鮎川陽子は鮎川誠とシーナの娘で双子?結婚した旦那(夫)や画像は!
モデルの鮎川陽子について調べました。ロックバンドのメンバーである鮎川誠とシーナの娘で、双子だという話や、鮎川陽子は結婚して、旦那(夫)がいるという噂があります。それらの話や噂を具体的に調査し、まとめました。果てしてそれらは本当なのでしょうか。
目次
鮎川陽子プロフィール
・愛称:ようべ
・本名:鮎川陽子
・生年月日:1976年10月8日
・現在年齢:41歳
・出身地:福岡県
・血液型:???
・身長:168cm ・体重:???
・活動内容:ファッションモデル、デザイナー、女優、画家
・所属グループ:フラン氏のトップモデルエージェンシーである「NEXT」に所属、
シャネルなどの一流ブランドのコレクションにも出演、
デザインチーム「TinyRoom」
・事務所:エスプリディヴィジョン
・家族構成:父(シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠)、
母(シーナ&ザ・ロケッツのシーナこと鮎川悦子)、
双子の妹(鮎川純子)、三女である妹(鮎川知慧子)
鮎川陽子の気になる経歴とは?
鮎川陽子の気になる経歴についてまとめました。「シーナ&ザ・ロケッツ」の鮎川誠とシーナの間に双子として生まれ、東京都立桜町高等学校を卒業します。卒業後、ベンチャー企業やデザイン会社で働きながら、ファッションモデルとして活動していました。

当時の事務所はクリームインターナショナルだったようで、個性的なスタイルから、人気を博したそうです。「CUTiE」や「SPRiNG」、「Olive」といったファッション雑誌や東京コレクションで活躍しました。

そしてある時、「iD」という、海外のファッション雑誌に「日本のトップモデル」として紹介されると、活動の場を海外へと広げました。そして、フランスのトップモデルエージェンシーである「NEXT」に所属し、シャネルなどのコレクションに出演しました。これと併行で、TinyRoomというデザインチームで、イラストレーターの仕事もしています。
1999年には、鮎川陽子がデザインを手がけたTシャツを販売し、売り切れになるほどでした。商品に関しては、2003年に、シーナ&ザ・ロケッツのグッズにもかかわっています。また、コラム記事やモデル日記の執筆も行ったことがあります。

2015年にモデル業を再開すると、自身のファッションブランドである、「YOKO AYUKAWA」も発表しました。そして、2017年から、絵画の世界でも活躍しています。
鮎川誠とシーナの間に生まれた鮎川陽子
鮎川誠が「サンハウス」という、「シーナ&ザ・ロケッツ」の1つ前のバンドにいた時に、シーナと出会い、交際に発展しました。同棲生活を始めて4年経った頃、シーナの妊娠が発覚したため、2人は結婚しました。そして、1976年に鮎川陽子と純子を出産しました。
母親シーナは日本人
「シーナ」という名前を聞くと、日本人なのか、日本人でないのか、混乱する人も多いでしょう。結論からいうと、シーナは日本人です。本名は鮎川悦子(旧姓:副田)で、福岡県若松市出身です。鮎川陽子の母であるシーナには、アメリカ軍基地のハウスボーイ(家事に従事する労働者)として働いていました。

その後、ダンスホールのマネージャーになったため、鮎川陽子の母のシーナは、そこでいろいろなダンスを踊ったそうです。幼少期には虚弱児だったものの、体を鍛えた結果、中学2年生の時に、NHK放送陸上の九州大会で、陸上部として出場、ハードル部門を予選1位で突破したほどだそうです。そんなシーナは、小学校の卒業アルバムの寄せ書きに、世界で活躍する歌手になりたい、という旨の内容を書いています。

1978年の10月にシーナ&ザ・ロケッツがデビューすると、「シーナ」という名前に変えたそうです。というのも、鮎川誠の祖母の名前がシナで、鮎川誠とシーナが好きなラモーンズに「シーナはパンクロッカー」という曲があったからだそうです。

2年後の1980年に、小学校時に書いた「世界で活躍するシンガー」の夢がかないます。A&Mレコーズという、LAにある、大手レコード会社から、バンドの曲を英語版で発表したからです。
現在シーナは死去されている
鮎川陽子の母親で、ロックバンドのボーカルであるシーナこと、鮎川悦子は、2015年に、61歳で亡くなられています。子宮頸がんだったそうです。2014年の夏に体調を崩し、病院では末期がんだと告げられたそうですが、ファンには病状を明かさず、闘病生活を送りながっら、いつも通りの生活を送り、ライブも行ったそうです。

シーナの最期には、公私ともにパートナーであった、シーナの旦那で鮎川陽子の父親の鮎川誠は、2人の愛は永遠だと述べています。また、葬儀はロックテイストだったようです。

通夜には、アマチュア時代からの付き合いである、海援隊や、石橋凌、内田裕也、YMOの細野晴臣、高橋幸宏、甲本ヒロト、浅井健一、歌舞伎役者の中村獅童、写真家の鋤田正義、映画監督の崔洋一など、多くの著名人が参列し、2000人ほどいたそうです。
両親の影響で音楽が大好き!
両親の好きなものは子供に影響する傾向があります。そして、鮎川陽子もロックバンドの両親の影響を受けて、自身の好きなものも音楽です。さらに、双子の妹と、三女の妹も、3人そろって音楽好きです。ここでは、鮎川陽子だけでなく、妹2人にも、音楽関連で触れていきます。
鮎川陽子の好きなミュージシャンは?

両親の影響あってか、鮎川陽子も音楽が好きなようです。好きなミュージシャンに、パンクバンドのラモーンズやレゲエ、ロックでは欠かせない存在のボブ・マーリーなどをあげています。
鮎川陽子もバンド経験がある
後述しますが、鮎川陽子の妹たちの方が音楽の道で知られていますが、鮎川陽子も両親や妹たちと同じように音楽好きです。イベントではDJなどを披露することもあるようです。
両親も音楽が縁で付き合いが始まった
鮎川誠とシーナは、博多にあるダンスホール・「ヤング・キラー」で出会いました。当時、そこで、「サンハウス」というロックバンドで、鮎川誠は活動していたそうです。ステージ終了後に出会った2人はすぐに意気投合し、交際を始め、同棲生活もスタートさせたようです。鮎川陽子と純子が生まれて2年後の1978年、「サンハウス」が解散します。

同じ年に、鮎川誠が制作した曲を、女性シンガーが歌うことになったので、レコーディングスタジオにシーナがついていくと、その女性シンガーに歌うように誘われ、鮎川誠に歌いたい旨を告白すると、「シーナ&ザ・ロケッツ」が結成されたそうです。シーナの父が鮎川誠を励まし、幼い双子の娘をシーナの両親に預け、2人はつに上京したそうです。
父親がアメリカ人とのハーフだった
1948年、福岡県久留米市に生まれた、鮎川陽子の父親で、シーナの夫である鮎川誠は、父親がアメリカ人で、母親が日本人のハーフだそうです。父親は、アメリカ軍の軍人だったようですが、鮎川誠自身は会った記憶がないそうです。そんな鮎川誠の父親が転任するとなった時、母親と鮎川誠は日本に残ることを選んだため離れ離れになってしまいました。

しかし、鮎川誠は、一生懸命ローマ字を覚えて、父親に手紙を送り、父親からも、ローマ字で書かれた日本語の手紙をもらうなどしていたそうです。しかし、鮎川誠が中学生の時に、彼の父親は亡くなられたそうです。

また、鮎川誠の音楽歴としては、中学時代から始まるようです。ビートルズを知ったのが、きっかけだったそうです。そして、高校生になった時に、もっと洋楽に興味を持ち始め、レコードプレイヤーがあった新聞部に在籍したそうです。部室では、ギターを持ち込んで、様々な洋楽を練習していたそうです。
1966年の、ビートルズによる武道館公演に刺激され、アマチュアバンドを組み、ローリング・ストーンズなどをカバーし、1回だけライブを開催したそうです。音楽で生きることに対して、親から反対されたそうですが、九州大学に行くのを条件とし、許されたそうです。音楽に集中しすぎたため、現役でで合格することはできなかったようですが、1年後に、音楽のために猛勉強し、九州大学の農学部に、無事入学しました。

アメリカ人の父親が中学生の時に他界し、母親との生活だったため、家庭は貧しかったようです。そのため、ダンスホールで専属バンドとして、生活していた時期もあるようです。180cmの長身を活かし、モデルの仕事をしていたようですが、鮎川陽子のモデルの血はここから来ているようです。

その後、様々な音楽活動を経て、シーナ&ザ・ロケッツが結成されました。以上を見ると、もしかしたら、鮎川誠の音楽(及び洋楽)好きは、アメリカ人の父の遺伝、とも考えられるかもしれません。普段はサングラスをしているのでわかりませんが、1987年のインタビュー時の、サングラスを外した写真などを見ると、欧米人ならではの、シュッとした顔立ちなのがわかります。
鮎川陽子は実は双子だった?!
双子のじゅんちゃんと。
— 鮎川陽子 (@yobecom) September 10, 2017
ワイワイ友達も一緒に観たよ。#フエルサブルータ https://t.co/0y59Z0otQW pic.twitter.com/owgYjK2jx6
鮎川陽子は単独のモデルとして活動していますが、双子だという話があります。双子の妹はあまり表には出ていないものの、両親の影響をしっかり受けて、音楽の世界で活躍していたそうです。
鮎川陽子の妹は双子だった
鮎川陽子の1人目の妹である、鮎川純子は、実はお互いに双子です。上述したように、鮎川誠とシーナが交際中の時に妊娠し、結婚、そして双子の鮎川陽子と鮎川純子が生まれました。
一卵性双生児の鮎川陽子
一般的に「似ている双子」とは、一卵性双生児のことを指します。鮎川陽子と鮎川順子も一卵性双生児ですが、そこまでそっくりな感じはありません。鮎川純子も鮎川陽子と負けず劣らず美人ですが、身長は少し低いようです。インスタを見る限り、仲の良さは伝わってきます。
妹は芸能活動をしていない
鮎川陽子の双子の妹である、鮎川純子は、芸能活動はしていないものの、バンド活動をしていたことがあります。「DARKSIDE MIRROS」というバンドだったようですが、2009年の冬に、活動を休止してしまったようです。メンバーには2人の妹である、鮎川知慧子もおり、それぞれ鮎川純子はドラムを、鮎川知慧子はボーカルを務めていました。海外からも注目を集める、ロックバンドだったようです。
妹も両親と同じ音楽の道を歩んでいる
姉の鮎川陽子は主にモデルとして活動していますが、双子の妹も、後に生まれた妹も、両親のように、音楽の道に進んだようです。現在の職業が何かは判明しませんでしたが、きっと同じように音楽に関することに従事されているでしょう。
鮎川陽子は結婚している?
鮎川陽子の旦那(夫)について調査!

今日、「鮎川陽子 旦那(夫)」と検索する人が多いようです。なので、鮎川陽子の旦那に関して、調査してみました。また、過去の恋愛も気になるので、そちらにも少し触れています。
鮎川陽子の今までの恋愛遍歴

現在、「鮎川陽子 旦那」や「鮎川陽子 夫」と検索されている、鮎川陽子ですが、過去の恋愛はどうなのでしょうか。調査してみましたが、過去の恋愛に関する情報は載っていませんでした。海外でも活動しているので、それなりに浮名を流したことはあるかもしれませんが、表には出てきていません。
鮎川陽子は結婚していない!
気になる鮎川陽子の結婚について調べましたが、特に結婚している、といったような情報は出てきませんでした。モデル以外にはデザイナーなどとして働いているため、忙しいのかもしれないし、異性と出会っても結婚する気はないのかもしれません。いずれの理由にしろ、今は結婚していないので、夫はいないという事実には変わりないようです。
なぜ鮎川陽子の旦那(夫)が検索されている?
過去の恋愛に関する情報もなければ、旦那(夫)や結婚に関する情報もない中、なぜ鮎川陽子の旦那(夫)が検索されるのでしょうか。上気したように、鮎川陽子は現在41歳、今年で42歳になります。年齢的には結婚して、夫がいても不思議ではない、といった理由から、どうやら検索されているみたいです。
これからの鮎川陽子の活動は?

高校卒業後、会社勤めでありながらも、モデルとして活動し、世界に羽ばたいたり、デザイン関係で別の仕事を始めたり、鮎川陽子が携わった仕事の種類は多岐に渡ります。そんな彼女の今後の活動などに焦点を当てました。
一時期活動を休止していたこともある

モデル業を中心に、様々な活動をしている鮎川陽子ですが、2006年に映画で女優デビューした後、一時活動を休止しています。その理由は定かではありませんが、2015年の6月からモデル業を再開しています。
現在鮎川陽子は個展なども開いている

鮎川陽子は、これまで、3回ほど個展を開いたことがあります。2017年2月に、写真家の大森直とコラボしたり、今年の1月に2回目の個展、3月に3回目の個展を開催しています。
アクリル絵画にも挑戦している鮎川陽子!

この、コラボした最初の個展「クロイトリ展」では、ファッション写真と鮎川陽子のアクリル絵画の展示でした。この個展を機に、鮎川陽子はもっと本格的に、アクリル絵画活動を始めています。
鮎川陽子は鮎川誠とシーナの娘で双子?結婚した旦那(夫)や画像は!まとめ
モデルの鮎川陽子の家族関係についてのまとめでした。鮎川陽子は、人気ロックバンドであった、シーナ&ザ・ロケッツのギタリスト・鮎川誠と、ボーカル・シーナの間に生まれた、双子の長女です。

そんな鮎川陽子は、年齢的に結婚して、旦那がいると思われているようですが、そういった情報はありません。しかし、40代で、このかわいさと美貌を保っていることで話題になっているので、いつ結婚してもおかしくはないでしょう。
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