岸惠子の現在や若い頃は!旦那と離婚も娘は美人で孫は超イケメン?
女優・岸惠子さんの紹介をいたします。現在フランス・パリに住んでいると言われている岸惠子さんですが、若い頃の岸惠子さんはどんな方で、どんな作品に出られたか画像を交え紹介いたします。どうして岸惠子さんはフランスへ行ってしまわれたのでしょう?そのきっかけはなんだったのでしょうか?岸惠子さんの旦那様はいったい誰なのでしょう?現在の岸惠子さんには現在娘さんとお孫さんがいます。娘さんやお孫さんについても説明させていただきます。
目次
- 大女優・岸惠子さんのプロフィール
- 岸惠子さんのデビューのきっかけ
- 社会現象となった映画「君の名は」でヒロインに抜擢
- 岸惠子さんが若い頃に演じた映画「君の名は」はどんな映画?
- 若い頃の岸惠子さんが発起人で芸能プロダクションを結成
- フランスへ行くきっかけは何だった?
- 岸惠子さん旦那のイヴ・シャンピさんとの馴れ初め
- 旦那のイヴ・シャンピさんとの生活は?
- 娘の誕生誕生は岸惠子さんに生きる喜びと幸せ
- 旦那のイヴ・シャンピさんとの離婚
- 岸惠子の娘のデルフィーヌさんは何をしている?
- 現在の岸惠子さんは娘と孫達と一緒に生活
- 小説家としても活躍している現在の岸惠子さん
- 現在の岸惠子さんはパリを拠点に活動中
- まとめ:岸惠子さんは年齢を感じさせない大女優
大女優・岸惠子さんのプロフィール
岸惠子さんはどんな人なのでしょう

大女優・岸惠子さんを紹介します。現在の岸惠子さんはどうしているのでしょう?若い頃の岸惠子さんはどんな活躍をされたのでしょうか?どうして岸惠子さんはフランスへ行ってしまわれたのでしょうか?旦那はどんな人なのでしょう。岸惠子さんは、どのような作品に出られたのでしょうか?画像を交えて紹介いたします。また、岸惠子さんには娘さんが一人います。娘さんの紹介もいたします...まず画プロフィールから
岸惠子さんプロフィール

名前:岸恵子 (芸名・本名とも)
出身地:神奈川県横浜市
生年月日:1932年8月11日
年齢:85歳
身長:161cm
体重:47k9
学歴:神奈川県立横浜平沼高等学校卒業
現職:女優、文筆家
岸惠子さんのデビューのきっかけ
岸惠子さんは日活大船撮影所でスカウトされた高校生

岸惠子さんは高校の時は作家志望で特に川端康成さんの小説が好きでした。高校生の時に観た映画「美女と野獣」がとても面白く映画というものに興味を持ち、日活の大船撮影所に映画の撮影現場の見学に行きスカウトされました。スカウト話しを断った岸惠子さんでしたが切望され高校卒業してからの条件でデビューしたのが上の画像の映画「我が家は楽し」で 笠智衆さんや山田五十鈴さん、高峰秀子さんらと共演しました。
岸惠子さんは鶴田浩二さんとも共演した

岸惠子さんが松竹に入社したころは、鶴田浩二さんが松竹を離れ独立し事務所を構えた頃でした。鶴田浩二さんは新東宝と映画を撮ることが決まり「弥太郎笠」のヒロイン役に岸惠子さん出演を依頼しましたが、松竹は難色をしめしました。しかし、このことで岸惠子さんが辞表を出したため松竹は、鶴田浩二さんの映画に出演することを認めました。続いて「ハワイの夜」でも鶴田浩二さんと共演し映画はヒットしました。
若い頃みんなに好かれた岸惠子さん

若い頃の岸惠子さんは、上の画像でも分かるようにとっても綺麗な娘さんでした。当時鶴田浩二さんの制作する映画に出演していた若い頃は、二十歳の娘さんでしたが、岸惠子さんは鶴田浩二さんを好きになり二人の恋愛関係がマスコミに報道されていましたが、松竹映画が二人の関係を引き離しました。それにしても、若い頃の岸惠子さんはとても綺麗です。現在でも通用する顔だちをなされています。
社会現象となった映画「君の名は」でヒロインに抜擢
流行した「真知子巻き」の真相は?!
鶴田浩二さんの映画から離れた岸惠子さんは、松竹映画「君の名は」に主演として出演します。上の画像は「君の名は」の1シーンです。画像のストールの巻き方は、主人公の名をとって「真知子巻き」と呼ばれ世の若い娘さんからお年寄りまで流行したスタイルでした。この巻き方を岸惠子さんがしたのは、北海道ロケに行った時、寒くて耳や頭をくるんだのが始まり、それを見ていたスタッフがその後の映画でも採用しました。
銭湯の女湯がガラ空きとなったラジオ「君の名は」
映画で「君の名は」が公開される前、「君の名は」はNHKラジオの連続放送劇でした。1952年(昭和27年)4月~1954年4月まで、木曜日の8時半から9時まで放送された番組です。当時の日本の一般家庭にはお風呂がなく、多くの庶民は銭湯に行って身体を洗っていました。しかし、毎週木曜日の7時頃から女湯が空っぽになるほど「君の名は」の人気が女性にありました。ラジオでの真知子役は阿里道子さんが演じました。
岸惠子さんが若い頃に演じた映画「君の名は」はどんな映画?
空前のヒット作「君の名は」歴史に残る配給売上

映画「君の名は」は、戦争中後の男と女の恋愛映画です。3部作から構成され3部作を一気に観ると6時間ほど時間を費やす大作となっています。一部作では2.5億円、二部作では3.2億円、三部作では3.3億円で合計9億円の配給収入があった映画で当時としては信じられない収入を上げたヒット作品です。画像は、若い頃の娘・岸惠子さんと佐田啓二さんです。
戦後の娯楽映画「君の名は」は女性の心を掴んだ名作

第二次世界大戦中の東京空襲の日、見知らぬ男女・氏家真知子(岸惠子さん)と後宮春樹(佐田啓二さん)は助け合って戦火の中を逃げ惑います。助かった二人は銀座の数寄屋橋までたどり着き、半年後の数寄屋橋での再会を誓いますが、日本が戦争に負け戦後の混乱が始まり二人が再会したのは1年半後でした。しかも、真知子は明日結婚する運命...画像は「君の名は」の若い頃の岸惠子さん。
その後もリメイクされた「君の名は」
映画「君の名は」は、日本テレビ系とテレ朝系でドラマとして放送され、1991年にはNHKが朝ドラとして「おしん」以来の1年間ドラマとして放送しました。真知子役には鈴木京香さんを使い、最高視聴率34.6%、平均視聴率29.1%を出したドラマです。また、演劇でも演じられた「君の名は」ですが、現在マンガ映画でヒットした「君の名は」とはまったく違うストーリーです。
若い頃の岸惠子さんが発起人で芸能プロダクションを結成
岸惠子さんも発起人になった「芸能プロダクションにんじんくらぶ」

松竹の大看板女優になった岸惠子さんは、映画会社5社が協定し映画俳優達が制限を受けないように会社を立ち上げました。発起人には有馬稲子さん、久我美子さん、岸惠子さんです。「文芸プロダクションにんじんくらぶ」と命名しました。上の画像は「にんじんクラブ」設立当初の頃の画像です。左から有馬稲子さん、久我美子さん、山田五十鈴さんの画像です。若い頃の娘・有馬さん、久我さんは綺麗ですね。
俳優さん達の保護を目的とした「にんじんくらぶ」
「文芸プロダクションにんじんくらぶ」には、映画会社の五社の幹部や、石坂洋次郎さん、井上靖さん、川端康成さん、谷崎潤一郎さん、武者小路実篤さんといった有名作家が顧問となり、映画会社と対決する組織ではなく対等に扱ってもらえる組織として結成されました。岸惠子さんがフランスへ行った後も、杉浦直樹さんや岡田眞澄さん、菅井きんさん、三田佳子さん、津川雅彦さんなどが加入されています。
若くてもはっきり物言う性格・岸惠子さん
20歳代前半の娘・岸惠子さんは若い頃から積極的な娘さんでした。一人っ子として両親に育てられた岸惠子さんは、若い頃から自分が決めたことは、両親が説得しても折れない性格の娘さんでした。また、決めたことに責任をとる娘さんでもありました。「にんじんくらぶ」の結成には、若い頃の岸惠子さんなりの信念がありました。上の画像は若い頃の岸惠子さん。
フランスへ行くきっかけは何だった?
岸惠子さんのフランス行きのきっかけは日仏合作映画

岸惠子さんがフランスに行くきっかけを作った映画があります。タイトルは「忘れえぬ慕情」で、日本・フランスの人気俳優達による映画です。長崎の町を背景に展開される悲恋物語で日仏合作作品です。当時としては珍しいカラーによる作品でした。上の画像は来日した際撮られたスナップ画像で、左から岸恵子さん、一人飛んでイヴ・シャンピ監督、一人飛んでジャン・マレーさん、長門貞美さん、ダニエル・ダリューさんです。
日仏合作映画は長崎を舞台とする映画
「忘れえぬ慕情」は、長崎にある造船所にフランスから来た技師(ジャン・マレーさん)は、呉服屋の娘・乃里子(岸惠子さん)を好きになり始め日本に興味を持ち始めます。そこへ、技師の昔の恋人が日本に現れ二人は寄りを戻してします。娘・乃里子は技師の事を忘れ仕事に専念する傍ら妹を結婚させます。結婚式の次の日、長崎は大きな台風に見舞われ娘・乃里子の家は崩壊し娘・乃里子は...というストーリーの映画です。
岸惠子さん旦那のイヴ・シャンピさんとの馴れ初め
思い立ったら実行に移す岸惠子さんお決断は早かった

「忘れえぬ慕情」は岸惠子さんにフランス文化に興味を持たせると共に、映画を撮った映画監督イヴ・シャンピさんにも興味を持ち暫くするとフランスに飛び立ってしまいました。当時の日本は敗戦の名残があり海外への渡航は制限されおり、現在のようにパスポートがあれば往き来できるのもでないため、岸惠子さんは二度と日本へは帰らない覚悟でフランスへ行きました。上の画像はフランスで生活始めた頃の岸惠子さん。
結婚した岸惠子さんと旦那:イヴ・シャンピさん

上の画像は、岸惠子さんと旦那になったイヴ・シャンピさんの結婚式での車中での貴重な画像です。日本にいた頃の周りの岸惠子さんへの扱い方は、岸惠子にとって息が詰まるような扱い方をされていました。旦那になる前のイヴ・シャンピさんは岸惠子さんを普通の女性として扱ってくれたそうです。このとき岸惠子さんは「心に、春風が吹いてきたよう...」と自分の気持ちを表現しました。
旦那のイヴ・シャンピさんとの生活は?
貴族の生活に驚いた岸惠子さん

岸惠子さんと旦那のイヴ・シャンピさんとの結婚は1956年の事です。映画「君の名は」から2年しか経っていない岸惠子さん24歳の若さです。結婚当初の岸惠子さんと旦那イヴ・シャンピさんとの生活は、岸惠子さんが映画に出演することを好まず、フランス・パリの文化人に岸惠子さんを会わせてくれました。文化人に会うことは岸惠子さんにとって素敵なことでしたが、別の意味で「籠の中の鳥」のような気分になりました。
妻:岸惠子さんを大切にした旦那:イヴ・シャンピさん

旦那:イヴ・シャンピさんは映画監督してだけはなく、フランス貴族の出身の人です。フランス貴族の生活は日本の一流のお金持ちのイメージとは程遠く、スケールがでかく岸惠子さんはフランス貴族の生活になじめず一時は不眠症に陥りました。旦那:イヴ・シャンピさんの母親は有名なバイオリニストだったため、母から「女性は手を大事にしなければならない」と言い聞かされ岸惠子さんに家事をさせませんでした。
娘の誕生誕生は岸惠子さんに生きる喜びと幸せ

岸惠子さんと旦那のイヴ・シャンピさんとの間に、1963年娘さんが生まれています。名前をデルフィーヌ=麻衣子・シヤンピさんといいます。岸惠子さんの娘・デルフィーヌさんはフランス・パリで岸惠子さんと旦那:イヴ・シャンピさんとで大事に育てられました。上の画像は、岸惠子さんと旦那のイヴ・シャンピさんと中央にいるのが娘のデルフィーヌさんです。
旦那のイヴ・シャンピさんとの離婚
「空飛ぶマダム」岸惠子さん

暫く家に閉じこもっていた岸惠子さんですが、女優の気持ちが再度芽生え始めフランス国内より日本からの出演オファーが多くありました。そのため、岸惠子さんは日本とフランスの間を飛びかう女性として有名になり「空飛ぶマダム」の愛称で呼ばれるようになりました。同時として海外に住んでいながら日本来て仕事をする人はほとんどいませんでしたので話題になりました。
岸惠子さんは忙しすぎだった?!

岸惠子さんと旦那:イヴ・シャンピさんとは18年間の結婚生活を二人で共有しましたが、1975年に離婚をしました。離婚の原因は、旦那:イヴ・シャンピさんは映画を制作する意欲がなくなったこと、岸惠子さんは結婚後も日本での女優としての仕事があり、離れ離れになり事が多くなり夫婦と仕手の会話が減ってしまい、旦那:イヴ・シャンピさんは愛人を作ってしまったことです。
岸惠子の娘のデルフィーヌさんは何をしている?
娘・デルフィーヌさんはギターリスト

現在の岸惠子さんの娘・デルフィーヌさんの画像です。名門ソルボンヌ大学を卒業したのち、音楽家の道にすすみ丸剤はミュージシャンでギターリストです。現在の娘・デルフィーヌさんは岸惠子さんといっしょにパリ近郊で住んでおり、娘・デルフィーヌさんの息子達ロスコーくんとジャクソンくん、岸惠子さんいとっては孫達と一緒に住んでいます。
娘・デルフィーヌさんは現在旦那と別居中

上の画像は岸惠子さんの孫のロスコーくんとジャクソンくんの画像です。真ん中にいるのはロスコーくんとジャクソンくんの父親で、オーストラリア出身の作曲家です。娘のデルフィーヌさんは音楽を通じて旦那と知り合いロスコーくんとジャクソンくんを産みました。娘のデルフィーヌさんと旦那さんは現在別居中です。
現在の岸惠子さんは娘と孫達と一緒に生活
将来が楽しみなイケメンな孫のロスコーくんとジャクソンくん

現在の岸惠子さんはフランス・パリを拠点に生活されています。娘・デルフィーヌさんと孫のロスコーくんとジャクソンくんと一緒に生活をしています。孫のロスコーくんとジャクソンくんはまだまだ成長ざかりですが、かなりのイケメンですね。将来が楽しみです。
岸惠子さんが住んでいるところはパリの高級住宅街

現在の岸惠子さんと娘・デルフィーヌさんと二人の孫は、パリ郊外のサン=ルイ島に住んでいます。サン=ルイ島はシテ島と並んで「パリ発祥の地」と呼ばれています。サン=ルイ島は、パリの中心部に位置するセーヌ川の中州にある島のことで、中州の周りにはパリの多くの観光名所があり、古くから大貴族や著名人が邸宅を構える最高級住宅地として知られ、岸惠子さん家族もそのサン=ルイ島に現在住んでいます。
小説家としても活躍している現在の岸惠子さん
岸惠子さんが書いた小説「わりなき恋」はベストセラー

上の画像の本は2013年に岸惠子さんが出版された「わりなき恋」です。小説「わりなき恋」のストーリーは日本とパリを行き来する、70歳を前にした女性ドキュメンタリー作家と、12歳年下の大企業重役との5年間の不倫愛を描いたものでした。この小説は一時期、岸惠子さん本人の体験談ではないかと話題になりました。また、中高年に対して年はとっても恋ができることの大切さを教えてくれた小説でもあります。
岸惠子さんは今も現役の小説家

上の画像は、若い頃の岸惠子さんと川端康成さんの画像です。小説家志望であり、特に川端康成さんの小説が好きだった岸惠子さんいとって記念の一枚となりました。岸惠子さんは1983年にパリでの生活をエッセイにされた「巴里の空はあかね雲」から「わりなき恋」まで合計8冊の本をお書きになられています。作家の夢を現在でも追い続けている岸惠子さんです。
現在の岸惠子さんはパリを拠点に活動中
岸惠子さん両親との和解
パリが大好きな岸惠子さん。パリに行く時両親の反対を押し切ってパリに来たそうです。お母様が亡くなる前日本に帰っています。日本へ来るなり母親から「どうせ、おまえはすぐフランスへ帰るのだろう」といわれてしまった岸惠子さん、お母様の余命もすくなくお母様がお亡くなりになるまで日本に住み、看病する内にお母様との過去の「わだかまり」も溶け、親子の関係は普通の母子に戻りました。
パリを拠点として活動している岸惠子さん

現在の自宅でくつろいでいる岸惠子さんの画像です。画面から観ただけでも高級そうな家具が並べられ装飾品を見ることができる岸惠子さんの居間の様子です。窓から見える樹木は岸惠子さんの庭の一部です。パリという街中に閑静な住宅の雰囲気が伝わってくる一枚です。
まとめ:岸惠子さんは年齢を感じさせない大女優
作家を目指した少女が、今や大女優となりフランス・パリに住み着いた女優・岸惠子さんの紹介をさせていただきました。85歳という年齢を感じさせない岸惠子さんは、日本が誇る女優の一人といっても過言ではない方です。今でも時々来日する岸惠子さんです。これからも私たちの前に出てこられ映画やテレビで活躍してもらいたいとファンも望んでいることでしょう。
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