YOSHIKIの父親の死因は自殺?理由や原因は借金?父にあてた曲も紹介
日本の有名ロックバンドYOSHIKIさんの父親の死因は何だったのでしょうか。借金があったとの噂もありましたが、その真相に迫ります。そして、YOSHIKIさんが、父親にあてて作ったと言われる曲に込められた想いはどの様なものだったのかを、ご紹介していきます。
目次
YOSHIKIさんの父親の死因は自殺だった?

日本の有名ロックバンド「X JAPAN」のYOSHIKIさんの父親が、若くして亡くなっていました。その死因は自殺だったのではないか、と世間を騒がせていました。その真相について、詳しくご紹介していきます。
その真相とは

「X JAPAN」のYOSHIKIさんには、幼い頃から父親に憧れていた過去がありました。ご自身のバンドの曲も、父親の影響を受けた曲も多いでしょう。そして、YOSHIKIさんのユニークな性格も父親に似ている部分もあるのではないでしょうか。過去にYOSHIKIさん自身が、自分は「34歳」で死ぬ。と繰り返し話されていた事がありました。「34歳」とは何が関係しているのでしょうか。

YOSHIKIさんの父親は、1976年8月に34歳で亡くなっている事がわかりました。YOSHIKIさんの発言からも、自分は「34歳」で死ぬ、と話されていていました。父親より長く生きる事に思う事があったのでしょうか。YOSHIKIさんは当時、夏休みに行われていた、楽器のクラブを終えて家に帰ると、白い頭巾を被った父親が寝かされていたと話されています。

いつもと同じように家に帰った際に、そんな事になっているとは思いもしなかったでしょう。YOSHIKIさんに対して親戚の方から、父親は病気で寝ていると初めのうちは話されたそうです。その時のYOSHIKIさんは10歳で小学校3年生位でした。いつもと違う異変にすぐに気づいたと話されていました。病気なんかじゃない、死んじゃったんでしょ、なんで嘘をつくの。と父親の名前を呼び続けていました。

まだ幼い頃の「生と死」の違いも分からない子供には衝撃だったでしょう。当時YOSHIKIさんに、父親の死因が自殺であったと聞かされてはおらず、中学生の時に親戚の家で偶然知ってしまったようでした。YOSHIKIさんは、そんな父親に対して尊敬もあったのと、色んな感情が混ざり合い、自分でも何の感情か分からない程の様でした。

当時を振り返りYOSHIKIさんは、「父親が自殺した事は、一生癒える事の無い傷になった」と話されていました。父親の死の真相はいまだ不明な部分もあるようで、本当の答えは本人にしか分からず、永遠にその答えを探し続けて生きていく事しかできない。と語られました。父親の自殺の死因についても、今でも乗り越えられず、闘い続けている、この先も癒える傷では無い。と話されていました。
気になるYOSHIKIさんのプロフィール

名前:林 佳樹(はやし よしき)
生年月日:1965年11月20日
年齢:52歳
身長:身長175cm
出身地:日本・千葉県館山市
職業:ソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー等
担当楽器:ドラム、ピアノ、キーボード、シンセサイザー
活動期間:1977年~現在
事務所:ジャパンミュージックエージェンシー、YSKエンタテイメント、ウィリアム・モリス・エンデヴァー
YOSHIKIさんの生い立ち

1965年11月20日、千葉県館山市にある呉服店の家庭に二人兄弟の長男として生まれました。父はジャス・ピアノ、母親は三味線、祖母は琴の演奏を嗜むほどの音楽に触れている家庭でした。YOSHIKIさんの弟はYOSHIKIさんのサポートをする為に、日本でマネージメントをされているようでした。父親は呉服店を継ぐまで、プロのタップダンサーもされていました。

二人兄弟の幼少期は、両親が仕事で忙しかった為、家政婦が二人の面倒をみていました。YOSHIKIさんが4歳になる頃に父親からピアノを買って貰い、自宅近くのピアノ教室に通いクラシック・ピアノのレッスンを受け始めました。その頃からYOSHIKIさんは父親が購入する、クラシック音楽のレコードを好んで聴くようになりました。

そしてYOSHIKIさんが8歳の時には、自分のお小遣いからシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」とベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調「運命」を買われる程好きだったようでした。そしてYOSHIKIさんは、病弱で重い小児喘息によって、小学校中学年になるまでに病院への入退院の生活を繰り返していました。

父親が来るお見舞いの際には、子供向けの偉人伝を読んでもらっていたそうで、そこに出てくる若くして難聴と闘いながら多くの名曲を残した、ベートーヴェンの苦難の人生にとても興味を抱いたようでした。YOSHIKIさんは幼かったにも関わらず、大人でも中々聴かないようなクラシックを聴いていました。
YOSHIKIさんの慈善活動
幼い頃に父親を亡くしたYOSHIKIさん。遺児救済に関わる活動をご自身自ら積極的に行っています。2009年1月16日に行われた香港公演「X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG」では、約200人の孤児を招き地元の非営利団体「仁愛堂」に収益の一部を寄付するなどの活動をされています。

2011年3月11日、日本を襲った「東日本大震災」の被災者の為に、ヤフージャパンのチャリティーオークションにX JAPANのコンサートで使用した、ご自身のクリスタルピアノや愛用品を出品し、落札金額の全額を日本赤十字社に寄付されていました。クリスタルピアノは同年4月28日に、1100万円で落札されています。

日本で行った最近の支援では、2016年に発生した「熊本地震」の被災者支援の義援金として、YOSHIKIさんが運営する米国非営利公益法人「Yoshiki Foundation America」を通じて、日本赤十字社の「平成28年熊本地震災害義援金」に1000万円寄付されていました。
1994年にアメリカで起きた「ロサンゼルス地震」を経験しており、被災地の治安悪化が問題とされていた事を振り返りながら東北大震災の時も同様、今回も被災地で冷静な行動をとっていた被災地の皆様の姿にはとても感動しましたと語られています。世界からも賞賛される日本人の心も世界に伝えていきたいと話されています。

2017年8月、アメリカ・テキサス州で起きた「ハリケーン・ハービー」では大きな被害をうけました。アメリカ赤十字社に「YOSHIKI FOUNDATION AMERICA」を通じて、「25,000ドル」を寄付されており、YOSHIKIさんは被災者に向けて、同じアメリカに住む僕にとっても他人事ではありませんでした。少しでも力になりたいと話されていました。
事業活動とは?

1986年には、ご自身のバンドX JAPANのレコードをリリースする為、レコード会社「エクスタシーレコード」を20歳という若さで設立されています。エクスタシーレコードは「LUNA SEA」や「GLAY」を輩出するなど、一大インディーズ・レーベルとなりました。そして、知り合いのプロダクションの代表が、エクスタシーレコードの音源を無断使用していた事もありました。

その一件から楽曲を守る為、1988年に音楽出版社の「エクスタシー音楽出版」を設立されており、日本音楽著作権協会に登録もされている事がわかりました。1992年には、YOSHIKIさん自身のマネージメントや楽曲の版権を管理する「ジャパンミュージックエージェンシー」を設立するなど、YOSHIKIさんは事業活動にも積極的に取り組んでいます。
YOSHIKIさんの父親の自殺は借金が原因?

YOSHIKIさんの父親は「借金」が原因ではないか、と言われていますがどうなのでしょうか。YOSHIKIさんが生まれた実家、父親の家では呉服店を経営しており、父親は派手な生活を好んでいたようでした。そして、当時YOSHIKIさんが生まれ育った館山市では、周りで誰も持っていなかった、キャデラックも乗り回していた様でした。

父親の名前は公開されていませんが、街中では呉服店を経営していた事もあり、知らない人は居なかった様でした。そういう派手好きな父親をYOSHIKIさんは尊敬していました。昔からのYOSHIKIさんの喧嘩の早さや性格も父親の影響なのではないでしょうか。YOSHIKIさんの誕生日には父親から必ず楽器をプレゼントされており、ピアノやトランペットと言った様々な楽器を買って貰っていました。

それに、父親は元プロのタップダンサーという事もあり、収入もそれなりにあったのではないでしょうか。YOSHIKIさんの母親は三味線を弾いていたようで、裕福な家庭のようです。その様な家庭が、自殺をする位までの借金を背負うというのはとても考え難いです。YOSHIKIさんが父親の死因は不明と語っています。借金が原因なら、YOSHIKIさんも借金があったと話されるのではないでしょうか。

現在、父親が自殺した死因が借金か別の理由かは不明ですが、聞いてる限り裕福な家庭なのは間違いありませんでした。なので、借金が原因で自殺をしたと考えるのは少し難しいでしょう。YOSHIKIさん自身も父親の死因をはっきりとは分かっていませんでした。普段はっきり物を話すYOSHIKIさんですが、可能性として借金が死因だとしたらYOSHIKIさんもあまり公に言いたくない気持ちもあるのかもしれません。
父親にあてたYOSHIKIさんが作った曲とは?

どうやら調べてみると「X JAPAN」の曲の中には、自殺した父親に向けた曲がある様でした。「X JAPAN」がとても大切にしている曲「Tears」でした。父親が自殺によって他界し、YOSHIKIさんの思いがこの「Tears」に込められていました。動画を見て頂くと分かりますが、YOSHIKIさんの表情で、どれだけこの曲が大切なものかわかりました。
「Tears」という曲の最後には、YOSHIKIさん自身が父親に向けて、英語で朗読する部分がありました。YOSHIKIさんが、自殺によって亡くなられた父親の年齢の34歳を超えてご自身の今後の決意や、YOSHIKIさんの本当の胸の内側で思っていた事を父親に語りかけている朗読でした。その一部をご紹介していきます。
Now, I’m older than you
「もう今は貴方の年齢を越えた…」
Fou now I will try to live for you and for me
「今、わたしは、生きて行こうと思う。貴方の為に…そして自分の為に…」

幼い頃から我慢してきた思いが、この曲に詰まっている事がわかりました。自殺によって亡くなった父親の「34歳」という年齢をご自身が越えて、父親にあてて書いた「Tears」という曲は、YOSHIKIさんにとっても「X JAPAN」にとっても大切な曲になっているのではないでしょうか。
カリスマ溢れる音楽性

YOSHIKIさんが作る音楽は、作詞をする際には、作曲と同じかそれ以上の時間をかけて作っていると話されていました。自分の歌詞は、死について語っている詞が多いとも話されています。父親にあてて書いた「Tears」という歌詞もその1つでした。YOSHIKIさんは、どのジャンルの音楽にも関わらず、作曲をする際には楽器は使わないと語られていました。
その理由としては、楽器を使わず譜面だけで作曲をすると、形に囚われない自由な作曲が出来ると話されています。楽器を使って作曲をすると、癖などから制約が出来てしまうと話されていました。YOSHIKIさんは「絶対音感」を持っており、移動中の様な飛行機の中でも、ペンと譜面さえあれば作曲が出来るみたいです。
YOSHIKIさんのインディーズ時代には、ライブハウスにて曲の合間に冗談でピアノでクラシックを弾くと、その意外性からとても受けが良いようでした。それ以降YOSHIKIさんは作曲をする際に、様々な楽器とピアノを絡めた作曲をするようになったと話されています。
YOSHIKIさんは父親の「死」と闘い続ける
今では、様々な所で元気な姿を見せているYOSHIKIさんですが、心の中では今でも父親の死と闘い続けているようでした。父親の死因が借金なのか、という疑問に対しては聞いてる限り、裕福な家庭だったので借金が原因とは考え難い状態でした。誰にも分からない、本人しか知らない死因があるようです。

ご自身も、この先癒える事の無い傷を負ってしまったと語られていましたが、それでもメディアの前ではプロとして頑張っています。辛い過去を中々癒すのは難しいですが、この先も頑張って頂きたいです。ご自身の大きな首の手術も無事に終わり、YOSHIKIさんのバンド「X JAPAN」も勢いをつけて活動されている状態です。

バンド以外にもYOSHIKIさんは、事業家としても活躍されているので、とても忙しくロサンゼルスと日本の往復の日々という事も話されていました。メディアに出てくる数も増えてきており、今最も勢いのあるバンドです。今後のYOSIKIさん、そして「X JAPAN」に注目です。
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