中原理恵が芸能界を引退した理由と萩本欽一との関係は?現在は社長業?
中原理恵さんが芸能界を引退した理由とはなんだったのでしょうか?歌手中原理恵としてデビュー後さまざまな才能を開花し活躍をしていましたが、2000年頃に芸能界を引退されました。現在は社長業との噂もあるようですが、今現在は本当に社長なのでしょうかまたその理由とは?
歌手中原理恵デビュー
プロフィール
北海道函館市出身の中原理恵さん。本名は目加田 貴美恵(めかた きみえ)さん。身長は160㎝、血液型はO型。CBSソニーにスカウトされたそうです。かつては田辺エージェンシーに所属していました。1978年、CBSソニーから歌手デビューされました。

1stシングルの「東京ららばい」が大ヒットし、デビュー当時19歳だったのですが、大人っぽい曲調に合わせるためなのか、年齢を2歳上に偽っていたそうです。年末には、第20回日本レコード大賞新人賞など数々の新人賞を受賞して、第29回NHK紅白歌合戦にも「東京ららばい」で出場を果たしました。この曲は現在でもカラオケでよく歌われているそうです。
シングルコレクション

こちらの画像は2曲目のシングルで、アルバム「KILLING ME」からのシングル・カットになったジャケットです。作詞 松本隆、作曲 筒美京平による和・ディスコ歌謡「ディスコ・レディー」です。

この画像は1982年大瀧詠一作曲のシングルジャケットです。中原理恵さんのシングルは筒美京平をはじめ高橋幸宏、吉田拓郎、村下孝蔵、そして大瀧詠一と今をときめく方々が作曲を手掛けていました。

アーティスト・歌手で女優だった中原理恵さんのこの曲18枚目のシングル「千年接吻」は、自身の出演した寅さんの挿入歌として使われていました。この曲は売野雅勇さんの作詞でとても色っぽい歌詞になっています。少し影のある役どころだった映画にはぴったりはまっていました。

こちらの画像は彼女の最後のシングルとなった19枚目の「私小説」のジャケットです。1985年9月1日発売でした。
アルバム

アルバムは7年間で全9枚のアルバムを発表しました。この画像は1枚目のアルバムジャケットです。本当に大人っぽいです。
かしぶち哲郎プロデュースの中原理恵85年作「UN ART DE VIVRE」新着。かしぶち作詞曲編の「WORK OVER TIME」 https://t.co/EVepWEws5Q から素晴らし。平熱35℃のアーバン・ファンク。 pic.twitter.com/6rlnZRzcS8
— ナカレコ2号店 (@nakareco2) February 23, 2016
そしてUN ART DE VIVREとタイトルされたアルバムが最後のアルバムとなりました。アーティストとして9枚目、1985年に発売されました。
女優などさまざな活躍をした中原理恵
映画

テレビドラマから女優への道を歩むことになった中原理恵さん。歌手から転身した理由はなんだったのでしょうか。いろんな可能性にかけていたのでしょうか。そしてここから映画へも進出していきました。
中原理恵さんは女優としての第一歩を踏み出して、映画やドラマで活躍しました。初めての映画で市川崑監督のミステリ映画『幸福』の抜擢を受けます。中原理恵さんは北刑事(永島敏行)の恋人中井庭子役を演じていました。

こちらの画像は映画出演2作目で1983年に上映されたもので、中原理恵さんは主人公の息子の嫁の役をされていました。

翌1984年男はつらいよ(夜霧にむせぶ寅次郎)でマドンナ役に抜擢されました。女優さんにとっては、男はつらいよシリーズで、寅さんのマドンナ役はきっと憧れだったことでしょう。中原理恵さんもこれで女優としての自信がついたのではないでしょうか。そして現在の中原理恵さんにとっても大切な思い出の一つになっていることでしょう。

寅さんの映画では風子というツッパリ娘の役でした。中原理恵さんが北海道出身だからか、舞台は北海道の釧路でした。この時中原理恵さんは25歳でしたがお顔立ちのせいか寅さんとの年の差があまり感じられないような気さえしてしまいます。

こちらの画像は鉄道員(ぽっぽや)での一コマです。こちらは1999年公開の映画でした。店員の役ということでしたが、やはり中原理恵さんは北海道のイメージが強いのでしょうか。高倉健さんの映画に出られたということも、女優としては現在でも輝かしい経歴ではないでしょうか。
ドラマ
中原理恵さんが初めてのドラマ出演を果たしたのは、1979年TBSの青春諸君!というテレビ番組でした。古谷一行さんが主演のテレビドラマでした。この後女優として役21年間いろいろなドラマに出演していました。
その後もTBSドラマなど数々のドラマに出るようになり、1982年頃になると主演のテレビドラマが多くなってきました。この頃はドラマでお忙しい毎日を送っていたことでしょう。まさにドラマずくしな日々だったのではないでしょうか。
この月曜ドラマランドの意地悪看護婦シリーズのドラマでは主役のいじわるな看護婦役を演じていました。これまでは今でいうバイプレイヤー的な存在の役どころが多かった中原理恵さんでしたが、このドラマではおもしろおかしく見事にいじわるな看護婦役を演じていました。1983年の放映でした。

この画像は「八百八町夢日記」で、当時日本テレビ系にて1989年から1991年にかけて毎週火曜日20:00~20:54に放送された時代劇シリーズの一コマです。中原理恵さんは第1シリーズにおりん役で出演されていました。この後は時代劇の主演にも抜擢され、女ねずみ小僧なども演じていました。

これは内館牧子さん脚本でNHKでドラマ化された「妻の恋」の原作本の画像ですが、いかにも不倫ドラマですね。このドラマに中原理恵さんは主人公ではなく、主人公の学生時代の同級生の役で出演していました。不倫は絶対ダメと歯止めをかける役です。これこそ中原理恵さんはもしかしたら自分と重なったところがあったのかもしれません。

「妻の恋」から5年間理由はわかりませんが、ドラマへの出演がありませんでした。そして2000年女優として最後の出演ドラマはやはりこれもNHKの「晴れ着ここ一番」で中原理恵さんは赤西仁くんの母親役を演じていました。
アーティスト

歌手・アーティスト中原理恵さんは今までのシングル・コレクションを出しています。現在ソニーミュージックによる歌手中原理恵の公式サイトと称し、センシテイブ・ポップの歌姫、歌手・アーティスト中原理恵のシングル・コレクションが今でも購入できるようです。
この曲はRIEという名義でメジャーデビュー前のプレデビュー作品だそうです。1997年には face というユニットを組み、一時歌手活動を再開しました。face(森岡賢+中原理恵)として再開するもこれがアーティストとして最後の曲になりました。
表記には、中原 理恵をヴォーカルにフィーチャー、元ソフト・バレエの森岡賢プロデュースによるシングルとなっています。歌手としてはじつに12年ぶりでした。攻撃的な打ち込みビートにアダルトムードの中原理恵さんのヴォーカル。アレンジは90年代なのに漂う昭和感は中原理恵さんの声のせいでしょうか。

現在「中原理恵 PREMIUM BOX」アーティスト中原理恵の総決算ともいえるCBS・ソニー時代のオリジナル・アルバム9枚(内1枚はハーフ・ベスト盤)とオリジナルアルバム未収録曲を網羅したスペシャル・ディスクを含む10枚組BOXが出ています。これはアーティスト冥利につきますね。
マルチな才能を発揮
その他「スーパーマン」の日本語吹替え役でも有名ですね。1作目と2作目を声優として担当しました。今の時代は女優さんや男優さんが吹替えをするのも違和感なくなりましたが、当時としてはめずらしかったのではないでしょうか。声優としてはFMラジオドラマへの出演も有ったそうです。

さらにミュージックステーション初代サブMCとして活躍しました。中原理恵さんご自身も歌手・アーティストであり、ゲストのアーティストさんたちに刺激を受けたのではないでしょうか。そして今もなお愛され続けている番組の初代だなんてすごいことですよね。
さらにさらにたくさんのCMにも出演されていました。たった7年間なのに、どれも記憶に残っているように思えます。そして、コンタックのCMに至っては「えぐいんでないかい?」が流行語にもなりました。
その他の画像
写真時代は1981年に創刊されましたので、この画像は1982年の一周年記念号のようです。この雑誌は現在とても貴重らしくオークションなどで出ているようです。
中原理恵引退!!
最後の出演

このテレビドラマを最後に芸能界から引退をされました。このドラマは2000年6月16日が最終回でした。先に述べたようにテレビドラマでは「妻の恋」から「晴れ着ここ一番」まで5年間の空白がありました。今思うとこのドラマを撮っているときはどんなお気持ちだったのでしょうか。寂しい気持ちだったのか、それともあとこれだけ、やっと終わりと思っていたのでしょうか。本当の理由はいったいなんだったのでしょう。
引退の理由は?
中原理恵さんが引退した理由とはなんだったのでしょうか。40代前半の中原理恵さんに何があったのでしょうか。辞めなければならない理由でもあったのでしょうか。

二十数年頑張って来て、納得できた何かがあったのでしょうか。いろいろ調べてみたものの、これといった確定的な理由は見つからず、本当にそっといなくなった印象です。今ならば、いついつで事務所の契約が切れました、などと報道されていますが、18年前では一芸能人がどんな状況であるかもなかなか把握できない時代だったのでしょう。

この画像は渡辺真知子さん(デビューが同じだそう)とその音楽仲間との新年会の1ショットで、ブログからお借りしました。2009年の1月です。渡辺真知子さんのブログを読む限りこの頃もまだ音楽活動をしているような書き方ではありましたが、引退されて9年もたっていて、到底渡辺真知子さんがそんな理由を書いてくれるはずもありませんよね。ただこの時も全然お変わりないようですね。
萩本欽一が引退のきっかけ?
欽ちゃんとの出会いは?

中原理恵さんは、ニッポン放送「欽ちゃんのここからトコトン」やテレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの」などにゲスト出演した際、そのトークの面白さを欽ちゃんに買われて、レギュラーに起用されることとなったそうです。これも何かのご縁だったのでしょう。
欽ドン!
欽どんの番組は長く続いていましたが中原理恵さんのコーナーはわずか1年ほどだったそうです。けれど、このバラエティ番組に出ることによってコメディの才能も開花することとなりました。大人っぽくクールなイメージの一アーティストがバラエティ番組でレギュラーになるということが斬新だったうえ、お笑いの素質があったのか、とても頭の回転良い方だったのでしょう。
ふつ子、良子、わる子と見事三者三様のキャラクターを演じていました。今見てもとても魅力的でチャーミング、可愛らしいですよね。
番組を見ている側にしてみたら、中原理恵さんが欽ちゃんに嫌われているとは到底思えませんが、まさに欽ちゃんファミリーの社長的存在である欽ちゃんが引退のきっかけなどと噂が出るということは、舞台裏での何かいざこざがあったからでしょうか。けれども、女優さんでコメディができる人というのは、まさに頭がキレる人なんでしょうね。欽ちゃんもきっと中原理恵さんのことをかっていたに違いないと思います。
欽ちゃんという人物は狭量な人物ではない。どんなに拍手を受けても、欽ちゃんとの共有として受けている分には歓ぶのだ。よし夫、ふつ夫、わる夫、又、三人のビジネス・ガアルの場合はそれである。なんといっても中原理恵の場合は行き過ぎである。 https://t.co/BhVzECxCDE pic.twitter.com/KRtBon6wD2
— 森茉莉チャンネル (@morimari_ch) July 1, 2018
引退のきっかけは本当に欽ちゃん?
欽ちゃんが中原理恵さんの芸能界引退のきっかけを作ったと一時期言われていましたが、本当は中原理恵さんが歌手・アーティストとしてもう一度頑張ってみたいという気持ちを訴え、欽ちゃんが視聴者に飽きられてしまうことも恐れたのか、お笑いとして女優としても充電期間が必要と、その意を汲んだためだと言われています。とはいえ、中原理恵さんはこの後も女優の仕事は1995年までは途切れずに出ていたようでした。

中原理恵さんが欽ちゃんにいろんな相談をしていたとしたら、引退のことも現在噂の社長業も、本当に欽ちゃんのアドバイスだったかもしれませんが、今となってはご本人同士にしかわからないことですね。
現在の中原理恵はどうしてる?
中原理恵さんの現在は社長?
今現在は実業家、社長、そして一般の人になってしまったという噂ですが、東京都内と函館に家を持っていると書かれていますが、実際はご本人は東京住まいだとか、函館にはお姉さんご夫婦が暮らしているということです。まだまだ老後なんていうお年でもありませんが、余生を楽しんでいらっしゃることでしょう。この画像は週刊誌から抜粋されたものですが、いくつになってもやはりかっこいいですね。

この週刊誌の記事を見ても引退の理由などは書かれていませんでしたが、現在もお元気そうで何よりです。ただこんな感じで社長業しているのかどうかは疑問です。
中原理恵は社長として頑張っている!
社長の噂は本当?
さらに調べてみると現在の職業は社長をしているとの記事が載っていました。ビルメンテナンスの会社と書かれていましたが、実際はそれも間違いのようです。芸能界復帰の噂もないようですし、もしかしたら本当に社長さんとして頑張っているのかもしれません。いろんな才能を持ち合わせていた中原理恵さんですから、きっと今も実業家で成功していることでしょう。
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