生島ヒロシの息子の経歴は!ハリウッドデビューや死去という噂は?
芸能界最強と言われるアナウンサーの生島ヒロシ。そんな生島ヒロシには二人の息子が居るそうですが、なんとその息子に関して死去しているという噂があるようです。なぜ生島ヒロシの息子の死去の噂が流れたのでしょうか。また、生島ヒロシの息子は二人居るそうで、それぞれ芸能界で活動しているそうです。生島ヒロシの息子は俳優とダンサーと言われており、そのドラマやダンサーとしての経歴についても紹介します。
目次
生島ヒロシの息子が俳優としてドラマデビューしている
芸能界最強と言われている生島ヒロシ。そんな生島ヒロシには二人の息子が居るそうなのですが、なぜか息子が死去しているという噂があるそうです。

また、生島ヒロシの息子はそれぞれ芸能界で活動しており、俳優とダンサーとして活動しているそうです。そんな息子の出演していたドラマや、ダンサーとしての経歴などについても調査しました。

芸能界最強と言われる生島ヒロシの二人の息子はどのような人物なのでしょう。また、ドラマに出演している俳優のようですが、有名なドラマに出演しているのでしょうか。
息子の前に生島ヒロシの経歴
まずは二人の息子の前に生島ヒロシの経歴からチェックしていきましょう。なぜ、生島ヒロシは芸能界最強と呼ばれているのでしょうか。
生島ヒロシは1950年12月24日生まれの67歳です。宮城県気仙沼市出身で、元TBSアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーやタレントとして活動しています。

宮城県気仙沼高等学校を卒業した生島ヒロシは、法政大学経営学部に入学したようですが、20歳の夏に、大学紛争を機に単身渡米を経験しているそうです。どうやら、本当に行きたかった大学には、お金の関係で通えなかったことも、この経歴に関係しているそうです。
息子も逆らえない生島ヒロシの経歴
そんな生島ヒロシが芸能界最強と言われる理由には、高校時代に空手を習っており、同級生には後に格闘空手「大道塾」の創始者になった人物がいるんです。

この道場にはK-1王者のセーム・シュルトが教え子にいる東孝師範がいたそうです。また、アメリカ留学中には、後にジャッキー・チェン主演の映画「スパルタンX」に適役として登場する格闘家、ベニー・ユキーデと戦う寸前にまでなったこともあるそうです。

また、TBSに入社した後も、電車で態度の悪い若者とケンカになり、駅員に止められたなんて噂もあるそうです。一部は都市伝説のようなものもあるようですが、「芸能界でケンカが強いひとは?」という話題では、生島ヒロシの名前が必ず挙がるそうです。
生島ヒロシの経歴は息子にも自慢できる
生島ヒロシの高校の後輩には、マジシャンのマギー審司がいて、俳優の村上弘明は高校と大学の後輩にあたるんです。また、お笑い芸人のヒロシの芸名は、実は生島ヒロシにちなんで名付けられたものなんだとか。

アメリカに留学中の生島ヒロシは、植木屋や庭木の剪定などのアルバイトを行って生計を立てていたそうです。このころに空手家のもとで黒帯を授与されており、映画スターのショー・コスギとも一緒に修行をしたことがあるそうです。

1975年にカリフォルニア州立大学ロングビーチ校ジャーナリズム科を卒業し、1976年4月にTBSにアナウンサー16期生として入社したそうです。同期には鈴木順や高橋進、松宮一彦などがいるそうです。

「そこが知りたい」や「アッコにおまかせ!」、「ミュージックステーション」や「スーパーサッカー」など様々な番組を担当した後、TBSを1983年3月に退社しています。
独立した事務所に息子も所属?
TBSを退社後の生島ヒロシは、独立して株式会社生島企画室を設立しました。生島ヒロシは最高経営責任者という立場になり、生島ヒロシの3兄弟の長男であり、生島企画室の社長の生島隆、そしてスポーツジャーナリストの生島淳は実弟です。

そして、後ほど詳しく説明しますが、生島ヒロシの実家に住む一般人の妹、そして妹と結婚した義弟が在籍していたそうですが、東日本大震災によって死去しているんです。

また、生島ヒロシの息子であり、長男の生島勇輝は生島企画室に在籍していますが、現在はケイダッシュに移籍して、そちらに所属しているそうです。次男の生島翔が生島企画室に在籍したままのようです。
生島ヒロシの息子①生島勇輝
生島ヒロシには二人の息子が居るそうです。その息子のそれぞれの経歴も確認していきましょう。まず長男であり一人目の息子である生島勇輝についてです。

生島勇輝は1984年4月4日生まれの34歳です。東京都出身で、かつては父親である生島ヒロシの事務所、生島企画室に所属していましたが、現在はケイダッシュに所属する俳優です。

生島勇輝は身長が177センチで体重は68キロなんだとか。私立暁星高校を卒業し、玉川大学芸術学部を卒業しているそうです。

息子の生島勇輝も父親と同じように留学を経験しており、イギリスとアメリカに留学していて合計2年ほどの留学経験があるそうです。
息子は俳優やレポーター業
海外での留学経験もあるので、父親の生島ヒロシのように英語が堪能なのかもしれません。また、父親の生島ヒロシは息子には、アナウンサーになってほしいという思いがあったようです。

しかし、息子はそんな父親の希望とは裏腹に、なんとラッパーになりたいという夢を持っていたことがあるそうです。もちろん、このことで生島ヒロシと息子は大喧嘩になったそうですね。

結果的には、息子はラッパーとしては活躍することはできなかったようで、アナウンサー試験を受けたそうです。しかし、アナウンサー試験には不合格になってしまったそうですね。おそらく、父親の名前を使って縁故採用されるような方法を選ぶのも避けたと思われます。
息子の俳優業はまだまだこれから
アナウンサーにはなれなかったものの、俳優やリポーター業を行っており、映画「はやぶさ 遙かなる帰還」や「図書館戦争」などにも出演しているそうです。
テレビのレポーターとしてのレギュラーも持っており、2008年から「とびっきり!しずおか」と2010年から「未来ビジョン 元気出せ!ニッポン!」のレギュラーレポーターとして活動しているようです。

ドラマでは役名があるようなものは少ないようですが、それでも「松本清張ドラマスペシャル・地方紙を買う女〜作家・杉本隆治の推理」や「神の舌を持つ男」や「名奉行!遠山の金四郎」など、現代ドラマから時代劇まで万遍なく出演しているようです。
生島ヒロシの息子②生島翔
もうひとりの生島ヒロシの息子であり、次男の生島翔の経歴もチェックしてみましょう。兄のように俳優としてドラマなどに出演しているのでしょうか?

息子の生島翔は1985年7月28日生まれで32歳です。父親と同じ株式会社生島企画室に所属し、コンテンポラリーダンサーであり、俳優や振付家として活動しているそうです。

生島翔は暁星中学を卒業し、そのまま暁星高校に進学せず、15歳からアメリカ・カリフォルニア州にある寄宿舎制の芸術高校アイデルワイド・アーツ・アカデミーに単身留学を経験しているそうです。

このとき、実は生島翔は英語はまったく話せない状態だったそうです。それでも、高校ではダンスを専攻して、高校卒業後は、ニューヨーク大学・ティッシュ・スクールオブジアーツに進学しているんです。
生島ヒロシの息子はダンサーとして開花
大学でもダンスを専攻し、なんと飛び級で3年間で大学を卒業したそうです。そして、大学卒業後は、アメリカでアーティスト・ビザを取得して、ダンサーとして活動したそうです。
息子は、ニューヨークを拠点にして、パリッシモやブライアン・ブルックス・ムービング・カンパニーというダンスカンパニーで出演していたそうです。
同時に振付家としての活動を始め、フィジカルシアターに興味を持ち、ダンスだけでなく演劇に関することも学び始めたそうです。
2009年にはインプラスタンズ・ダンスウェブ・スカラシップといいう奨学金を日本代表として取得しており、世界各国の選出メンバーと一緒に過ごしたこともあるそうです。その後は、ドイツ・カッセル州立劇場とソリストとして契約し、ドイツに拠点を移していた時期もあるそうです。
生島ヒロシの二人の息子は俳優の道を選んだ
しかし、生島翔は、こういった活躍を行ったいたものの、俳優の夢を捨てきれずに2010年に日本に帰国しているんです。そして、ダンサーを続けながら俳優としてミュージカルや舞台を中心に活動を始めているんです。

そして、2011年に東日本大震災をきっかけに、宮城県気仙沼市を中心に東北地方への復興支援活動を始めたそうです。また、2015年には兄とともに出演した震災ドキュメンタリードラマ「Kessennuma,Voices.東日本大震災復興特別企画」で、父親の生島ヒロシと共演を果たしているそうです。

このように兄弟や父親とドラマなどで共演する機会も出てきており、まだまだ今後もドラマで一緒に出演する機会があるかもしれませんね。

ちなみに、現在は、息子はどちらも結婚していないようです。ただし、彼女がいたことはあるようで、その彼女と破局してしまったことを、父親の生島ヒロシにネタにされてしまったこともあるようです。俳優としても先輩な父親には、まだまだ頭があがらないのかもしれませんね。
生島ヒロシの息子が死去したという噂の真相
実は、俳優としてドラマなどで活躍する生島ヒロシの息子たちですが、なぜかその息子たちが死去したという噂が流れたことがあるようです。

しかし、息子たちの経歴を紹介でわかるように、息子たちは現在も元気に活動しており、死去とは無縁の状態です。ではなぜ、生島ヒロシの息子たちが死去したという噂が広まってしまったのでしょうか。
息子死去の噂の真相は妹夫婦が死去していたため
実は、生島ヒロシの息子たちは死去していないのですが、生島ヒロシの妹夫婦は東日本大震災によって死去しているんです。このことが、息子たちが死去しているという噂が流れたという真相なんです。

生島ヒロシの地元は、宮城県気仙沼市なんですが、2011年3月11日に起きた、東日本大震災で大きな被害を受けているんです。そして、気仙沼市に妹夫婦が住んでおり、津波の被害にあって亡くなっているんです。
生島ヒロシはこのことに関して、BSフジの情報番組「生島ヒロシのココカラ元気!」の記者会見に出席し、その中で、東日本大震災で妹夫婦が行方不明になっていたのが、2011年9月21日になってやっとDNA鑑定によって、遺体が妹だと確認されたことを報告したんです。

神様はひどいことをすると感じたとしながらも、なんとか妹の遺体が見つかったことにほっとすると安堵の表情を見せたものの、妹の夫は現在も行方不明のまま遺体は見つかっていないそうです。妹の遺体も2011年5月8日に家から2、3キロ離れた海上で見つかったものの、身元が正式に確認できなかったそうです。

見つかった当初、すぐに火葬しており、改めてアメリカから導入された制度の高いDNA鑑定を行って、妹であることが正式に確認されるという、長い期間を経てのことだったわけです。
妹夫婦を亡くした生島ヒロシの現在
生島ヒロシは東日本大震災が起こる前の、2004年10月23日に、新潟市で起きた講演から帰京するために新幹線に乗っていたそうです。そのときに、新潟県中越地震の直撃を受けて、新幹線の中で6時間も閉じ込められてしまったそうです。
生島ヒロシは母親の遺骨と位牌も失っている
その経験から、生島ヒロシは防災士の資格を取得しており、東日本大震災の際も、ラジオ終わりで宮城県仙台市の仙台国際ホテル4階で講演会を行っている最中で被災しているそうです。

このときも、仙台市から約15時間かけて東京都に帰京しており、非常に生島ヒロシは震災の被害に合っているといえるんです。

また、さきほど紹介したように妹夫妻は亡くなっており、この妹夫妻は本来は2月に85歳で亡くなった母の納骨式を行う直前だったそうです。結果手近位妹夫妻は被害に合い、母親の遺骨と位牌も無くなってしまっているんです。

生島ヒロシは2018年2月に緑内障の手術を行った以外は健康的で、その芸能界最強の名にふさわしく健康的な生活を行っているそうです。また、ファイナンシャルプランナーを始め、多くの資格を取得しており、みなと気仙沼大使などとしても活動しているそうです。
生島ヒロシは息子のハリウッドデビューを大喜び
そのようなつらい経験をしている生島ヒロシですが、次男である生島翔が2018年5月1日にNetflixで世界190ヶ国に配信される映画「DARC」で準主役の立場でハリウッドデビューを果たしているんです。
生島翔はその経歴からも海外での経験も抱負で、作品の中では、日本人の若い暴力団員を演じているそうです。実は、撮影から3年もお蔵入りになっていた作品で、やっとその作品が配信という形で公開されたというものだったんです。

DARCはアクション俳優のトニーシエナという人物が主演で、米国のサンフランシスコが舞台になっています。そんな、息子のハリウッドデビューを生島ヒロシもとても喜んでいるようですね。

生島翔は、日本を拠点にしながらも、アジアを含めて海外のオーディションにも挑戦しているようで、今後も大きな仕事に携わる可能性は十分にあるそうです。また、英語はペラペラで、現在は中国語の勉強も始めているだけに、今後は国際的な俳優になる可能性はありそうですね。

つらい経験をしている生島ヒロシですが、息子たちがそれぞれ俳優としてドラマなどの作品に出演し活動していることは、心の支えになっているかもしれませんね。生島ヒロシも67歳で現役バリバリなだけに、家族そろって今後の活躍が楽しみですよね。
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