宮本信子の息子はどんな人?旦那の伊丹十三や若い頃の画像も紹介
女優・宮本信子さんの紹介をします。映画「お葬式」や「マルサの女」で有名な宮本信子さんはいったいどんな女優さんなのでしょう?また、宮本信子さんの映画を撮った旦那・伊丹十三さんについても調べてみました。若い頃の宮本信子さん・伊丹十三さんはどのような雰囲気だったのでしょうか。お二人には息子さんがいらっしゃいますが、息子さん達は今、何をしているのでしょうか。さらには、宮本信子さんはどんな映画に出演されていたのかまで、宮本信子さんについて画像を交えて紹介します。
目次
- 宮本信子さんってどんな人
- 劇団で役者としての土台を作った宮本信子さん
- 旦那・伊丹十三さんとの馴れ初め
- 夫・伊丹十三プロフィール
- マルチタレント・デザイナーの伊丹十三さん
- 映画「お葬式」を制作したエピソード
- 旦那の作品でブレークした宮本信子さん
- 社会風刺の作品が多かった伊丹十三映画
- シンガー・宮本信子さんの誕生
- 宮本信子さんの息子達はどうしてる?
- 息子・長男の池田万作さんは俳優
- 池田万作さんは結婚している
- 次男の池内万平さんは裏方さん
- 映画へ復帰を決意した宮本信子さん
- 賞の数々を受賞している宮本信子さん
- 宮本信子さんが出演された作品を画像を交え紹介
- 宮本信子さんが初映画出演した「日本春歌考」の画像
- 伊丹十三さんが妻のために撮った映画「お葬式」の画像
- 日本映画賞のタイトルを総ナメ「マルサの女」の画像
- 一人の幸運の女性を巡る人間模様「あげまん」の画像
- 監督が擁護された体験を制作「マルタイの女」の画像
- 宮本信子・苦悩を乗越えた復帰作「眉山-びざん-」の画像
- 映画だけでなくドラマでも活躍する宮本信子さん
- 宮本信子さん最新出演作「この世界の片隅に」の画像
- 年齢73歳で化粧品の初キャンペーン・モデルに抜擢
- 宮本信子さんの近況は?
- まとめ:宮本信子さんは今も精力的に活動をしている
宮本信子さんってどんな人
宮本信子さんの紹介

女優・宮本信子さんを紹介します。結宮本信子さんお年齢は何歳になられているのでしょうか?結婚して旦那がいるらしいですが、旦那さんはどんな人なのでしょう?お子さんはいらっしゃるのでしょうか?また、若い頃の画像を交えながら出演された作品なども紹介します...まずは、プロフィールから
宮本信子さんのプロフィール

名前:宮本信子
本名:池内信子 (旧姓:宮本)
出身地:北海道小樽市
生年月日:1945年3月27日
年齢:73歳(執筆時)
身長:157cm
血液型:O型
学歴:愛知淑徳高等学校卒業
現職:女優、歌手
所属事務所:東宝芸能
劇団で役者としての土台を作った宮本信子さん
若い頃は多くの劇団を渡り歩いた宮本信子さん・若い頃の画像も

宮本信子さんは年北海道小樽市で生まれ、愛知県に移り高校を卒業後上京して、1963年に「文学座付属演劇研究所」に入所しますが、翌年退所します。そして、劇団「青芸」に入団し「三日月の影」で初舞台を演じています。その後、劇団「青俳」に入団すると「地の群れ」、「神通川」に出演されて1972年に「青俳」を退団し、フリーになっています。沢山劇団を渡り歩いています。上の画像は若い頃の宮本信子さんです。
若い頃は端役が多かった宮本信子さん・若い頃の画像も

劇癌に所属されていた時代にも宮本信子さんはテレビドラマの脇役としてドラマ出演されています。1964年NHKドラマ「名古屋駅前」、1965年NHKドラマ「あしたの家族わが道」に出演されています。また、映画では1967年の松竹映画「日本春歌考」で初出演をなされています。上の画像は宮本信子さんの若い頃の画像です。
旦那・伊丹十三さんとの馴れ初め
旦那・伊丹十三さんとの馴れ初めは映画の共演だった宮本信子さん

宮本信子さんと、将来旦那となる伊丹十三さんとは大島渚監督の「日本春歌考」で共演し知り合いになりました。宮本信子さんと旦那になる伊丹十三さんとは年齢が12歳も離れていたのに気があったのでしょう。伊丹十三さんは離婚したばかりの頃に宮本信子さんと会ったため、独身で通し結婚していたことを宮本信子さんに教えたのは後々のことでした。
生きる「美学」を持っていた旦那・伊丹十三さん:画像は結婚記者会見
宮本信子さんが旦那・伊丹十三さんとの結婚生活について、「旦那の伊丹は、生き方に対する美意識が高い人間なので、ついていくのが大変でした」と語っています。「今日の帰宅時間は」「今日の夕食は何がいい」など聞くと「聞くものではない」と一喝されたそうです。ただ一つ旦那の伊丹十三さんに我を通したものがあります。子供を作ることです。旦那の伊丹さんは始め反対したのですがは2人の息子さんを手に入れました。
夫・伊丹十三プロフィール
父も映画人だった宮本信子さんの旦那・伊丹十三さん

宮本信子さんの旦那・伊丹十三さんについて説明します。本名は池内義弘(いけうちよしひろ)さんといいます。1933年に生まれ、既に鬼籍に1997年に入られています。年齢64歳でした。旦那の伊丹十三さんのお父様は映画会社東宝の社員であり伊丹十三さんが生まれた時は京都でしたので、伊丹十三さんの出身地が京都になっています。伊丹十三さんが5歳の時に、東宝東京撮影所に転勤となり伊丹十三さんも引越ました。
戦時中にもかかわらず英語教育を受けた伊丹十三さん

1940年伊丹十三さんのお父様は東宝を退社され、家族は皆京都へ戻ります。戦争中は国民学校(今の小学校)の特別クラスに入りました。当時は敵国語である英語の勉強はできませんでしたが、このクラスは特別に英語を教えるクラスでした。同級生にノーベル化学賞を受賞した湯川秀樹さんの息子さんや東洋学者・貝塚茂樹さんの息子さんなどがいました。しかし、戦後まもなく伊丹十三さんのお父様は亡くなってしまいます。
若い頃は苦労をして高校を卒業した伊丹十三さん

若い頃の伊丹十三さんは、お父様が亡くなられ苦労をしています。中学・高校を転々とされ愛媛県松山市の寺院でお母様、妹さんと同居し高校に通ったりしています。その後も高校を転々としたため高校を卒業した時の年齢は20歳になってしまいました。そして大学を受験するも失敗し、新東宝の編集部に入社し東京へ行きます。上の画像は若い頃の伊丹十三さんです。
マルチタレント・デザイナーの伊丹十三さん
商業デザイナーとして一流になった伊丹十三さん

新東宝に入社した伊丹十三さんは、映画編集の仕事がら商業デザイナーの力をつけ、東宝を退社されたのち本格的な商業デザイナーとして活躍します。電車内の吊り広告や目次のデザイン、ブックカバーなどが有名です。小説の本の活字を決めるデザイン(タイポグラフィと言います)などもなさっています。伊丹十三さんは、明朝体の文字を書かせれば日本一といわれる程、レタリングは綺麗で評価されるものでした。
マルチタレントとしての才能が芽生えた20代の伊丹十三さん

商業デザイナーとして仕事を持ちながら、伊丹十三さんは舞台の裏方仕事を知るため「舞台芸術学院」で勉強をし、映画会社大映で「伊丹 一三」という芸名をもらい役者になりました。1961年には大映を退社し、海外に渡り外国映画に出演ました。1965年には、外国映画に出演した時の経験をまとめエッセイ「ヨーロッパ退屈日記」を出版しヒットさせました。その後も「女たちよ!」という題の本を出しています。
映画「お葬式」を制作したエピソード
年齢51歳にして本格的映画の監督した旦那の伊丹十三さん

伊丹十三さんは映画監督になる前に短編映画を一つ年齢28歳の時に作っています。題は「ゴムデッポウ」30分弱のシート映画です。後の映画「タンポポ」の原点にもなっている映画です。このように、映画を作ったり、映画の裏方の勉強や自分自身が役者になったりした、宮本信子さんの旦那・伊丹十三さんは、宮本信子さんに「こんなにいい役者がいるのに、なんで仕事がこないの?」と常日頃言っていたそうです。
年齢39歳にして映画初主演した遅咲きの女優・宮本信子さん

旦那・伊丹十三さんが本格的にメガホンを持って映画を撮り始めたのは旦那・伊丹十三さんの年齢が51歳の時です。宮本信子さん初主演映画「お葬式」で、宮本信子さんの年齢は39歳の時でした。映画を作るきっかけは「妻はいい女優なのに仕事が来ない。ならば彼女を主役にした映画を自分で撮ってしまえ」という発想からです。映画「お葬式」は高い評価を受け、日本アカデミー賞や芸術選奨新人賞など受賞しました。
旦那の作品でブレークした宮本信子さん
旦那・伊丹十三さんが制作する作品の全てに主演した宮本信子さん

旦那・伊丹十三さんから「君は美しい女性の役から、汚い汚れ役までこなせる演技力のある女優」という言葉をもらった宮本信子さんは、旦那・伊丹十三さんの作品「お葬式」を皮切りにヒット作を次々に出して行きます。お二人の若い頃の苦労が身を結びました。映画「お葬式」の次の作品「マルサの女」のヒットし、「マルサの女・2」まで制作してしまいました。
名脇役にも助けられた伊丹十三映画・画像は山崎努さん

その後も、伊丹十三さんと宮本信子さんのが共演?する映画は次々とヒットします。「あげまん」、「ミンボーの女」、「マルタイの女」など話題の映画が当たり映画界きってのオシドリ夫婦とも言われました。伊丹十三さんさんが制作する映画は全て宮本信子さんが主演しています。また伊丹十三さんは名脇役を使うのに長けていました。上の画像の山崎努さんや津川雅彦さん個性派が映画を盛り立てています。
社会風刺の作品が多かった伊丹十三映画
ケガしても「私はくじけない。映画で自由を貫く」と宣言した伊丹十三さん

伊丹十三さんの映画は国や政府に対する皮肉を風刺する作品だけでなく、反社会的体制への風刺も作品としてつくりました。中でも 1992年に公開された映画「ミンボーの女」のテーマはヤクザの民事介入暴力、いわゆる「民暴」を題材にした映画でした。この映画を公開したのち伊丹十三さんは自宅近くで、暴力団関係者から襲われ重傷を負い、「暴力団対策法」が施行されたばかりだったので注目の作品になりました。
当局は自殺と判定した伊丹十三さんの死因
反社会的体制にもメスを入れていた伊丹十三さんは、次作を考案中に事務所のビルの屋上から飛び降りて亡くなっています。宮本信子さんは「夫は、次の作品は日本最大の宗教団体にメスを入れると張り切っていた」、また「商業デザイナーで字を書くことにこだわっていた夫の遺書がワープロとは理解できないと」自殺ではないと主張していましたが、警察は調査の結果伊丹十三さんの死因は自殺と判断し捜査を打ち切っています。
シンガー・宮本信子さんの誕生
映画以外の情熱を捧げるものを探した宮本信子さん

旦那・伊丹十三さんの死因について納得できなかった宮本信子さんは、「もう映画は出まい」と決心しました。映画館の前を通ることもできませんでした。しばらく映画から離れる決心をし、自分は何ができるるかを考えたあげく歌を唄ってみようと考えました。小唄は師範の免除を持っている宮本信子さんは若い頃から歌うのは好きで、美空ひばりさんの歌や多くのジャズに触れ合っていました。画像は歌っている宮本信子さん。
歌で元気を取り戻した宮本信子さん

1999年宮本信子さん年齢54歳にして歌手デビューされています。番組は小椋佳さんのBS番組「歌壇の部屋」という番組です。生バンドをバックに、小椋佳さんとのデュエット曲「夜明けのうた」とソロ「聞かせてよ愛の言葉を」を歌いました。周りにいたお客様は100人くらいでした。本人は凄く楽しかったと思い、歌の練習をし2年後にはディナーショウを開きました。それから約7年間籍歌手活動をしていました。
宮本信子さんの息子達はどうしてる?

宮本信子さんと旦那の伊丹十三さんさんの間には二人の息子さんがいます。上の息子さんは池内万作さんといいます。下の息子さんは池田万平さんといいます。どちらの息子さんも健在です。上の画像は上の息子さん池田万作さんの画像です。
息子・長男の池田万作さんは俳優
息子の長男・池内万作さんプロフィール
宮本信子さんの息子・長男の池田万作さんは1972年3月27日生まれで現在の年齢は46歳です。高校は和光高校に入学し高校2年の時にアメリカの高校に編入しています。途中で高校を変えるところは若い頃の伊丹十三さんに似ていますね。高校を卒業したのち、今度はイギリス・ロンドンへ渡り演技と脚本を学んだ後帰国されています。芸能活動の裏方の勉強をするところも若い頃の伊丹十三さんに似ています。
息子・長男の池内万作さんは作品や仲間に恵まれている

帰国した宮本信子さんの息子・池内万平さんは1995年に映画「君を忘れないで」で俳優デビューしています。映画「君を忘れないで」のキャッチコピーは「ヒコーキは女の子にモテる。そんな青春のはずでした」という青春ドラマを思わせる映画のようですが、実は終戦間際の特攻機に乗る若者達と当時の女性達の葛藤を描いた映画です。息子の万作さんは「ジャズを愛し、ハーモニカを持ち歩く」青年の役を演じました。
息子の池内万作さんは若い頃の伊丹十三さんにそっくり

帰国して、良い配役に恵まれた宮本信子さんの息子・池内万平さんは映画「君を忘れないで」の後も数々の映画に出演されています。ドラマ「こちら本池上署」シリーズや映画「犬神家の一族」などにも主演されえおり、最近はコラムへの執筆や音楽番組の配信などマルチタレントとして活動を始めています。これもまた、若い頃の伊丹十三さんそっくりです。
池田万作さんは結婚している
息子・池田万作さんは年齢44歳にしてやっと結婚

宮本信子さんの息子・池内万平さんは年齢44歳(2016年)に結婚されました。お父様の伊丹十三さんと宮本信子さんとの結婚の時の伊丹さんの年齢が33歳の時でしたので遅咲きの結婚でした。お相手は1973年11月生まれの結婚当時43歳の本田みちよさんでした。画像は仲がいい池内万平さんと本田みちよさんです。
結婚の相手はシンガーソングライター・マルチタレントの本田みちよさん

上の画像は池内みちよ(旧姓:本田)さんです。芸名は”本田みちよ”で通しており職業は歌手であり、WEB音楽番組「MUSIC SHARE」の代表であり、番組の司会やプロデュースも手がけるマルチタレントです。京都府の出身で若い頃(10歳)から京都市少年合唱団(少年という名前の合唱団だけど少女も在籍)に入団し歌を学んだシンガーソングライターです。2時間のライブで2曲しか歌わなかったという逸話をお持ちです。
次男の池内万平さんは裏方さん
息子・次男の池田万作さんは伊丹プロダクションの役員

宮本信子さんのもう一人の息子・次男池内万平さんの生年月日や年齢については分かっておりません。始めはお兄さん同様俳優を目指し、過去に子役として伊丹十三さんの映画「タンポポ」に出演しました。万平さんは役者に興味ないとご自身で判断され、今は伊丹プロダクションの取締役として裏方に徹していらっしゃいます。上の画像は愛媛県松山市にある伊丹十三記念館で、この建物も伊丹プロダクションの管理です。
旦那の伊丹十三さんがお世話になった松山に記念館を創設
息子の池内万平さんが取締役として働いている伊丹プロダクションの活動は、伊丹十三さんが生前活動された映画の紹介や監督として、商業デザイナーとして、マルチタレントとしての伊丹十三さんを紹介しています。場所は、伊丹十三さんが若い頃苦労をした時に助けていただいた愛媛県松山市にあります。上の画像は伊丹十三記念館の敷地をスタッフと歩く宮本信子さん。
映画へ復帰を決意した宮本信子さん

女優・宮本信子さんは約10年の歳月を懸けて映画に復帰しています。2007年に公開された映画「眉山」です。旦那の伊丹十三さんが亡くなって10年、宮本信子さん年齢64歳の時です。映画館に行くのも辛かった宮本信子さん、ビデオで東宝のマークが出ると辛かった宮本信子さんが長い月日を乗り越えで出した結論が、映画復帰でした。
賞の数々を受賞している宮本信子さん

宮本信子さんは数多くの賞を受賞されています。「マルサの女」ではシカゴ国際映画祭最優秀主演女優賞、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報報道主演女優賞など、復帰した映画「眉山」では、日本アカデミー賞優秀助演賞を受賞され、「阪急電車 片道15分の奇跡」で報知映画賞助演女優賞、日本アカデミー賞優秀助演女優賞、日本映画批評家大賞助演女優賞を受賞され、2014年には紫綬褒章受章を受賞されてます。
宮本信子さんが出演された作品を画像を交え紹介
ここからは宮本信子さんが出演された映画やドラマを画像を含めて紹介します。伊丹十三さんと出会った映画、伊丹十三さんと一緒に撮った映画、女優復帰に10年の月日を要して撮った映画など、最近のドラマなども合わせて画像を交えながら紹介させていただきます。
宮本信子さんが初映画出演した「日本春歌考」の画像
古き良きの日本映画のパターンを打ち破る大島渚映画「日本春歌考」

映画「日本春歌考」は大島渚監督が撮った映画であり、宮本信子さん年齢22歳の時に公開された映画です。大島渚監督は「松竹のヌーヴェルヴァーグ」に一人と言われています。あと二人は篠田正浩さんと吉田喜重さんのことです。「ヌーヴェルヴァーグ」とは1950年代にフランスで始まった映画革命のことで三人の映画監督が中心に行った映画改革を日本でも興すことを意味した言葉です。
田舎から出て来た男子高校生たちが都会の女子大生に憧れるお話「日本春歌考」

映画「日本春歌考」は、大学受験を控える高校生各3名の男女がベトナム戦争を訴える大学に下見をしに行く場面を描く反体制派の学生達と、思春期を向かえた若者が性欲の発散場所を求めて徘徊する葛藤を描いたものです。高校生には荒木一郎さんを主役に使い、高校彼らを教えていた大学講師には伊丹十三さん、高校生の女子3人の中に宮本信子さんが入ってます。話しは男子高校生は大学性の女性にあこがれるのですが...
伊丹十三さんが妻のために撮った映画「お葬式」の画像
常識では考えられなかった題名・映画「お葬式」

「君には女優としての才能がある。誰も君を使わないのなら俺が撮る」と言って作ったのがこの映画「お葬式」です。この映画のシナリオは宮本信子さんの父親が亡くなった時に、宮本信子さんが喪主になって葬儀を行った事を題材に、伊丹十三さんが1週間でシナリオを書きました。お葬式をテーマにした映画は、日本映画にはなかったため新鮮味があり、かつ、伊丹十三さん独特のユーモアあり人気を呼んだ映画でした。
宮本信子さんを一躍有名女優にした映画「お葬式」

俳優夫婦(旦那:山崎努さん、妻:宮本信子さん)の別荘に来ているとき、一緒に来ていた父が心臓発作のため父が亡くなってしまった。周りの人達は葬儀は実家でという意見を無視し、俳優の妻で、亡くなった父の娘であり・喪主が「この別荘で葬儀を行う」ところから映画は始まります。「題名が良くない」と前評判は悪く評価された映画でしたが、コミカルさと笑い溢れる内容でこの年の日本映画の賞を総ナメにした映画です。
日本映画賞のタイトルを総ナメ「マルサの女」の画像
悪い庶民を風刺した映画「マルサの女」

「マルサの女」はバブル期絶頂を背景にパチンコ店、スーパーやラブホテルなどの経営者達が所得を隠して税金を納める事を免れているのを摘発する国税局査察部(通称:マルサ) に勤務する女性査察官と脱税者との戦いを描いたものです。この映画のシーンで宮本信子さん扮する捜査官が脱税者をバイクで追うシーンがあり、伊丹十三監督は代役を使わず、宮本信子さんにバイクの免許を取らせ本人にバイクを運転させました。
おかっぱ頭がシンボルだった「マルサの女」の宮本信子さん

おかっぱ頭に寝癖と顔にそばかすは、これまでのキャリアの女性主人公(板倉亮子役:宮本信子さん)のイメージをぶっ壊す強烈なものでした。また、映画は自体反体制的なものであるという固定概念を体制側から表現し、市民の悪を暴く点でも今までの映画の視点が違った映画となり伊丹十三監督の強烈な個性を引き出したものになっています。この「マルサの女」は1988年の日本の映画賞を総ナメにしました。
一人の幸運の女性を巡る人間模様「あげまん」の画像
花柳界で使われていた隠語が流行語になってしまった「あげまん」

「あげまん」とは、花柳界(色街)の隠語のことで、幸運をもたらす女性のことで、親密になった男性はからなず出世する女性のことです。伊丹十三監督はこの「あげまん」という言葉を隠語ではなく、全国の人達に教えてしまい流行語になってしまいました。世の男性達が「あげまん」と称する女性を巡り出世し、裏切り、笑いを見事に表現している映画になっています。
人の欲と地位をパロディ風に描いた映画「あげまん」

主人公のナヨコ(宮本信子さん)は捨て子で、置屋の芸者にいたとき僧侶に水揚げ(金銭でその人の女になること)されます。僧侶はその宗派で偉くなりましが死んでしまいます。そのナヨコを大滝秀雄さん演じる銀行の頭取が秘書としてやっといるとき、支店長役の津川雅彦さんがナヨコを「あげまん」と知ると猛アタックしてナヨコを手に入れます。そこへ大物政治家が絡むお話です。人間の欲をユーモアで包んだ人間模様です。
監督が擁護された体験を制作「マルタイの女」の画像
伊丹十三監督初めての刑事映画「マルタイの女」

伊丹十三監督の遺作となってしまった映画「マルタイの女」です。マルタイとは警察用語で捜査や護衛する人のことです。映画「マルタイ」では護衛対象者を指しています。この映画は伊丹十三さん自身が「ミンボーの女」で動力団関係者から狙われて、警察の護衛対象者になったことをヒントに作成された映画です。この映画には三谷幸喜さんが製作当初から参加し、以降の三谷幸喜さんの作品に大きな影響を与えています。
伊丹十三監督の遺作となってしまった映画「マルサの女」

伊丹十三監督が始めて手がける刑事物の映画「マルタイの女」です。宮本信子さん演じるビワコは、偶然弁護士夫婦を殺害した場所に居合わせ殺人事件を目撃します。犯人の後ろ盾には宗教団体が関係していることを知った警察は、ビワコに2人の刑事を護衛としてビワコを守りますが、いろいろな障がいを与えビワコに証言をしないよう脅迫しますが、最終的にビワコは法定で証言するようになるという話しです。
宮本信子・苦悩を乗越えた復帰作「眉山-びざん-」の画像
10年の歳月を経て映画出演をした宮本信子さん出演「眉山」
宮本信子さんが10年ぶりに映画復帰した映画はさだまさしさんの小説を原作にした映画「眉山」です。母・龍子(宮本信子さん)の故郷は四国・徳島、若い頃は東京に住みへ江戸っ子気質が性にに合い、曲がった事が嫌いな女性でした。その女性が一度だけ過ちを犯し妻子ある男性と恋に落ち女の子を産みました。その娘の名は咲子(松嶋菜々子さん)です。
母と娘の愛情を表現した映画「眉山」

東京で仕事をしている娘・咲子のところへ、母・龍子が入院している徳島の病院から連絡が入りました。咲子が徳島に行ってみると、母・龍子は末期癌で余命がないことを知らされました。母・龍子も自分の余命を察しており、今まで言わなかった秘密を娘・咲子に伝えます。「貴女のお父さんは生きている」それを知った咲子は、東京に住んでいる父(夏八木勲さん)を探し出し、母にあわせようとしました。
本番さながら徳島市民の協力でできたクライマックス映画「眉山」

徳島に帰った咲子は、街で始まった「阿波踊り」会場に父が来ることを信じ母と一緒に演舞場で待ちます。そこへ車椅子に乗った父が演舞場に現れ...母親と娘の親子の愛情と阿波踊りの迫力は最高の見せ場を作っています。実際の阿波踊りの演舞場を踊りが終わったあと解体せず、ロケとして使わせてもらい14,000人のエイキストラを使って4日間のロケで撮影しました。
映画だけでなくドラマでも活躍する宮本信子さん
映画出演は断っていたけどテレビ出演はしていた宮本信子さん

伊丹十三さんが亡くなって映画出演を断っていた宮本信子さんは、テレビドラマには出演していました。NHK朝ドラ「本日も晴天なり」、「まんてん」などです。その他にも民放のドラマにも出演されています。テレビはOKでも、映画はNOだったのです。宮本信子さんが最近出演された朝ドラ日本「あまちゃん」と「ひよっこ」を画像を交え紹介します。上の画像はNHK朝ドラ「どんと晴れ」での発表記者会見です。
震災復興とアイドルへの道をミックスしたドラマ「あまちゃん」

2011年311東日本大震災の復興も兼ねて制作された、宮藤勘九郎さん書き下ろしのNHK連続ドラマ「あまちゃん」(2013年4月~9月)に、海女役として宮本信子さんは出演されています。主人公のアキ役には2000人のオーディションの中から選ばれた能年玲奈さん(現:ノン)。アキの母役には昔アイドルを目指したという設定の小泉今日子さんが、宮本信子さんの夫役には蟹江敬三さんが演じています。
「夏ばっぱ」はアキを見守る優しいお婆ちゃん

宮本信子さん演じる天野夏は、主人公アキの祖母で通称「夏ばっぱ」。海女の現役で海女クラブの会長をしており、町のみんなが集まる喫茶「リアス」およびスナック「梨明日」(同じ店)を経営しています。常にアキをやさしく見守り、アキが困った時に助け船を出してくれる優しい祖母役を演じています。「あまちゃん」は前編の三陸海岸編とアイドルを目指す東京編がありますが宮本信子さんは前編にのみ出演しています。
赤坂の街も下町風情を残していた昭和の時代・ドラマ「ひよっこ」

こちらの朝ドラは2017年4月~9月に放送された「ひよっこ」です。1964年の東京オリンピック中心とした茨城県と東京を舞台とした物語です。主人公のみね子(有村架純さん)は、出稼ぎに行っで父(沢村一樹さん)が行方不明となり家計が苦しくなった家を守るため父の代わりに東京に就職し稼いだお金を茨城の家に仕送り、働きながら父親を探しているときに洋食屋「すずふり亭」を目にします。
「あまちゃん」で小泉今日子さんの小さい頃を演じた「有村架純さん」を抜擢
洋食屋「すずふり亭」の店主・牧野鈴子(宮本信子さん)に励まされるのですが、後に以前「すずふり亭」に父親が食べに来たことがあること知るみね子でした。働いている会社が不況のあおりを受け倒産してしまい、働き口がなくなったみね子を「すずふり亭」の鈴子がみね子を従業員として雇い始めます。東京の下町の人間関係が赤坂の場所にもあったことをこのドラマは教えてくれます。
昭和の雰囲気をいっぱい漂わせた「ひよっこ」のオープニングセット

「ひよっこ」に登場する宮本信子さん扮する牧野鈴子は、幼い頃から赤坂で育ち多くの人を見てきたため、困っているみね子をほっとくわけにも行かずホールの従業員として雇ってしまう親切なおばあさん役を演じています。一方、母親に先立たれ、グレてしまった孫娘の関係を後悔しています。宮本信子さんは「ひよっこ」全般を通して出演されています。画像は昭和をイメージしたオープニングで使われたミニチュアです。
宮本信子さん最新出演作「この世界の片隅に」の画像
2018年7月からのドラマに出演予定の宮本信子さん

現在の宮本信子さんは、積極的に女優活動をなさっています。2018年7月より放送予定のTBS日曜劇場ドラマ「この世界の片隅に」の収録中です。「この世界の片隅に」は、漫画映画(同名)の実写ドラマ版です。戦時中の広島の呉にお嫁に来たすず(ヒロイン:松本穂香さん)、夫・周作(松坂桃李さん)との戦争を舞台に繰り広げられる物語です。その他にキーパーソンとして遊女リンには二階堂ふみさんが演じます。
ドラマのキーパーソンを演ずる宮本信子さん

宮本信子さんの役はヒロインすずの祖母役のイトを演じすずへの厳しくも温かい眼差しを与える役を演じます。宮本信子さんはイトの役を演じるにあたり「明治生まれで、その時代を生きた人。ごくごく普通の人がその人なりに一生懸命生きてきた、その“なり”を芝居に活かしていきたい」と語っていました。ドラマが始まるのが楽しみです。
年齢73歳で化粧品の初キャンペーン・モデルに抜擢
キャンペーン・モデルは59歳と73歳の粋な女優さん

年齢が73歳になる宮本信子さんが始めて化粧品のCMに出演し、キャンペーンモデルとして活躍しています。相方は原田美枝子さん年齢は宮本信子さんより14歳若い59歳です。73歳で化粧品メーカーのキャンペーン・モデルをするとは凄いですね。宮本信子さん本人も「この年齢で選ばれて、何かの間違いなんじゃないかと思ったくらい。化粧品のCMも初めて。初めての現場で女子会みたいな感じだった!」と喜んでいます。
「ありのままの自然体」が持論の宮本信子さん
CMメーカーは資生堂です。50歳以上の女性をターゲットにした化粧品を売り込むために開発した化粧品です。原田美枝子さんは50代・60代の女性、宮本信子さんは70代以上の女性のモデルとして起用されたそうです。宮本信子さんはCMの記者会見で、美学について尋ねられると「ありのまま、自然に受け入れる方が精神衛生上いい。体のラインなどが下がってくるのも平気! そういうふうに生きていきたい」と応えています。
宮本信子さんの近況は?
紅白や東宝のイベントへの出席に忙しい宮本信子さん

宮本信子さんは2017年年末の紅白にゲスト審査員として登場しています。紅白のコントでは「あまちゃん」が披露され宮本信子さんも一緒にコントを盛り上げていました。また、東京有楽町にある東宝の劇場「東宝シネマズ日劇」が85年間の歴史に幕を閉じるイベントにも宮本信子さんは登壇されています。「マルサの女」板倉亮子役のシンボルである”おかっぱ頭”で登場され、歓声や拍手で迎えられ会場を盛り上げました。
悲しいお別れの会に参列した宮本信子さん
宮本信子さんは、2013年にジブリ映画「かぐや姫物語」に声優として出演されています。この「かぐや姫物語」を監督された高畑勲さんが82歳で2018年4月に病気のためお亡くなり、お別れの会が5月にありました。宮本信子さんはこのお別れの会に参列し、高畑勲監督を偲びました。ジブリ作品には声優さんだけでなく、多くの俳優・女優さんが声優として出演されていますので、多くの芸能界関係者の方々が参列しました。
まとめ:宮本信子さんは今も精力的に活動をしている

才能を旦那・伊丹十三さんいよって開花した女優の宮本信子さんの紹介はいかがでしたか?女優・宮本信子さんは伊丹十三さんとの出会いは運命の出会いでした。遅咲きの宮本信子さんは今でもドラマやCMに引っ張りだこです。また、息子さんもマルチタレント的に活動され、伊丹十三2世が誕生する要素を充分備えています。70歳を過ぎても積極的に活動されている宮本信子さん、これからも目が離せません。
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