桂歌丸さんが81歳で死去。死因や笑点メンバーのコメントは?
日曜日にお馴染みの笑点で親しまれてきた桂歌丸さんが、長い闘病生活の末2日に死去した事が報道されました。復活を心待ちにして応援していたファンにとって悲しい出来事です。死去までの桂歌丸さんの活躍や、メンバーからのコメントを見ていきましょう。
目次
桂歌丸さんが死去!その死因やこれまでの軌跡を辿ってみよう
日曜日の国民的人気演芸番組、笑点。その笑点で歌さんの愛称で親しまれてきた桂歌丸さんが、2日に死去した事が報道されました。長く笑点でお茶の間を沸かし、笑点を引退する前には司会者も務め軽快なリズムと笑いで番組の司会進行をしていた事もつい先日の事のように感じます。この訃報は、芸能界だけでなく多くの国民にとっても悲しい知らせとなりました。
そんな知らせを受けて、笑点メンバーからのコメントも発表されています。長く人生を共にしてきたメンバーだからこそ、この桂歌丸さんの死去の知らせは何よりも悲しいのではないでしょうか。メンバーからは、一体どのようなコメントがされたのでしょうか。また、桂歌丸さんの死去の原因となった死因についても明らかになっているようです。
そこで今回は、つい先日亡くなった桂歌丸さんの現在までの活躍と共に、死去の原因などをご紹介していきます。落語界の大御所でもあり、誰からも親しまれてきた桂歌丸さんの活躍を詳しく見ていきましょう。また、死去の原因となった死因についてや、笑点メンバーからの深い繋がりを感じさせられてしまうコメントも要約してご紹介していきましょう。
まずは桂歌丸さんについて詳しく見ていきましょう。桂歌丸さんは、1936年8月14日生まれで享年81歳です。本名は椎名巌(しいないわお)と言います。公益社団法人落語芸術協会会長の5代目を務めており、亡くなる直前まで落語界へ貢献しています。また、亡くなる直前には横浜にぎわい座の2代目会長にも就任しており、様々な活躍を続けていたのです。
桂歌丸さんが落語界に入ったのは、なんと中学3年生の頃です。小学4年生の頃には既に落語界に入る決意を固めており、1951年に5代目古今亭今輔の元に弟子入りしています。初名は古今亭今児を名乗っていましたが、最初の師匠は弟子入りさえ出来れば誰でも良かったとの事で入門していた為に、その後様々な問題を受けて4代目桂米丸門下に移籍しています。
そして、桂歌丸さんは様々な経緯を経て米丸門下に移籍し、現在の桂歌丸の名に改名しています。ここで初代となった訳ですが、弟子達には桂歌丸さんの「歌」を使った名にするように原則としています。また、鞄持ちなどで弟子入りするイメージがありますが、桂歌丸さんはタレント性に浸かってしまうと楽屋までの鞄持ちはさせなかったそうです。
笑点の司会者と言ったら桂歌丸さん!死去までの活躍
しかし、桂歌丸さんの活躍と言ったら笑点無くして語る事が出来ません。笑点は、実は全身番組があります。笑点となる前は「金曜寄席」と言う名の番組で、その番組の第1回から桂歌丸さんは出演しています。その後、現在の笑点の名に変わり国民的演芸番組となります。しかし、最初はあまり目立った活躍をする事はなく、ブラックジョークなどが中心でした。
桂歌丸さんが笑点で人気となったのが、三遊亭小圓遊との掛け合いをするようになってからです。お互い、「ハゲ」「オバケ」と罵倒しながらどんどんやり取りを続けていく様が笑いを呼び、一躍注目されるようになっています。これは、桂歌丸さんが司会者を引退するまで繰り返された現在の三遊亭円楽さんとも行われています。仲が実際に悪い訳ではなく、笑いを取る為の掛け合いです。
笑点の司会に就いたのは、2006年の事でした。この時、桂歌丸さんは司会者としては5代目で就任しています。桂歌丸さんは、司会者と言う立場を見せつける事はなく同じ舞台に立ったら上も下もないと言う事を繰り返し唱えています。その後笑点のメンバーに入る事となった現在の司会者である春風亭昇太さんにも伝えてあり、現在もその姿勢が受け継がれています。
桂歌丸さんが死去した原因とは?生前の画像から闘病生活が
さて、桂歌丸さんが死去した原因とは一体何でしょうか。実は、生前からしばらく桂歌丸さんは闘病生活を送っています。最初は笑点の仕事に穴が空かないようにと治療を繰り返していましたが、その後しっかりと治療をする為に司会者の座から2016年に降りています。その後は、画像でも分かるように闘病しながら様子を見て落語の講演を行っています。
桂歌丸さんは2018年7月2日、午前11時43分に死去したとの事です。原因は、慢性閉塞性肺疾患だった事が分かっています。実は、画像でも分かる通り亡くなる前の活動をしている桂歌丸さんは、鼻にチューブを通して活動をしています。2009年に肺気腫による悪性憎悪で入院し、この死因となってしまった慢性閉塞性肺疾患と既に診断されてしまっていたのです。
慢性閉塞性肺疾患の原因は、50年ほど愛飲していた煙草が原因とされていたそうです。その後も入退院を繰り返しながらも笑点の司会を務めていましたが、車椅子で楽屋入りしたり楽屋で酸素吸入を付けてなどの状態だったそうです。また、正座が出来なくなってしまい見台を使用するなど司会者を引退するまでに様々な体調不良を心配する声も多く寄せられていました。
また、死因は慢性閉塞性肺疾患でしたが闘病中には他にも様々な体調不良に悩まされていたそうです。帯状疱疹や腸閉塞なども引き起こしていたそうで、それでも笑点の司会としてなるべく穴を空けないようにとされていたそうです。笑点の司会を引退した後も、死因となってしまった慢性閉塞性肺疾患の様子を見ながら死去の直前まで活動をしています。
笑点メンバーから死去した桂歌丸さんへのコメントが発表
画像のように、闘病中である事は誰でも分かる状態ではありましたが、どうしてもまだ大丈夫、まだ活躍をしてくれると言う期待を持って桂歌丸さんの活動を心待ちにしていたファンも多いでしょう。しかし、2日に悲しい知らせとなってしまいました。そして誰よりも死去の知らせを悲しんだのは、笑点のメンバーではないでしょうか。
笑点のメンバーからは、死去の知らせに伴いコメントが発表されています。ここからは、笑点のメンバーからのコメントを画像と共に要約してご紹介していきましょう。そこには、悲しみは相当なものでしょうが、感謝の声が多く寄せられており、どれだけ桂歌丸さんが親しまれてきた人物かを感じさせられてしまいます。
まずは画像の三遊亭好楽さんのコメントです。好楽さんは、番組に頼らず、歴代の司会者を務めた師匠達の活躍を一切気にも留めずに我が道を進む姿は古武士の様で素晴らしい生き方をした人物だとコメントをしています。さらに、様々な活動を挙げてあの瘦せた身体のどこからそんなエネルギーが出るのかと尊敬を表しています。最後には、感謝の言葉を重ねられています。
そして、画像の林家たい平さんからの桂歌丸さんへのコメントです。たい平さんは、突然の訃報に言葉が出ないとコメントしています。そして、自身の落語人生において桂歌丸さんと出会えた事が宝物である事を述べた上で、もっと落語の話を一緒にしたかったとコメントを残しています。そして、最後には桂歌丸さんの生き方をかっこいいと感じた事も明かされています。
最近メンバーに入ったばかりの画像の林家三平さんからも、桂歌丸さんの訃報についてコメントが出ています。三平さんは、自身はもとより、家族まで気にかけてくれたエピソードを明かし感謝を述べています。そして優しく鋭い指南を桂歌丸さんからされていた事も述べ、感謝と共にこれからももっともっと精進しますとこれからの意志も示しています。
また、座布団運びでお馴染みの山田隆夫さんからもコメントが発表されています。死去の知らせが出る前、桂歌丸さんの容態が良くないと聞いて病院に駆け付けた際には、パッと目を開き「山田くん、ありがとう」と言われたそうです。その事を明かし、こちらこそ子供の頃から面倒を見てくださってありがとうございますと感謝の気持ちをコメントしています。
最後に、誰よりも長年一緒に掛け合いをしてきた三遊亭円楽さんのコメントです。とうとう洒落にならなくなりました、と生前の掛け合いを引き出しに、回復していると安心したばかりで言葉にならないとコメント。桂歌丸さんと過ごした楽屋、旅先、ご自宅、たくさん思い出が多すぎて、どこをしゃべっても一片ですと、あまりの想いを表現しています。
私の心にしまい込みます。だから思い出話はしません。人の心の中の思い出、寿命。皆様もそれぞれの思い出の中に桂歌丸さんを生かしておいてくださいとコメントは続けられています。また、本当の父親、育ての親の先代。守ってくれた最後の父親との別れです。楽さんと呼んで側(そば)に置いてくださってありがとうございましたと続けられています。
現在も語り継がれる歴史を残した人物!ご冥福をお祈り申し上げます
突然の桂歌丸さんの死去の知らせで、まだ悲しみが言えない現状です。しかし、桂歌丸さんの残した落語への想いやそれを引き継いだお弟子さん達はこれからも無くなる事はありません。多くの国民が悲しむほど、桂歌丸さんは多くの人に親しまれてきたのです。感謝の気持ちと共に、ご冥福をお祈り申し上げます。
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