渡辺美佐子の若い頃の出演作まとめ!結婚した旦那・息子や現在についてまとめ
渡辺美佐子さんという女優さんをご存知でしょうか?幅広い役を演じたベテラン中のベテラン女優さんです。そんな渡辺美佐子さん、実は結婚されています。今回はそんな渡辺美佐子さんについて、若い頃の出演作や画像、旦那さんとその息子についてまとめました。
目次
渡辺美佐子さんの若い頃の画像や主演作!旦那さんは?
渡辺美佐子さんといえば、女優歴60年という大ベテランの女優さんです。出演作品の中で、悪女からスナックのママ、お母さん役など、若い頃から幅広い役を演じた実力派でもあります。また、若い頃は人気のあるとても美人な方でした。

そんな渡辺美佐子さんがご結婚されていたことをご存知でしょうか?旦那さんはプロデューサーの大山勝美さんです。また、子供さんもいるようで、息子さんだという情報があります。現在渡辺美佐子さんは85歳と高齢になっておられます。

しかし2年前まではドラマにも出演されており、まだまだ元気でいらっしゃるようです。今回はそんな渡辺美佐子さんについて若い頃の有名な出演作品や画像、旦那さんとその息子さんについてもまとめました。
渡辺美佐子さんのプロフィール
渡辺美佐子(わたなべみさこ)さんは、1932年10月23日生まれの現在85歳です。東京市麻布区(現在の港区麻布)にうまれ、実践女子学園高等学校を卒業されました。血液型はAB型で身長は156㎝です。

女優になったきっかけは通学途中電車であこがれの俳優だった信欣三さんを見かけ、後をついて行ったことです。後を追いかけて着いた先が六本木の俳優座だったらしく、中を覗いたところ俳優募集の張り紙がありました。それに応募し、合格したことで女優の道を進みます。

俳優養成所を卒業後、劇団「新人会」に入団、1953年には「ひめゆりの塔」で映画デビューされています。1969年には「新人会」を退団、演劇集会「兆」を結成しますがその年に解散、現在に至るまでフリーの女優さんとして活動されるようになります。
代表的な渡辺美佐子さんの出演作品は何?

渡辺美佐子さんの出演作品として有名なものは、若い頃から現在までたくさんあります。中でも有名な出演作はブルーリボン賞を受賞した「果しなき欲望」は、ファンならぜひ1度は見て頂きたい出演作です。またデビュー作である「ひめゆりの塔」も有名です。
渡辺美佐子出演作品・映画「果しなき欲望」
映画「果しなき欲望」はある駅のホームに胸に星を着けた変な雰囲気の5人が集まることから始まります。5人の目的は、終戦の時に軍医橋本中尉が埋めたモルヒネを探し出して手に入れることでした。

しかし目的の場所には既に肉屋が建っていて、すぐに掘り出すことはできません。そのため、5人は近くに空き家を借りて機会をうかがいます。五人がお互いに抜け駆けし合い、だましだまされ、果ては殺し合いながらもモルヒネを手に入れようとする泥沼の物語です。

この映画「果しなき欲望」で、渡辺美佐子さんは唯一の女性である志麻役を演じます。男達を翻弄しながら自分の欲と保身のために行動する悪女を、渡辺美佐子さんが熱演される、見所満載の物語です。
渡辺美佐子さん初出演作品・映画「ひめゆりの塔」
先ほどもご紹介したとおり、映画「ひめゆりの塔」は渡辺美佐子さんのデビュー作となった映画です。この物語は、第二次世界大戦の最中という背景で描かれています。敗戦への最後のあがきとして戦っていた沖縄の防衛軍に、勤労奉仕として最前線へ送られた少女達が中心となってストーリーは進みます。

胸に白百合と桜の徽章を着けた少女達は「ひめゆり部隊」といわれ、肉親の元から離れて最前線で戦う兵士達の身の回りの世話や手当、死体運び等の雑用を任されます。血と泥にまみれた激しい戦線の中、恐怖や不安と戦いながら頑張る少女達の姿が涙を誘う実話を元にした物語です。
渡辺美佐子さんはこのストーリーの中で安富良子という役を演じられました。この作品は渡辺美佐子さんが演じられた1953年の物の後にも1995年にリメイクされて放映されている、悲しいストーリーが有名な作品です。
若い頃の渡辺美佐子さんは美人!画像をご紹介
現在も年齢に対して若すぎる見た目をされていますが、若い頃の渡辺美佐子さんは当然とても美人な方でした。渡辺美佐子さんの若い頃となるとかなり昔になるため、画像はあまり多く見つけることができませんでしたが、若い頃の画像をご紹介します。

こちらが若い頃の渡辺美佐子さんの画像です。はっきりとした目鼻立ちが綺麗です。黒い髪と和装の雰囲気がとても似合う和服美人といった雰囲気があります。白黒画像のため肌の色ははっきりとは分かりませんが、綺麗な色白に見えます。

同じ役と服装の画像ですが、こちらは伏し目になっている画像です。見つめる百合の花がとても似合っていて、とても美しく綺麗な雰囲気があります。美人と花の組み合わせはいつの時代も美しいものです。
渡辺美佐子さんには整形疑惑がある
そんな渡辺美佐子さんには整形疑惑があります。その噂の発端は2014年に「徹子の部屋」に出演された際の姿のようです。顔のハリがなんとなく不自然な気がするという話が広がりました。頬を耳たぶの方へつっているといった印象のようです。

しかし整形外科の先生が確認したわけでも、本人が整形について認めた訳ではなく、これについては単なる憶測でしかありません。芸能人となると整形については小さなものまですぐに疑惑を持たれてしまいます。しかし女優という夢を売る職業の方なら、美しさを保とうとすることも女優魂のひとつでしょう。

整形にはあまり良いイメージがないのが芸能界という業界です。噂の当時でも80歳を既に越えていらっしゃった渡辺美佐子さん。しかし整形の噂が本当であれ嘘であれ、現在でも美しさを保とうと努力されていることに変わりはないでしょう。美を保つ努力も、女優さんには必要なプロ根性のひとつなのではないでしょうか。
渡辺美佐子さんの旦那さんは誰?
最近の芸能人の方は、SNSなどで自分のプライベート画像なども公開される方は多いです。しかし渡辺美佐子さんの頃の女優さんや俳優さんのプライベートは知ることが難しく、情報があまり残っていません。
しかし先ほどもご紹介したとおり既に結婚されています。渡辺美佐子さんの旦那様は有名な方だったためいくつか詳細な情報も残っていました。離婚歴が無いところを見ると、人生のパートナーとしてとても良い人に巡り会うことができたようです。
旦那さんはテレビプロデューサーの大山勝美さん
渡辺美佐子さんの旦那さんはテレビプロデューサーの大山勝美さんです。大山勝美さんは「岸辺のアルバム」「想い出づくり」「ふぞろいの林檎たち」などの名ドラマを生み出したTBSの有名プロデューサーです。

お二人の出会いや、旦那さんである大山勝美さんの活躍についても気になることでしょう。そこで次は、大山勝美さんについても、プロデュースされたドラマやお二人の馴れ初め、また子供はいるのかなどについてもご紹介します。
大山勝美さんは超有名ドラマを手がけた敏腕だった

先ほどもご紹介したとおり、大山勝美さんはTBSで様々な人気ドラマを生み出したプロデューサーさんです。まずはそんな大山勝美さんのプロフィールと素晴らしい活躍からご紹介致します。
大山勝美さんのプロフィール
大山勝美(おおやまかつよし)さん、1932年2月5日うまれです。1957年、25歳になる年にTBSに入社されました。演出家・プロデューサーとしてドラマ専門一筋を貫き、TBSのドラマを支えた名プロデューサーです。

鹿児島で生まれ、その後両親とともに中国の満州に渡って幼い頃を過ごしました。その後第二次世界大戦の最中、一人で鹿児島へ戻り、終戦は日本国内で迎えています。鹿児島県立鶴丸高等学校に進学し、初代生徒会長を務めます。大学は早稲田大学法学部を卒業されました。

1992年にTBSを退職されましたが、その後テレビ制作会社「カズモ」を設立し、代表取締役となりました。また、代表取締役となってからも「蔵」「天国までの百マイル」「長崎ぶらぶら節」などの名ドラマを生み出しておられます。
超有名!大山勝美さんがプロデュースしたドラマは?

大山勝美さんの代表作と言えば「ふぞろいの林檎たち」が印象的な人も多いのではないでしょうか。次はそんな大山勝美さんがプロデュースした作品の中で代表作と言われるようなもののあらすじなどをご紹介します。
ドラマ「ふぞろいの林檎たち」
1983年5月27日から放送された「ふぞろいの林檎たち」は、ある四流大学の学生達が、学歴や恋愛、進路など、様々なことに悩みながらも乗り越えるところから始まる物語です。この物語では放送された当時に社会的な問題となっていた学歴差別も背景として織り交ぜられています。

パートⅠからパートⅣまでの4シリーズで構成されていて、Ⅰが学生時の問題解決、Ⅱでは学校卒業後の社会人になりたての様子、Ⅲでは家事や仕事など大人としてのトラブル直面、Ⅳではある若者達と出会うことで起こるトラブルと向き合うといった構成になっています。

パートⅡ以降は個人個人のトラブルを乗り越える姿とそれに伴う成長が描かれています。学生の時から社会人まで、トラブルと成長はつきものです。そんな成長する人達の姿を描いた名ドラマとなっています。
「大山勝美賞」という賞がある
ご存知ではない方も多いかと思いますが、実は大山勝美さんの名前の賞が存在します。全くの別人の賞ではなく、間違いなく大山勝美さんの名前がついた賞なのですが、一体どんな賞なのでしょうか?

大山勝美賞とは、ドラマを作っている60歳以下の若いクリエイターのための賞です。そのときそのときにヒットした一つの作品を見て選ばれるのではなく、長い目で見ての仕事のできを評価するものだそうです。

2014年の秋に、大山勝美さんが多額の寄付を受け取った「放送人の会」が、大山勝美さんの意思と名前を残していきたいと作った賞なのだそうです。大山さん自身、放送人の会の二代目会長となり、若いクリエイターの育成に力を注いできたのだそうです。
大山勝美さんと渡辺美佐子さんの出会いや息子さんは?
名前を聞いたことや見たことがある人は多いと思いますが、実際にどんなことをされたのかはご存知無い方もいたのではないでしょうか?大山勝美さんはTBSでは知らない人がいないほどの敏腕っぷりだったのです。
そんな大山勝美さんが、妻である渡辺美佐子さんと結婚したきっかけも気になります。また、息子さんがいるとのことですが、現在はどうされているのでしょうか。こちらも詳しく調べてみました。
渡辺美佐子さんと大山勝美さんの出会いは?
大山勝美さんと渡辺美佐子さんの出会いはテレビドラマを通してのものだったようです。1965年、結婚は渡辺美佐子さんが32歳の頃でした。当時プロデューサーとしてドラマの収録時の短い会話がきっかけのようです。

結婚してからも仕事人間だったと言われる大山勝美さんは、結婚するまでは、一人暮らしだったためか、シャツがよれていたのだそうです。そのシャツを見て渡辺美佐子さんが「もしかして独身?」と声を掛けられたことが始まりだったとか。

収録されていたドラマが何のドラマなのかは分かりませんが、この一言が無ければ結婚していなかったかもしれないとなると運命的な一言だったのでしょう。その後お二人は1年間のお付き合いの後結婚されています。
渡辺美佐子さんと大山勝美さんに子供はいるの?
渡辺美佐子さんと大山勝美さんには子供がいるのでしょうか?調べてみると、どうやら息子さんが一人いるようです。渡辺美佐子さんと大山勝美さんが結婚したとき、大山勝美さんは「男の子を産んで欲しい」と渡辺さんにいったそうです。

そして実際に生まれてきたのは男の子。きっと大山勝美さんはとても喜ばれたことでしょう。そんな息子さん、女優のお母さんと有名プロデューサーのお父さんとの間に生まれ、現在はテレビ関係のお仕事に就かれているのかと思いきや、そうではないようです。

お父さんやお母さんとはあまり関わりの無い一般職に就かれていることしか分からず、インターネット上にも息子さんの情報はありませんでした。両親が有名だと自慢に思うこともあるでしょう。

しかし同じ業界に入ればやはり親と比べられ、苦労することが多いのも事実です。また、好奇の目で見られることもあります。息子さんはそんな暮らしとは離れた静かな暮らしを望まれたのかもしれません。
旦那・大山勝美さんは現在既に亡くなられている
敏腕プロデューサーとして活躍された大山勝美さん、現在は既に亡くなられています。1998年に胆管ガンがみつかり、余命3年と宣告されました。しかしその後手術によって回復、15年後の2014年に合併症で亡くなられるまで活躍されました。

渡辺美佐子さんは亡くなられた大山勝美さんに対して。「亡くなる直前まで仕事をしていたから今でもやり残した仕事への思いが魂となって事務所にいる気がする」と語られたそうです。

そんな渡辺美佐子さんは女優業という職業柄、家にいることが少なかったようで、家事という物をほとんどされたことが無かったと言います。そして65歳になる年、ご主人を看病してあげたいという気持ちから家事を初めてしたのだと言います。
65歳で初めての家事となると、分からないことも多く大変苦労されたことでしょう。大山勝美さんへの気持ちが伝わってきます。そして渡辺美佐子さんが一生懸命作った素朴な食事を家族三人で食べ、幸せな時間を過ごされたのだそうです。
渡辺美佐子さんの末永い活躍に期待したい
今回は渡辺美佐子さんについて若い頃の有名な出演作品や画像、旦那さんとその息子さんについてもまとめさせて頂きました。現在2016年の「続・深夜食堂」と「プリンセスメゾン」が最後の出演作品となっている渡辺美佐子さん。
活動停止という宣言はされていませんが、もう85歳となるとバリバリ活躍だけでなくプライベートな時間も大切にされていることでしょう。しかしまだまだ女優さんとしての実力が衰えたわけではありません。また新しい物語を演じられる日が楽しみです。
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