浅香光代の子供の父親は大物政治家?正体は元総理?息子の名前を告白!
剣劇女優として人気を博した、往年の大女優である浅香光代さん。大物政治家との隠し子疑惑や、ミッチーサッチー騒動などで現在でも注目を浴びる芸能人でもあります。子供の父親である大物政治家とは誰なのか?隠し子騒動の顛末や、浅香光代さんの芸能歴についてまとめました。
目次
浅香光代さんのプロフィール
浅香光代さんの経歴

・愛称:ミッチー
・本名:北岡昭子
・生年月日:1928年2月20日
・現在年齢:90歳(2018年6月現在)
・出身地:東京都千代田区神田
・血液型:B型
・身長:163cm
・体重:55kg
・活動内容:女優
・所属グループ:新生国民座団員、浅香光代一座座長、演劇舞踊浅香流創始者、武蔵野学院大学客員教授
・事務所:浅香光代事務所
・家族構成:夫として世志凡太(未入籍)、子供として息子2名
浅香光代さんの若い頃

浅香光代さんは剣劇の舞台では、胸元や素足がちらりと見えるようなセクシーな演技で16歳頃から一気に人気が出ました。この演技が、のちの「チラリズム」の語源となります。美人でセクシー、なおかつ確かな演技の実力が浅香光代さんの人気を支えました。多くの経営者や政治家との浮名を流しており、若い頃は相当にモテたと噂されています。
浅香光代さんの芸能歴
「浅香光代」としての芸能人生のスタート
浅香光代さんの芸能人生を語る上で欠かせないのが、『女剣劇界の中心人物』という存在であったということです。浅香光代さんが芸を志し、芸能界に入ったのは1937年(昭和12年)、まだ子供である9歳のときでした。

浅香光代さん(当時まだ北岡昭子)は浅香新八郎氏、森静子氏らが率いる舞台劇団「新生国民座」の門戸を叩き、芸者の道を歩み始めます。稽古を始めた浅香光代さんは、すぐに才能を見出され、「浅香光代」という芸名を座長から送られます。
チラリズムを生み出した女剣劇スターとして活躍

1944年(昭和19年)に思わぬ事件が起きます。座長の浅香新八郎が急逝してしまうのです。座長を失った新生国民座は、解散。しかし、元座員たちは浅香光代さんを座長として「浅香光代一座」を発足させます。この時まだ浅香光代さんは子供といってもいい、14歳でした。

突然座長としての地位に祭り上げられたものの、浅香光代さんはうまく新劇団を軌道に乗せ、浅香光代一座は人気劇団として有名になります。劇団は都内の浅草や新宿といった大御所芝居小屋で専属となるほどの人気でした。浅香光代さん本人も、のちに「チラリズム」と呼ばれることになる、ちらりと太ももなどを見せる色気のあるシーンで人気を博しました。単なる若手女優ではなく新しい女剣劇のスターとして大活躍しました。
演技指導として各方面で活躍

浅香光代さんは殺陣をはじめ演技には絶対の自信を持っており、後輩の指導に努めました。テレビ企画などで芸能人への演技指導をすることもありました。1979年(昭和54年)には「演劇舞踊浅香流」を創始し、以来多くの門弟を輩出しています。

武蔵野学院大学の客員教授という経歴もあり

実は浅香光代さんは小学校を中退しています。しかし、武蔵野学院大学から客員教授として招かれています。2006年(平成18年)のことです。これは、14歳で劇団の座長になり、以後、劇団を牽引してきた指導力と行動力を見込まれてのものでした。勢いのあるストレートな物言いで知られる『浅香節』により現代の大学生に喝を入れています。
旭日双光章を受賞

浅香光代さんは2009年(平成21年)に、旭日双光章(勲五等双光旭日章)を授与されています。浅香光代さんがこれまで日本文化としての剣劇の隆興に貢献してきたことや、指導者として数多くの役者を輩出してきた功績が認められてのものです。

浅香光代さんの子供の父親は一体誰なのか?元総理の自民党政治家という噂の真偽に迫る
芸能界のタブー!?浅香光代の息子は誰の子か?
「浅香光代さんの息子の父親は、自民党の大物政治家ではないか」という噂が世の中を騒がしました。騒動の始まりは2014年、週刊誌「婦人公論」(中央公論新社)で、政治家S氏との間に、2人の隠し子を設けたと明かしたことがきっかけです。
相手が大物政治家とあって、マスコミは子供の父親の名前を明らかにしようと躍起になりました。この隠し子騒動は結局どうなったのか?子供の父親は誰なのか?騒動の顛末について見ていきましょう。
浅香光代さんの息子さんの名前は?
そもそも、息子さんの名前はなんというのでしょうか。浅香光代さんには2人の息子がいますが、次男の名前だけは明らかになっています。その名前は『北岡昭次』です。北岡昭次さんは1954年生まれの男性。現在、ある映像会社の役員を勤めています。
母親である浅香光代さんとはほぼ絶縁状態に近く、「30分以上話したことがない」という関係で、近くの別宅にお手伝いさんと住んでいたとのことです。

浅香光代さんは、「先生の名前に傷がつくから父親の名前を公表しないなら子供を産んで良い」と言われていたため、息子にも父親の名前を明かしませんでした。「父親は飛行機から落ちて死んだ」と伝えられ、父親の名前はずっと隠されてきました。北岡昭次さんは、浅香光代さんのことを「お母さん」と呼ぶのを禁じられており、「先生」と呼んでいました。
息子との会談

息子の北岡昭次さんは2017年9月29日(金)放送「今夜解禁!ザ・因縁」に顔出しで出演し、浅香光代さんとの対談に臨みました。北岡昭次さんは、浅香光代さんに「私の父親はだれか?」「私にも知る権利はある」と問いただしました。しかし、結局、父親の名前は明らかになりませんでした。
父親を特定するヒント
対談で父親の名前は明らかにならなかったものの、対談、これまでのマスコミや週刊誌からのインタビューなどで多くのヒントは得られました。

「総理経験者(なれそうでなれなかったという情報もあり)」「名前はS(苗字ではなく下の名前が有力)」「自民党のNo.2に長く君臨していた人物」「出会った当時浅香さんは19歳で相手は50歳近く(約30歳差)」「剃刀の異名をとった吉田内閣閣僚」「本人・夫人ともに他界」「読書家であり、三味線も弾けるなど多趣味」「息子も政治家」というヒントが得られています。このヒントから、父親の疑惑がある人物をピックアップしてみましょう。
父親として浮かび上がった自民党の政治家たち
これまでのヒントのいくつかに一致し、浅香光代さんの子供の父親として名前が浮上したのが、「福田赳夫」「佐藤栄作」「椎名悦三郎」「中野四郎」「鈴木善幸」「重宗雄三」「前尾繁三郎」「川島正次郎」です。

この中では、2014年2月6日の週刊文春が、「川島正次郎」を父親の名前として報じており、当時は特に有力視されました。また、対談で素顔を公開した息子さんと顔がそっくりだという観点から、「鈴木善幸」がネットでは有力視されています。
父親候補たちのプロフィールは?ヒントとは合致するのか?
これまで何名かの父親候補の名前が浮上していますが、明らかになっている条件にぴたりと一致している人物はいないようです。候補者のプロフィールを一人ずつみていきましょう。

画像は福田赳夫さんです。まず、苗字も名前もイニシャルがSではありません。第91代内閣総理大臣を務め、息子は自民党総裁を経験しています。「元総理」「息子が政治家」という点は一致していますが、以前に浅香光代さん本人からインタビューで否定されています。

佐藤栄作さんは、自民党所属で第61~63代内閣総理大臣を歴任しています。イニシャルにSが含まれています。息子も政治家です。浅香光代さんとの年齢差は約30歳です。

椎名悦三郎さんは内閣総理大臣の経験はありませんが、自民党の副総裁としてNo.2のポジションの経験があります。ヒントで言及された「剃刀」という異名を持ちます。浅香光代さんとの年齢差は約30歳。息子も政治家経験があります。

イニシャルにSが含まれている自民党の政治家ではありますが、中野四郎さんは総理の経験はなく、自民党の副総裁の経験もありません。息子は政治家ではなく、雑誌記者。元愛人であったと浅香光代さんの自伝で公表されているため、可能性は低いと考えられています。

苗字にSが含まれています。浅香光代さんの息子の昭次さんに顔がそっくりです。鈴木善幸さんは第70代内閣総理大臣や、自民党の総裁の経験があります。ただし、浅香光代さんとは17歳差である点がヒントと一致していません。

重宗雄三さんと浅香光代さんと約30歳差であり、苗字のイニシャルがSです。参議院議長として自民党で絶大な影響力を発揮しましたが、総理の経験はありません。

前尾繁三郎さんは名前がS、年齢差は約20歳あります。非常に読書家で三味線も弾けるという点でヒントに合致しています。しかし、総理の経験はありません。

川島正次郎さんは総理の経験はないものの、自民党副総裁の地位に長く務めました。名前のイニシャルがSで、年齢差は約30歳です。息子は一人いましたが、11歳で亡くなっているので、「息子が政治家」というヒントには当てはまりません。
ヒントにはフェイクが含まれている?
これまで何名かの政治家が浮上したものの、ヒントの全てにピタリ一致する人物はいませんでした。そのため、ヒントから父親が誰かわからないように、ヒントにはフェイクが含まれているという疑惑があります。浅香光代さんは、「真相は墓場まで持っていく」と宣言しているため、本人から子供の父親の名前が明らかになる可能性は低い状況です。
今の旦那さんは世志凡太さん
浅香光代さんの現旦那、世志凡太さんって誰?

浅香光代さんは若いころ数多くの浮名を流しており、経営者や政治家との交際があったとされています。結婚はこれまでに5回経験しており(世志凡太さんを含めれば6回)、現在の旦那さんは世志凡太さんです。世志凡太さんとは入籍はしていませんが、1992年に事実婚をしています。

世志凡太(本名:市橋健司)さんは1934年生まれの音楽家兼コメディアンです。テレビドラマや映画への出演経験がある他、コンサートを定期的に開催しています。1972年には株式会社市橋プロモーションを設立し、音楽プロデューサーとしても活躍しました。2005年には、浅香光代さんとのデュエット曲「あんたがストレス」をリリースしています。
世志凡太さんとの今の関係
2014年の息子との対談の番組内の情報によると、二人は家庭内別居関係にあり、5階建ての自宅内では、階を隔てて生活していたそうです。浅香さんと話すときは基本的に電話です。

世志さんが家庭内で使えるスペースは限られ、「人間扱いされていない」と漏らしていたこともあるようです。しかし、2016年1月に放映された「私の何がイケないの?」の番組内で、世志さんは浅香さんに指輪を渡してプロポーズしました。婚姻届にはサインしてもらったものの、書類は役所に提出しておらず、入籍は現在もしていません。
終活も万全!遺産の総額とは…?

これまで剣劇女優や劇団の座長として活躍し、演劇舞踊浅香流の創始として芸の世界に多大な影響を与えてきた浅香光代さん。これまでに蓄えてきた財産は相当なものと推測されますが、具体的な遺産額については明らかになっていません。ただ、就活は着々と進めており、遺言書も作成しています。

遺産については息子2人にそれぞれ財産の4分の1ずつを、残りの2分の1については夫の世志さんに渡すと遺言には記されているそうです。また、所有物の査定を進めており、着物800枚、帯1000本、印籠や骨董品は総額で約700万円相当になるそうです。購入した金額としては3億円相当になるようですが、本人としては満足しているとのことです。
ミッチーサッチー騒動の顛末
ミッチー・サッチー騒動とは?

ミッチー・サッチー騒動とは、浅香光代さんと野村光代さんの一連の舌戦です。お互いの批判の応酬は、当時大いにお茶の間をにぎわせました。この騒動をきっかけに若い層にも浅香光代さんの名前が知れ渡りました。
騒動のきっかけ
1999年、TBSラジオの「大沢悠里のゆうゆうワイド」内で、野村沙知代さんを批判をしたことがきっかけです。1996年の東京都知事選挙において、野村沙知代さんが繰り上がり当選の可能性が出たことに対して、野村沙知代さんの人格や態度についてかなり辛辣に批判をしました。

以前に舞台で共演したことがあり、野村沙知代さんが稽古をサボったり挨拶がろくにできていなかったりという態度が浅香光代さんとしてはよく思っていなかったという背景がありました。
マスコミは加熱し野村沙知代パッシングへ
ミッチー・サッチー騒動をきっかけに野村沙知代さんの学歴詐称や脱税疑惑が報道されました。それ以後、次第にミッチー・サッチー騒動は、単に野村沙知代さんのパッシングの様相を呈すようになりました。週刊誌からパッシングを受け続け、それを黙認してきた野村沙知代さんですが、2002年に週刊誌や芸能人を相手取り誉毀損の訴訟を起こします。
ミッチー・サッチー騒動の終焉
2004年、東京地裁は浅香光代さんに対して、野村沙知代さんへの名誉毀損として110万円の賠償金の支払いを命じました。「サッチーがミッチーに辛勝、騒動に終止符」として、日刊スポーツが報道し、一旦の終息を見ました。

2017年には野村沙知代さんが死去し、浅香光代さんはこれに対して「あたしよか長生きすると思ってたのに、人間って分からない。こうなったら仏になりましたから、安らかにと手を合わせるしかないです。静かにしてほしいと願います。」とコメントしています。
浅香光代の子供の父親は大物政治家?正体は元総理?息子の名前を告白!まとめ
浅香光代さんの2名の息子のうち、次男については名前が明らかになりました。次男との対談番組や週刊誌の取材などから、父親についての多くのヒントがこれまで得られています。

しかし、候補として数名の大物政治家の名前が浮上しているものの、確定には至っていません。「真相は墓場まで持っていく」という浅香光代さんの発言から、浅香さんが存命中には本人の口から真相が明らかになる可能性は低いとされています。「浅香光代さんの子供の父親は誰か」というミステリーは、今後も世間が注目する話題となるでしょう。
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