アグネスラムの今現在は!昔の画像・写真や動画に活動は!2018最新

現在はすっかり懐かしのアイドルになったアグネスラム。そんなアグネスラムですが、いまはどのような活動を行っているのでしょうか。健康的なスタイルで、世の男性をドキドキさせたアグネスラムですが、現在の画像や活動について調査しました。

目次

  1. アグネスラムの現在の活動や今の写真を紹介
  2. 現在も珍しいハワイからのアイドル
  3. アグネスラムの日焼けした小麦色の肌がセクシー
  4. アグネスラムの人気は現在でも異常だった
  5. 1983年に引退したアグネスラムの現在とは
  6. 現在のアグネスラムも当時と変わらないまま

アグネスラムの現在の活動や今の写真を紹介

昭和の健康的で、世の男性をドキドキさせたハワイからのアイドルのアグネスラム。そんなアグネスラムは現在はどのような活動をしているのでしょうか。

現在も、アグネスラムは日本で生活しているかが気になりますよね。また、現在も当時のような写真と同じように、健康的でグラマーなアグネスラムのままなのでしょうか。

現在のアグネスラムの年齢や、今のアグネスラムの活動、そして現在のアグネスラムの画像について調査しました。まさに昭和のあの人は今的なアグネスラムの現在に注目しましょう。

現在も珍しいハワイからのアイドル

アグネスラムは1956年5月21生まれの現在は62歳です。あのアグネスラムも現在は62歳というのも驚きですが、今画像を見ても、やはりアグネスラムのかわいさというのは独特な雰囲気がありますよね。

アグネスラムの本名はアグネス・ナラニ・ラムというそうです。ハワイ州オアフ島出身の中国系アメリカ人で、モデルや歌手として活動し、スペースクラフトに所属していました。

同じ海外出身のアイドルとして、アグネス・チャンも有名で、同じ事務所に所属していたそうです。ただし、アグネスラムとアグネス・チャンは、まったく血の繋がりなどはなかったようです。

現在ののグラビアアイドルの先駆け的存在

アグネスラムは現在のグラビアアイドルの先駆け的存在であり、現在画像を確認しても、非常に際どいグラビア画像も多く、現在活動しているグラビアアイドルに負けないセクシーで抜群なプロポーションがアグネスラムの人気の理由だったといえます。

そんなアグネスラムは身長が156センチで体重が46キロ、そしてスリーサイズが90ー55-92となっています。そのスリーサイズからわかるように、まさに現在のグラビアアイドルにも負けないプロポーションだというのがわかりますね。

アグネスラムの当時の人気を語るものとして、ギネスにも登録された長期連載漫画となった「こちら葛飾区亀有公園前派出所」には、明らかにアグネスラムがモデルとなった、日系三世のラム巡査というものが登場し、両津勘吉と中川圭一がエスコートを巡ってケンカするシーンもあるんです。

また、オバケのQ太郎でお馴染みの藤子不二雄Aの漫画「新親父坊太郎」でも、急性ラム症高熱伝染病というものが蔓延して、これにかかると寝ても覚めても、ラムネス・ラム(アグネスラムがモデル)のことばかり考えてしまう、なんて話もあるんです。

そして、高橋留美子の「うる星やつら」のヒロインである「ラム」は言うまでもなく、アグネスラムが名前のモデルになっているなど、当時いかにアグネスラムが人気で、ポピュラーな存在だったのかがわかりますよね。

ある意味では、現実には存在しないようなセクシーでキュートな存在だったことから、漫画の中で表現したくなるような存在だったと言えるかもしれませんね。

アグネスラムの経歴と画像

アグネスラムは、中国人の父親とハワイ人の母親の間に誕生しています。また、母親はイングランドやアイルランド、ポルトガル、ハワイアンの血を引くという多国籍な血筋だったそうです。

そんなアグネスラムは4人姉妹の末っ子として誕生しており、アグネスラムの姓「ラム」は、父親の姓「林」の広東語読みなんだとか。

1974年5月にハワイ大会で、当初ミスUSAハワイ代表に選ばれたが、18未満だったことから、そのタイトルを失ってしまったそうです。

同年にアグネスラムは地元の高校を卒業したことから、日本のハワイロケ映像撮影関係者にスカウトされたことから、モデルとしての活動を始めたそうです。

アグネスラムは現在もモデルとしての画像がすごい

1975年3月に初来日しており、「グリコ天然ジュース」のグリコ共同乳業と雑誌「non-no」のモデルに選ばれて、アグネスラムは日本デビューを果たしています。

同年の11月にライオン油脂の「エメロンミンキー」というトリートメント剤のCM出演が評判で、アグネスラムは一気に人気になりました

また、当時はリンスは定着していたものの、トリートメントはまだ普及していなかったということもあり、現在のようにトリートメントが当たり前になったのは、アグネスラムの存在も一つのポイントになったと言えるかもしれません。

他にも「アクエア」の資生堂「コダックインスタマチック」のコダックのTVBCFに出演するなど、どんどんCM出演のオファーが舞い込んできたようです。

アグネスラムの日焼けした小麦色の肌がセクシー

アグネスラムが人気になった理由は、そのつぶらな瞳と美少女と言っていい顔立ち、また日焼けした小麦色の肌や大きなバスト、そしてヒップの見事な曲線美や愛らしいルックスなど、その写真に衝撃を受けた人も多かったようです。

当時は現在と違って、グラビアアイドルのような存在はなく、また巨乳という言葉の概念もあまりなかったそうです。

それだけに、堂々として水着姿の写真は、世の男性をまさにドキドキさせて夢中にさせる存在だったと言えるかもしれません。

このような小麦色の肌が健康的でグラマーだったアグネスラムの写真が広まり、一気に若者を中心に「アグネスラムフィーバー」のよなものが生まれたわけです。

現在も驚きなそのアグネスラムフィーバー

アグネスラムは1975年11月にも来日し、渋谷の東急百貨店で写真展兼サイン会が行われました。このサイン会は主催者の予想を超える大盛況になったんです。

というのも、このアグネスラムのサイン会では、会場に入りきれないファンが隣のビル屋上まで詰めかけていたそうです。

当時は、アイドルは歌手活動がメインという形が多く、グラビア中心として芸能活動を行う人は今のようには多くなかったんです。そのことからアグネスラムは現在の「元祖グラビアアイドル」的存在だったわけです。

1976年夏に、近藤正臣と共演したトヨタ・スプリンタートヨタ自販、旭化成、クラリオン、コラコーラ、象印、ミヤタ自動車など、一年の間に様々なCMに出ており、一日の間にアグネスラムのCMを見ない日は無いというぐらいの人気だったようです。

また、「週刊プレイボーイ」や「平凡パンチ」、「GORO」に「明星」、「週刊少年マガジン」などのグラビアページがあった雑誌では、アグネスラムのグラビア画像が特集されることも多くありました。

アイドル雑誌であった「ガール・ガール・ガール」や「クランクイン」などのカバーグラビアページにも登場しており、「週刊読売」では、カバー表紙15回中10回をアグネスラムがその年に担当しているんです。

アグネスラムの人気は現在でも異常だった

1976年夏に来日予定だったのがキャンセルされたものの、同年9月にプロモーション「太陽の恋人 アグネスラム」が公開されました。

この映画は東映制作の25分の映画でしたが、三堀篤監督で、現在もミュージシャンとして活動している高中正義が音楽を担当しており、主題歌が「Sweet Agnes」というものが制作されています。

その後は、1976年11月12日に来日しており、「スター千一夜」に出演し、その年のNHK紅白歌合戦に応援ゲストとして出場しています。その後も、何度かNHK紅白歌合戦の応援ゲストとして出場しています。

アグネスラム見たさで危うく事故が

1977年に開催された、ひろしまフラワーフェスティバルにアグネスラムはゲストとして出演しました。そのときに、アグネスラム見たさに群衆が殺到したことから、なんとアグネスラムは消防車で会場を脱出するという事態になったんです。

とはいえ、このひろしまフラワーフェスティバルは、この年に初めて開催されたもので、同イベントの立ち上げの成功と発展に寄与することになります。

アグネスラムは。1977年7月にシングル「雨あがりのダウンタウン」をリリースし、歌手としても本格的なデビューを果たしています。

同年夏には、後楽園ジャンボプールで2ステージを行っており、アグネスラムは水着姿を披露したり、シングルを歌唱するなど、ファンの期待に答えるイベントを行いました。このイベントでもアグネスラムを見たい人が集まり、5万人近くの人が集まったようです。

1981年になるとハワイロケが行われ「帰ってきた若大将」にゲスト出演しており、加山雄三との共演を果たしています。そして、1980年台初頭には、ハワイでの撮影で「英会話番組」にも出演していました。

1983年に引退したアグネスラムの現在とは

アグネスラムは1983年に突然の引退を発表し、1986年に幼馴染で高校時代の先輩と結婚をしているんです。また、翌年には双子の息子が生まれているんです。

アグネスラムが芸能界で活動したのは、約10年ほどだったといえます。日本での芸能活動を引退したあとのアグネスラムは、ハワイでモデル陽性などの仕事を行っていたと言われています。

現在は、結婚したことから日本での芸能活動とは距離を置いており、稀に日本のCMに出演していたこともあるそうです。

今も気になるアグネスラムの引退理由

現在もそのグラビア画像や当時の写真が話題になるアグネスラム。今考えると、突然するぎる引退であったアグネスラムは、どのような理由から引退を考えたのでしょうか。

現在、このアグネスラムの引退としては、外国人タレントが日本で働くのは、いわゆる「出稼ぎ」的感覚があったのでは?と言われているようです。

つまり、今のように長く細くという働き方ではなく、一気に仕事をこなして、あとは余生を過ごすように地元でゆったりと過ごすという考え方でアグネスラムは働いていたと言われているんです。当時のアグネスラム人気を考えれば、ギャラが正常に支払われていれば、ハワイでゆっくりと過ごすには十分だったというわけです。

実際、現在のアグネスラムは結婚して子供も誕生して、何不自由なく生活できていると考えられるため、今まで一生懸命働いたのだからもう十分という感じだったのかもしれません。

また、グラビア画像なども、いつまでもずっとちやほやされるわけではなく、辞めるなら今!という感じできっぱりと仕事を辞めて、現在のようにハワイに戻ったというのが予想される引退の理由のようです。

引退後もアグネスラムは現在までCMなどに出演

引退したといっても、アグネスラムは完全に当時の写真だけが残ったわけではなく、1990年台初頭に「金鳥 タンスにゴン」のCMに出演しています。

そして、1996年にはダイハツのバイザーの新型車のCMキャラクターとして、子供たちと一緒にアグネスラムがテレビCMに出演しているんです。その写真には、人気絶頂期と変わらない体型が話題となり、今もその頃の写真に驚くファンが多いんです。

2000年には日本テレビ「あの人は今」にも出演しており、2010年代になった現在も変わらず雑誌の取材などには好意的に応じているそうです。ファンからすれば、現在もあの頃のアグネスラムのままで居てくれているというのは嬉しいですよね。

現在のアグネスラムも当時と変わらないまま

現在のアグネスラムは、当時の画像や写真を集めた、未公開カット的な写真集が度々出版されています。現在では、2000年12月に刊行された「20世紀のヴィーナス」や20008年4月に刊行された「平凡パンチ 甦れ、アイドルの時代」などに、アグネスラムの写真が入っています。

その後も、現在まで多くの写真集が刊行されており、2012年9月に長友健二撮影で未公開写真が多く含まれた「アグネスラム写真集」や2017年1月に池谷朗撮影の未公開カットが入った「アグネスラム写真集 1974」など、現在もその人気をうかがわせるものになっています。

2018年現在のアグネスラムとしては、すでに双子の子供達は独立しているそうで、現在は夫と2人でハワイで暮らしていると言われています。

もともと、アグネスラムの夫はホテルマンだったそうで、現在も観光関係の仕事に関わっているとも言われていますね。そして、現在もアグネスラムはとても日本が好きなようで、ときとき現在も日本に遊びに来てくれているそうです。

その中では、現在も日本が嫌いになって引退したわけではなく、あくまでアグネスラム自身にはハワイの気候が好きだったことが理由であると説明するなど、現在も変わらぬ愛くるしいルックスを見せてくれています。

アグネスラムは現在も日本に遊びに来ているらしい

しかし、現在ではあたりまえとなったグラビアアイドルという存在ですが、まさかのアグネスラムがそういったグラビアアイドルの元祖的な存在だったのは驚きですよね。

現在も、その当時のアグネスラムの画像や動画を見ると、本当にグラビアアイドルの元祖という響きは間違いないのがわかりますよね。小麦色の健康的な肌と、まだ巨乳という言葉が全面に押し出されていない時代ながら、そのグラマーのボディはさすがといえます。

なによりも、現在もアグネスラムが日本を大事に思っていてくれていることが良かったですよね。日本がイヤになって辞めたわけではなく、現在も日本に遊びに来てくれているアグネスラムは、芸能界の歴史において、非常に重要な人物だったといえます。

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