ルビー・モレノの現在の活動や画像は?結婚した旦那や息子・娘を調査

ルビーモレノと聞いて、懐かしさを感じる人も多いかもしれません。フィリピン出身の女優として、多くの作品で活動していたルビーモレノですが、ある日を境にその人気は衰えて、その活動を見かけることはなくなりました。しかし、現在、ルビーモレノはまた日本の芸能界で復帰しようとしているようです。ルビーモレノの結婚した旦那や重い障害を抱えていたと言われる現地の息子や現在の画像について紹介します。現在のルビーモレノは、本当に芸能活動を再開できるのでしょうか。

目次

  1. 懐かしのルビーモレノは現在活動しているのか
  2. ルビーモレノって何者?
  3. ルビーモレノが出演した作品について
  4. ルビーモレノの悲劇と再生の映画
  5. ルビーモレノで注目された「ジャパゆきさん」
  6. ジャパゆきさんってなに?
  7. ルビーモレノのように一攫千金を狙う人は多かった
  8. ルビーモレノの演技力は高く評価された
  9. ルビーモレノが隠していた様々な過去
  10. ルビーモレノは仕事をドタキャンするようになる
  11. 女優として必要とされなくなったルビーモレノ
  12. ルビーモレノの複数の結婚
  13. ルビーモレノのドタキャンの真相
  14. 現在はまた女優として活動しているらしい
  15. ルビーモレノは東京の足立区で過ごしているらしい
  16. ルビーモレノを許した稲川素子社長
  17. 本当に反省しているか怪しいルビーモレノの今後

懐かしのルビーモレノは現在活動しているのか

ルビーモレノという名前を聞くと90年代の光景を思い出す人も多いかもしれません。いまや、懐かしの「あの人は今」状態といえるルビーモレノですが、実は現在はまた日本の芸能界で活動しようとしているようです。

しかし、なぜルビーモレノは日本の芸能界から一時期姿を消すことになったのでしょうか。

そこには、ルビーモレノが多くのプライベートな問題を隠していたことが暴露されたこと、そして、ルビーモレノの母国であるフィリピンの習慣も問題だったようです。

そんなルビーモレノの現在の活動や画像、そして結婚した旦那や大きな障害を抱えていると言われている息子について紹介します。

ルビーモレノって何者?

平成の世代には馴染みのない女優かもしれませんが、やはりルビーモレノという人物は90年代のテレビには欠かせない存在といえます。

ルビーモレノは1965年9月22日生まれの52歳です。フィリピン出身の女優で、外国人タレント専門の芸能事務所である稲川素子事務所に所属している女優です。

ルビーモレノは、1992年の映画「あふれる熱い涙」新人ながら主役として銀幕デビューを果たし、その情感豊かな演技力から人気を集めました。

また、テレビドラマ「愛という名のもとに」の出演で、日本中にルビーモレノという名前と顔が広まることになります。ルビーモレノの画像をその作品を通して知った人も多いかもしれませんね。

ルビーモレノが出演した作品について

ルビーモレノの活動において重要なあふれる熱い涙は、1992年3月28日に公開された田代廣孝監督の作品です。東南アジアからの在日外国人妻問題がテーマになっており、東北の農村地帯、東京、そしてフィリピンが舞台になっています。

映画では、フィリピン人妻の悲劇と再生が描かれており、感動の社会はヒューマンドラマになっています。主演は、「ずっとあなたが好きだった」や「誰にも言えない」の佐野史郎が務めています。

ルビーモレノ演じるフェイは、日比混血で、父の生まれた国である日本に行けば幸せになれると信じて、嫁不足に悩む岩手に嫁ぐところから物語が始まります。

ルビーモレノの悲劇と再生の映画

鈴木正幸演じる夫は、非常に無口で働くだけの男だったんです。そんな生活に疲れたフェイは、フィリピンに帰るための旅費を得るために、東京の新大久保の中華料理店で働くことになります。

そこで出会った、隣人のカップルの国脇(佐野史郎)と麻美(戸川純)に出会うことになります。国脇はかつて自分の娘を精神異常者に惨殺されており、そのショックで妻も失ってしまったという過去があるんです。

2人はフェイを、日本に居る父親に合わせようとするのですが、その夢は厳しいものという形でストーリーが進んでいきます。

それぞれの役が、重い事実を抱えており、ルビーモレノ演じるフェイは何度もその心を砕かれそうになります。今見ても、その映像や画像は、涙を誘うものといえますね。

ルビーモレノで注目された「ジャパゆきさん」

ルビーモレノが出演した愛という名のもとには、1992年1月9日より放送されたフジテレビ系のドラマです。この作品は、主演を鈴木保奈美が務めており、他にも唐沢寿明や江口洋介が出演しています。

脚本は野島伸司が務めており、「ダイヤルQ2」や「学歴社会」、そして「フィリピーナのジャパゆきさん」などの、当時の世相を反映されたドラマになっているんです。

また、「仲間っていいな」など、理想主義的な台詞もある種の流行語になり、最終回では最高視聴率を32.6%を記録し、夜10時のドラマとして大ヒットしたといえます。

ジャパゆきさんってなに?

ドラマの中で登場するフィリピーナのジャパゆきさんというのは、アジア各国から日本に出稼ぎに来る女性のことを指して呼んだ言葉で、1983年に流行語にもなった言葉なんです。

もともとは、明治時代以降に、九州の島原などの貧しい女性が、経済的に繁栄する東南アジアの港湾都市に送り込まれて、娼館で娼婦として働いたことが元になっています。

このように娼婦として働き郷里に送金していた人たちを、九州では「からゆきさん」と呼んでいたそうです。そして、山崎朋子がノンフィクション文学「サンダカン八番娼館- 底辺女性史序章」でそのからゆきさんの姿が描写され、よく知られるようになりました。

そして、日本から東南アジアへ渡った「からゆきさん」に対して、アジア各国から日本に出稼ぎにきた女性を「ジャパゆきさん」という造語が生まれることになったんです。

ルビーモレノのように一攫千金を狙う人は多かった

当時、日本の経済は非常に伸び盛りで、世界的な経済格差が大きくなり、日本で半年も働けば国に帰って家が建てられるという話が生まれていたそうです。そして、東南アジアの人たちは日本で働くことに憧れや夢を抱く女性が多く生まれたそうです。

そして、日本の水商売にエンターテイナーとして女性たちを連れてくるプロモータービジネスが、利益の高い商売であったことから、当初はフィリピン、そして後に東南アジア各国の女性をタレントとして来日させることが増えたんです。

そのフィリピンからのジャパゆきさんとして、ルビーモレノは代表格と言えますね。当時はまだ、外国人女性が珍しかったこともあり多くのアジア人外国人女性が来日したのですが、風俗への流出や不法滞在、また、売春の強要やタコ部屋労働、給与不払い、暴力団介在など多くの問題が生まれてしまうことにもなりました。

ルビーモレノの演技力は高く評価された

ルビーモレノは1993年に崔洋一監督作品の「月はどっちに出ている」での演技が高く評価され、日本国内の主演女優賞を総なめにして、女優としての地位を確立します。

ルビーモレノは、日本語で演技が出来る東南アジア出身の女優として、テレビのバラエティ番組にも出演するようになります。そして、ある種の道化役を演じるようになり、多くの外国人タレントがリポーター役を務めるのとは、また違った立ち位置で活動しました。

ルビーモレノが隠していた様々な過去

可愛らしい画像が目立ち、当時の活動の画像を見ると、なぜルビーモレノが突然芸能界から消えてしまったのかと思う人も多いかもしれません。

ルビーモレノは、ある頃から、一部週刊誌にフィリピンパフのホステスだったという過去を暴露されてしまいます。そして、ルビーモレノも記者会見を開き、自分がいわゆる「ジャパゆきさん」だったことを認めたんです。

そして、それだけでなく、脳性麻痺による重い障害を抱える息子がいることを認めたんです。もともと、ルビーモレノは、観光関連の仕事で来日した際に、スカウトされたという経歴で紹介されていたのですが、真実はジャパゆきさんだったというわけです。

また、ルビーモレノは結婚歴は無しというものになっていたのですが、そのことも経歴を詐称していたというわけになったんです。

ルビーモレノは仕事をドタキャンするようになる

こういった週刊誌の暴露に加えて、ルビーモレノは次第に仕事を突然キャンセルする「ドタキャン女優」として有名になってしまったんです。

また、多額の借金を抱えているとか、枕営業をしている女優という評判や噂が広まってしまった上に、日本の映画界自体が不況により、ルビーモレノは満足に活動できなくなってしまったんです。

そのことからルビーモレノは、1994年には頸文社から「RUBY」というヘアヌード写真集を出版するのですが、これも一時的な話題にしかつながらず、以前のような活動をすることは無くなったんです。また、写真集自体も、当初予想されていたほど売れなかったようですね。

そこでルビーモレノがもう少し謙虚になれれば良かったのですが、当時のルビーモレノはかなりわがままな言動をしていたようで、業界関係者からもそっぽを向かれるような状態だったようです。また、自身もその活動に対する不安や苛立ちが増長し、悪循環を引き起こしていたようです。

女優として必要とされなくなったルビーモレノ

女優として活躍していたときは良かったのですが、仕事が無くなったルビーモレノは、その贅沢な暮らしを改めることができず、また、自分に対する見栄もあったようです。

そのことから、クラブの雇われママなどを兼業して、なんとか収入を得ていたそうです。しかし、ルビーモレノは1995年秋に、様々な素行問題やトラブルを理由に稲川素子事務所から解雇されてしまったんです。

日本の芸能界で活動できなくなったルビーモレノは、その後はフィリピンに帰国して、女優デビューしたものの、フィリピンではほぼ無名だったこと、そしてレベルの格差を埋めることができずに、フィリピンでの女優活動は失敗してしまったそうです。

ルビーモレノの複数の結婚

どうやら、ルビーモレノは現在までで4度の結婚を経験しているそうです。どうやら日本に来た時点でバツ2だったようですね。本人は言う機会がなかっただけと釈明したようですが、かなり事務所には抗議の電話があったようです。

また、娘と息子の2人の隠し子がいたそうです。息子に関しては元気に育っていたようですが、娘に関しては重度の障害を抱えていたようです。

ルビーモレノは、1983年に18歳で出稼ぎに来て、1988年に23歳のときに日本人と結婚して旦那ができたようです。そして、その旦那との間に生まれた長女の「リズ」が生まれつきの脳性麻痺の障害があったようです。

旦那とはちゃんと結婚していたようですが、娘は母国のフィリピンに預けて日本で仕事をしていたようです。息子に関してもフィリピンに居たのかもしれませんね。

ルビーモレノのドタキャンの真相

しかし、フィリピンに娘や息子を置いたままにしていることに耐えられなくなり、1995年に一度帰国しているそうです。しかし、そのときに抱えていた日本の仕事をドタキャンしており、そこからルビーモレノは娘や息子のために、仕事をドタキャンするようになってしまったそうでうs。

ルビーモレノのそういった介護の甲斐なく、娘であるリズは10歳で亡くなってしまったそうです。ルビーモレノは娘を失った悲しみだけでなく、介護のために、何度も仕事をドタキャンしたせいで、日本での仕事を失う事になってしまったわけです。

ちなみに、ルビーモレノの息子は「近藤ケイ」というそうで、日本で俳優として活動しているそうです。

2005年に公開された映画「逆鱗組七人衆」という市川徹監督の作品に出演していたそうですね。ちなみに、この映画にはルビーモレノも出演していたようで、息子との共演作だったようです。

現在はまた女優として活動しているらしい

ルビーモレノは1998年に再来日し、稲川素子事務所で改めて再契約してもらって芸能界に復帰したそうです。また、2000年には日本人商社マンの男性と4度目となる結婚をし、現在は旦那がいるようですね。

仕事をドタキャンしていたころは、事務所などに迷惑をかけることから、どのようにすれば良いのかわからなくなり、失踪に近い形で消えたことや、介護費用のために、目立たない職業に就きながら生活していたようです。

しかし、娘や両親の相次ぐ死があり、ルビーモレノは妹の尽力でなんとか稲川素子事務所に復帰できたそうです。

ルビーモレノは東京の足立区で過ごしているらしい

娘は亡くなってしまったものの、息子を含めて現在の画像を見ると、なんとか芸能界で活動ができているようです。また、商社マンの旦那と出会えたということから、旦那はそれなりにお金をちゃんと持っていそうですよね。

ただし、女優としての仕事は月に1本あればいい程度で、副収入として東京の足立区で子供たちに演技指導をしているのだとか。

また、テレビでかつてドタキャンで迷惑をかけた研ナオコに番組で謝罪するなど、かつての禊のような活動も行っているようです。そんなルビーモレノに、研ナオコは外国人タレントが芸能界で改めて活動することの難しさを指摘したものの、1からやり直すつもりで頑張るように励ましたようです。

ルビーモレノを許した稲川素子社長

そもそも、ルビーモレノが日本で4度目の旦那を見つけたとはいえ、芸能界で以前のように活動するきっかけをくれてのは、所属事務所の稲川素子の存在があってこそです。

日本で活動するほとんどの外国人タレントは、稲川素子事務所に所属しており、5000人以上の外国人タレントが所属しているそうです。テレビの画像などでも、稲川素子事務所という文字を見たことがある人も多いかもしれませんね。

ルビーモレノは、稲川素子が当時、フィリピン人を探しに行く家屋で見つけた存在だったそうです。そこには、小さな4畳半の部屋に7人がごろ寝しており、その中にルビーモレノが居たそうです。

ドタキャンをするルビーモレノに対して、最後までルビーモレノのことを我慢してあげて、時には数百万にのぼる違約金も支払ってあげていたそうです。しかも、最終的にルビーモレノに訴訟を起こされたこともあったのだとか。

しかし、実際に稲川素子が弁護士と法廷に行くと、すでに訴訟は取り下げられており、そこにはルビーモレノが居ただけなのだとか。どうやら、ルビーモレノは稲川素子と顔を合わせるきっかけづくりのために、そのようなことをしたそうです。

本当に反省しているか怪しいルビーモレノの今後

稲川素子に迷惑をかけたという自覚はあるようですが、自分はわがままな性格で、稲川素子は日本の母と感じているというような態度で、結局のところはお国柄なのか、いまでも本当に反省しているのか怪しい部分はあるようです。

現在の画像を見てもルビーモレノは、当時とあまり変わっていないのは印象的ですよね。とはいえ、4度も旦那が変わっているのは本当に驚きです。4度目の旦那とはうまくいっているようですが、これからも、画像のように謙虚な姿勢で頑張って欲しいところです。

50代になったルビーモレノですが、画像を見るとあの頃のルビーモレノと雰囲気は変わっておらず、昔のファンからは支持されるかもしれませんね。懐かしい当時の画像とともに、今後のルビーモレノがドタキャンしないことを願いたいものです。

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