今陽子の現在は!結婚や元夫との間に子供はいるの?若い頃の画像も
伝説のグループのピンキーとキラーズの紅一点として、過去絶大な人気を誇り、今も舞台女優やドラマ俳優として活躍する今陽子さん。実は人気の低迷や、結婚生活との両立に苦しんだ時代がありました。今陽子さんのあまり知られていない過去について詳しく調べてみました。
目次
どんな女優歴を経てきたの?子供の有無は?今陽子さんのあまり知られていない過去をご紹介

伝説のグループ、「ピンキーとキラーズ」のピンキーとして絶大な人気を誇った今陽子さん。現在では日本を代表する舞台女優、エンターテイナーとして年齢60歳を越えた現在でもエネルギッシュに活動を続けています。これまでの彼女の経歴はどのようなものなのでしょうか。過去や現在の芸能活動、旦那さんの名前や子供の有無などのプライベートについて調べてみました。
今陽子さんはどんな人物?
今陽子さんの年齢・プロフィール
本名 今津 陽子(いまづ ようこ)
生年月日 1951/11/1(年齢66歳 ※2018/6現在)
出身地 愛知県知多郡
趣味 演劇、ミュージカル鑑賞、ニューヨーク旅行
特技 パーカッション(コンガ)、ダンス(タップ・ジャズ・ディスコ)、日本舞踊(坂東流)、ものまね、カラオケ
所属事務所 パオ(ホリプロダクション系列)(2018年6月現在)

子供のころから洋楽が好きだったこともあり、ニューヨークへ旅行し本場のミュージカルを鑑賞することが趣味なようです。
人生経験豊富な恋多き女今陽子さんの現在
これまで、歌手・舞台女優として数々の実績を残し、60歳を過ぎた現在も年齢を感じさせず精力的に活動している今陽子さん。実は、今陽子さんには離婚歴があったことはご存知でしたでしょうか?今陽子さんの元旦那さん、子供の有無や恋愛事情について見ていきましょう。

結婚は22歳、元旦那は高身長イケメントップモデル!?
今陽子さんの元旦那さんは、高身長のイケメントップモデルだったそうです。この時、今陽子さんの年齢はまだ22歳でした。しかし、結婚生活は長くは続かず、旦那さんとは4年で離婚してしまいます。その理由のひとつは、芸能活動に専念したいという、実にストイックなものでした。

とはいえ、全く色恋沙汰とは無縁であったわけではなく、女優だけあって今陽子さんは大変モテたそうです。ボーイッシュな姿と性格、そして仕事に真剣に打ち込むエネルギッシュな姿が、多くの男性の心を捉えました。
今陽子さんは再婚はしたの?子供は?
今陽子さんは自らを「恋多き女」と評するほど、数々の恋愛を経験してきました。しかし、それだけの恋多き人生を送ってきたにも関わらず、2度目の結婚をすることなく現在に至っています。ただ、今では20年来の付き合いである、友達以上恋人未満の男性と安定したお付き合いをしているようです。

このように、元旦那さんとの離婚以来、一人の男性に居所を決めず、女性として恋多き人生を送ってきた今陽子さん。仕事一筋に生きてきたせいか、今陽子さんには子供はいらっしゃいません。子供から芸能活動に影響を受けたくないという気持ちがあったのかもしれません。
結婚式の司会は徳光和夫さん

4年で破局してしまった結婚生活ですが、結婚当時、今陽子さんは人気者だったおかげで、なんと司会は徳光和夫さんが務めました。徳光和夫さんとしては、結婚式の司会を務めたのはこれが最初であったようです。
今陽子さんの元旦那の名前は?

今陽子さんが元旦那さんである男性トップモデルが誰かというのは気になるところです。調べてみると、松川達也さんという方が元旦那でした。

松川達也さんは高身長な上、今陽子さんも女性としては大柄であったため、当時は「ジャンボカップル」として祝福されました。松川達也さんとの間には子供を設けませんでした。結婚生活は4年程度しか続かず、離婚してしまいます。しかし、離婚後はお互い毛嫌いすることもなく、現在も良い友人として関係を続けています。ちなみに、松川達也さんは、その後1981年にモデルの女性と再婚しました。
離婚の原因は本当のところなんだったのか?
今陽子さんの離婚は、主に仕事が原因です。結婚したのは、ちょうどピンキーとキラーズを脱退度、ソロ活動を始めたころでした。ソロ活動としての今陽子さんはあまり仕事には恵まれませんでした。ピンキーとキラーズ時代では、「ピンキー」として絶大な人気を誇っていただけに、ギャップに苦しみます。人気の低迷していた今陽子さんは、現状に焦り、「このままでいいのか」という葛藤にさいなまれていました。

年齢が20代の半ばにさしかかっていたこともあり、「結婚生活を続けていても、音楽や女優業といった芸能活動は中途半端になってしまう。」そのような焦りが今陽子さんにはありました。そんな焦りを抱えた今陽子さんに、新曲「誘惑」のオファーが、続いて、西武劇場での公演の出演オファーが入ります。再起を図る大チャンスではありましたが、業界からは「離婚してでもやる気があるのか」という圧力がかけられます。

子供もいなかったこともあり、このような背景から、今陽子さんは、結婚生活よりも自身の女優人生の方を重視し、旦那さんとの離婚を決意したのです。
今陽子さんの芸能歴を時系列で追う
15歳でソロデビュー

今陽子さんは、ピンキーとキラーズの「恋の季節」「涙の季節」でのヒットが有名ですが、元々はソロ歌手としてデビューしていました。この時年齢は15歳です。ピンキーとキラーズ時代の今陽子さんがあまりに有名すぎて、このデビュー当時や、そのほかの時代については一般にあまり知られていません。今陽子さんの芸能歴について、時系列に沿って細かく見て行きましょう。
今陽子さんのデビュー曲は鳴かず飛ばず
今陽子さんは、ピンキーとキラーズの「恋の季節」「涙の季節」でのヒットが有名ですが、元々はソロ歌手としてデビューしていました。ソロとして歌手デビューした際、今陽子さんの年齢はまだまだ子供と言える15歳。デビュー曲は「甘ったれたいの」でした。このデビューは1967年のことです。ビクターレコードからのデビューです。

しかし、このデビュー曲はヒットには至らず、ソロ歌手としては苦戦を強いられます。1年に渡りソロ活動を続けましたが、ヒットはなし。この時代は特に目立った女優としての実績もありません。
ピンキーとキラーズでの空前の大ヒット

そんな今陽子さんの転機になったのが、ピンキーとキラーズの「恋の季節」(1968年)だったのです。この「恋の季節」は、240万枚という驚異的なセールスをあげ、当時のピンキーとキラーズは、凄まじいまでの人気を誇りました。

グループサンズやフォークグループが雨後の筍のごとく次々とデビューしていた時代でしたが、そのようなグループの中でも、ピンキーとキラーズはひときわ存在感がありました。「恋の季節」の翌年の1969年には、「涙の季節」もオリコン1位を獲得し、人気の絶頂を迎えます。
「ピンキー」として超人気者になった今陽子さん
山高帽、タキシードに黒いパンタロンというピンキーとキラーズのコスチュームは当時大ウケし、世代を問わずに絶大な人気を獲得しました。「青空を飛び出せ」という、ピンキーとキラーズが主役となったテレビシリーズが制作され、大ヒットした「恋の季節」は映画化までされました。

今陽子さんもこの作品に女優として出演しています。今陽子さんは、このピンキーとキラーズの紅一点として、一躍有名になりました。当時の今陽子さんは、ぼっちゃり体系で、活発でボーイッシュなキャラクターが受け、ピンキーとキラーズには欠かすことのできない存在となります。

ちなみに、映画化された「恋の季節」で、今陽子さんはヒロインの友人役として出演しました。これがきっかけで、まだまだ子供とはいえ、演技の才能も注目され、舞台俳優やテレビドラマの女優としても活躍するようになりました。
ピンキーとキラーズからの脱退

そのような人気の絶頂であった今陽子さんですが、ピンキーとキラーズに4年間在籍した後、脱退してしまいます。その理由は、「好きなジャズやポップスを歌いたい」というものでした。人気のあまり今陽子さんは多忙を極め、学校にも満足に通えないほどでした。
「多忙のあまり、満足に眠る時間もなく、学校に通うこともできない。なんで自分がこんな目に合わなければいけないのか」と当時は大いに悩んでいたようです。未成年にも関わらず、「ピンキーがいないと盛り上がらない」という理由で年齢に見境なしに酒の席に引っ張り出されていました。この多忙な生活から一度抜け出し、自分の本当にやりたいことに向き合うために、脱退を決意したのです。
「今陽子」としてソロ活動を始めるものの人気は低迷…
脱退後は、ミュージカル「死神」で舞台女優として出演でき、ソロ活動としてよい滑り出しかとは思われました。しかし、これまでの実績が華々し過ぎて、これまでのギャップと苦しむことになります。

もともとはソロ歌手でデビューしていたこともあり、歌唱力は確かなものでしたが、世間での「ピンキーとキラーズの今陽子」というイメージはなかなか払拭できませんでした。ヒット曲である「恋の季節」を歌うことを求められ、歌手・女優として葛藤を抱えたこともありました。

ピンキーとキラーズを脱退後のソロ活動は、ピンキーとキラーズほどのヒット曲に恵まれませんでした。お酒の席で歌手として呼ばれるものの、観客が知っているのは「ピンキーとキラーズの今陽子」でした。「恋の季節は歌わないの?」という声は常につきまといました。
逃げるように結婚したがそれも失敗
元旦那さんである、トップモデルの男性と結婚したのは、ちょうどこのころです。自身が言うには、「逃げるように結婚した」とのことです。歌手活動で思ったような成績が出せず、女の幸せを求めて22歳で結婚しました。しかし、4年後の26歳に旦那さんとは離婚してしまいます。

「歌手・女優活動もプライベートもうまくいかない」とどん底に落ちた今陽子さんでしたが、彼女は自身の芸能活動を大改革することを決意します。
芸能イメージを大改革するために留学を決意
その大改革とは、ニューヨークへの留学でした。今陽子さんは、ピンキーのキャラクターイメージを完全に振り払い、新しい自分のイメージを作り上げようとしたのです。この時、1981年、今陽子さんの年齢28歳でした。

単身ニューヨークに留学し、そこでダンス、歌や英会話を勉強し直します。本場のミュージカルの勉強や、レッスンに明け暮れました。ミュージカル自体は上演されなかったものの、ミンスコフ劇場で「SAYONARA」の主役オーディションを受けて合格するなど、舞台女優として確かな実力を身につけることができました。

今陽子さんが日本に戻ってきたのは、年齢は30を過ぎてから。外国人歌手かと間違われるほとの歌唱力と英語力を身につけていました。日本では唯一無二の「女性エンターテイナー」としての存在感を発揮するようになったのです。

その後は着実にブロードウェイミュージカルなどの舞台女優として、「歌って踊る」ショーの花形として活躍します。ピンキーとキラーズの今陽子のイメージから完全に脱却して、ミュージカルやショーに欠かせない存在になったのです。
音楽だけじゃない!今陽子さんの多彩な才能

今陽子さんは、テレビにも数多く出演しています。歌番組だけではなく、推理ドラマやバラエティなどにも出演し、幅広い分野で活躍しています。

ソロになってからいくつか映画に出演しており、「蕾の眺め」(1986年日活映画田中登監督)、別れぬ理由(1987年、降旗康男監督)、魂萌え!(2007年、阪本順治監督)といった作品に出演しています。「蕾の眺め」では主演女優を務め、ヌードを晒すという挑戦をしています。ミュージカルについては過去30作品以上に出演し、大ベテランと言えるでしょう。
現在もエネルギッシュに活動する今陽子さん
60歳を越えた今でも、年齢による衰えを一切感じさせずに今陽子さんは大小様々なショーやライブに出演しています。2008年には芸能活動40周年を記念し、32年ぶりにピンキーとキラーズを再結成しました。

ピンキーとキラーズのイメージが今陽子さんを苦しめた時期はありましたが、今ではそのような過去も受け入れることができているようです。往年のヒット曲を歌うようにリクエストされても意固地になって他の曲を歌っていた時期もありましたが、だんだんと受け入れて歌うようになりました。

自身のやりたいことのために、自分で道を切り開き、現在も現役で数多くのミュージカルやショーで活躍する超実力派の今陽子さん。年齢を感じさせないそのエネルギッシュな活動とキャラクターは今も往年のファンの心を掴んで離しません。
近年書籍も発表した今陽子さん
実は、今陽子さんは「60歳からのFacebook」という著書を発表しています。元々、今陽子さんは機械に詳しかったわけではありませんでしたが、友人に手取り足取り教えてもらいながらインターネットを始めたようです。だんだんと使いかたを覚え、今ではFacebookを通してファンや海外のミュージシャンとの交流を楽しんでいます。

「歳だから難しいことはわからない」と、ITを敬遠する高齢者が多い中、今陽子さんはFacebookを通して人々と交流することの面白さを訴えています。「60歳からのFacebook」では、年齢に関係なくエネルギッシュに活動する今陽子さんらしく、大人流のフェイスブックの使い方を伝授しています。今からFacebookを使って多くの人との交流を楽しんでみたいという高年齢の方にとっては、きっと参考になるでしょう。
激動の人生を駆け抜け今も精力的に活動する今陽子さん

ピンキーとキラーズでの大ヒット後のソロでの人気の低迷。結婚と離婚。海外留学での芸能活動の一新。今陽子さんの人生には祝福の時代も苦難の時代もありました。

しかし、常に自分は芸能で生きていたいという夢を持ち続け、自分の選んだ道を自分で切り開いていてきました。そのような人としてのパワーが、60歳という年齢を迎えた今でも実力派エンターテイナーとして根強い人気を誇る理由なのでしょう。もし、あなたが今陽子さんの人生遍歴を知り、興味を持っていただけたようなら、一度彼女の舞台を観に行ったり、発表曲を聞いてみたりしてはいかがでしょうか。
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