瓜田純士の現在は!元アウトローのカリスマの伝説とは!父親や仕事は?

元アウトローのカリスマと呼ばれていた瓜田純士さんの伝説とはどの様な事なのか。そして、あの関東連合と関わりがあったとされる、瓜田純士さんは現在何をされているのか。そして現在の瓜田純士さんの父親やどの様な仕事に就いているのかをご紹介していきます。

目次

  1. 瓜田純士さんの現在とは?
  2. 気になる瓜田純士さんのプロフィール
  3. 現在はどんな仕事をしているの?
  4. 元アウトローのカリスマ瓜田純士さんの伝説とは?
  5. 瓜田純士さんの父親の現在とは?
  6. 現在は大人しくなった瓜田純士さん

瓜田純士さんの現在とは?

元アウトローのカリスマと呼ばれていた、瓜田純士さんは今現在何をされているのか詳しくご紹介していきます。瓜田純士さんは全身刺青が入っており、身長も高く、眼力がありご自身の容姿から相当人目を引いています。そんな瓜田純士さんは現在一体何をされているのでしょうか。

現在なにをしてるの?

結論から言うと、現在は結婚された嫁と穏やかに暮らしているようでした。アイドルグループ「アイドリング!!! 」で活躍をしていた清久レイアさんの母親とご結婚されているようでした。嫁の連れ子であった、清久レイアさんを本当の親子として愛情を注いでいた様でした。清久レイアさんがアイドルを引退された時には、父親の様に大激怒されたことも話されていました。

嫁とレゴランドに?

2017年5月3日、瓜田純士さんが企画にて名古屋にある「レゴランド・ジャパン」に行った時にトラブルが起きました。同年4月1日にオープンしたばかりのレゴランドが、名古屋の観光名所に相応しいかのジャッジを瓜田純士さんがするというのが企画の趣旨でしたが、入口でその「格好では入れません」と言われてしまったようでした。当然、画像の格好では何処も入園は厳しいでしょう。では、どうピンチを切り抜けたのでしょうか。

レゴランドは飲食物の持ち込み禁止で、園内の飲食店は高いし相当混んでるという情報を事前に得ていた瓜田純士さんは、新幹線で予めお腹を満たしていたと話されていました。そして、入口のゲートにて係員に止められてしまった瓜田純士さんですが、やんちゃをしていた中学生時代だと、ここでひと暴れしたところでしょう。しかし現在30歳を超えた大人なので、冷静な対応を見せていました。

備えあれば憂いなし、こういう時の為に用意しておいたと話されていた瓜田純士さん。そう言いながら、腰に巻いていたパーカーを着て、体の刺青を隠してピンチを切り抜けました。レゴランドは、小さな子供を対象とした施設なので、ゾンビの様な恐怖感を与える仮装は禁止の様でした。瓜田純士さんの顔面は恐怖を与えるのには十分の様でしたが、仮装ではない為、入園許可が出たそうでした。

瓜田純士さんは、企画でレゴランドに行ったようでしたが、何と嫁も一緒に来ていました。中に入ると、コーヒーカップの様な乗り物があったようで、瓜田純士さんが嫁に一緒に乗ろうよ、と誘っていたようです。しかし、嫁は目が回るから嫌。と却下されたそうでした。今度は逆に嫁が、自らの力でロープを引っ張りながらうえに上る乗り物に指をさしながら、嫁はあれに乗りたいと言われていました。

しかし瓜田純士さんは、高い所は怖いから嫌と却下していました。意外にも楽しんでいたらしく、嫁の地元の大阪の街並みも、再現されているようでした。レゴで作られた街のジオラマのある「ミニランド」で、テンションの上がった瓜田純士さんと嫁は一緒に楽しんでいた様でした。最後には最初の20分程は楽しかったけどそれ以降は飽きてきた。と話されていました。

瓜田純士さんが終始ニコニコしていたのは、嫁が楽しんでくれていたから、自分も楽しいと話されていました。レゴマニアを除く大人の男はこんな所じゃ満足できませんでした。と話される瓜田純士さんでしたが、何だかんだ嫁と共に楽しんでいたようでした。

気になる瓜田純士さんのプロフィール

名前:瓜田純士
生年月日:1979年12月4日
年齢:38歳
身長:182cm
出身地:東京都新宿区歌舞伎町
別名:アウトローのカリスマ、元アウトローのカリスマ
出身校:東京・杉並区立高南中学校
職業:作家
活動期間:作家・2008年~現在

瓜田純士さんは、10代の頃から10年間程暴力団に所属していた事から「アウトローのカリスマ」「元アウトローのカリスマ」の異名を持っているようでした。2018年1月からは、瓜田純士さん自らが「キング・オブ・アウトロー」と呼ばれているようです。自身の作品もその不良世界が中心の作品になっているとのことでした。全国に「ウリラー」よ呼ばれるファンが多く居るようでした。

過去に、瓜田純士さん制作映画や、自作のブランドモデル、地下格闘技、音楽活動をされていましたが、いずれも職業と言えるような物ではありませんでした。これまで、多くの騒動を起こしている事で有名で「半端じゃない」を意味する、ネット用語「パネェ」という言葉も普及させていたとも言われていました。

瓜田純士さんは、東京都新宿区歌舞伎町の花屋に生まれました。父親は元暴走族「ブラックエンペラー」の2代目総長を務めていた「瓜田吉寿」さん。小学校、中学校の時には不良少年と周りから知られ、中学2年生に進級する頃にあまりの素行の悪さから、強制的に転校させられていた過去がありました。

そこで、瓜田純士さんは「関東連合」のメンバーの松島重と知り合い「六本木クラブ襲撃事件」の主犯である人達と交流関係を持っていました。17歳に暴力団員となって、2003年から2007年にかけて服役中に暴力団を脱退されていました。また、服役中に書いた文章により、その面白さを知り出所してから作家となり、2008年以降数々の本を出版していました。

服役中の文筆

瓜田純士さんは、執行猶予期間中の2003年4月に「覚醒剤取締法違反」により逮捕されていました。この時3年半の懲役刑となりました。しかし、服役していた際に、約5500人が参加した刑務所内の文芸コンクールにて「mother」と題して書いた瓜田純士さんの小説が大賞を獲得されていました。これがきっかけとなり、瓜田純士さんは作家になる事を決意したと話されていました。

2008年にはデビュー作である「ブネズミのバラード」を発表しており、翌年の2009年には「ピラニア 〜雨の街、俺たちの絆〜」を出版していました。2010年にはご自身3作目の「泥だらけのありがとう」を出版し、2014年に発表した「遺書 ~関東連合崩壊の真実と、ある兄弟の絆~」は瓜田純士さんの代表作になるくらいヒットしたそうです。その後も数々の本を出版されているようでした。

「関東連合」との関係とは?

瓜田純士さんが2007年に出所後、自身のブログにて「関東連合」との関係を示す書き込みをされていたことが分かりました。関東連合脱退後も、松嶋重と交友関係はあったようで、瓜田純士さんは度々松嶋重の迷惑を被っていた事があると話されています。関東連合元リーダーである、石元太一とは暫くの間、抗争状態と言える緊張関係となっていたようでした。

「六本木クラブ襲撃事件」については瓜田純士さんは事件に一切関係ないと断った上で「SPA!」と「週刊大衆ヴィーナス」の取材を受けていた事がありました。真っ先に実行犯であると出頭した二人に対して、名指しで批判していました。そして、関係人物らの過去の写真をメディアに提供してきた人を激しく批判し、自身のブログに記事も掲載されていました。

瓜田純士さんは、この一連の流れも松嶋重達に利用されていたと記されていました。「六本木クラブ襲撃事件」は人違いにより起こってしまった事件であることが分かりました。本来の標的であったとされている、人物とその兄、要するに、関東連合と抗争関係にあった兄弟は地元新宿の幼馴染のようでした。

「六本木クラブ襲撃事件」の伏線にあたる事件、2008年に起きた「西新宿・関東連合関係者撲殺事件」の頃には兄弟は被害者が所属していた「新宿ジャックス」の後輩でしたが「関東連合」と敵対関係だった為、関東連合側から事件の関与を疑われていたとの事でした。同著ではこの疑いから「六本木クラブ襲撃事件」が起こってしまったのではないかとされていました。

現在はどんな仕事をしているの?

現在の瓜田純士さんの仕事は作家もされているようでした。2008年から現在まで数々の本を出版されている事がわかりました。現在は格闘技もされているようで、2018年4月28日には「瓜田純士に勝ったら10万円」というイベントもされているようでした。現在は主に格闘技、空いているときに少しずつ作家と言う感じでしょうか。昔に比べると、現在は大分おとなしくなっているのではないでしょうか。

元アウトローのカリスマ瓜田純士さんの伝説とは?

元アウトローとは何のことなのかを始めにご紹介します。元アウトローとは「ならず者、無法者」の事の様でした。つまり、社会的に外れた人という意味で、日本で使われているようでした。本来は決して格好のいい物では無く、法を守らず、ハチャメチャな生き方をする人の事のようでした。それでは、伝説と言えそうな、エピソードがいくつかありましたのでご紹介します。

元アウトローのカリスマ瓜田純士さんは16歳頃から指定暴力団に加入していました。傷害、覚醒剤所持で何度か逮捕されているようでした。暴力団には10年程加入しており、逮捕された数は12回程の様でした。こんなに逮捕される人はある意味伝説です。多国籍組織「供攻社」を設立されていました。

元アウトローのカリスマ瓜田純士さん自身が「供攻社」を設立されており、多い時で60人程在籍されていたようです。その中には在日韓国人、中国人、日系ブラジル人、亜系黒人が居たようで、これだけ多くの多国籍の方々をまとめられるのは、瓜田純士さんのカリスマ性からではないでしょうか。2008年から2012年では映画製作をしており、その時の映画製作費用が1000円のようでした。

1000円で映画製作とは伝説やカリスマを超えてるのではないでしょうか。この頃知り合った女性に告白し、フラれてしまった元アウトローのカリスマ瓜田純士さんは、その女性の目の前で切腹してしまいました。フラれた女性の前で切腹するのは、ある意味伝説と言えるのではないでしょうか。そして、伝説になってもおかしくない事を元アウトローのカリスマ瓜田純士さんはしていました。

東京の新宿にある公共施設で、瓜田純士さんは堂々の自殺未遂を行っていたことがわかりました。2009年の6月28日、新宿駅ルミネエスト新宿内のブティックで自傷行為を行いニュースになっていたことがわかりました。人前で自傷行為とは、これはもう伝説でした。瓜田純士さんはタレントの姉を脅迫していたことでも話題になっています。相手はタレントであるJOYさんの姉で、モデルの「ソフィア」さん。

2012年3月27日にバンド仲間である「ソフィア」さんを脅迫して、警視庁田無警察署にて逮捕されていました。そして、最も伝説と言えるのがこれでした。アウトロー代表と言えるグループが「関東連合」でした。そこの中心人物と大人になるまで関係を持っていたようでした。その為、関東連合がニュースになる時には、元アウトローの瓜田純士さんの名前が上がるくらいでした。これが一番の伝説ではないでしょうか。

瓜田純士さんの父親の現在とは?

瓜田純士さんの、父親の名前は「瓜田吉寿」さんという名前でした。瓜田純士さんの父親は「ブラックエンペラー」の元暴走族2代目総長だったことがわかりました。1970年代末には、メンバーが2000人を超える程の伝説級の大規模な暴走族だったそうです。父親も暴走族だったという事は、瓜田純士さんはその父親の影響を受けたのでしょうか。性格なども父親に似ている所がありそうです。

瓜田純士さんの父親は時期は分かりませんが、離婚されていました。現在、瓜田純士さんの父親が何をされているのかは分かりませんが、現在まだ生きてらしたら、大分良い年齢になっている頃でしょう。瓜田純士さんの父親が、現在までやんちゃしてたらそれはそれで驚きです。

現在は大人しくなった瓜田純士さん

現在は結婚されて落ち着いている様子の瓜田純士さんでした。そして、瓜田純士さんの現在の年齢も38歳になり、年齢的にもいい大人です。現在は少し頭に来ることがあっても、大分怒りも抑えている様な行動もされているようでした。しかし、昔と変わらないところが、現在でも昔の名残が残ってしまっている刺青です。

現在の日本では、一般的に刺青が入ってしまっている人に対してやはり抵抗のある人が多いでしょう。それによって瓜田純士さんも現在苦労されているのではないでしょうか。しかし時代が進むにつれて、現在では刺青を消すことは出来るようですが、激しい痛みと、腫れたような跡が薄く残ってしまう事があるようでした。

しかし、瓜田純士さんが現在までも刺青を消さずに残しているという事は、瓜田純士さんにしか分からない事情があるのでしょうか。気持ちを入れ替えて生きていくと決めた現在は消した方が瓜田純士さんの為でもありますが、強い拘りがあるのでしょう。

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