宮沢りえの父親はオランダ人ハーフ!母との関係や異父兄弟とは!画像あり

ついにV6の森田剛と結婚した宮沢りえ。そんな宮沢りえの人生は波乱万丈の人生でした。そんな宮沢りえといえばりえママと言われた母親も有名ですが、父親はオランダ人のハーフという噂があるようです。離婚したと言われる父親や家族、宮沢りえの様々な画像を紹介します。

目次

  1. 宮沢りえの父親にハーフ説あり
  2. 宮沢りえの父親は母親の存在
  3. オランダ人のハーフとの噂の宮沢りえの父親
  4. 宮沢りえは父親だけでなく異父兄弟が居るらしい
  5. 宮沢りえの結婚した家族との画像
  6. 森田剛との結婚でやっと幸せに?

宮沢りえの父親にハーフ説あり

子役時代から非常に可愛い容姿で人気だった宮沢りえ。そんな宮沢りえは、りえママと言われる母親と二人三脚の芸能生活だったと言われています。

そのことから宮沢りえの母親がよく注目されることも多いのですが、どうやら宮沢りえの父親もオランダ人のハーフだと言われており、宮沢りえの顔立ちに大きく関係しているようです。

そんな宮沢りえの父親や母親など顔↑うについて紹介します。どうも宮沢りえの父親は離婚しているという噂もあるようですが、その家族の画像などもあるのでしょうか。

宮沢りえの父親は母親の存在

宮沢りえは1973年4月6日生まれの45歳です。東京都練馬区出身で、エムツー企画に所属しています。夫はあのジャニーズのV6の森田剛として有名です。

宮沢りえは1985年に小学6年生で明星食品「チャルメラ」のCMで芸能活動をスタートしています。また、モデルの活動も11歳のときから行っており、雑誌「週刊セブンティーン」の表紙モデルを務めていたそうです。

1987年にはCM「三井のリハウス」で初代リハウスガールの白鳥麗子役を務めて注目を集め、宮沢りえはトップアイドルの仲間入りを果たしました。

当時、同時期に活躍していた後藤久美子とは同学年ということで非常に仲がよく、また良きライバルでもあったそうです。キットカットのCMでも共演しており、プライベートでは大人になってからも一緒に旅行に行くような関係なんだとか。

映画「ぼくらの七日間戦争」で宮沢りえの演技が注目

1988年に宮沢りえは映画「ぼくらの七日間戦争」で主演を果たし、女優デビューしています。日本アカデミー賞新人賞を受賞しており、この作品はいまだに好きな映画として名前があがるほど、非常に人気の高い作品です。

1989年4月にはフジテレビ系「青春オーロラ・スピン・スワンの涙」で連続ドラマ初主演を果たしています。また、同年9月にはあの小室哲哉提供による「ドリームラッシュ」で歌手デビューも果たしているんです。

出演こそなかったものの、音楽番組「ザ・ベストテン」の最終回でランクインもしており、その年には、カレンダーで大胆なふんどしルックが話題を呼んでいます。

1990年にセカンドシングル「NO TITLIST」がオリコン最高1位を獲得し、同年のNHK紅白歌合戦にも出場しています。このときは、宮沢りえの希望でNHKのホール外で自由に歌いたいという理由から、紅白初の中継出演を行っています。

父親も驚きの宮沢りえの「Santa Fe」

1991年には衝撃的な写真集が発売されることになります。宮沢りえの「Santa Fe」が篠山紀信撮影で行われ、人気絶頂時の宮沢りえがヌード写真集を発売したんです。

この写真集は150万部のベストセラーとなり、東南アジアなどでは海賊版が出回るほどだったそうです。いまでも、写真集の表紙の画像を思い出す人も多いかもしれませんね。

当時の宮沢りえは18歳になったばかりで、篠山紀信が18歳になったところで撮影をもちかけたそうです。正確には17歳時点ですでに撮影が行われていたという噂もあり、155万部という売上は、日本の芸能人の写真集の売上として未だに破られていない記録です。

この背景には、当時ヘアヌードが日本で黙認されはじめたばかりという背景があり、この写真集はヘアヌード解禁のパイオニア的な作品として歴史に名前を残しています。

オランダ人のハーフとの噂の宮沢りえの父親

こういった様々な歴史を残した宮沢りえですが、その宮沢りえの父親はオランダ人だと言われています。ただし、宮沢りえの母親とは対象的に、父親の画像などは確認することができませんね。

このことから、宮沢りえは正確には父親がオランダ人で母親が日本人のハーフということです。父親がハーフなのではなく、宮沢りえ自身がハーフのようですね。

幼少期の宮沢りえは、この父親がオランダ人というこで、自分がハーフだったことはコンプレックスだったようです。

宮沢りえはきれいな顔立ちですが、父親がオランダ人というのは言われないとわからない感じもしますが、まわりはそんな父親がオランダ人ということを良く知っていたのでしょうか?

父親と母親は離婚済み

宮沢りえの母親と父親の出会いは、父親が船乗りだったと言われています。そして父親とは留学目的の渡欧中に出会ったと言われていますね。

そして、宮沢りえが生まれるとすぐに宮沢りえの祖父に預けて、母親は父親が住むオランダに移り住んだそうです。このことから、宮沢りえの母親は宮沢りえよりも、父親である旦那のことを優先したと言われているんです。

しかも、宮沢りえの父親と母親はそんな恋愛劇を演じておきながら、結婚生活はわずか4ヶ月で破綻してしまったそうです。そのため、すでに父親と母親は離婚してしまっているんです。

どうやら、父親側の家族が母親との関係を反対したのが離婚の理由だと言われています。生まれてすぐの娘を家族に預けて、自分だけオランダに来るような女性を、父親側の家族が不審に感じるのは当たり前ですよね。

そのため、宮沢りえは父親と口を聞いたことがないとも言われおり、その間も祖父や親戚家族たちと一緒に育てられたと言われており、かなり複雑な生い立ちだったと言われているんです。

父親以上に大きな存在だった宮沢りえの母親

宮沢りえの家族はやはり父親以上に、りえママと言われた母親の存在が非常に大きいんです。もともと、宮沢りえの母親は六本木でホステスをしていたそうです。

画像を見ると、ちょっとお太りですが、若い頃はかなり美しく人気のホステスだったそうです。父親と離婚した母親は、日本に帰ってきて宮沢りえと同居を始めたそうですが、すでに小学四年生になっていたそうです。

そして、成長した娘の姿を見た母親は、その美しさに驚き、周囲の勧めもあって芸能界にデビューさせることにしたようです。なんとも、母親の経歴を知っていると、かなりホラーな話だともいえますよね。

そんな宮沢りえは、子供らしいユーモラスな部分と、その生い立ちのせいもあって、大人の顔色をうかがうような2つの顔があったようです。

父親とは話したことがない宮沢りえ

宮沢りえの仕事はこの母親が選んでいたと言われており、あのふんどしカレンダーやSanta Feも宮沢りえの母親がOKサインを出したと言われています。

というのも、Santa Feを撮影した篠山紀信は、いつも社交辞令のような形で撮影する女性に脱いでみますか?というような口ぶりをしていたそうです。そして、ある日、宮沢りえの母親と会ったときも、いつものようにそういった話題を振ったら、母親がOKだと言ってくれたそうです。

ちょうど宮沢りえが18歳になるという時期だったことから、そういう話題を出した篠山紀信ですが、母親は、連休明けからならちょうど予定が空いているという風に、あっさりとOKしてくれたそうです。

もちろん、さすがの篠山紀信も驚いたそうで、宮沢りえ抜きに話はどんどん進んでいったそうです。結果的に、宮沢りえの美しさを残すために、聖なる場所としてアメリカ合衆国ニューメキシコ州の古都・州都サンタフェ市が選ばれたそうです。

宮沢りえは父親だけでなく異父兄弟が居るらしい

そんな宮沢りえの母親は2014年9月23日に、肝腫瘍のために65歳で亡くなっています。最愛の母親と言われていた宮沢りえの母親が亡くなったことは、いままでの宮沢りえのプロデュースを大きく変える転換期にもなりました。

また、母親は宮沢りえの仕事だけでなく、人間関係にも口出ししていたと言われており、一時期は宮沢りえが反発し、親子の絆が断絶しかけたこともあるようです。

そんな母親の死の訃報とともに、宮沢りえに異父兄弟が居るという噂が週刊文春の記事から発覚したようです。

宮沢りえには生き別れの弟が居た

実は、宮沢りえの母親はオランダ人の父親と離婚したあとに、ピアニストの男性と再婚しているんです。

そして、その男性との間に生まれたのが宮沢りえの弟だと言われているんです。しかし、宮沢りえの母親は出産後に、すぐに宮沢りえを連れて家を出ていってしまったそうで、家族は離れ離れになっているんです。

この事実は、弟が20歳になってから初めて家族から明かされた事実のようで、それまでは、父親のことを兄、そして祖父母のことを両親だと信じて育ってきたのだとか。

結果的に、本当の母親であるりえママはすでに亡くなっており、宮沢りえとも再会はしていないそうです。弟の画像などは明かされていないようですが、自分の家族にそんな秘密があったと知らされた衝撃は想像できないですよね。

父親のことを兄と思って育った弟

実は、以前から暴露本などでは、宮沢りえに弟が居るという噂はあったようです。しかし、表向きには宮沢りえは一人っ子として公表されており、弟は、2000年に宮沢りえの舞台を訪れて、関係者に再会を希望する手紙を渡したそうです。

しかし、宮沢りえ側からは連絡はなかったそうです。また、父親も、りえママと連絡を取ることはあったそうですが、りえママは息子とは連絡を取ろうとしなかったそうです。

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宮沢りえの結婚した家族との画像

このようなオランダ人の父親を持ち、複雑なエピソードを持つ母親の間に生まれた、ハーフの宮沢りえ。そんな宮沢りえは、自身がハーフであることや、母親との複雑な関係を抱えながらも、1992年11月27日に貴花田(現在の貴乃花親方)と結婚しています。

当時、国民的な人気を誇っていた二人は、世紀のカップルとして大きな話題になりました。しかし、1993年1月27日に、人生最高のパートナーになれなかったという理由からわずか2ヶ月で婚約を解消して離婚しているんです。

離婚の影響もあるのか、その後の宮沢りえはかなり不可解な行動も多く、1995年には映画「藏」の出演が決まっていたものの、クランクイン直前に突然降板騒動も起こしています。

脚本家などによれば、主役は宮沢りえという話で仕事を受けたものの、始まってみれば浅野ゆう子が一番手扱いになっており、そのことに宮沢りえサイドが激怒したのが理由だと言われています。

当時は、かなり宮沢りえサイドはテレビ局などにも圧力をかけていたと言われており、このことでも批判が出ないようにワイドショーにも手を回していたと言われています。しかし、この頃から、かなり宮沢りえには悪いイメージがつくようになったといえます。

子供が誕生し父親を一般人男性と発表

宮沢りえは2009年2月13日にに各社にFAXで妊娠6ヶ月であることを発表し、相手が一般人男性であることから、名前の公表は差し控えたいということを発表しました。

結果的に男性と結婚し、その男性はアメリカハワイ在住の40代男性であることが発覚しました。世界トップのスポーツサングラスメーカー「オークリー」のサーフチームの責任者で元プロサーファーの男性らしいです。

宮沢りえが現地でCM撮影した際に、コーディネーターとして知り合ったそうですね。同年5月20日に女児を誕生していますが、2012年5月8日には、一部メディアで離婚の噂が出るようになりました。

この離婚撃も長期間に渡る争いとなり、2016年3月18日になってやっと正式に離婚が行われています。その間も、子供を連れる宮沢りえの画像などが週刊誌にたびたび画像が載っていたようです。

宮沢りえは2012年の段階で、当時2歳だった息子を連れて、突然家を出ていたそうです。そのため夫も連絡がつかない状態だったと言われており、長女の親権争いが、長期間の離婚の争いの原因だったと言われています。一部では、まさにりえママと同じような人生だと言われてしまったそうですね。

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森田剛との結婚でやっと幸せに?

自身がハーフであるなど様々なエピソードを抱える宮沢りえですが、長年噂になっていたジャニーズのV6の森田剛と2018年3月16日に結婚を発表しました。

たびたび、デートの画像が掲載されるなど、その関係が噂されていました。しかし、相手がジャニーズのメンバーでもあることや、バツ2という経歴もあり、なかなか自分だけの気持ちでは話が進まなかったとも言われています。

まだ、家族3人での画像はないようですが、すでに家族で新生活をスタートしていると言われています。交際期間は1年半と言われていますが、以前からドラマなどを通じて仲が良かったとも噂されているようです。

すでに宮沢りえの子供も8歳になっており、都内の高級マンションに引っ越して、家族3人で暮らしているのも驚きですね。ちなみに、宮沢りえは妊娠はしていないそうです。

かつては上戸彩との結婚も噂された森田剛ですが、宮沢りえとの関係はとても良いものらしく、献身的な姿も確認されているそうです。また、新婚生活を優先するために、仕事もセーブしていると言われており、やっと本当の幸せを掴めたのかもしれませんね。

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