岩下志麻の現在の活動や病気の噂は本当?旦那や子供・若い頃の画像も!
大女優・岩下志麻さんを紹介させていただきます。岩下志麻はどうやって大女優へ登ってこられれたのでしょう?現在の岩下志麻はどのように過ごされているのでしょう?結婚された方はどんな旦那様でしょうか?また、お子さんはいるのでしょうか?大女優となった岩下志麻さんは、いったいどんな映画に出演されていたのでしょうか?写真を交えて紹介させていただきます。高齢になられている岩下志麻さん、現在病気などされていないでしょうか?調査した結果を報告させていただきます。
目次
- 岩下志麻さんってどんな人
- デビュー前の岩下志麻さん
- NHKドラマで芸能界デビュー
- 若い頃の岩下志麻さんはどんな人だったの?
- 旦那との馴れ初め
- 結婚について意義を唱えたのは誰?
- 旦那・篠田正浩監督の紹介
- 岩下志麻さんの旦那の篠田正浩監督の作品
- 篠田正浩監督が岩下志麻さんに出した条件は現在でも
- 現在でも仲がいい岩下志麻さんと旦那・篠田正浩監督
- 子供はいるのでしょうか?現在は何している?
- 岩下志麻さんが出演した作品(デビューから現在まで)
- 岩下志麻さんの代表作「極道の妻たち」
- 岩下志麻さん芸能界デビュー作「バス通り裏」
- 映画のデビュー「乾いた湖」
- 若い頃の岩下志麻さんの出演作「秋刀魚の味」
- 女優・岩下志麻さんを育てた映画「心中天網島」
- 岩下志麻さんは天然?
- 岩下志麻さんは病気?旦那と篠田正浩さんも病気?!
- 現在の岩下志麻さんはどうしている?
- まとめ:岩下志麻さんは今もすてきな大女優
岩下志麻さんってどんな人
若い頃の岩下志麻さんはとっても綺麗

大女優・岩下志麻さんのご紹介をします。現在の岩下志麻さんはどうしていらっしゃるのでしょうか?デビューはいつ頃したのでしょう?結婚された旦那様とはいったい誰でしょう?子供はいるのでしょうか?病気はしている?!岩下志麻さんが出演した作品はどんな作品があるのでしょう?!若い頃の写真を交えて紹介させていただきます。まずはプロフィールから...
岩下志麻さんのプロフィール

芸名:岩下志麻
本名:篠田 志麻(しのだ しま) (旧姓:岩下志麻)
出身:東京府東京市京橋区
生年月日:1941年1月3日
身長:165cm
体重:48Kg
血液型:A型
デビュー:1958年
所属事務所:グランパパプロダクション
趣味:ゴルフ、麻雀、パソコン、陶芸、ジョギング、散歩
特技:着物のデザイン
デビュー前の岩下志麻さん
岩下志麻さんは医者を目指す学生だった

芸能人の両親の娘として生まれた岩下志麻さんは裕福な家庭のお嬢様として育ちました。高校を出るまでは医者を目指していました。学校の成績もよかったのですが、体調を壊し医者になることを断念しました。何かの病気にかかったのでしょうか?将来医者になることを断念した岩下志麻さんは、両親と同じ芸能界を目指すようになり、成城大学文芸学部に入学しましたが、女優業が忙しくなり大学を中退しています。
岩下志麻さんのご両親は二人とも俳優・女優さんだった

岩下志麻さんのお父様は、野々村潔さん(本名:岩下清)という俳優でありプロデューサーであった方です。第2次世界大戦前から劇団に入り、映画やNHKの試験放送の手伝いなどをしました。敗戦となり戦後劇団の復興に努力され芸術座の結成に関わりました。戦後の映画・テレビでは「トラ・トラ・トラ」、「仮面ライダー」にも出演されています。岩下志麻さんのお母様は、元新劇女優の山岸美代子さんです。
NHKドラマで芸能界デビュー
岩下志麻の芸能界デビューはNHKのドラマ

岩下志麻さんの芸能界デビューはそれ程苦労されていません。俳優であったお父様(野々村潔さん)は戦前から付き合いのあるNHKのプロデューサーから娘・岩下志麻さんの出演を依頼され、岩下志麻さんも大学で演劇の勉強中であったため、すんなりと出演が決まりました。出演したタイトルはドラマ「バス通り裏」です。1958年(昭和33年)の時です。
海外で現在でも聞かれる小津安二郎監督の話し

1960年になって岩下志麻さんは、松竹映画に入社します。松竹時代、名監督・小津安二郎監督の映画「秋日和」にちょい役で出演した岩下志麻さんでしたが、小津監督は周囲のスタッフに向かって岩下志麻さんのことを「10年に一人の逸材だから大切に育てるように」と言いました。岩下志麻さんは小津監督の映画に度々出演しています。岩下志麻さんが海外に行った時などは現在でも小津監督のことを聞かれるそうです。
若い頃の岩下志麻さんはどんな人だったの?
若い頃の岩下志麻さん...現在も変わらぬ美しさ

松竹に入社した岩下志麻さんの女優として道は、周りの人たちからの支援もあり順調に駆け上がっていきました。また、岩下志麻さんも「親の七光り」と言われたくなかったようで自分の実力を磨く努力をしました。映画のデビューとなったのは、のちの旦那になる篠田正浩監督による「乾いた湖」でした。岩下志麻さんは映画「乾いた湖」でヒロイン役を演じています。上の画像の岩下志麻さんは可愛いい流し目の岩下志麻さん。
若い頃の岩下志麻さん...見つめられたらメロメロになりそう
上の画像は若い頃の岩下志麻さんの写真です。瞳の奥に女優としてのオーラを感じます。この瞳で、見つめられたら世の男達はいっぺんでメロメロになってしまうのではないでしょうか。役柄では気の強い女性を演じることが多い岩下志麻さんですが、本当の岩下志麻さんは”おっとり”とした”のんびり屋”さんです。
若い頃の岩下志麻さん...現在でも綺麗な瞳

若い頃の岩下志麻さんは人気がありましたが、現在でも人気の女優さんです。CMなどにも多く出演されており、「メナード化粧品」とは現在でも契約更新中で40年間以上続いています。現在でも若い頃の魅力をもっている岩下志麻さんは凄い女優さんです。上の画像は若い頃の岩下志麻さんです。
旦那との馴れ初め
岩下志麻さんと旦那・篠田正浩監督との馴れ初めはマンボ
岩下志麻さんは、映画デビューの作品「乾いた湖」でメガホンをとられた篠田正浩監督と結婚することになるのですが、岩下志麻さんが篠田正浩監督を結婚する相手と意識した馴れ初めの逸話があります。それは、篠田正浩監督の映画「暗殺」の撮影が終了しスタッフ・キャストで打ち上げパーティが赤坂のナイトクラブで行われました。岩下志麻さんは篠田正浩監督と当時流行していたマンボを二人で踊ったのが馴れ初めです。
岩下志麻さんから旦那・篠田正浩監督へ告白

岩下志麻さんは、心の中で「この人と結婚しそう」と思ったそうです。思ったら口に出さねば気が済まない岩下志麻は篠田正浩監督に向かって「私、監督と結婚するような気がします」と声を出していいました。それを聞いた篠田正浩監督は踊るダンスを止め立ちすくんだとのことです。それから岩下志麻さんと篠田正浩監督は付き合い始め、デートを重ねることでお互いを知り合うことで結婚することになります。
結婚について意義を唱えたのは誰?
仏前結婚式を挙げた岩下志麻さんと旦那・篠田正浩さん

1966年岩下志麻さんと篠田正浩監督は、京都・大徳寺にて仏前結婚式を挙げました。岩下志麻さんのご両親は二人の結婚に対して反対もしなければ、賛成もしませんでした。両親は岩下志麻さんい向かって「自分の好きなようにやりなさい。ただし、自分のやったことには責任を持ちなさい」と言われました。(上の画像は結婚式後の記者会見)
岩下志麻さんと旦那・篠田正浩さんと結婚に意義を唱えたのは松竹だった

岩下志麻さんと篠田正浩監督に反対を唱えたのは松竹でした。看板女優の岩下志麻さんが一人の男に奪われてしまうのはもったいないと二人の結婚に意義を申し出たのです。岩下志麻さんの実家まで松竹の重役が押しかけ、岩下志麻と両親に結婚を思いとどまってもらおうと持参した出演予定の脚本を積み上げ「これだけの主演作を用意しています」といいましたが、岩下志麻さんは意地を通しました。(画像は会見後の二人)
旦那・篠田正浩監督の紹介
岩下志麻さんの旦那は「山の神」?

岩下志麻さんの旦那・篠田正浩監督は、子供の頃岐阜で育ちました。早稲田大学に入学し東京へ来ました。高校時代は400mの中距離の選手だったので陸上部に入部し、コーチに勧められ長距離をやるようになり、メキメキと頭角を現し遂には箱根駅伝の選手に選ばれました。箱根駅伝では1年生で「花の2区」を走りました。しかし、足の故障で走ることができなくなり選手を辞めました。現在でも箱根駅伝を応援しています。
「松竹ヌーベルバーグの旗手」と呼ばれた岩下志麻さんの旦那・篠田正浩監督

松竹映画には鬼才・小津安二郎監督の他に1960年代に映画のスタイルを変えようと立ち上がった3人の監督がいました。映画業界ではかれらの事を「松竹ヌーベルバーグの旗手」(ヌーベルバーグとは英語でムーブメントのこと)と呼ばれています。大島渚監督、吉田喜重監督、そして篠田正浩監督です。大島監督と吉田監督は会社と対立してすぐに退社してしまいましたが、篠田正浩監督はしばらくは松竹に残りました。
岩下志麻さんの旦那の篠田正浩監督の作品
豊臣秀吉の命を狙う伊賀忍者を題材にした「梟の城」

岩下志麻さんの旦那・篠田正浩監督の作品を紹介します。まず紹介するのは「梟の城」(ふくろうのしろ)です。中井貴一さん演じる重蔵は、信長によって全滅させられた伊賀忍者の生き残りで、時の天下人・豊臣秀吉の命を狙う。そこへ謎の女・小萩(鶴田真由さん)が重蔵に近づく。小萩は敵か味方か?重蔵は小萩を好きになが...司馬遼太郎さんの小説の映画化です。上の画像は中井さんと鶴田さんです。
札幌オリンピックの記録映画の総監督をした篠田正浩監督
映画会社の垣根を越え東宝と松竹が協力して作成した記録映画「札幌オリンピック」です。岩下志麻さんの旦那・篠田正浩監督はこの映画の総監督をでした。札幌オリンピックの撮影スタッフは275名、52台のカメラを回したそうです。撮影した時間は87時間分24時間通しで視ても3.6日かかります。2時間弱のドキュメンタリー映画にするためスタッフは少なくとも3回は全てのフィルムを視たのち編集を開始しました。
戦後の動乱を表現した瀬戸内少年野球団

岩下志麻さんの旦那・篠田正浩監督の作品「瀬戸内少年野球団」で主演には夏目雅子が先生役を演じています。戦後間もない瀬戸内海の島・淡路島の小学校で繰り広げられた物語です。前半は戦後すぐの島の様子を表現し、負傷して帰って来た兵隊や戦後の変化を表現し、後半は野球を通じて戦後の暗い雰囲気を野球を通じて明るくさせようとする教師と生徒達を描いています。上の画像は先生役の夏目雅子さん。
やくざの闘争と愛を表現した「乾いた花」

岩下志麻さんの旦那・篠田正浩監督の作品「乾いた花」です。主演・池辺良さん、ヒロイン・加賀まりこさんのやくざ映画の賭場を舞台とした映画です。刑務所から出所してきたばかりの池辺さんが賭場師の加賀まりこさんを好きになりましたが、やくざの喧嘩に巻き込まれ...というストーリーです。篠田正浩監督の作品はいろいろなジャンルの作品作り上げています。娯楽の中にユーモアや人間模様を描いています。
篠田正浩監督が岩下志麻さんに出した条件は現在でも

岩下志麻さんの旦那・篠田正浩監督が結婚する前に岩下志麻さんに出した有名な条件があります。それは「決して家事をしないこと」です。松竹の看板女優でもあった岩下志麻さんが、もし家事をして火傷や包丁で手を切ったとなると映画の撮影に影響が出ます。ですから篠田正浩監督はこのことを条件に結婚の約束をしたのでした。上の画像は仲良く食事する岩下志麻さんと篠田正浩監督です。
現在でも仲がいい岩下志麻さんと旦那・篠田正浩監督
現在でもオシドリ夫婦の岩下志麻さんと旦那の篠田正浩監督
上の画像の写真は結婚したばかりの岩下志麻さんと旦那・篠田正浩監督のデートの画像です。二人とも忙しい合間に時間を作ってのデートです。岩下志麻さんは当時はやっていたミニのワンピース。篠田正浩監督は綿のトレーナーにデニム(当時は白のジーンズと言っていました)をはいています。二人ともおしゃれです。
現在でもお互いを信頼しきっている岩下志麻さんと篠田正浩監督

岩下志麻さんと旦那・篠田正浩監督に長野県安曇野から「安曇野にふさわしい理想の夫婦」として表彰されたことがあります。上の画像がその時の写真です。二人の趣味は違うと旦那の篠田正浩監督はいうのですが、旅行の好きな岩下志麻さんに一緒に旅行に行きドライバーをかってでる篠田正浩監督です。なんと仲がいい夫婦なんでしょう。
子供はいるのでしょうか?現在は何している?
現在は成人され結婚されている子供(娘)さん

岩下志麻さんと篠田正浩さんの間には子供が一人います。娘さんです。1973年岩下志麻さんが32歳の時に産まれた子供さんです。32歳で子供を産んだ岩下志麻さん、子供を産む年齢としてはそれ程高齢出産ではありませんでした。子供さんは既に結婚されて現在一般女性として暮らしているそうです。現在では既に、二人の子供さんがいて岩下志麻さんはおばあちゃんなのです。(画像はイメージです)
現在は2人の孫がいる岩下志麻さん

岩下志麻さんの子供さんは、慶応大学を主席で卒業された優秀な娘さんでした。子供さんは広告代理店に入社し、結婚しています。子供さんが結婚された方は医者という情報がありますが確かではありません。岩下志麻さんの子供さんは幸せな暮らしをされています。岩下志麻さんは子供さんが成人になられた頃「もう一人、子供を産んでいればよかった」と、一人っ子の子供さんのことを気にしていました。(画像はイメージです)
岩下志麻さんが出演した作品(デビューから現在まで)

ここからは岩下志麻さんが出演された作品の中から代表的な作品をいくつか紹介したいと思います。岩下志麻さんは映画に限らず、テレビドラマなどにも多く出演されています。映画・ドラマに貢献されたことで2004年には国から紫綬褒章を受賞され、2012年にも旭日小綬章を受賞されています。それでは1958年から現在まで画像を交え紹介します。
岩下志麻さんの代表作「極道の妻たち」
現在も語り継がれている映画「極道の妻たち」

岩下志麻さんといったら現在でも「極道の妻たち」(以下極妻)と言うぐらい岩下志麻さんのイメージと極妻が重なります。しかしながら、東映の極妻の主人公は交代で出演する予定でした。一作目は岩下志麻さん、二作目は十朱幸代さん、三作目を三田佳子さん、四作目を山本陽子さん、五作目を吉永小百合さんの予定を組んでいましたが、岩下志麻の妻役があまりにも強烈だったため四作目から岩下志麻さんに戻しました。
かたせ梨乃さんと岩下志麻さんのコンビは最高!!

極妻に岩下志麻さんが出演したのは第一作目と第四作目~第十作目の最後の作品まで主演として出演しています。第一作目で「あんたら、覚悟しいや!」と啖呵を切る岩下志麻さんは強烈でした。極妻でもう一人忘れられない極妻がいます。女優のかたせ梨乃さんです。たかせさんは極妻シリーズ10作品の内、岩下志麻さんより多い7作品に出演されています。姐さんと共に闘う極妻を演じました。現在も再放送されるシリーズです。
東映が無理やり奪った作品「極妻」

極妻は、松竹が映画化する予定の作品を東映が横取りしシリーズ化したものです。原作者の家田荘子さんは、やくざの世界を実際に自分の足で歩き回りインタビューなどで聞き取りをしまとめ上げて世間に発表したドキュメンタリーです。東映は「やくざ映画を撮らしたら東映に敵う映画会社はいない」と言って家田荘子さんの承諾を得ました。1986年に第一作品が公開されました。
女性民権の先駆け!?現在に通ずるものがある極妻

極妻の前にやくざ映画が作られていたにも関わらず、なぜ極妻がヒットしたかと言うと、今までのやくざ映画は男目線、極妻は女目線で作品を描いたからです。男やくざは「組のためとか、保身」を描きましが、女やくざの場合「信念」を描きます。また、女性の力が世の中でも強くなり始めた頃でもあり、極妻は女性という新たな客層をやくざ映画に呼びました。岩下志麻さんは「いい作品に出会えた」と極妻を評価しています。
岩下志麻さん芸能界デビュー作「バス通り裏」
教育番組がホームドラマになってしまった「バス通り裏」

岩下志麻さん芸能界デビューの作品NHKのドラマ「バス通り裏」です。当時社会は少年少女の家出が社会問題となっていました。そこでNHKは家で少年・少女をなくそうと家庭の温かさ、楽しさをアピールする目的で制作していたのですが、視聴者からは青春ホームドラマと受け取られてしまいました。主演に十朱幸代さんをきようしました。
毎日生放送のドラマが5年間・現在では考えられない

「バス通り裏」は高校の国語教師の家と美容院一家を中心に描いたホームドラマです。NHKは3ヶ月の放送予定でしたが、5年間のロングランとなりました。当時はビデオ撮りがなく生放送の番組だったので出演する俳優・女優の方は番組の時間になると集合していました。大変な時代でもあります。「バス通り裏」の放送は月曜から金曜日の毎日19:15~19:30の15分間の放送でした。連続朝ドラドラマの原点になりました。
映画のデビュー「乾いた湖」
現在では考えられない安保闘争を題材にした映画

後の旦那となる篠田正浩監督がメガホンをとった映画「乾いた湖」です。篠田正浩監督にとっては2作目となる作品で岩下志麻さんいとっての映画デビューの作品です。題材は1960年代の若者の葛藤を60年安保闘争を背景に若者達の苦悩と喜びよ悲しみを描いた作品です。60年安保闘争とは実話で、日本とアメリカとの安全保障条約締結に抗議する若者との戦いです。現在の若者達に理解できない時代があったのです。
青春時代の若者気持ちは・環境こそ違うが現在にも通ずるものがある

当時、「太陽族」と呼ばれていた裕福な学生達がいました。一方アルバイトなどをしながら生活してる学生達がいます。二種類の学生達を、戦後復興が終わり日本が独自に経済発展をしようとする時、米国と安全条約を結ぶことに政府に反対する学生達の姿を、自分たちの将来を求め苦しみ大人へと成長する様を描いています。冒頭にはヒットラーを映し出し、続いてビキニの女性を出すなど若者の気持ちを表現しています。
若い頃の岩下志麻さんの出演作「秋刀魚の味」
小津安二郎監督の最後の映画となった「秋刀魚の味」

小津安二郎監督の遺作となってしまった映画「秋刀魚の味」です。妻に先立たれた父(笠智衆さん)とその娘(岩下志麻さん)との関係を描いた作品です。嫁に行かせたが行けば孤独になる父の感情と、嫁いでしまうと父の面倒が見れなくなる娘の心情を描いている映画です。1962年に公開されました。
平凡な家庭での人間模様を浮き彫りにする映画

平山周平(笠智衆さん)は娘(岩下志麻さん)と住んでいます。長男は家を出て結婚し家庭を作って平和に過ごしていました。しかし、娘・路子は結婚適齢期なので周りから「結婚させる」と言われる周平ですが手放す気はありませんでした。そんなある日恩師を交えた同窓会が開かれ、会のあと周平は恩師の娘のお店に行く、恩師の娘は夫に先立たれ店を一人で商っていた、そんな娘と自分の娘を重ね結婚させる決意をする...
女優・岩下志麻さんを育てた映画「心中天網島」
新婚後・岩下志麻さんと篠田正浩監督が始めて組んだ「心中天網島」

1969年結婚し旦那となった篠田正浩監督と岩下志麻さんが共演(?)した映画「心中天網島」です。岩下志麻さんは「心中天網島」は、私を女優に育ててくれた思い出深い作品」と言っています。江戸時代の浄瑠璃(じょうるり)やら歌舞伎の作者であります近松門左衛門さん原作の心中物語です。岩下志麻さんはこの作品で、遊女小春の女郎役とで治兵衛の妻・おさん役の二役を演じ汚れ役も演じています。
体当たりで挑んだ二役・岩下志麻さん

紙屋の治兵衛(中村吉右衛門さん)は、妻(おさん)がいながら遊女小春(岩下志麻さん)と恋仲になってしまいます。それを案じた治兵衛の兄が治兵衛を懲らしめ別れさせようとしますが、そうはいきません。しびれを切らした妻・おさんは小春に文を書き治兵衛と別れてくれるに嘆願します。小春は事の重大さを知り姿を消すのですが、それを知った治兵衛は、小春の後を追い...というストーリーです。
岩下志麻さんは天然?

岩下志麻さんの性格は意外とおっとり系でのんびり屋さんです。周りからは天然といわれるような逸話を残しています。一つ目は「通りでタクシーを止めようと手を振っていたらタクシーではなくパトカーが止まってしまった。」と言うお話です。パトカーに乗ったのでしょうか?二つ目は「見覚えのある人だったのでお辞儀をし、挨拶したら父だった」などいつもあります。現在も天然をやっているのでしょうか?
岩下志麻さんは病気?旦那と篠田正浩さんも病気?!
何か病気を持ってる岩下志麻さん・ネットで病気との噂が

岩下志麻さんが癌の病気で入院しているという情報があり調べてみましたが、病気という情報はありませんでした。ただ、胆石の病気を持っているようです。2015年に10年ぶりに胆石の痛みが出て緊急入院したとの情報があります。それ以外に病気という情報はありませんでした。ネットに病気とありましたがガセネタのようでした。病気をしてない岩下志麻さんよかったです。

岩下志麻さんお旦那・篠田正浩さんいついても病気について調べてみました。現在87歳になっていらっしゃいますので病気はお持ちだろうと調べましたが情報がありません。夫婦共に病気もせず円満に暮らしていらっしゃるようです。これからも病気をしないで活躍してもらいたいものです。病気の噂が立たない岩下志麻さんは健康そのものです。
現在の岩下志麻さんはどうしている?
「徹子の部屋」に久々に姿を見せた岩下志麻さん

2018年2月に岩下志麻さんは「徹子の部屋」に出演され黒柳徹子さんと話しをしています。岩下志麻さんはいままで出てこなかったエピソードなどを黒柳徹子さんへ話しをしていました。女優の世界は奥が深いのですね。テレビや映画に出る機会は2016年のNHKのドラマ「鴨川食堂」以来出演されていませんがお元気のようですね。旅が趣味のですので旦那の篠田正浩さんと時々旅行に行かれているようですね。
2018年2月に本を出した岩下志麻さん

岩下志麻さんは2018年2月に本を出されたいます。過去に岩下志麻さんは何冊か本を出されていますが、今回は女優としての区切り題は「美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道」です。60年間の女優人生を振り返った本になっています。岩下志麻さんご自身が語られ、春日太一さんがまとめられた本になっています。これまで、周りの人たちが勝手に解釈して記事に書いたことが、岩下志麻さんご本人から語られています。
まとめ:岩下志麻さんは今もすてきな大女優

医者になりそこなった少女が女優になり60年の月日がたった今でも、毅然とした姿で女優としてたっている岩下志麻さんの話しをさせていただきました。岩下志麻さんの女優の成長の秘訣は「人の嫌がる役でもやる」が信条です。汚れ役や鬼の役でもこなせる岩下志麻さんは女優の中の女優さんです。身体の方も健康のようですので、近いうちに私たちの前にきっと姿を見せてくれることでしょう。
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