名脇役の深浦加奈子は座ったまま絶命?死因はガン?父が明かす闘病記

名脇役の深浦加奈子が2008年に亡くなって今年で10年となります。劇団出身の女優さんで、TBSドラマ「スウィート・ホーム」で一躍有名になりました。その妖艶な容姿で、クセの強いキャラクターを演じることが多い方でした。どの作品でも自分の色を出せる、一度見たら忘れない、数少ない女優さんの1人でした。その深浦加奈子の死因はS状結腸ガンで、座ったまま息絶えるほど、その闘病生活は壮絶なものでした。深浦加奈子がガンと闘った5年間を、父親が闘病記としてまとめています。

目次

  1. 名脇役の深浦加奈子とは、どんな人物なのか?
  2. 名脇役の深浦加奈子が女優を目指したきっかけとは?
  3. 名脇役の深浦加奈子を一躍有名にした作品とは?
  4. 深浦加奈子が女優業以外にも行っていた活動とは?
  5. 女優業が軌道に乗り始めたころ突然訪れた悲劇とは?
  6. 深浦加奈子が貫いた女優としてのプロ意識とは?
  7. 闘病記に記された深浦加奈子の壮絶な闘病生活とは?
  8. 闘病生活の中で深浦加奈子の選択とは?
  9. 深浦加奈子を支えるため家族のとった行動とは?
  10. 支えてくれた家族に深浦加奈子が取った行動とは?
  11. ガンと闘う深浦加奈子が引き受けた仕事とは?
  12. 晩年の深浦加奈子の出演作品とは?
  13. 壮絶な闘病生活の末深浦加奈子の最後とは?
  14. 名脇役の深浦加奈子突然の訃報に世間は?
  15. 名脇役の深浦加奈子の死を惜しむ人びと
  16. 娘の生きた軌跡を、父がまとめた闘病記
  17. まとめ:名女優だった深浦加奈子に悲しむ声が続出していた

名脇役の深浦加奈子とは、どんな人物なのか?

名脇役の深浦加奈子は1960年、東京都出身の女優さんです。妖艶な容姿に掴みどころのない役を好んで演じていました。新興宗教にハマっていく女性やクセのある看護婦など、一度テレビで見ると忘れられない女優さんのひとりでした。

その深浦加奈子は、2008年8月に惜しまれつつこの世を去りました。突然の訃報に世間は驚き、死因は何なのか憶測が飛び交いました。その死因は、ガン死亡率トップ3内に入るS状結腸ガン(大腸ガン)でした。その闘病生活は、ベッドに座ったまま息絶えるほど壮絶なものでした。

まずはじめに、名脇役の深浦加奈子が世間に認められるきっかけとなった、テレビドラマ作品をいくつか見ていきましょう。

深浦加奈子の出演したおもな作品

劇団出身の深浦加奈子は長い下積み時代を経て、1994年のTBSドラマ「スウィート・ホーム」に出演しました。主人公家族の隣に住む、強烈なお受験ママの役でその人気に火がつきました。以降1996年のフジテレビ「ナースのお仕事」や2000年のフジテレビ「ショムニ」など様々な作品に出演しました。また当時、ドラマだけにとどまらず「メレンゲの気持ち」や旅番組など、ジャンルを問わず活躍していました。

少女時代は聡明な美少女。その半面、皮肉屋で風変わりな一面も

小学校からの友人である湯山玲子によると、テレビから出てきたような美少女が転校してきて、その子が深浦加奈子でした。長いまつ毛に彫りの深いその容姿から、体育館裏で付けまつ毛をしていると噂が立つほどでした。公務員の親を持ち、成績優秀なのに、世の中を斜めに見る皮肉屋なところもありました。当時は女の子受けしなかった「天才バカボン」に一緒にハマるなど、風変わりなタイプでした。

名脇役の深浦加奈子が女優を目指したきっかけとは?

明治大学在学中に「第三エロチカ」の旗揚げに参加、看板女優に

日比谷高校から明治大学文学部演劇学科に進んだ深浦加奈子は、在学時に川村毅率いる「第三エロチカ」という劇団の旗揚げに参加しました。当時流行っていたポップなノリとは違った、アングラな世界観を突き詰めていった、独特の雰囲気を持つ劇団でした。深浦加奈子はその看板女優として、89年に退団するまですべての作品に出演をしていました。

キレイで純真なヒロインよりも癖の強い役を好んで演じた

「第三エロチカ」在籍中の数々の作品の中で、深浦加奈子が好んで演じたのは、キレイで純真なヒロインではありませんでした。持ち前の皮肉屋で頭の切れる性格を活かした、掴みどころがなくて、クセの強い人物を演じることが多かったようです。

「第三エロチカ」退団後は長いアルバイト生活

「第三エロチカ」在籍中は、看板女優として活躍していた深浦加奈子ですが、退団後は順風満帆ではなかったようです。幅広い活動の場を求めて退団をしたものの、現実はなかなか厳しく、そこで待ち受けていたのは、30歳過ぎまで続く、長いアルバイト生活でした。

深浦加奈子はアルバイトを掛け持ちしながら、小さな役を貰って生活していました。日々の生活は決して楽ではなかったようです。しかしそんな境遇も、持ち前の聡明さと皮肉屋な性格で、むしろ楽しんですらいたのかもしれません。

名脇役の深浦加奈子を一躍有名にした作品とは?

1994年TBSドラマ「スウィート・ホーム」の演技で人気に火がつく

深浦加奈子が演じた役どころは、主人公夫の友人であり同期の奥さんでした。長男のお受験失敗を姑に責められてから、過度な教育ママとなっていました。エキセントリックで弾けた演技によって、お茶の間にその存在を知らしめました。この時の演技がきっかけで、次々と話題作に出演することになりました。

深浦加奈子が女優業以外にも行っていた活動とは?

「リリィ深浦」、「六本木ネネ」の名で歌手活動も

深浦加奈子が当時、女優業と並行して取り組んでいたのが歌手活動でした。「リリィ深浦」や「六本木ネネ」の名前で、何枚かCDも出していたそうです。そのいかにもな名前からも分かるように、下町のしがないスナックで、昭和歌謡を歌っているママの姿が浮かんでくるような、擦れた感じとパンチの効いた歌声がウリだったようです。

女優業が軌道に乗り始めたころ突然訪れた悲劇とは?

「美女か野獣」の撮影時に見つかったガン

「美女か野獣」の撮影をしていた2002年の冬に、深浦加奈子は激しい腹部の痛みに襲われます。初めは重い生理痛かと思って様子を見ていたようですが、次第に症状が酷くなり、とうとう都内の病院に緊急搬送されました。そこで診断されたのが、今や死因としてガン死亡率トップ3内に入る、S状結腸ガン(大腸ガン)でした。

死因としてガン死亡率トップ3内に入る、S状結腸ガン(大腸ガン)とは?

S状結腸ガン(大腸ガン)とは、大腸の部分のうち、直腸の上にあるS字状に曲がっているS状結腸にできるガンのことです。大腸ガンは日本人の場合、約70%が直腸かこのS状結腸にできると言われています。また深浦加奈子のように、下痢や便秘など排便に関する症状が多いので、なかなか発症に気付かない方が多いようです。このような症状により、近年は死因としてガン死亡率トップ3内に入っています。

深浦加奈子が貫いた女優としてのプロ意識とは?

周囲に公表をせず仕事に専念!密かに闘病生活を始める

闘病記の中では、病院に担ぎ込まれガンが発覚した際、家族を含め周囲の人間は治療に専念するよう勧めたと記されています。しかし、深浦加奈子は頑なにそれを拒否しました。それはただ一心に、女優という仕事を愛し全うしたい、その気持ちが何より強かったからではないでしょうか。

「仕事は恋人」だから減らそうとはしなかった

女優という仕事を何よりも愛した深浦加奈子は、秘密裏に闘病生活を始めます。周囲のごく一部の友人にしか、自分がガンであることは伝えなかったそうです。それは、告知をすることで周囲の人々に迷惑を掛けてしまうから、との配慮からでした。そして何事もなかったかのように振る舞い、日々仕事に取り組みました。

闘病記に記された深浦加奈子の壮絶な闘病生活とは?

肝臓、胃、肺などに次々と転移!入退院を繰り返す

発見当初の検査では、まだ転移は認められませんでした。しかし手術で開腹すると、症状は思っていた以上に深刻でした。それでも手術は成功して、深浦加奈子は現場復帰を果たします。しかし若さ故なのか、肝臓や肺、胃へと次々にガンは転移をしていきました。その都度手術を繰り返し、ガンとの一進一退の攻防が続いていきました。闘病記には、そのガンとの壮絶な闘いの日々が赤裸々に記されています。

酸素吸入器で呼吸を維持しモルヒネで痛みを和らげる

必死にガンと闘いましたが、深浦加奈子の症状は次第に悪化していきました。肝臓にガンが転移をしたことで毒素が全身に回ってしまい、胃や肺にもガンが転移をしました。闘病記によると、ガンによって身体に激痛が走ることもしばしばで、モルヒネを打って痛みを和らげ、よく母親から背中をさすってもらっていたようです。また呼吸が困難になり、酸素吸入器に頼ることもありました。

闘病生活の中で深浦加奈子の選択とは?

女優を続けるために終末医療を拒否する

闘病記によると、ガン発症による全身の痛みは更に酷くなり、見るに堪えないものだったそうです。医者からは安らかな最後となるように、終末医療を勧められたこともあったそうです。しかし、深浦加奈子は女優の仕事を全うするため、頑なに拒否しました。生きている限り最後まで諦めない、そんな女優としての強い信念を感じずにはいられません。

副作用に苦しみながらも、自ら治療法を探す

深浦加奈子は自らインターネットで治療法を探し、放射線治療を提案したそうです。闘病記には、薬や放射線治療によって吐き気や嘔吐に苦しんだ当時の様子が記されています。また、抜け落ちてしまった髪の毛を悟られないように、病院へ見舞いに来る友人などに対しては、ウィッグを被って心配させないように配慮をしていました。

深浦加奈子を支えるため家族のとった行動とは?

家族総出の、全面的なバックアップ

命尽きる最後の時まで、女優として生きたいと願う深浦加奈子の思いを受けて、家族は献身的にサポートをしました。迷惑を掛けないようにと、所属事務所を辞めて父親の経営する会社に入りました。母親は会社を辞めて食事のサポートに徹し、姉は深浦加奈子のマネージャーとなりました。義兄は治療全般のサポートを行い、家族一丸となって深浦加奈子を支え続けました。

支えてくれた家族に深浦加奈子が取った行動とは?

家族一人ひとりに送ったプレゼント

闘病記には、家族がひとつになって深浦加奈子のサポートができた、その理由が記されています。深浦加奈子はガンで亡くなる前に、両親や姉、義兄対して、それぞれの誕生日に手製のプレゼントを贈っていました。それは、自分のために頑張る家族に何かできることはないか、そんなささやかな気持ちの現れでした。

ガンと闘う深浦加奈子が引き受けた仕事とは?

映画での遺作は「ぼくのおばあちゃん」

この映画は深浦加奈子の死後、2008年12月に公開された映画です。菅井きんと岡本健一のダブル主演で、大人になったサラリーマンの岡本健一が、菅井きん扮する祖母との思い出を振り返っていく話です。観客は岡本健一の視点で、家族への愛情や幸せについて考えていきます。深浦加奈子は、そんな家族への愛を描く内容に共感して、オファーを受けたのかもしれません。

2007年からはピースリーディングにも参加

深浦加奈子は2007年から、非戦を選ぶ演劇人の会が主催するピースリーディングに参加をします。それは、自身に最後の時が迫るからこそ、命の大切さを多くの人に訴えたい、という気持ちからの行動だったと思います。また偶然の一致なのか、深浦加奈子の亡くなった日が、2008年のイベント開催日と同じでした。

晩年の深浦加奈子の出演作品とは?

深浦加奈子の原点である下北沢の駅前劇場

2008年2月、深浦加奈子は下北沢の駅前劇場にいました。これが最後の舞台出演となりました。深浦加奈子の原点とも言える小劇場での公演で、夫の浮気や家族の問題に悩みながらも、前向きにたくましく生きる水商売の女性の役でした。テレビドラマで一躍有名になった深浦加奈子ですが、最後に選んだのは、小劇場というホームグラウンドてした。

自分は舞台をやりたい

深浦加奈子は病床での父との会話で、商業的なテレビ作品に出演することが多くなっているが、これからは舞台で演じたい、と話していたそうです。最後の舞台「新しい橋」で演じた水商売の女性も、「第三エロチカ」時代に好んで演じた、クセのある難しい役どころでした。

壮絶な闘病生活の末深浦加奈子の最後とは?

2008年8月永眠享年48歳! ベッドに座ったまま息絶える

闘病記では、深浦加奈子が亡くなる前最後の数週間について記されています。とうとう身体は限界を迎えて、深浦加奈子は再入院しました。肝臓は機能が低下して黄疸が見られました。肺も半分ほど潰れて息をするのもやっとな状態で、最後には喋ることもままならなくなりました。そんな中でも、最後までガンと闘い、ベッドに座ったまま息絶えるその瞬間まで、その女優魂でガンと闘い続けました。

死因はガン死亡率トップ3内に入る、S状結腸ガン(大腸ガン)

座ったまま息絶えた深浦加奈子は、2008年8月、家族に看取られながらこの世を去りました。死因はガン死亡率トップ3内に入るS状結腸ガン(大腸ガン)で5年間もの長い闘病生活でした。最後に引き受けた仕事は、原爆ドキュメンタリーのナレーションでした。この仕事はやりたいと姉に懇願して、満身創痍でやり遂げました。この時母親に、これが最後になるかもと言ったそうで、深浦加奈子の覚悟が伺えます。

名脇役の深浦加奈子突然の訃報に世間は?

関係者は驚きの色を隠せなかった

深浦加奈子の訃報が知らされると、関係者はあまりの突然のことに驚きを隠せませんでした。そして死因がガンであること、また座ったまま息絶えるほどに壮絶な闘病であったことも更なる驚きでした。それは生前、名脇役の深浦加奈子が、周囲の人に迷惑をかけないようにと、ガンで闘病していることをごく一部の知人にしか公表していなかったからでした。

戸田恵子は深浦加奈子が亡くなる2日前に会っていた

戸田恵子は、古くから深浦加奈子と親交のあった友人でした。歳は3つ上ですが、同じ劇団出身で、気が合うことが多かったようです。その戸田恵子が、深浦加奈子の亡くなる2日前に面会に訪れていました。その時、小さな声で「ありがとう」と言い、笑顔を向けた深浦加奈子の姿を思い出し、ベッドに座ったまま息絶えるほどにガンと闘っていたのかと、まさかの訃報に悲しみに暮れたとのことです。

名脇役の深浦加奈子の死を惜しむ人びと

お別れ会には、友人や芸能関係者など約550人が参列

名脇役の深浦加奈子のお別れ会が、2008年9月末にウェスティンホテルで行われました。そのメンバーは、沢口靖子、小泉今日子、松嶋菜々子、高橋克実、渡辺いっけいなど、友人や芸能関係者の約550人が参列をしました。祭壇には、座ったまま息絶えた、闘病生活での苦悶の表情ではなく、白い衣装を身に着けて、笑顔で晴れやかな深浦加奈子の姿がそこにはありました。

出棺の際、涙で見送る松嶋菜々子

松嶋菜々子は、フジテレビドラマの「救命病棟24時」や「美女か野獣」で深浦加奈子と共演しており、それ以後、実姉のように慕っていました。また、20年ほど前に二人でヨーロッパ旅行をしながら、現地の日本人妻を探すという番組の企画でも共演をしています。物怖じせず流暢な英語を駆使する深浦加奈子の姿が印象的で、松嶋菜々子が深浦加奈子を慕う理由が、その番組を見るとよく理解できました。

小泉今日子が、涙で声を震わせて弔辞を読む

名脇役の深浦加奈子と2002年に「おかしな2人」で共演した小泉今日子も、深浦加奈子を姉のように慕っていたひとりでした。その余りにも早すぎる最後に、弔辞を読む声が震えていたそうです。座ったまま息絶えるほどガンと闘っていた深浦加奈子を思い、その悲しみは深く、その場にいる誰もが感じ取ることができるほどでした。

娘の生きた軌跡を、父がまとめた闘病記

ベッドに座ったまま息絶えるほど、壮絶な闘病生活を送った深浦加奈子の父親は、娘の生きてきた証を何か残したいと、1冊の闘病記をまとめました。娘の死因となったガン死亡率トップ3内に入るS状結腸ガンの発見から、その過酷な闘病生活が最後まで事細かに記されています。

2014年2月放送の「爆報!THEフライデー」で紹介される

ガンを発見してから壮絶な闘病生活を経て、座ったまま息絶えるまでの壮絶な5年間をまとめた闘病記が、2014年2月に放送された「爆報!THEフライデー」で取り上げられました。名脇役の深浦加奈子として、最後まで女優業を全うしようとするその姿に多くの反響がありました。この番組放送がきっかけで、ガンの死因トップ3内に入る、大腸ガンの予防や啓発について、世間の関心が高まるきっかけとなりました。

まとめ:名女優だった深浦加奈子に悲しむ声が続出していた

沢山の作品にアクの強い役柄で印象を残した深浦加奈子。亡くなられてから時間が経っていますが、演技力の高い女優だったのでとても惜しまれています。これから深浦加奈子のようなアクの強い女優はなかなか出てこないでしょう。ご冥福をお祈りします。

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