YOSHIKIの首の現在の病状は?ヘドバンのしすぎが原因で手術?
日本の有名ロックバンド「X JAPAN」のYOSHIKIさんの首に巻いてある物を見たことはあるでしょうか。そんなYOSHIKIさんの首の現在の症状や、何が原因で首の手術をしなければいけなくなったのかを詳しくご紹介していきます。
目次
何故YOSHIKIさんは首を手術する事になったの?

YOSHIKIさんが首の手術をすることになった原因について疑問に感じる人も多いでしょう。世間では、ヘドバンが原因なのではないか。と言われていますが、手術するまでの流れや現在の症状などを詳しくご紹介していきます。
「X JAPAN」の時に頭を激しく振りながら、ドラムを叩くパフォーマンスをしていて活躍されていたYOSHIKIさんですが、ライブの前日に体調不良によって延期をしなければいけない事が何度かありました。1989年11月に行われたライブで、YOSHIKIさんはライブ後に倒れてしまい救急搬送されてしまいました。「過労性神経循環無力症」と診断されたようでした。

「過労性神経循環無力症」とはどの様な病状なのか気になる方もいるでしょう。心臓に機能的に異常がないのにも関わらず、胸痛、動悸、息切れなど、循環器症状を訴えている場合に臓神経症あるいは神経循環無力症と呼んでいます。心臓部が重苦しい感じやチクチク痛むと訴える人が多く、運動に関係無く安静時にもそれを感じて持続時間が長いのが特徴です。

YOSHIKIさんは、前身の筋肉がが疲労で低下しており、首は重度のむち打ち状態で現れました。その時医師から「このままの状態が続けばドラムはたたけなくなる」とYOSHIKIさんは告げられました。YOSHIKIさんの回復を優先して、行っていたツアーは全公演中止になったと話されています。1年程、休養したYOSHIKIさんは活動を続けていましたが、1990年11月にリハーサル中に再度倒れこんでしまいました。
激しいヘドバンによる悪化

この時に「頸椎椎間板ヘルニア」になってしまいました。長年によるヘドバンで骨の軟骨が削れてしまっていたと話されています。「ドラムを叩くな」と言われても、それは出来ないYOSHIKIさんに医師からは、ドラムを叩くならコルセットやギプスで首を固定して、出来る限り首や身体を激しく動かさず叩くように言われているようでした。しかし、パフォーマンス優先のYOSHIKIさんは、激しく叩き続けました。

病院での筋肉トレーニングや、首にコルセットを巻いて激しく動かさなければ再発は防止しますが、YOSHIKIさんの椎椎間板ヘルニアの症状は悪化してしまいました。手にもしびれの病状が現れてしまい、ドラムを叩く際にも支障が出るくらいになってしまいました。どんどん悪化するにつれて、両手の感覚が無くなり、足のしびれまで出ていたそうです。
YOSHIKIさんのプロフィール

名前:林 佳樹(はやし よしき)
生年月日:1965年11月20日
年齢:52歳
身長:175cm
出身地:日本・千葉県館山市
職業:ソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー等
担当楽器:ドラム、ピアノ、キーボード、ギター、シンセサイザー
活動期間:1977年~現在

1989年にメジャーデビューした日本のロックバンド「X JAPAN」のリーダーであり、ドラマーやピアニストとして活動されています。1986年にYOSHIKIさんが設立したインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」は有名ロックバンド「LUNA SEA」や「GLAY」等を輩出しています。1993年からは、西城秀樹や北野井子、工藤静香等の作品も手掛けています。
YOSHIKIさんの生い立ち

1965年11月20日に千葉県館山市の老舗呉服店に二人兄弟の長男として生まれました。YOSHIKIさんの家系は音楽一家で、父はジャズ・ピアノ、母は三味線、叔母は琴を嗜んだりしています。弟は現在、YOSHIKIさんのサポートをされていて、日本でのマネージメントを行っています。二人の幼少期には両親が仕事で忙しかった為、家政婦を雇い兄弟二人の世話をしていました。

YOSHIKIさんが4歳になる頃に父親からピアノを買い与えられました。自宅近くのピアノ教室でクラシック・ピアノのレッスンを受け始めました。これが現在のYOSHIKIさんの基礎を作っています。父親が購入するクラシックレコードをYOSHIKIさんは日頃から好んで聴いており、8歳の時にはシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」とベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調「運命」をお小遣いから購入していました。

YOSHIKIさんは病弱で重い小児喘息で、小学校中学年になるまでに、入退院を何度か繰り返す生活を頻繁に送っていました。病室では、父親がお見舞いに持ってきた、子供向けの偉人伝を読んでくれていたようです。若くして難聴となりながらも多くの名曲を残したベートーヴェンの苦難の人生に強く興味を持ったと話されています。
影響を受けたロックバンド

YOSHIKIさんが最も強く影響を受けたのは、アメリカのロックバンド「キッス」でした。作品のパンク性にYOSHIKIさんは衝撃を受け、パンク・ロックに対してもともと聴いていた音楽に戻れない位にのめり込んだと話されています。影響を受けたドラマーもキッスの「ピーター・クリス」さんです。11歳の時に日本武道館公演でクリスさんを見て、こんなドラマーになりたいと感じられたようでした。

幼い時に自分のお小遣いで購入したシューベルトとベートーヴェンのレコードはロックバンドの「キッス」と同じぐらいの影響を受けたと話されています。YOSHIKIさんの半生を描いたという楽曲「ART OF LIFE」ではシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」のフレーズが使われています。
首の手術をするきっかけになったYOSHIKIさんの病状とは?

2009年にはYOSHIKIさんの首のヘルニアが悪化してしまいました。そして医師から告げられた病状は「頚椎椎間孔狭窄症」(けいついついかんこうきょうさくしょう)と診断を受けました。これによりYOSHIKIさんが手術を受ける事になるのですが、頸椎椎間孔切除術は首筋の神経が多くある所を切るといった、難しい手術でしたが無事成功しています。本当に大変なのはここからでした。

手術は成功し、右手のしびれは無くなりましたが、左手のしびれが取れずリハビリ生活を続ける事になりました。また、他の頸椎間や腰にも損傷がある為、3年以内に再手術を行わなければいけないと宣告もされていました。しびれが取れず2010年にも手術をされています。
米国時間2017年5月16日に、頚椎人工椎間板置換の緊急手術をロサンゼルスで行っていました。医師からはYOSHIKIさんの首の状態は強烈なダメージを受けていて、肉体的にも精神的にも限界が来ていたのではないかと話されていました。ロサンゼルスでの手術も無事成功しています。治療から6週間で部分的な治癒、6か月経てば90%程回復が期待されていました。
現在のYOSHIKIさんの首の病状は?

現在のYOSHIKIさんの首の病状は大分安定しています。しかし、今後のヘドバンによって再度首へのダメージを無くす為、ドラムを叩く際はコルセットを付けヘドバンによって首が振られない様にしています。ヘドバンによる首へのダメージはとても大きいものです。ロックバンドは会場が盛り上がると皆ヘドバンをしています。
何故首に悪いヘドバンをするの!?

「X JAPAN」の様なバンドには、ヘドバンは無くてはならない物のようでした。激しいリズムに合わせてヘドバンをしていると、理屈で説明はできませんが、脳がぐるぐる回ったような感覚になりテンションが上がるようでした。凄く高揚感を得られるようです。演奏しているうちに気持ちが高まってくると、気が付いたらヘドバンをしていた何て事もあるようです。

YOSHIKIさんはヘドバンをする事によって、自分を極限の興奮状態にもっていく為にしていたようです。そしてヘドバンをする事で見てる側へのパフォーマンスとしても、会場を盛り上げる事に繋がっていました。しかし、現在のYOSHIKIさんの病状が悪化しては元も子もありません。病状を悪化させない為のコルセットを付けていますが、度を過ぎるとあまり効果もなくなってしまいます。
音楽に対するYOSHIKIさんの想い

YOSHIKIさんが作詞する際には、作曲と同じかそれ以上の時間を使っていると語られています。YOSHIKIさんが手掛ける作詞は死について語っている詞が多いのだそう。歌詞の悲観性や自虐性についてYOSHIKIさんは、ポジティブなエネルギーはネガティブによって引き立つと話されていました。

つまりどういう事なのかというと、悲しみや毒を使ったの表現が多い中に少しの美を出すと、それが凄くポジティブに感じるという事です。肯定的なエネルギーを引き立たせる為の逆説的なアプローチであると話されています。どんなジャンルでも作曲をする時には、楽器を使用しないのが現在のYOSHIKIさんのスタイルです。その理由として、譜面だけで書くと制約が無く、自由に書くことが出来ると話されています。

YOSHIKIさんは絶対音感を持っていると話されており、ペンと譜面さえあれば移動中に作曲もできると語られています。インディーズの時には曲と曲の間に冗談でピアノでクラシックを弾くとその意外性が受け、ピアノを絡めた作曲を積極的に作曲するようになったようです。
「X JAPAN」結成

YOSHIKIさんとTOSHIさんは幼馴染で、小学校高学年になる頃にはアメリカのロックバンド「キッス」の話をする程の仲良しで、共にバンドを組む約束をしていました。小学校6年生の時に初めてのバンド「DYNAMITE」中学に進学されてからは「NOISE」を結成しています。学生時代のバンドは、思うほど上手く行くものではありませんでした。

学生時代はそれぞれ進路問題もあり、TOSHIさん以外のメンバーは脱退してしまいました。YOSHIKIさんも、高校卒業後には音楽大学の推薦入試を受験する予定でしたが、入試1週間前に取りやめており、1984年にロックバンドの道にTOSHIさんと共に活動拠点を東京に移しています。1986年には一時期「X」に加入していた「TAIJI」が再び加入しました。

1987年初め「SAVER TIGER」を解散させて美容師になると決めていた「HIDE」をYOSHIKIさんが説得して加入させていました。そのころに「X」のサポートメンバーとして参加していた「PATA」でしたが、交通事故を起こしたメンバーの脱退後にPATAも正式加入していました。これでメジャーデビュー時のメンバーが揃いました。そして、1989年に「X」としてメジャーデビューしています。

1992年に「X JAPAN」に改名されました。1997年9月22日には、メンバーの方向性の違いにより、同年12月31日に「X JAPAN」としてのラストステージを終え解散。TOSHIの洗脳報道やHIDEの死を乗り越えた10年後の2007年「X JAPAN」は再結成され現在に至っています。
今後のYOSHIKIさんの首の病状や活躍に注目!

2017年5月16日にロサンゼルスで大きな手術を行ったYOSHIKIさん。あれから1年が経ち、首の病状も大分安定してきた事でしょう。しかし、ヘドバンをするロックバンドは他にも存在し、現在YOSHIKIさんと同じ病状で休止されているアーティストも居ます。

以前の様にヘドバンを続けていると、またいつ再発するか分かりません。しかし、YOSHIKIさんのご自身のバンドの「X JAPAN」に対する熱量は計り知れない程です。コルセットを付けてまでドラムに立ち向かうYOSHIKIさんの姿には感動される方も多いでしょう。

メンバーの洗脳報道や死を長い年月をかけて乗り越えてきた「X JAPAN」YOSHIKIさんご自身も首の手術を乗り越え、支えてきた「X JAPAN」です。2018年4月10日、11日に行われたライブでは正式にYOSHIKIさんがドラム復帰を果たしています。

YOSHIKIさんの首の病状が完全に良くなった時に「X JAPAN」は更に勢いに乗ってくるでしょう。ドラム復帰時のライブでは、X JAPANをサポートしてくれてありがとう。とファンに向けたYOSHIKIさんの言葉の重みは凄いものでした。まだまだ首の事もあり完全ではありませんが「X JAPAN」が再発進した瞬間です。

メンバー同士の絆が強い彼らは、これから更に勢いをつけたロックバンドとして、テレビでもライブでも様々な場面で活躍される事でしょう。まだまだ心配の残るYOSHIKIさんの首の病状もありますが、これからの「X JAPAN」はまた1つ違った姿を見せてくれる事でしょう。これからのYOSHIKIさん、そして「X JAPAN」に注目して行きましょう!
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