徳光和夫の息子の長男や次男は?徳光正行は嫁と離婚?親バカで豪邸?
徳光和夫と言うと、アナウンサーとして有名人です。そんな徳光和夫は息子に対する親バカも有名な話で、息子に豪邸をあげたと言う話まで出ています。そんなに甘やかされた息子とは、一体どんな人物になっているのでしょうか。徳光和夫と息子の関係など詳しく見ていきましょう。
目次
徳光和夫は息子を溺愛?息子の仕事や豪邸の噂を徹底調査!
徳光和夫と言うと、日本のアナウンサーでも指折りに入るほど有名な人物です。卵好きや野球好きで、ゆったりとしたマイペースな人物かと思いきや、大のギャンブル好きでもあり熱い一面もあります。そんな個性的な人柄が人気を呼び、現在でも様々な番組の司会を務めたり旅番組に出演しているなど、昔から活躍の衰えない人物でもあります。
そんな徳光和夫は、親バカエピソードも有名です。度々バラエティー番組などで自分でも発言していますが、その内容とは息子に甘すぎるのではないかなど大きな反響となります。そんなに甘やかされて育ったとなると、徳光和夫の息子はどんな人物なのか気になります。調べてみると、予想を上回るかなりの甘やかされた育ち方をしている事が判明しました。
そこで今回は、徳光和夫の息子について詳しく見ていきましょう。徳光和夫の息子は2人いて、長男と次男それぞれご紹介していきます。名前や仕事、結婚しているのかなど詳しくご紹介していきます。次男についてはどうやらタレント活動をしているようなので、かなり詳細まで判明しています。徳光和夫の親バカになった理由と共に見ていきましょう。
まずは、知らない人はいないかと思いますが先に徳光和夫について詳しく見ていきましょう。徳光和夫は、フリーアナウンサーとして有名ですが、実は他にも様々な活動をしています。タレントとしてはもちろん、司会者やニュースキャスター、さらには日本ドッジボール協会の顧問も務めています。これだけでも凄いのですが、実は肩書きはまだまだあります。
徳光和夫は、株式会社ソニーミュージックアーティスツ顧問も務めており、日本司会芸能協会顧問まで務めています。さらに、海原会と言う学校法人海城学園OB会の会長まで務めています。普段のマイペースでぼーっとしたキャラクターからは想像が出来ないほど、様々な肩書きを持っています。これを見れば、いかに偉大な人物か察する事が出来ます。
徳光和夫がアナウンサーを志すきっかけとなったのは、大学時代です。就活に悩んでいた徳光和夫に、アナウンサーになればいいじゃないかと同級生から声をかけられます。この声をかけた人物とは、惜しまれながら亡くなった同じくアナウンサーの土居まさるです。これをきっかけに、1963年に日テレに入社して徳光和夫のアナウンサー人生が始まります。
徳光和夫は、デビュー当時は大好きな野球の中継などの仕事が出来ず、プロレスなどの中継の仕事を任されていたようです。そして、アナウンサーとしてその名が有名になり始めたのは1969年の紅白歌のベストテンの総合司会を務めた事がきっかけです。その後、ズームイン朝の総合司会を9年務めた後日テレを退社し、フリーアナウンサーとして活活躍しています。
そんな徳光和夫は、結婚して徳光早苗と言う嫁がいます。2人の間に子供は3人おり、1女2男と言う家族構成になっています。長女についてあまり話題にはならず、調べてみると娘についての情報は出てきませんでした。どうやら、話題になっているのは息子だけのようで、親バカエピソードも息子に対するもののようです。ここからは息子について見ていきましょう。
徳光和夫の息子は長男と次男の2人!長男は嫁とサントリー勤務?
まずは徳光和夫の2人いる息子のうちの1人目、長男について見ていきましょう。長男について調べてみると、画像や名前などの情報が何も出てきませんでした。と言うのも、長女同様に長男も一般人として生活しているようです。いくら徳光和夫の息子だからと言って、一般人の基本的な情報は流れません。この事から、長男についての情報が無いようです。
しかし、全く無い訳でもありません。どうやら既に長男は結婚して世帯を築いているようです。結婚後には子供も生まれているようで、長男も既に父親となっているようです。と言う事は、徳光和夫もおじいちゃんである事が分かります。子供については娘ではないかとの情報もありました。さらに、どうやらこの娘も既に成人しているとの噂もあるようです。
徳光和夫の息子であっても、一般人である事から長男の情報が無いので、もちろんその娘についても情報や画像はありませんでした。しかし、長男についてもう一つ判明している事がありました。どうやら結婚した嫁とは同じ仕事に就いているようで、長男もその嫁もサントリーに勤務しているのではないかとされているようです。根拠については不明です。
なぜ長男についての情報がないにも関わらず、徳光和夫の息子に対する親バカエピソードが有名なのでしょうか。実はその情報の元は2人目の息子である次男から明かされたもののようです。長男について親バカエピソードがあったかは不明ですが、次男への親バカエピソードを見ると多少なりあったのかも知れません。きっと、長男の娘にも溺愛していたでしょう。
次男はタレントの徳光正行!結婚したけど徳光和夫のせいで離婚⁉
さて、2人目の息子である次男について見ていきましょう。徳光和夫の親バカエピソードを知るには重要な人物です。実は、次男はタレントとして芸能界に入っています。名前は、徳光正行です。徳光正行がタレント活動をしていたからこそ、徳光和夫の親バカエピソードが有名になったのです。徳光和夫の息子と言う事で、世間からも注目された人物です。
徳光和夫の息子と言うだけあって、徳光正行はかなりの道楽生活を送っていた事が分かっています。徳光和夫の息子なら、お金に困る事が無いのは容易に想像出来ます。実際その通りだったようで、高校を卒業した後は3年間浪人生活をしてから大学に入学しています。さらに、徳光正行は大学も1年留年してから卒業とかなりルーズに社会人入りしています。
しかし、これだけでは終わりません。なんと、徳光正行は30歳頃まで仕事をしていない状態だった事も判明しているのです。元々徳光正行はミュージシャンやプロレスラーを目指していたようで、仕事に就かなかったようなのです。徳光和夫の息子となれば、ミュージシャンとして簡単に芸能界入り出来そうですが意外です。それにしても仕事がなかった事に驚きです。
しかし、徳光正行について詳しく調べてみるとどうやら結婚経験があるようです。徳光正行と結婚した嫁は、なんと11歳年下の女子アナの田野辺実鈴です。嫁が美人のアナウンサーでもあり、徳光和夫の息子が結婚と言う事もあり結婚当時はかなり話題になっていたようです。しかし、残念ながら結婚後間もなく離婚している事が判明しました。
徳光和夫の息子と結婚したとなれば、嫁も不自由ない暮らしを出来たはずなのになぜ離婚になったのでしょうか。これについては、どうやら徳光和夫の息子を溺愛しすぎる行動が原因にもなっていたようです。離婚の原因については、嫁から証言が出ているようです。徳光正行の嫁は、「私の何がイケないの?」に出演した際に離婚について触れています。
番組内では、徳光正行をやたらに褒める徳光和夫の様子が語られ、さらには徳光和夫は息子にいつまで経ってもお年玉をあげていると明かされています。この時、徳光正行は41歳だった事が判明しています。41歳にもなって、お年玉とはと世間もあきれ返ってしまいます。直接徳光正行と離婚する原因になった訳ではないにしても、離婚の原因にはなっていそうです。
豪邸の噂は徳光和夫の次男!息子を愛し過ぎ⁉
さらに、次男への親バカエピソードはこれだけではありません。なんと、結婚後次男に豪邸をあげていた事まで判明しています。しばらく仕事をしていなかった状態のある息子なだけに、結婚後すぐに家を建てる余裕はなかったのではないかとされます。そんな次男を見かねてなのか、はたまたただの親バカエピソードの1つなのか豪邸を徳光和夫が建てたと言うのです。
その豪邸があるとされているのは都内の高級住宅地だそうです。坪単価が300万円とされているその場所に豪邸は建っているそうで、150平方メートルはあろうかと言う敷地面積に4階建てとかなりの豪邸である事が分かっています。その豪邸を建てる為に必要な費用の総額は、およそ2億円とも言われています。もちろん、その豪邸自体の作りもかなりだそうです。
この豪邸は、土地や建物の所有者は徳光和夫の個人事務所が所有しています。つまり、徳光和夫が息子に貸している状態にはなっているようです。しかし、ここで生活していたのは実際には息子夫婦だけだった事を考えると、実質この豪邸は息子にあげる為に建てられたものに違いありません。こんな豪邸を息子夫婦にぽんとあげれる徳光和夫は、やはり凄いです。
また、この豪邸に息子夫婦が住んでいた頃には、季節ごとの旬の最高級食材が徳光和夫から届けられていた事も分かっています。徳光和夫から贈られる食材となると、かなりの高級食材なのではないでしょうか。豪邸まで与え、さらに季節ごとに食材が届くなんてあまりにも恵まれた生活だった事が想像出来ます。夫婦の生活に困難と言う文字は無縁だったように感じます。
現在この豪邸に息子が住んでいるのかについては、離婚があった為に不明です。しかし、こんな豪邸をもらって何不自由ない生活が望まれていたにも関わらず、嫁が離婚を決意していた事を考えるとよっぽどの原因だったに違いありません。この豪邸の現在についても気になりますが、何よりも離婚の原因が気になる結果となってしまいました。
現在は改心!息子の目を覚ましたのは徳光和夫の病気がきっかけ
さて、ろくに仕事をしていなかった徳光和夫の次男ですが現在はタレントとして活動しています。そのまま仕事をしなくても、それまで生活出来ていたのであればだらけてしまいそうですが、何故タレントと言う仕事に就いたのでしょうか。現在は離婚してしまっていますが、嫁とはタレント活動を始めてから出会い結婚しています。
実は、仕事を始めたきっかけは徳光和夫の病気が原因でした。徳光和夫と言うと、健康な生活とは真逆の生活を送っていた事が有名で、やたらとゆで卵を食べているエピソードもその一環として有名です。また、ヘビースモーカーでも有名でまさに不健康な生活を送っていました。それが原因か、2001年に急性心筋梗塞を患って倒れてしまいます。
当時、月の収入が10万円程度だった息子には衝撃的過ぎる出来事となります。もちろん、心筋梗塞となると生死に関わる大きな病です。これで危機感を感じたのか、仕事をする決意を抱いたのだそうです。もちろん遅すぎるのには違いありませんが、もしここで徳光和夫が病に倒れていなければ一生仕事に就かずそのままの生活をしていたのかも知れません。
そこまでなるまで危機感の無い息子を育てた親にも責任があると感じてしまいますが、徳光和夫が息子を溺愛するのには理由があったようです。と言うのも、息子や娘がまだ小さい頃は徳光和夫は仕事が最も多忙な時期と重なっています。その為、育児に関して関わる事があまりなく子供の面倒は妻に任せっきりになってしまっていたようなのです。
子供の最も重要で多感な時期に、何一つ父親らしい事をしてあげれなかった事に負い目を感じてしまい、徳光和夫は親バカへと変身してしまったようです。これを聞くと、度が過ぎてはしまっていますが納得させられます。やはり、芸能人とはいえ1人の父親です。可愛い子供にしてあげられる事はしてあげたく、その結果行き過ぎてしまったのでしょう。
今後も元気に活動する姿を応援していこう!
もちろん、現在はきちんと息子も仕事をしており、独立した生活を送っているものではないかと推測されます。しかし、まだ嫁が証言したようにお年玉をもらっているかも知れません。何よりも、徳光和夫がずっと何でもしてあげていた生活から急に変える事は難しいのではないかと思われます。今後も、多少なり徳光和夫から親の恩恵を受けていくかもしれません。
徳光和夫については、病から無事に復帰し現在も元気に活躍している姿をテレビで見る事が出来ます。マイペースさは相変わらずで、自身の番組でもすぐに寝てしまったり、急にいなくなってしまったりと周りを翻弄する姿を見せています。しかし、何よりも元気なその姿を見せてくれる事が視聴者にとっては嬉しい事です。今後も活躍していく事は間違いありません。
徳光和夫の息子の活動は、最近あまり目立ってはいませんが現在もタレント活動をしています。親バカエピソードをバラエティー番組などで語る事もあるので、今後また何か徳光和夫の親バカエピソードを聞けるかも知れません。今後は、徳光和夫だけでなく次男の徳光正行にも目が離す事が出来ません。今後も応援しながら注目していきましょう。
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