YOSHIKI(XJAPAN)の生い立ち!父親の自殺や壮絶な過去

様々なエピソードを持つXJAPANのYOSHIKI。そんなYOSHIKIは実はその生い立ちからして、壮絶な運命だったようです。そんなYOSHIKIの壮絶な生い立ちについて紹介します。YOSHIKIの父親や兄弟など、生い立ちからわかる過去についてまとめてみました

目次

  1. X JAPANのYOSHIKIの生い立ちが壮絶だった
  2. YOSHIKIの生い立ちは複雑な父親や兄弟が関係している
  3. YOSHIKIの生い立ちは父親の自殺から大きく変化する
  4. YOSHIKIの「XJAPAN」結成
  5. 生い立ちだけでなくYOSHIKIはバンドでも苦悩する
  6. YOSHIKIは生い立ちにも持病にも負けず戦っている

X JAPANのYOSHIKIの生い立ちが壮絶だった

YOSHIKIといえばヴィジュアル系バンドのXJAPANのドラマーとして様々なエピソードの持ち主として有名です。

昔はBOOWYの布袋寅泰が泊まっているホテルに殴り込もうとしたことがあるなど、いわゆる武勇伝も多い人物です。

しかし、そんなYOSHIKIは生い立ちからして壮絶な過去の持ち主だったんです。YOSHIKIの生い立ちや、父親や兄弟など、その過去についてまとめました。

YOSHIKIの生い立ちは複雑な父親や兄弟が関係している

YOSHIKIは1965年11月20日生まれの52歳です。YOSHIKIの本名は林佳樹というそうです。千葉県館山市出身で、ドラマーや作曲家など、様々な肩書の持ち主です。

YOSHIKIは千葉県館山市で老舗呉服店を営む家庭の2人兄弟の長男として誕生しています。YOSHIKIもそのピアノの演奏で有名ですが、父親もジャズピアノ、母親も三味線、叔母も琴の演奏を嗜むという音楽に関係する家族だったんです。

また、父親は先代から家業を継ぐまでは、プロのタップダンサーとして活動していたそうです。そんな生い立ちから始まるYOSHIKIですが、現在は兄弟の弟である、林光樹がマネージメントを担当しているそうです。

YOSHIKIの生い立ちは兄弟の父親代わりからスタートする

YOSHIKIは、仕事の忙しい父親や母親の代わりに、兄弟の父親代わりのような存在だったそうです。正確には家には家政婦が居たそうで、家政婦が面倒を見てくれていたようですね。

そして、4歳のときには、父親からピアノを与えられて、自宅そばのピアノ教室でクラシック・ピアノのレッスンを受け始めたそうです。

父親が日頃から購入していたクラシック音楽のレコードを好んで聞いていたYOSHIKIは、8歳のときにはシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」と、ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたレコードを、自分の小遣いで初めて買ったそうです。

YOSHIKIの過去では病弱な幼少期もポイント

そんなYOSHIKIは、幼少期は病弱で重い小児喘息だったそうです。そのため、小学校の中学年ぐらいまでは頻繁に入退院を繰り返していたそうです。

父親は、YOSHIKIのお見舞いに訪れると同時に、偉人伝の本を買ってくれたそうで、病室でそれを熟読していたそうです。

同時にベートーヴェンなどの音楽家たちの過去は、非常に病気を含め苦難な生い立ちであったことを知ったそうです。YOSHIKIにとっては、そういった過去は自分とかぶる部分があったのかもしれませんね。

YOSHIKIは9歳の時点で作曲を開始

YOSHIKIの過去をたどっていくと、その音楽の才能に驚かされる部分が多いんです。YOSHIKIは9歳頃にピアノで作曲を始めており、10歳から14歳まで学校のブラスバンド部でトランペットを担当してたそうです。

そして、中学から高校からはブラスバンド部と並行してサッカー部に所属しており、司令塔にあたるミッドフィルダーを担当していたんです。

YOSHIKIの過去の中ではそういったマルチな才能が特徴であり、同時に音楽に関して非常に恵まれた環境であったことが興味深いポイントになってきます。

というのも、YOSHIKIは毎年の誕生日に楽器を買い与えてもらうのが恒例だったんです。YOSHIKIがトランペットを始めたのも、10歳の誕生日に父親に買ってもらったのがきっかけだったわけです。

YOSHIKIの生い立ちは父親の自殺から大きく変化する

しかし、そんなYOSHIKIの順風満帆に見えた過去は、父親の自殺で大きく変化することになります。このとき、父親の年齢は34歳だったそうです。

この父親の突然の自殺ですが、その原因は一切不明だったようです。車の中に排気ガスを入れて、一酸化炭素中毒というものが死因だったそうですが、事業も厳しい状態というわけではなかったようです。

何よりもYOSHIKIの過去で辛いのは、当時10歳だったYOSHIKIが夏休みで学校に楽器の練習から帰ってくると、父親が青白い顔をして横たわっていたことです。このことからYOSHIKIは半狂乱状態になり、親戚が押さえつけなければならないほど暴れだしてしまったそうです。

父親の自殺からYOSHIKIは自殺を考えたこともあるようですが、兄弟のことを考えて長男として、自殺するわけにはいかないと少しずつですが、立ち直ることができたそうです。

YOSHIKIの兄弟は?

YOSHIKIには5歳年下の兄弟がおり、林光樹という弟がいます。もともは「田辺エージェンシー」に所属して、1993年ごろまでテレビドラマなどに出演していた俳優なんです。

しかし、役者としてはあまり大成できず、田辺エージェンシーを初めて、現在はYOSHIKIの日本国内におけるマネージメントを手がけているそうですね。

そして、2003年には「おかあさんといっしょ」で体操のおねえさんをしていた松野ちかと結婚しているそうです。兄弟がマネージメントを担当してくれていることもあり、YOSHIKIには信頼出来る相棒という存在なのかもしれませんね。

父親の自殺から目を背けるように音楽に没頭

その後、YOSHIKIはクラシック音楽ばかり聞いていたところ、偶然行きつけのレコード店で見たジャケットをきっかけに、KISSのシングル「ラヴ・ガン」を購入してもらい、母親に頼み込んでKISSの「ロックンロール・オーバー・ツアー」に連れて行ってもらったそうです。

この武道館公演をきっかけにロックに魅了されて、11歳でYOSHIKIはドラムを始めたそうです。また、12歳のときにギターも始めたそうですが、細かい作業が自分には合わないと思ったようで辞めてしまったそうです。

11歳のときに初めての4人組バンド「DYNAMITE」を結成し、ドラムとボーカルを担当していたそうです。声変わりが遅かったYOSHIKIは、高音しか出せず、中学校に入ると新たに同級生をボーカルに迎えてドラムに専念することになりました。

その後バンド名を「NOISE」と改、レッド・ツェッペリンやディープパープルなどの楽曲を演奏したそうです。この、YOSHIKIが初めて組んだバンドのメンバーには、小学校の同級生と幼馴染でギターが弾けたToshiが参加していたんです。

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YOSHIKIの「XJAPAN」結成

1982年に大学受験に専念するメンバーが出たことからNOISEを解散することになったYOSHIKIたち。この頃には、Toshiがボーカルに転向しており、他校の生徒によるツインリードギター編成になったことから、よりハードなロックを目指した「X」を結成することになります。

Xではオリジナル楽曲をスタートし、高校3年生のときには音楽大学を目指して本格的にピアノに打ち込んだYOSHIKI。その合間にも、様々な音楽コンテストに出場し、YOSHIKIもToshiもそれぞれ賞を複数受賞しています。

そういった個々の能力が認められたことから、バンドとしての可能性を感じて、YOSHIKIは音楽大学への推薦入学が決まっていたのを蹴って、東京でバンドを続けることを決意したんです。

高校を卒業し、Toshiと共に上京。Xの活動と並行してパンクバンドなどを結成して活動しながら、1986年にXのレコードをリリースするためにインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」を設立しています。

そして、1988年にXの初めてのアルバムとなる「Vanising Vison」がリリースされ、オリコンの週間チャートで最高19位を記録しているんです。インディーズとして、日本のメジャーチャートにランクインした初めてのアルバムとなったわけです。

XからXJAPANへ

1989年にはCBSソニーから2作目のアルバム「BLUE BLOOD」でメジャーデビューを果たし、オリコンで初登場6位を記録しています。同年9月には多くのバンドマンを驚かせた「紅」がシングルカットもされています。

Xは当時から非常に派手な見た目で強烈なインパクトがあり、音楽番組にも積極的に出演するバンドでした。そういった中で、YOSHIKIが同年11月23日にライブ中に倒れ、以降はYOSHIKIが抱える首や腕の爆弾がバンドにとって大きな問題となっていきます。

たびたび、YOSHIKIがか開ける頚椎椎間板ヘルニアの問題からレコーディングが伸びて問題にもなっていたようです。1991年には初の東京ドーム公演を行い絶頂期を迎えますが、次第に様々な問題からXの解散説が流れるようになります。

1992年1月31日にメンバーのTAIJIが脱退することになり、大きな波紋を呼びます。当初は音楽性やファッションの違いが理由となっていましたが、正確にはバンド内の収入格差への文句や、YOSHIKIのドラムプレイへのダメ出しなど、TAIJIとYOSHIKIの間の軋轢が問題だったようです。

TAIJIに代わり新しいベーシストのHEATHが加入し、世界進出を考えアメリカのタイム・ワーナーとの契約を行った上で、アメリカのロサンゼルスにすでに「X」というバンドが存在したことから、バンド名を「XJAPAN」と改名します。

YOSHIKIの辛い生い立ちを彷彿とさせるHIDEの自殺

その後も多くの波乱を抱えながらも、バンドとして活動していた中で、YOSHIKIはソロ活動との調節がつかないことや、Toshiの英語の発音の問題での海外進出の断念など、多くのトラブルに巻き込まれます。

また、レコード会社との関係も悪化し、YOSHIKIは愛車を制作費捻出のために売却したり、完成していないマスターテープを担保に銀行の融資も受けていたそうです。

そして、持病の椎間板ヘルニアが問題で、度々ツアーが中止されるなど、その活動はどんどん上手く行かなくなっていました。

1997年4月には音楽性などの問題からToshiのまさかの脱退が起き、XJAPAN自体の解散を発表することになります。ファンのための最後のライブなどを行って以降は、2000年に新たなボーカルを迎えて再結成に向けて動き出す流れもあったようです。

しかし、1998年5月2日にギターのHIDEがまさかの急逝という悲痛な出来事に見舞われます。この死は未だに自殺と事故死の両方の可能性があり、YOSHIKIとすれば過去の父親の自殺を思い起こすような、辛い出来事だったといえます。

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生い立ちだけでなくYOSHIKIはバンドでも苦悩する

HIDEの死だけでなく、幼馴染であるToshiが洗脳されているという疑惑の報道が起きたことや、YOSHIKI自身の活動も迷走を見せ始め、この頃のYOSHIKIは非常に不安定な時期だったといえます。

一時的に日本ではなく、海外での活動をメインとしていたYOSHIKIは、2002年にNHK「わたしはあきらめない」で、解散の原因となったToshiについて、Toshiの声を道具として扱っていた部分もあるとして、その葛藤を正直に語ったようです。

しかし、Toshiは普段からあまりテレビを見ないため、こういったYOSHIKIの声が届くことはなく、その後も再結成には時間がかかってしまったようです。

XJAPANの再結成

XJAPANのかつてのマネージメント事務所の社長がToshiに、メンバーが再結成を望んでいることを伝えると同時に、YOSHIKIとの共通の友人である小室哲哉からもアドバイスを貰い、2007年10月18日にXJAPANが再結成されることになります。

故人であるスタージには、HIDEのマイクスタンドやギターが設置されたMVが撮影されるなど、大きな話題になりました。

しかし、再結成は長期間になるものでないことを示唆するなど、トラブルが解消しきれていない関係性だったものの、その後、ギターにSUGIZOが参加するなどして、現在も活動は継続されています。

とはいえ、HEATHがトラブルで一時的に脱退状態、TAIJIの謎の死、そしてYOSHIKIの改善されない持病など、そのエピソードは尽きることがないといえます。

YOSHIKIは生い立ちにも持病にも負けず戦っている

YOSHIKIの壮絶な生い立ちや兄弟、また仲間たちの死など、様々なエピソードを紹介しました。

現在のYOSHIKIは頚椎椎間孔狭窄症による首の頚椎の人工椎間板の置換が行われており、激しいドラミングによって、体は非常に厳しい状況にあります。

そして、未だに不安定なXJAPANの関係性など、まだまだそのエピソードは追加されていきそうな状況です。特にToshiは洗脳は解けたものの、ギャラに関するトラブルを抱えているとも噂されており、弟分であるLUNA SEAのフェスにも、ギャラが原因でYOSHIKIだけしか参加しなかったと言われているんです。

また、最近のToshiは不思議なほどにバラエティ番組に出演しており、XJAPANのイメージとはかけ離れた活動を行っているんです。カッコ良さが重要なヴィジュアルバンドが、コミックバンドのような形になってしまってはYOSHIKIも許しがたい気持ちになりますよね。

世界的にも高く評価されているバンドだけに、YOSHIKIの苦悩はこれからも続きそうですね。音楽業界が不況な中で、かつてのような派手なライブもやりにくくなっているだけに、YOSHIKIがさらに体を張った活動を行わなければならない可能性も含まれています。

ドラムを破壊するような派手なパフォーマンスだけしか知らない人には以外だったかもなYOSHIKIのその生い立ち。XJAPANという伝説的なバンドは、ただ伝説になるだけでなく、これからも多くの伝説を作り出してくれそうですね。

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