶芽衣子さん扮する受刑囚「松島ナミ」=さそりが刑務所内で暴れまくる映画です。リンチや看守からの暴力、刑事からの精神的圧力に耐え、「怨み」を蓄積し最後は復讐を成し遂げる映画です。梶芽衣子さんは第1作から第4作のさそりを勤め、リメイクし「さそり」に選ばれたのが多岐川裕美さんです。その後のシリーズでは主演女優を毎回代わりました。梶芽衣子さんの印象が強すぎました。
梶芽衣子さんに負けじと劣らない多岐川裕美さんのかそり

多岐川裕美さん演じる「ナミ=さそり」は、りメイク第1作品です。ナミの姉は大物政治家の秘書でした。姉は偶然にも大物政治家と政府か陰謀を企んでいることを知り、そのことを暴露しようとしましたが拉致されてしまい殺されてしまいます。姉が拉致されたことを知ったナミは姉を助けようと政治家のところへいくのですが、逆に姉殺しの犯人にされてしまいます。ここからさそりの逆襲が始まります...
時代捕物帖にレギュラー出演した「鬼平犯科帳」
主人公平蔵の妻役を演じた多岐川裕美さん

池波正太郎さんが原作の時代劇「鬼平犯科帳」の主役の長谷川平蔵役の八代目松本幸四郎さんの妻・久栄役に多岐川裕美さんはレギュラーとして出演しました。1989年から始まり2001年までの12年で9シリーズ放送された150本のドラマが放送された時代劇です。町中で起きる事件を平蔵が仲間と一緒に事件を解決していく時代劇捕物帖です。
妻役の難しさを勉強した多岐川裕美さん

鬼平犯科帳の久栄役はかつて、淡島千景さんなどが演じていたため多岐川裕美さんは、多岐川裕美さん演じる久栄役はミスキャストと多岐川裕美さん自身は思ってました。手のひらの上で夫を動かす姉さん女房役を演じようと多岐川裕美さんは努力したそうですが、幸四郎さんの迫力に圧倒され、遂には自然に任せるようにして始めて妻役の演じ方が分かったそうです。
純情派女優に変身させたドラマ
多岐川裕美さんを変身させたドラマ「俺たちは天使だ!」
コミカルな現代劇「俺たちは天使だ!」の制作裏話が面白いです。日本テレビは1979年4月からの日曜夜8時からのゴールデン・タイムに時代劇新撰組を撮る予定にしていましたが、撮影開始1週間前になってNHK大河ドラマが裏番組にあるため時代劇は中止の決定が下された。そこで予定していた同じキャスティングで現代劇「俺たちは天使だ!」が生まれました。青山の一等地にある探偵事務所が中心のコメディドラマです。
清純派女優・多岐川裕美さんの誕生

キャプテン・麻生雅人(沖雅也さん)を中心に、ユーコ役に多岐川裕美さん、ナビ役に渡辺篤史さん、ダーツ役に柴田恭兵さん、ジュン役に神田正輝さんと豪華メンバーが毎週ゲストを迎えて繰り広げるコメディ風探偵ドラマです。多岐川裕美さんはこの「俺たちは天使だ!」で清純派女優としての地位を確立し、清潔なイメージを持つ女優として人気が出ました。
少年ドラマシリーズSF小説をドラマ化「七瀬ふたたび」
超能力少女「七瀬」を演じた多岐川裕美さん
NHKが作家・筒井康隆さんのSF小説をドラマ化した「七瀬ふたたび」です。主人公の七瀬には多岐川裕美さんが演じています。人の心を読む能力を持つ少女七瀬がいろいろな場面に遭遇し、別の能力を持つ仲間や敵と戦いながら事件などを解決していくドラマです。実世界の中に超能力という人が持っていない能力を持つ人たちを出現させることで夢を追っかけているドラマとなっています。
民放に先を越されたNHK
この「七瀬ふたたび」は、NHKは1978年秋から13回の予定で放送する準備ができていましたが、都合で放送が伸びに伸びてしまい実際の放送は1979年夏に開始しています。ところが、民放のTBSでも同じ題名の「七瀬ふたたび」をNHKの放送が終了するのを待って、多岐川裕美さんを主役に放送予定でしたがTBSの方が先に「七瀬ふたたび」を放送してしまい、それをNHKが追っかけた形になってしまいました。
女優さん達をより優雅にみせる舞台にも出演
何回も上演される「細雪」に挑戦した多岐川裕美さん

多岐川裕美さんは数多くの舞台にも出演されています。上の写真は作家・谷崎潤一郎さんの代表作の一つである長編小説「細雪」です。映画や劇・ドラマで何回も演じられています。大阪船場を舞台に四人の姉妹が繰り広げる日常生活の喜びや悲しみを表現しています。多岐川裕美さんは淡島千景さん、八千草薫さん、熊谷由美さんらと共に演じています。多岐川裕美さんは三女の雪子役を1993年~1998年の6年間演じています。
「大奥」で将軍の母・実成院を演じた多岐川裕美さん

2010年に公演された、舞台「大奥」に多岐川裕美さんは出演しました。「大奥」で多岐川裕美さんは家茂の生母・実成院を演じ、大奥の権力者として勝手気ままに振舞う実成院を迫力と存在感を表現しました。その他に大奥総取締・瀧山には浅野ゆう子さん、実成院からいびられながらも将軍との愛を貫こうとする和宮には安達祐実さんが演じています。テレビ・映画とは違いやり直しがきかない舞台は、別の緊張感があります。
数多くのCMに起用された多岐川裕美さん
新型5ドアハッチバック・ビスタのイメージ・ガールに起用された多岐川裕美さん

多岐川裕美さんは多くのCMにも登場しています。上のパンフレットの写真の多岐川裕美さんはトヨタ自動車の5ドアハッチバック・ビスタのものです。ビスタは1982年~2003年まで生産されたく車です。新型ビスタと多岐川裕美さんのイメージがマッチして、これから二人でロングドライブに行く二人をイメージしています。若い頃の多岐川裕美さん綺麗ですね。
お酒好きがお酒を宣伝したCM「美酒爛漫」
多岐川裕美さんは芸能界の中でも無類のお酒好きとの噂です。そのお酒好きがバックミュージックの歌まで本人が唄ってコマーシャルをしている1シーンがこの写真です。好きなお酒を、宣伝できるなんて幸せですね。
自然と健康をテーマにしたジュースのイメージがマッチ

カゴメは明治時代にトマトを自社栽培し。トマトからソースを作ることに成功し、水を一滴も加えないトマトジュースを販売していました。それを追従するデルモンテ(トマトジュースの世界一)が日本で進出してきました。それをカゴメが引き離すために、作り出した商品の一つが「トマト&レモン」の新製品です。人気絶頂の多岐川裕美さんをカゴメは起用しました。
多岐川裕美さんはお酒好き

多岐川裕美さんはお酒好きとの噂があります。また、親友の萬田久子さんもお酒好きだと聞きます。よく二人だけで飲んだり、仲間を引き連れて飲みに行くそうです。ストレスが貯まる女優業では多岐川裕美にとって、お酒はいいストレス発散方法なのでしょう。
まとめ:多岐川裕美さんは現在も美人だった!

多岐川裕美さん娘・華子さんの紹介いかがでしたでしょうか?多彩な才能を持った多岐川裕美さん、そしてこれから才能が開花するであろう華子さんはこれからも注目です。多岐川裕美さんは今もなお美しく、そして、これからもきっとその美しい姿をファンに見せ続けてくれるに違いありません。多岐川裕美さんの今後の活躍にも期待が集まります。
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