ZARD坂井泉水の死因の真相は?自殺説や事故の噂?病気で闘病中だった?

今もそのミステリアスな人生と死因から、様々なエピソードが存在するZARDの坂井泉水。そんな坂井泉水は死因が病気や自殺など様々な噂があるんです。そもそも、その自殺と言われている現場にも多くの謎が残っているんです。坂井泉水の画像やその自殺の死因や真相に迫ります。

目次

  1. 坂井泉水の死因の真相は自殺なのか
  2. 坂井泉水の死因の真相は謎が残る
  3. ZARDとしての坂井泉水
  4. 坂井泉水の死因だけでなくZARDも謎が多い
  5. 坂井泉水が抱えていたがんという病気
  6. 突然の自殺という坂井泉水の死因
  7. 坂井泉水の死因の真相は事故死の可能性も

坂井泉水の死因の真相は自殺なのか

今でもその歌に励まされたり背中を押される人も多い、ZARDの坂井泉水。しかし、そんな坂井泉水は最後まで謎の多い女性として、この世を去ってしまいました。

坂井泉水の死因は今だに自殺なのかどうか、その真相には不明な点が多いんです。何よりも、坂井泉水はがんの病気を抱えていたという噂もあり、その自殺現場も不可解なことが多いようです。

改めて、そんな坂井泉水の死因の真相に迫ってみました。坂井泉水の死は、本当にがんの病気を悲観した自殺だったのでしょうか。

坂井泉水の死因の真相は謎が残る

坂井泉水は1967年2月6日生まれで、40歳のときに亡くなっています。死因は自殺ということになっていますが、その死の現場の状況を含め、不可解な点が多いんです。

坂井泉水はZARDというグループの一人でしたが、最終的にはZARD自体が坂井泉水のことを表す言葉として使われています。また、坂井泉水は芸名で、本名は蒲地幸子というそうです。

1967年に神奈川県平塚市で誕生しており、小学校4年からは平塚市と秦野市の両方で育っているそうです。秦野市立西小学校、秦野市立西中学校を経て、神奈川県立伊志田高等学校を卒業しています。

坂井泉水は意外にアクティブな学生時代だった

坂井泉水は中学時代は陸上部に所属しており、またギタークラブでも活動していたそうです。そして、高校時代は硬式テニス部に所属していたそうです。

松蔭女子短期大学を卒業後は、不動産会社「第一不動産」でOLとして二年間ほど勤務していたそうです。

画像ではどこか大人しそうなお嬢様というイメージもあるかもしれませんが、実は画像はシャイな一面があって苦手だったようですが、実はちょっと悪戯っぽい部分がある、お茶目な女性だったそうです。

坂井泉水のスタートはモデルとして始まった

もともと、坂井泉水は歌手として活動をスタートしたのではなく、街頭でスカウトされたことで、スターダストプロモーションに所属し、モデルとして活動をしていたんです。

また、モデルとして年齢を若く見せるためか、当時の公式プロフィールには1969年と年齢のサバを読んで記載されていたようです。

1989年1月2日にテレビドラマ「春橙」に東北地方から売られてきた少女役で初出演しており、1990年からは、山下直美とともに「東映カラオケクイーン」になっているんです。

そのため、カラオケビデオでWinkの「One Night In Heaven 〜真夜中のエンジェル〜」や中森明菜の「CARIBBEAN」、永井真理子の「23才」、薬師丸ひろ子の「手をつないで」などに出演しているんでっす。

そして、東映カラオケのPR活動として、地方のカラオケ店に巡業をしており、ZARDとしてデビューする1991年3月ごろまで、こういった活動を行っていたようです。

坂井泉水はレースクイーンとしても活動していた

1990年に日清カップヌードルレーシングチームのレースクイーンとして活動を始めています。このとき同期として、あの岡本夏生もいたそうですね。

この頃と前後して、バラエティ番組の「とんねるずのみなさんのおかげです」の「仮面ノリダー」でマリナの知人役として出演したり、TBS系ドラマの「渋谷・青春坂・ラブホテル」で端役として出演しています。

1990年6月に写真集「Body Works」を出版しており、6月21にはビデオ「SEXY SHOOTING」を発売、そして7月24日にはセミヌード写真集「NOCTURNE」も発売しているんです。

ZARDとしての坂井泉水

坂井泉水は1990年8月にスターダストプロモーションの代表取締役であった細野義朗に、ビーイングの社長である長戸大幸を紹介され、B.B.クィーンズの音楽コーラス隊のオーディションを受けることになったんです。

オーディションには落選してしまったものの、長戸大幸にその才能を認められて、以後は芸名の坂井泉水として音楽ユニット「ZARD」の結成準備が決まったんです。

1991年に2月10日にシングル「Good-bye My Loneliness」でデビューしており、その後は「負けないで」や「揺れる想い」、「マイ フレンド」など9作でミリオンヒットを記録する、大人気歌手になったんです。

坂井泉水は90年台アーティストとして、トータルセールスの女性ボーカル部門で1位に輝いており、その儚げな雰囲気と、ほとんどメディアに出演しないことから、神秘的な存在となっていきます。

坂井泉水が画像やテレビに出なかった真相

坂井泉水はほとんど画像やテレビに出演することがなくテレビ朝日の「ミュージックステーション」に出演した際も、デビューと同時に結成したバンドであり、コンセプトが出てから公の場に出たかったと説明したそうです。

坂井泉水のメディアに露出が少ないというスタイルは、ビーイングの特徴にもなり、小松未歩や初期の大黒摩季、倉木麻衣もそういった方向性になりました。

特に、デビュー当初こそ、テレビ出演やラジオ出演を行っていたものの、デビュー3年目にリリースした「負けないで」が大ブレイクすると、以降はほとんどテレビなどには出演しなくなったんです。

また、坂井泉水の写真は正面を向いている写真も少なく、いわゆるソフトフォーカスなものが多かったため、歌手としての顔と、写真の顔では大きく雰囲気が変わるという特徴もありました。

坂井泉水自身は、過去に音楽番組に出演したときに体調不良になったこともあり、生放送系には出演しないようにしていたようです。また、トークが苦手で、あくまでレコーディングの時間を重視したいという思いもあったそうです。

坂井泉水の死因だけでなくZARDも謎が多い

ZARDという名前を聞くと、基本的に坂井泉水一人を思い浮かべると思います。また、ZARDとしての画像も坂井泉水の画像のみしか使われておらず、坂井泉水の音楽活動のときの名前がZARDだと感じる人も多いですよね。

しかし、かつてはZARDはメンバーとして行われていた活動だと言われているのですが、そのメンバーに関してもいろいろと謎が多いんです。

ZARDのメンバーだったと言われているのが、町田文人、星弘泰、道倉康介、池澤公隆の4人がそれぞれZARDの楽器を担当していたと言われています。

また、ライブなどにおいてもこれらのメンバーが一緒に活動していたようですが、それぞれタイミングは別だったものの、脱退をしており、最終的に坂井泉水のみになっています。

そのため、かつてはZARDは5人組のバンドと紹介されたこともあtぅたようですが、5thシングル「IN MY ARMS TONIGHT」ごろまでは、それぞれのメンバーなどがクレジットされていたようですね。

その後、メンバーは脱退したものの、坂井泉水に関して非常に自分たちを心配してくれる存在であり、最後の自殺という死因に関しても、理解ができないと困惑したそうです。

坂井泉水が抱えていたがんという病気

坂井泉水はその儚げな画像が印象的ですが、実はがんの病気を抱えていたんです。それは、2000年以降、子宮筋腫や卵巣のう腫、子宮内膜症などの非常につらい病気を抱えていたんです。

画像ではいつ消えてしまってもおかしくないような、不思議な魅力がある女性でしたが、坂井泉水はこういったがんにつながる病気のため、通院の日々だったようです。

2000年に「Get U're Dream」がNHKのシドニーオリンピック放送時のテーマ曲になったことから、坂井泉水が2000年のNHKの紅白歌合戦に出演することに前向きになっていたそうです。

しかし、坂井泉水は体調がすぐれないためという理由から、紅白歌合戦の出場を辞退してしまったんです。

坂井泉水は病院と現場を行き来していた

坂井泉水は2006年4月に、仕事中、体調が悪化したという理由から病院で検査を受けたところ子宮頸がんが発見されたんです。

そのため、坂井泉水は6月1日に慶應義塾大学病院で卵巣の摘出手術を受けており、7月になって病院を退院したそうです。

しかし、2007年4月に、坂井泉水はがんが肺に転移していることが分かり、再入院することになりました。入院中の坂井泉水は、抗がん剤による治療を受けており、治療後のアルバム制作とコンサートツアーに向けて作詞を行っていたそうです。

このように坂井泉水はがんという病気を抱えながらも、復帰後の活動を考えており、がんという病気に負けずに前向きに取り組んでいたことが想像されるんです。

突然の自殺という坂井泉水の死因

2007年5月26日、坂井泉水は入院先の病院内のスロープから3メートル下に転落死、駐車場で仰向けに倒れている現場を、通りかかった通行人に発見されました。

その後、集中治療室で緊急処置を受けた坂井泉水ですが、後頭部強打による脳挫傷という死因のため死去しているんです。このとき、坂井泉水の年齢はまだ40歳というものでした。

この坂井泉水の自殺と思わしき死因を含め、日本のメディアだけでなく韓国や台湾など国外のメディアでも、その訃報が報じられることになりました。

坂井泉水の一般向けの音楽葬には4万100人が来場したそうで、これはhideや美空ひばり、そして忌野清志郎に続き戦後の日本で4人目となる人数だったそうです。

いまだにその死因の真相は不明

入院していた病院が自殺現場となっており、その自殺現場自体も、通常では人が出入りするところではないスロープが、自殺現場になっています。

坂井泉水が自殺するはずがないと信じている人たちは、坂井泉水は外の景色を見ようとしたか、空気を吸おうと外に出たときに、誤って転落したことが死因なのでは?と考える人も多いようです。

坂井泉水はすでに余命宣告されていた?

実は、坂井泉水は2007年4月に肺への転移が発覚して再入院した際に、すでに余命を宣告されていたと言われているんです。

その余命はわずか「2ヶ月」だったそうです。このことは、親族だけに伝えられていたようですが、坂井泉水が年齢的に若いことが、逆に病気の進行するスピードを早めていたそうです。

このスロープから落下したという、自殺現場に関しては、慶應義塾大学病院の関係者はいろいろと疑問が残る部分があるようです。

坂井泉水が落下したと思われる時間は5月26日の朝5時40分ごろだったそうです。このような早朝の時間に、坂井泉水が居たスロープに出入りすることは考えられないそうです。

坂井泉水の自殺現場は誤って転落した可能性も

そもそも、非常通路が現場となっており、天気も雨が降る時間だったことから、散歩や景色を見えるということも考えにくいそうです。

また、坂井泉水の音楽関係者は、坂井泉水の遺書が無かったことや、病室がまったく整理された様子もないこと、そして何よりも、復帰後のために書き溜められた詩などもあったことから、復帰に対して非常に意欲的だったと考えているそうです。

坂井泉水は、そもそもはがんによって余命が2ヶ月ということは知らされていなかったようで、復帰後のことを考えて、体調が良いときは、体力を落とさないために、散歩を欠かさなかったそうです。

しかし、その真相を知らなかったとはいえ、坂井泉水の亡くなる直前は、体重が30キロほどになっており、声もうまく出せなくなっており、歩くのも慎重に1歩、1歩1歩くような状態だったそうです。

坂井泉水の死因の真相は事故死の可能性も

坂井泉水が自らの病気の真相に気づいていたのかは不明な点が多いです。画像のように普段からスマートで痩せ型だった坂井泉水ですが、抗がん剤の治療により、画像のように長かった髪の毛もかなり抜けてしまっていたそうです。

どこかで、病気の真相に気づいていたのかもしれませんが、それでも自殺という道を選ぶのは、復帰後に向けての行動から考えにくいかもしれません。

ただし、自殺現場となったスロープは、病棟からスロープへは施錠がされており、直接は出入りできない現場だったそうです。また、坂井泉水が触っていたと思われる手すりには、乗り越えたと思わしき跡が残っていたという話もあるようです。

坂井泉水の画像だけは変わらずあの頃のまま

結果的に言えば、坂井泉水の死因は自殺とも事故死とも報じられないままになりました。自殺とした場合は、ファンによる後追い自殺の可能性があったからのようです。

また、事故死の説としては、乗り越えたとされるスロープは1階部分であり、3メートルの高さを自殺に選ぶというのは考えにくいようです。そのため、警察では坂井泉水が腰掛けようとして転落した可能性もあると考えていたようですね。

結果的に、坂井泉水の死因については謎が残ったままになりました。自殺なのか事故死なのかという死因の謎は残りますが、坂井泉水が残した曲は色褪せること無く、いまでも多くの人の心の支えになっています。

限られた画像や動画しか残されていませんが、坂井泉水が残してくれたたくさんの曲とともに、坂井泉水の「負けないで」の歌詞のように毎日をくじけずに頑張っていきたいですよね。

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