平野綾の水着事件の画像は?水着を逆に着ける「AYASTYLE」とは?
新時代の声優ブームのきっかけとなった声優の平野綾。現在は、声優よりもミュージカルの場面での活躍も注目されています。しかし、そんな平野綾には水着関係で痛い事件があったんです。かつて平野綾が「AYA STYLE」という不名誉な水着画像が誕生した真相を紹介します。
目次
平野綾の「AYA STYLE」とはどんな事件だったのか
新時代の声優ブームのきっかけとなった声優の平野綾。ライトノベルで大人気になり、アニメ化され大ヒットした「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズのヒロイン、涼宮ハルヒを演じたことで平野綾は有名です。

その人気は一声優に収まりきらず、半ばアイドルのような人気を誇ったわけですが、そんなアイドルのような活動が続いたことが、平野綾を一つの事件に巻き込んでしまったんです。

それが、平野綾の水着が逆だと指摘されたことから始まった「AYA STYLE事件」なんです。

笑っちゃダメなんだけど、笑ってしまう、平野綾のAYA STYLEという事件について紹介します。また、その水着が逆だと指摘された画像はどのようなものだったのでしょうか。
「AYA STYLE事件」に至るまでの平野綾
平野綾は1987年10月8日生まれの30歳です。声優として活動していますが、歌手やアイドル、またタレントやナレーター、またミュージカルなど、様々な分野で活動しています。

平野綾は愛知県名古屋市出身で、声優としては「涼宮ハルヒの憂鬱」の涼宮ハルヒ、「DEATH NOTE」の弥海砂、「NANA」の芹澤レイラ、「らき☆すた」の泉こなたなどのキャラクターの声を担当しています。

もともと、平野綾は声優ではなく、1998年に東京児童劇団のスペースクラフトのジュニア事業部門に入団し、テレビコマーシャルなどで子役として活動を始めたのがスタートだったそうです。
平野綾の父親は癌で亡くなっている
平野綾は家族の情報については不明確な部分が多いのですが、父親と母親、そして平野綾が13歳ごろに弟が誕生しているという噂もあったようですが、実際は一人っ子という情報のほうが正しいようです。
残念ながら、平野綾の父親は2014年7月11日に亡くなっているそうです。死因などは明かされていないようですね。平野綾の父親は映像関連の製作会社に勤務しており、作品の買い付けなど海外での仕事が多かったそうです。
平野綾が2歳のときに一家で1年間アメリカのニューヨークに滞在したこともあるそうです。亡くなった原因は噂では末期がんだったそうで、1年半の闘病生活を経て、56歳という若さで亡くなってしまったそうです。
平野綾は、幼い頃から父親の背中を見て育ったという気持ちがあるようで、父親のようになりたいと憧れの存在でもあったようです。亡くなる直前まで、医師に仕事が復帰出来る時期を相談していたようで、志半ばで亡くなってしまったようですね。
平野綾の水着事件まで順調な声優活動だった
平野綾は、2001年にTVアニメ「おとぎストーリー 天使のしっぽ」のサルのモモ役で声優デビューを果たしたそうです。このとき平野綾は13歳だったそうで、年齢的に考えると平野綾は子役としても声優としても、かなり芸歴が長いといえますよね。

2002年にテレビアニメ「キディ・グレイド」のリュミエール役で初めての主要キャラクターを演じています。また、テレビ番組「SDM発!」のオーデションに選ばれて、伊藤彩華と吉田有希とともに、音楽ユニットも結成していたそうです。

2003年には、この音楽ユニットが「ユニット名未定」のまま、東芝EMIから歌手デビューしています。そして、2作目からはユニット名を「Springs」に改名しています。

実はこのユニット名は、テレビ番組「深夜戦隊ガリンペロ」内でユニット名を募集していたのですが、2003年2月15日の深夜の放送で、お笑いコンビのさまぁ~ずが、独断でユニット名を命名したというエピソードがあるんです。
結果的にはシングルを4枚とアルバムを1枚リリースされています。また、平野綾は後にテレビアニメの「らき☆すた」の中で、このSpringsの曲を歌うなど、大事にしていたユニットのようですね。
平野綾といえば「涼宮ハルヒの憂鬱」の涼宮ハルヒ
2005年に週刊少年ジャンプの人気漫画のアニメ「アイシールド21」で姉崎まもり役で初めてのメインヒロインを演じています。また、OVA「いつだってMyサンタ!」のマイ役でアニメ初主演を果たしています。

2006年3月8日に「Breakthrough」でLantisで単独での歌手デビューをしています。実はここまでは、まだ高校生だったのですが、平野綾は高校生卒業を機に本格的な活動を開始することになります。
平野綾は玉川学園高校に通っていて、玉川大学芸術学部メディア・アーツ学科に入学していますが、大学は1週間ほどしか通えず、半年間の休学後に中退しているそうです。
水着活動のきっかけにもなった
その理由とも言えるのが、2006年4月から放送されたテレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」であり、そのヒロインである涼宮ハルヒを平野綾が演じています。

ごく平凡な男子高校生キョンが出会った女子高生涼宮ハルヒ。そんな彼女が立ち上げた「世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」こと「SOS団」の活動を描いた日常系SFアニメです。

原作はライトノベルで、涼宮ハルヒの強烈なツンデレぶりや、キョンのやれやれ系と言われるキャラクターなど、非常にキャラクターの個性が強かったこと、また演じた声優たちも個性が強かったことで、大きなブームになりました。
また、作中で涼宮ハルヒのわがままから始まった、文化祭でのバンド演奏シーンは、その作画の高さ、また楽曲のかっこよさから、ギターキッズを生み出すほどのものだったんです。
平野綾はCDや水着グラビア画像などにつながる
涼宮ハルヒの主題歌でもあったセカンドシングル「冒険でしょでしょ?」はオリコン週間シングルチャートで初登場10位を記録し、共演者の茅原実里と後藤邑子とともに歌ったエンディング曲「ハレ晴レユカイ」も5位を記録しています。

アニメというある意味でオタクな世界でありながら、これらの楽曲で「HEY!HEY!MUSIC CHAMP」など音楽番組にも多く出演しているんです。

そういぅった功績をたたえて、2007年に第1回声優アワードにて、新人女優賞、東京国際アニメフェア第6回東京アニメアワードにて声優性を受賞しています。
アイドル的人気を誇った平野綾
2008年に平野綾は第2回声優アワードで主演女優賞と歌唱賞を同時に受賞し、5月1日には公式ファンクラブ「平野塾」を発足させています。

7月16日にはファーストアルバム「RIOT GIRL」を発売し、8月8日には金曜ロードショー「ザスーラ」で洋画吹き替えに初挑戦しています。また、ライブツアーなども行っており、まさにアイドル的人気状態になっていました。

その後も2009年版の涼宮ハルヒのオープニング主題歌として「「Super Driver」がオリコン週間シングルチャートで初登場3位になっています。またアルバム「スピード☆スター」や、ライブツアーも行われています。

平野綾の一つの区切りとなるのは、2011年に販売されたベストアルバム「AYA MUSEUM」で、この作品をもってLantisでの音楽活動を終了し、平野綾は新しいステージで活動していくことになります。
平野綾を襲った水着逆画像事件と「AYA STYLE」
このように順調に活動していた平野綾ですが、平野綾にとっては今でも忘れたくて仕方がない水着逆画像というものがあるんです。
普通、水着を着るときは本人はもちろん、スタイリストなどがその正しい水着の着方をチェックします。また、それだけでなく、撮影された水着画像は正式に表に出る前に、何重もチェックされます。
つまり、水着画像は見えてはいけないものが見えたりしていないか何度もチェックされて、場合によっては修正されて処理されたり、そもそもその水着画像自体がお蔵入りすることがあるんです。

しかし、なんと平野綾の水着画像は、誰もがその水着を逆に着けていることを気づかずにいくつものパターンで表に出てしまったんです。
水着の新しい着方「AYA STYLE」の誕生
画像を見るとわかるように、平野綾はブルーの水着を逆につけたまま撮影され、その画像はフライデーやプレイボーイ、また2009年のカレンダーなど、様々な場面でそのまま水着逆画像が使用されてしまったんです。

ネットでは当初から、この水着の着方を「逆じゃない?」と指摘されており、平野綾ファンが平野綾を擁護するためなのか「これは新しい水着の着方「AYA STYLE」だ」という形で、新しい言葉まで生まれてしまったんです。

しかし、平野綾は長らくこのAYA STYLEに関して言及することはなかったのですが、最終的にAYA STYLEの画像が出回った年の最後に行われた「アニメロミックス」で「今年の重大事件」の中でAYA STYLEに触れたそうです。

平野綾によれば、水着が逆になっているのは自分のせいではなく、スタイリストに渡されたときに、そのように着るように指示されたそうです。本人も周りもおかしいと感じた部分はあったそうですが、スタイリストの説明が間違うわけはないと思っていたようですね。
そして、平野綾はそんな水着逆画像は誰も最後まで気づかなかったこと、そして、このことは今日で忘れて新しく信念を迎えて欲しいなど、水着逆画像事件は、まさに平野綾にとって忘れたい事件となってしまったんです。
水着逆事件で平野綾は低迷?
平野綾はこのAYA STYLEと呼ばれる水着逆画像事件によって、大きくネタキャラ化されてしまい、アイドル的人気からは少し低迷気味になってしまった部分があるようです。

また、2008年ごろから行っていた歌手活動でライブサポートをしてくれていたバンドマンたちと肉体関係があるという噂が流れたり、過去の彼氏とのベッド画像と思わしきものが流出するなど、かなり大きなダメージを負ってしまうことになるんです。
しかも、そのバンドマンとの肉体関係も、なぜかベースだけと寝ていないということになり、ベースの人が可愛そうとまたもやネタ化されるなど、どんどんそのイメージが変な方向に向かってしまったんです。

何より、肉体関係が事実かは置いておくとしても、バンドメンバーは3人まとめてLantisから解雇されているようで、平野綾も2011年にはLantisでの音楽活動を終了しているんです。

この前後から平野綾は一般的なバラエティ番組などにも出演しており、「グータンヌーボ」では自身の恋愛観を語るなど、かなり露出が増えており、かつての声優ファンをバカにしたような発言を行うなど、その方向転換が見え隠れするようになったんです。
水着逆画像事件の影響でミュージカルに移行
平野綾はLantisでの音楽活動を終了すると2011年7月からミュージカル「嵐が丘」にヒロイン役で舞台作品に初出演しています。

そして、8月21日には所属事務所をスペースクラフト・エンタテインメントからGrickに移籍しています。合わせてファンクラブも新しいものに変更され、公式ブログなどもリニューアルされています。

その後は日本テレビのドラマ「ミューズの鏡」や「こんなのアイドルじゃナイン!?」にレギュラー出演し、舞台「戯伝写楽-その男、十兵衛-」に出演するなど、テレビの活動や舞台での活動がメインになります。
とりわけ、舞台での活動は声優時代の平野綾ファンたちも認めざるを得ない演技力で、かなりミュージカルでは高い評価を受けたんです。
平野綾自身は現在の活動に手応えあり
2013年にはミュージカルで非常に有名な「レ・ミゼラブル」にも出演しており、一般のドラマやライブ活動も行うなど、かつての声優としての仕事からはスイッチして、ミュージカル女優として現在は活動しているようです。

アニメ声優としては「それいけアンパンマン」のコキンちゃんがレギュラー的なものとして存在していますが、ほとんどアニメで声優を担当することは無くなってしまいました。

しかし、ミュージカルでは、毎年のように大きなミュージカルに出演し、ヒロインを演じることも多いんです。2018年も「モーツァルト!」でコンスタンツェ役、「レベッカ「でわたし役で主演を務めており、その活動は安定しているといえます。
平野綾からすれば、あの水着事件も、もはや過去のものとなっているわけですね。とはいえ、いまだにその水着逆画像がネットで度々話題に挙がるなど、たった一枚の水着画像が大きな黒歴史になってしまったといえますね。

また、水着事件だけでなく、自分のことを良く言ってくれるだけのファンを「ライフライナー」と呼ぶなど、なにかとその言動では炎上しやすい声優時代だったといえます。
ミュージカルの活動がうまくいっていることから、もともとミュージカルがやりたくて子役になったというコメントもあるようで、かつての声優時代のファンはなかったことにされているのは、ちょっと寂しい部分もあるかもしれませんね。
平野綾が残した水着逆画像から生まれたAYA STYLEという言葉は、今でもファンの中では忘れられない言葉だといます。願わくば、平野綾のように水着を逆に着てネタにされてしまう人が、今後は出ないことを願いたいですよね。
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