久我美子の現在と昔の画像を紹介!夫・平田昭彦や娘についてまとめ

久我美子は、映画の黄金時代に活躍していた銀幕スターのひとりですが、名家のお嬢様の出身という事でとても優雅な雰囲気をしています。沢山いる、有名な映画俳優や女優の中でも人気があったようです。今回は、久我美子の昔の画像や出演作品、夫や娘がいるのかなどを調査しました。

目次

  1. 久我美子の現在・昔の画像や夫を紹介!
  2. 久我美子のプロフィールは?
  3. 特撮で多数活躍した夫の平田昭彦
  4. 華族出身のお嬢様だった久我美子
  5. 久我美子の出演映画は?
  6. ポスターや雑誌の表紙に登場していた久我美子
  7. 黒澤明監督作品にも多く登場した久我美子
  8. 久我良子出演作品を鑑賞しよう!

久我美子の現在・昔の画像や夫を紹介!

久我美子は、映画の黄金時代と呼ばれていた時期に活躍した、人気女優のひとりです。黒澤明・小津安二郎など、現在でも知らない人のほうが少ないくらいの有名映画監督も活躍していました。そのため、久我美子も黒澤明など世界的な知名度のある映画監督作品に出演しています。ネットを検索すると、下の画像のような、”気品があって少し近寄りがたい美人”という雰囲気の画像が沢山見つかります。

久我美子は華族出身のお嬢様です。当時は大変な事だったようで、華族となると貴族階級にあたりますので、そんな立場の人が女優デビューするのは前代未聞だったのでしょう。両親の強い反対を押しきって、女優活動を始めた久我美子ですが、たくさんの人気女優がいる中でも、由緒ある名家のお嬢様出身なのもあって憧れの存在だったようです。

銀幕スターと呼ばれている俳優や女優には、映画作品にしか出演しない人もいたようですが、久我美子はテレビのバラエティーにも出演していました。検索すると出てくる画像のような、近寄りがたい美人のイメージがありますが、親しみのある一面もありました。

久我美子は、名門家の出身の女優というのも興味をひかれやすい点ですが、親族に芸能関係の有名人が多いのも特長でしょう。今回は久我美子の昔の画像や、夫や子供はいるか等を調査しました。

久我美子のプロフィールは?

【プロフィール】
・生年月日:  1931年1月21日
・出身地:  東京府東京市
・職業: 女優
・活動期間: 1946年 - 2000年

久我美子は華族のお嬢様ですが、さかのぼれば村上天皇人まで行く家系ということでした。気品のある美貌や演技力だけでなく、名家出身のお嬢様というのは当時も大変注目されたでしょう。学習院大学に進学し、在学中の1946年に女優デビューをしています。

久我美子はテレビや映画や舞台などで主に活躍していたのですが、バラエティー番組の「3時のあなた」で司会をした経歴があります。昔のテレビ番組で女優が司会を務めるのは珍しい事かもしれませんが、生放送にも対応できる頭の良い女優だったのでしょう。

デビューした後は人気女優として活躍していましたが、1961年には俳優の平田昭彦と結婚しています。夫の平田昭彦とのあいだに娘がいるのかインターネットなどで検索したところ、そのような情報はありませんでした。久我美子には子供がいないため、平田昭彦と結婚してからは長い期間2人の生活だったようです。

平田昭彦の兄は映画監督をしています。女優の三ツ矢歌子は女平田昭彦の義理の姉になりますので、久我美子の周りには芸能界で活躍した人がかなり多いという事になるでしょう。三ツ矢歌子は、当時昼メロの女王と呼ばれていて、昼ドラに出演すると必ず視聴率が2桁に上がったというエピソードが残っています。

特撮で多数活躍した夫の平田昭彦

平田昭彦は久我美子と結婚をする時、とても強いアプローチをしたそうです。久我美子は芸能界に女優デビューした時以降、同じ業界の人と結婚するつもりはなかったようです。当時は実家の事業が傾きかけていて、久我美子自身が女優活動で家計に協力しようとした事も要因のひとつだったのでしょう。1954年には岸惠子などと、文芸プロダクションのニンジンクラブを結成していました。

平田昭彦と久我美子が出会ったのは、1960年の時代劇「大阪城物語」での共演がきっかけです。出会った次の年に結婚しているので、平田昭彦がかなり強い気持ちをもって結婚まで進展させたのでしょう。平田昭彦のほうが強く望んでの結婚だった事はよく知られていて、結婚後はおしどり夫婦と言われ良い夫のイメージでした。

平田昭彦出演の有名作品では、「初代ゴジラ」があります。芹沢博士役で出演していましたので、現在でも知っている人はとても多いでしょう。初代ゴジラに出演して以降は、円谷プロの特撮作品にも多数出演しました。映画やドラマでは、クールで知的な雰囲気の役柄が多かったようです。久我久子の夫というだけでなく、現在の特撮作品に影響を与えている俳優のひとりになるでしょう。

また、バラエティー番組でレギュラーとして質問していたこともあり、人気クイズ番組のぴったしカンカンでは人気の回答者だったようです。1980年に亡くなっていますが、1989年に放送された「ゴジラ対ビオランテ」では、久我美子が亡き夫の意思を受け継いで、女性官房長官役として出演し話題になったようです。

華族出身のお嬢様だった久我美子

久我美子は由緒ある家柄の出身で大変なお嬢様なのですが、演技の実力も評価が高く、貴族のような上流の雰囲気というだけで人気があったのではないようです。有名な監督作品にもたくさん出演していて、銀幕スターのひとりという事になるでしょう。

同世代の女優には八千草薫、岸惠子、淡路恵子などがいます。それぞれ個性的で人気が高かった女優ですが、その中でも久我ひろ子の気品のある雰囲気は特別だったようです。当時の人気女優の画像は、インターネットなどで検索すると色々と見つける事ができますが、それぞれ個性があります。華やかな印象だったり可愛らしかったりと色々ですが、その中でも久我美子はひときわ上品な雰囲気だったのでしょう。

久我美子は、華族出身の令嬢というのが最も注目された部分かもしれませんが、演技力が堅実という評価がありました。当時は大変なスキャンダルだった中で女優になったのは、久我美子の中に映画への強い気持ちがあったのかもしれません。結婚して平田昭彦が夫になるまでは、結婚をするつもりがなかったというエピソードも、女優活動を中心にしていて家庭に入るつもりがなかったと想像できます。

久我美子は、1952年に「また会う日まで」という映画に出演しています。久我美子の出演作品ではかなり有名でいろいろなところで紹介されているのですが、窓越しにキスシーンがある映画でした。上品な雰囲気で注目されていただけに、とても衝撃的な映画出演だったようです。現在ではキスシーンだけでは話題になる事はありませんが、当時はそれだけ注目される事だったのでしょう。

久我美子の出演映画は?

久我久子出演作品の中で、「妖精は花の匂いがする」と言う映画があります。下の画像では、暗めの色の上着にジャケットに、丸い衿のセーターを着ていて、髪型も上品でおとなしい雰囲気の服装です。それなのに華やかな笑顔がお嬢様っぽくやわらかで、魅力に感じる人も多いようです。

居酒屋で食事をしている場面のようなのですが、庶民的な雰囲気の店内ですし、少し地味めのファッションです。それでも華やかな笑顔で上品さが滲み出ているが、現在見てもわかりますが、魅力的な印象という感想がインターネットでよく見られます。

黒澤明監督の久我美子作品で、「酔いどれ天使」という有名な映画があります。昔の映画にもかかわらず知名度が高い映画で、久我美子は女学生の役で出演しています。「酔いどれ天使」は、戦後すぐの時代のストーリーで、闇市を支配する若いヤクザと、医者をしている中年男性のストーリーです。

闇市を仕切っている若いヤクザの松永の役は、三船敏郎がしていました。昔の映画で三船敏郎作品は多いですが、その中でも有名作品に入るでしょう。医者の真田は、実際の人物がモデルになっているようで、横浜のスラム街で免許の婦人会をしていた男性だそうです。

いつも酔っていてアル中の無免許医師ですが、とても人間らしくて魅力的な人物だったそうで、「酔いどれ天使」という映画タイトルのもとになっているようでしょう。悲しい物語なのですが、その中でも久我美子の女学生の役は、希望に向かっている人間の前向きな姿を表現しているようでした。

ポスターや雑誌の表紙に登場していた久我美子

久我美子は人気女優で活躍している映画スターですが、沢山のCMや雑誌の表紙にも登場しています。その中でも可愛らしい雰囲気なのが、カネボウの乳液のポスターでしょう。下の画像は蝶々が髪の毛に止まっている絵のようですが、昔っぽい昭和の雰囲気がありつつも、久我美子のとても上品な雰囲気が魅力的です。

コモレバという昔の雑誌があって、久我美子は表紙を飾った事もありました。華やかな雰囲気のドレスと白い手袋をしていて、良家のお嬢様の感じが残っているようです。コモレバは今でも「昭和を生きた大人のWEBマガジン」としてインターネットでも見る事ができます。

久我美子は今服が似合う女性でもあって、奥様向けの雑誌でも表紙を飾っていました。和服の着こなしは、色使いも含めて、大人っぽい組み合わせで、かといって地味ではなく女性らしい雰囲気です。現在は毎日の日常を着物で過ごしている女性は少ないですが、昔和服を着る機会もあった時代でも憧れの存在だったのでしょう。

久我美子は、和製オードリー・ヘプバーンとも言われていたそうです。顔立ちがオードリー・ヘプバーンと似ているというよりは、上品な雰囲気や振る舞い・言葉遣いで、高貴な印象があるのに「親しみやすい」と言う点で似ていたのかもしれません。あまり派手な服を身に着けている事もなく、メイク・髪型・ファッションを含めて、上品なのも似ていたのでしょう。

黒澤明監督作品にも多く登場した久我美子

久我美子は黒澤明監督の映画作品でも、大事な役で度々登場しています。「酔いどれ天使」の女学生役では可愛い雰囲気でしたが、「白痴」という映画では、良家のお嬢様役で出演しています。元々はドストエフスキーの原作の小説で、黒澤明監督のリメイク作品では、北海道を舞台にした日本人が主人公の物語になっています。

久我美子の役は、ドストエフスキイの原作小説だとアグラーヤになり、役名は小野礼子です。将来が約束された令嬢というのは、現実の久我美子とも似ているかも知れません。

ドストエフスキーの作品で有名な小説は沢山ありますが、白痴はとても変わった設定のストーリーです。てんかんの症状を持った主人公の男性が、正反対の性格の男性と出会って、ストーリーが始まります。物語の途中で女性が2人登場しますが、ひとりは高級娼婦、あとひとりはは良家の令嬢です。

黒澤明監督映画の、日本人が主人公のリメイク作品では、戦後沖縄で戦犯として処刑される前に、てんかんにかかってしまった主人公のストーリーです。てんかんの症状を抱えたまま北海道に帰る船の中で、真逆の性格の男性と出会って物語が進んでいきます。黒澤明監督は、この作品に対してかなり熱心に制作をしていたようで、いろいろなエピソードが残っています。

真冬の2月の時期に北海道の屋外で撮影がされたそうですが、アップで撮影する際には俳優に対して、まばたきを禁止したりなど、かなり細かな指示が入っていたようです。原作を何回も繰り返して読んだ黒澤明は、映画撮影が思うように撮れず、手首をナイフで切ろうとしたこともあるそうです。そこを三船敏郎にとめられたため、手首は切らなかったというエピソードが残っています。

久我良子出演作品を鑑賞しよう!

久我美子は大変な家柄の令嬢ですが、映画黄金時代に活躍した人気女優です。容姿の美しさだけでなく演技力も評価されていました。黒澤明など歴史に名を残すような有名な監督作品にも登場していて、今でも語り継がれているのは、今でも鑑賞する価値があるし面白いのでしょう。

気品があって実際に貴族階級の家柄ということもあり、ノーブルな雰囲気と冷たい印象があったと言われています。しかし気さくで温かい人人だったという話も残っています。昔のワイドショー「3時のあなた」では司会を務めていた事もありますが、近寄りがたい印象の見た目とは逆に、とても親しみのある一面があります。

現在ではあまりテレビやラジオなど出演していることはありませんが、インターネットで検索すると映画ファンサイトなど沢山情報が出ててきます。銀幕スターの出演作品の映画などを記事にしているファンが多くいて、昭和時代を懐かしむだけでなく、若い世代の映画ファンもいるかもしれません。全作品が多い事もあるのでしょうが、この時期の映画自体が未だに人気のようです。

昭和時代の娯楽のひとつだった映画の中でも、歴史に名を残すような有名な作品に出演していて、黒澤明・三船敏郎などと同時代と言うのも注目です。三船敏郎や黒澤明は、日本だけでなく海外にもファンがいるのは良く知られています。久我美子は現在はあまりテレビなどに出演することはありませんが、昔出演していた作品を持ってみて、お気に入りの映画を見つけてみるのも良いかもしれません。

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