野際陽子の若い頃が綺麗すぎる!アナウンサー時代や旦那子供は!画像あり
女優の野際陽子さんを紹介します。昔はキャリアウーマンだった野際陽子さんがどうやって女優さんになってのでしょう。若い頃の野際陽子さんは美人で綺麗な女優さんでした。野際陽子さんは結婚してお子さんがいます。昔の写真を交え、若い頃から最近の野際陽子を紹介します。
目次
野際陽子さんってどんな人
野際陽子さんの紹介

女優の野際陽子さんについて紹介します。生まれてからお亡くなりになるまでの野際陽子さんについて調べてみました。学生時代から、社会人時代、そして芸能活動をされた野際陽子さんはどのような方だったのでしょうか?社会人時代の若い頃の野際陽子さんはどのような方だったのでしょう。結婚した旦那は誰だったのでしょう?子供についても調べました。まずはプロフィールからご紹介します!
野際陽子さんのプロフィール

芸名:野際陽子
愛称:不明
本名:野際陽子
生年月日:1936年1月24日~2017年6月13日
現在の年齢:享年81歳
出身地:富山県富山市
血液型:A型
身長:163cm
体重:不明
活動内容:女優、タレント、アナウンサー
所属事務所:ラヴァンス から フリー
家族構成:配偶者(千葉真一:1973年~1994年)、娘(真瀬樹里)
疎開から戻ってきた昔の東京は焼け野原だった
野際陽子さんの出生地は富山県富山市で生まれた野際陽子さんは3歳の時、現在の東京都杉並区天沼に引っ越しました。杉並第五小学校の3年生の時、空襲を体験し集団疎開をしたそうです。1945年終戦の年の12月に集団疎開から東京へ戻ってきた野際陽子さんは、中央線の列車から見る焼け野原の東京にショックを受け、晩年になっても戦争の恐ろしさを語っています。
立教大学で才女だった野際陽子さん

中学校からは立教大学系列の立教女学院中学校、立教女学院高等学校、そして立教大学へ進みます。立教大学では文学部英米文学科に進み、ESS(English Speaking Society)に入部し英語劇大会に出場したり、立教大学の劇団の一つである劇団テアトルジュンヌに入団し、劇に出演しています。野際陽子さんの立教大学の同級生には巨人軍の名誉監督・長嶋茂雄さんがいます。
アナウンサー時代の野際陽子さん
昔のアナウンサーも狭き門だった若い頃の美人で綺麗な野際陽子さんの写真

立教大学を卒業すると野際陽子さんは、NHKに入社しアナウンサー部に配属になります。アナウンサーは現在でもなりたい職業ですが、昔の頃も同様でアナウンサーは1000人に3人しか採用されない高い倍率の職業でした。野際陽子さんがNHKにアナウンサーに採用された時代には、上司に石田武さん(俳優の石田純一さんのお父様)がいて、野際陽子さんは綺麗で美貌のアナウンサーだったと石田純一さんは聞かされいました。
名古屋支社に転勤になった美貌の若い頃の野際陽子さんの写真

NHKに入社した野際陽子さんは、3ヶ月のアナウンサー研修を修了するとNHK名古屋支局に配属になります。のちのトークショウで野際陽子さんは、名古屋時代の一番の思い出は、独身寮に帰った野際陽子さんを待っていたのは強盗でした。その日が給料日で当時は現金支給でした野際さんが「いくら欲しいの」と聞いたら、強盗は「200円」と応え、野際さんは「1000円札しかないからおつり頂戴」と言ったそうです。
東京に戻ってきた美貌のアナウンサー野際陽子さんの写真

2年後の1960年に野際陽子さんは東京の放送センターに異動となります。美人で美貌の野際陽子さんはアナウンサーとして、朝の情報番組の司会として人気の美人アナウンサーである、その他に週2本のレギュラー番組を担当します。人気のアナウンサー野際陽子さんは1962年にNHKを退社しました。NHKを退社した理由を2016年のNHKのトークショウで語っています。
アナウンサーよりフランス・パリを選んだ美貌の野際陽子さんの写真

野際陽子さんがたった4年間でNHKを退社した理由は、NHKの給料の安さです。当時の野際陽子さんは昔からパリに住んでみたい願望が強く、当時のNHKを野際陽子さんの給料ではパリ行きが実現するためには何年先か分からない状況でした。民放局は人気で綺麗な美貌のアナウンサー・野際陽子さんに「フリーのアナウンサーになりうち局の番組に出てくれれば今の3倍の給与を出す」との条件に野際陽子さんは乗りました。
芸能界入りした野際陽子さん
昔はフリーのアナウンサーとして活躍した美人の野際陽子さんの写真

フリーアナウンサーになる提案をしたのは、TBSプロデューサー大山勝美さんです。綺麗で美人の野際陽子さんはフリーのアナウンサーとしてTBSの番組「女性専科」の司会役を務めました。上の写真はフリーアナウンサーになった若い頃の綺麗で美貌の野際陽子さんです。1963年にはTSBドラマ「悲の器」に出演し出ラマデビューをしています。ドラマの演技の評判がよかった野際陽子さんは東映映画にも出演しました。
憧れのパリへ勉強しに行った美人の若い頃の野際陽子さんの写真

若い頃の野際陽子さんは、昔から恐いもの知らずの美貌で綺麗なフリーのアナウンサーで着々と貯金をし、貯金額が200万円に到達した1966年2月にフランス・パリに単身で行きました。パリへ行った野際陽子さんは、語学学校へ通いフランス語を勉強しながら、ソルボンヌ大学ではフランス古典文学を学びました。語学を勉強したところは、アリアンスフランセーズといってフランス政府が認定した文化と語学の教育機関です。
パリから帰国した美人の野際陽子さんはファッションの最先端を行く女性だった
一年間のフランスでの勉強を終えた野際陽子さんは、1967年3月上の写真のように綺麗な美貌のミニスカート姿で飛行機のタラップを降りてきました。昔の女性達が大騒ぎしたイギリスのモデル・ツイッギーが来日する7ヶ月も前の事です。パリに住んでいた、若い頃の野際陽子さんはファッションにも敏感で、ヨーロッパのファッションの流行に敏感に反応していた綺麗な方でした。「日本のミニスカート第一号」です。
本格的に女優活動を開始した美貌の野際陽子さん

パリから帰国したは野際陽子さんは積極的にドラマや映画に出演しました。野際陽子さんが出演した作品の紹介をします。綺麗な野際陽子さんはどのような作品に登場したのでしょう?若い頃NHKのアナウンサーだった綺麗な野際陽子さんが、単身でフランス・パリで勉強をして語学が堪能になった野際陽子さんは、知的で美人の女優さんになっていきます。
美人の野際陽子さんが出演したドラマ「キイハンター」の画像

野際陽子さんがパリから帰国した翌年(1968年)からドラマ「キイハンター」が始まり、レギュラーメンバーは上の写真左から、丹波哲郎さん、谷隼人さん、野際陽子さん、大川栄子さん、千葉真一さんの5名でした、60話目からは川口浩さんが新たに加入します。「キイハンター」は1年の予定で始まったTBSのドラマでしたが、評判がよく5年間放送され白黒だった放送が105話よりカラー放送となりました。
ドラマ「キイハンター」は007のイメージを引き継いだアクション・ドラマだった
ドラマ「キイハンター」は、007に出演した丹波哲郎さんのイメージをそのまま継承した形で制作されました。諜報部員だったキャップの黒木役の丹波哲郎さん、綺麗で美貌のジュネーブで諜報部員だった語学堪能な美人の津川役には野際陽子さん、ドライブテクニックを持つ島役には谷隼人さん、記者である俊敏な身軽さを誇る風間役には千葉真一さんが扮し、警察には手に負えない事件を解決する国際警察特別室の話しです。
美人女優・野際陽子さんはドラマ「キイハンター」の主題歌も歌った

ドラマ「キイハンター」に出演した美貌で綺麗な野際陽子さんは、「キイハンター」の主題歌「非情のライセンス」を唄っています。この主題歌を唄いたいと野際陽子さん自らが申し出ました。最初は丹波哲郎さんと二人で唄う予定でしたが、二人のキーが合わず野際陽子さん一人で唄う主題歌となりました。また、結婚した千葉真一さんとの馴れ初めは「キイハンター」共演ですが、詳細は別のコーナーで説明します。
美人の女優・野際陽子さんは俳優・丹波哲郎さんのお気に入りだった
野際陽子さんは丹波哲郎さんから妹のように可愛がられています。「キイハンター」や丹波哲郎さん主演の「鬼平犯科帳」など多くのドラマで共演しています。それは、丹波哲郎さんが運営する芸能プロダクション「丹波プロダクション」(後のラヴァンス)に野際陽子さんが所属していたからです。野際陽子さんが死を自ら意識した晩年には事務所に迷惑をかけたくないとラヴァンスを抜けフリーになっています。
美人女優・野際陽子さんのイメージを変えた「ずっとあなたが好きだった」の画像

次に野際陽子さんが世間で話題になった1992年ドラマ「ずっとあなたが好きだった」で息子を溺愛する母・悦子の役で野際陽子さんは出演しました。息子の冬彦役には佐野史郎さん、冬彦の嫁役にはヒロインの賀来千香子さんが出演しています。野際陽子さんの息子を愛する母親役と、冬彦を演じる佐野史郎さんのマザコン・キャラが強烈で、「マザコン」と「冬彦さん現象」が話題となり、その年の流行語にもなりました。
野際陽子さんのアドリブがドラマのテーマを変えた「ずっとあなたが好きだった」

「ずっとあなたが好きだった」は、当初はロミオとジュリエットのような内容の予定でしたが、息子の冬彦が指をケガした時、それを見た野際陽子さんが冬彦の指をなめるアドリブのシーンが評判となり、「マザコン」をテーマにするドラマに変更しました。この番組のヒットによりドラマではタブーであった過激な場面や性描写を出すドラマが出始めます。サザンが唄った主題歌「涙のキッス」はミリオンセラーとなりました。
着物姿の姑役が定着した野際陽子さん・ドラマ「ダブルキッチン」の画像

上の画像はドラマ「ダブルキッチン」の1シーンです。二世帯住宅に住む親子の共同生活を面白く描いたドラマです。若夫婦には山口智子さんと高嶋政伸さん、親夫婦には伊東四朗さんと野際陽子さんが出演しました。伊東四朗さんとの夫婦役はダブルキッチンに限らず、多くのドラマで夫婦役を演じています。後日伊東四朗さんは「夫婦役の相手として野際さんはやり易い相手だった、もう一度共演したい」と語っています。
頑固な姑役が似合っていた女優・野際陽子さんのドラマ「花嫁のれん」の画像

野際陽子さんは、ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の姑役が定番となり、以降和服を着た姑役の仕事が次々ときます。「ダブル・キッチン」の嫁役は山口智子さん、「長男の嫁」の嫁役は浅野ゆう子さん、「花嫁のれん」の羽田美智子さんとの共演は、気位の高い姑役が定評でした。野際陽子さんは浅野ゆう子さんや羽田美智子さんとは仲がよく、晩年まで仲良しのクループでした。
アドリブでみんなを慌てさせる野際陽子さん・映画「トリック」もお披露目写真

上の画像は映画「トリック」の初日挨拶の時の写真です。左から堤監督、仲間由紀恵さん、阿部寛さん、そして野際陽子さんです。2000年にドラマからスタートした「トリック」ですが、上の写真は映画「トリック」で2014年のものです。ロングランのドラマでした。映画の初日挨拶の野際陽子さんは「皆さん大スターになったから、エラくなっちゃって難しいんです」と語り、仲間由紀恵さんを慌てさせました。
多彩な役をこなしていた女優の野際陽子さん・ドラマ「DOCTORS」の画像

ドラマ「DOCTORS〜最強の名医〜」に野際陽子さんは出演しています。ドラマの話題の中心の病院・堂上総合病院の院長役で野際陽子さんが出演しています。甥っ子にはダブルキッチンでも共演した高嶋政伸さんが出演し、主人公の医師・相良浩介役には沢村一樹さんが演じています。堂上総合病院の悪しき習慣を直し、時には院長の野際陽子さんともぶつかって病院を良くしていくドラマです。
野際陽子さんが結婚した相手・千葉真一さん
野際陽子さんの結婚した相手は千葉真一さん

野際陽子さんは、1972年に放送中であったドラマ「キイハンター」で共演していた千葉真一さんとの婚約を発表しています。二人が付き合い始めたのは1968年の「キイハンター」が始まってすぐとのことです。その翌年1973年に結婚して、1974年には長女・樹里さんを出産しています。このとき野際陽子さんは38歳です。昔の女優さんが38歳の歳で子供を産んだ例はなく、野際陽子さんは女優の高齢出産第一号でした。
千葉真一さんってどんな人

上の写真は千葉真一さんの若い頃の写真です。1939年軍人を父に持つ第2子・長男として生まれました。体操選手としてオリンピックを目指し日本体育大学に入学するも、腰と膝を痛め体操を諦め退学し、実家に帰る途中「東映第6期ニューフェイス募集!」を見て合格し芸能界入りします。東映に入社した千葉真一さんは、持ち前の運動神経とスタントマンを使わないことで人気が出てアクションスターの仲間入りをします。
アクション・スターとして国際的に知られていた千葉真一さん

若い頃の千葉真一さんの映画は、昔のジャッキー・チュンさんやブルース・リーさんも感化され尊敬されています。ブルース・リーさんから共演の依頼を受けた千葉真一さんですが、突然のブルース・リーさんの死によって共演は実現しませんでした。また、ジャッキー・チュンさんは千葉真一さんのアクションがヒントとなり今のジャッキー・チュンさんの演技スタイルとなり、東映時代の千葉真一さんに挨拶に行っています。
21年間の結婚生活に終止符を打った離婚記者会見の野際陽子さんと千葉真一さん

結婚し娘・樹里さんを授かった野際陽子さんと千葉真一さん夫婦は順風満帆な生活に見えていましたが、千葉真一さんは働く拠点を日本からアメリカに移すようになりました。しかしながら、野際陽子さんの働く場所はアメリカではなく日本にありと判断したため、二人は共同離婚記者会見を開いています。離婚の場合、別々に会見うることはあっても元夫婦が一緒に出る会見は珍しがられたものです。
円満解決でお互いを認めあった離婚記者会見の野際陽子さんと千葉真一さん

野際陽子さんは、離婚記者会見で千葉真一さんから「君は本当に仕事が大好きだね」といわれ続けていたことを述べています。現在では共稼ぎ夫婦は一般的なものですが、当時としては少ない方であり、若い頃から女性が働くとこは当たり前と思っていた野際陽子さんでありましたが、「仕事ささせてもらったことへの感謝」を千葉真一さんに送っていました。
離婚後も家族で会っていた野際陽子さんと千葉真一さんと娘の樹里さん

野際陽子さんと千葉真一さんが離婚記者会見に一緒に出た理由を「憎み合って離婚するのではなく、お互い尊重し合うために離婚する」といっています。「キイハンターの若い頃の二人に戻る」ともいっています。その証拠に離婚後も、野際陽子さんと千葉真一さんは娘の樹里さんと三人で食事などに行っているところを記者達に撮られています。
野際陽子さんの子供は何してる
美人で綺麗な美貌の親子は瓜二つ

上の画像は野際陽子さんと娘・樹里さんとのスナップ写真です。樹里さんは若い頃の野際陽子さんにそっくりな美人で綺麗な女優さんです。となりの野際陽子さんも若々しさを保っている若い頃と同じ美貌を持つ、綺麗な母です。姉妹といってもおかしくない美人の親子です。
娘・真瀬樹里さんプロフィール

芸名:真瀬樹里(まなせ じゅり)
本名:野際樹里
生年月日:1975年1月1日
出身地:東京都
身長:164cm
血液型:A型
職業:女優
ジャンル:テレビドラマ、舞台、映画
活動期間:1994年~
美人だけじゃない!殺陣も父譲りの女優・真瀬樹里さんの画像

野際陽子さんの娘・樹里さんは5歳の頃から女優になることを決めています。ピアノやヴォイストレーニングなど女優に必要な習い事は全てこなし、1993年には日本大学藝術学部演劇学科に入学したのち、在学中に映画デビューし、上の画像の映画「寺子屋ゆめ指南」1997年に出演しました。父譲りで殺陣が上手く、アクション俳優としてもこなせる娘・樹里さんは綺麗な女優さんです。
ドラマでは母・野際陽子役を演じた女優の真瀬樹里さんの画像

ドラマ「トットちゃん」に出演した時の娘・真瀬樹里さんが母の野際陽子さん役をした時の画像です。綺麗で美人の樹里さんです。お母さんの野際陽子さんによく似た、知的で美貌の姿です。トットちゃんとは黒柳徹子さんの愛称のことで、「トットちゃん」は黒柳徹子さんの半生を描いた物語です。黒柳徹子さんはNHK時代から野際陽子さんを知っており、樹里さんにアナウンサーの野際陽子さんの役を演じてもらいました。
野際陽子さん役を切望したのは母の親友の黒柳徹子さんだった

上の画像はドラマ「トットちゃん」のプロモーション画像の一枚です。トットちゃん・黒柳徹子さん役を演じるのはヒロインに抜擢された女優の清野菜名(せいのなな)さん、野際陽子さん役はもちろん娘・真瀬樹里さんです。若い頃の野際陽子さん、黒柳徹子さんにそっくりと評判の画像です。娘・樹里さんに亡き母・野際陽子さんの役をやらないかと言ってきたのは黒柳徹子さん直々のお願いだったのです。
若い頃の美人の野際陽子さんを彷彿する美貌の娘・真瀬樹里さんの写真

現在43歳になられる娘・樹里さんですが昔の野際陽子さんにそっくりの美貌です。若い頃の野際陽子さんの写真は白黒のものが多いので、白黒の樹里さんの写真を見つけました。それにしても若い頃の野際陽子さんそっくりの綺麗で美人の真瀬樹里さんです。
野際陽子さんの晩年は?
若い頃から興味引かれるものに挑戦する野際陽子さん

野際陽子さんは独身時代から興味を引かれるものには積極的に学ぶ習慣があり、娘・樹里さんを育てる時にも樹里さんにお稽古ごとをする際、野際陽子さん自身もいっしょにお稽古をしています。ダンスやピアノを娘・樹里さんと一緒に習い、晩年は水彩画の勉強をしています。何にでも前向きに習おうとする野際陽子さんの興味心は並ではありません。
NHK入社時からの昔から親友の黒柳徹子さんと野際陽子さん

野際陽子さんと黒柳徹子さんは、野際陽子さんがNHK入社した頃と黒柳徹子さんが女優として活動を始めた頃と3年しか差なく、黒柳徹子さんが活躍し始めた頃に野際陽子さんが新入社員として入ってきました。女性アナウンサーが少ない時代だったので二人なすぐ仲良しになり、60年来の共となります。「徹子の部屋」への出演回数も21回となり女性の出演回数では一番です。
共演した嫁役と親しくしていた野際陽子さん

野際陽子さんは黒柳徹子さんと親友の間柄でした。また、ドラマで共演した女優さん浅野ゆう子さんと、羽田美智子さんとも親しくしていました。ガンである闘病生活のことも二人には話しをしていました。浅野ゆう子さんとは「長男の嫁」、羽田美智子さんとは「花嫁のれん」で、怖い姑役を演じた野際陽子さんでしたが、後輩思いの優しい先輩女優さんでした。
息子を可愛がる姑の役は最高の演技だった野際陽子さん・「コントレール」の画像
上の画像はNHKドラマ「コントレール」の1シーンです。右からヒロインの青木文の役の石田ゆり子さんです。夫を殺され息子を一人で育て「カレー屋」を営んでいる母親の役です。中央は青木英恵役の野際陽子さんです。文とは嫁・姑の間柄で殺された息子の母役です。左は女優の堀内敬子さんで文の高校からの友人で「カレー屋」を手伝う役です。姑の英恵は孫の友樹と同居したいのですが、希望が叶わない祖母役を演じてます。
昔は良妻賢母が尊ばれたが働く女性の先駆けを歩んだ女優・野際陽子さん

昔、「女性は家で家事をするもの」といわれていた時代に職業婦人(NHKアナウンサー)を選んだ野際陽子さんは、若い頃から男と女の格差について考えています。若い頃にヨーロッパに渡り一年ほどの生活でヨーロッパで男女の生活をみてきた野際陽子さんは女性の権利や自由を訴えています。千葉真一さんとの離婚の会見の際も、「仕事と家事の両立に悩まされた」と苦悩を述べています。
政府のやり方が”間違っていること”にははっきりものを言った野際陽子さん

野際陽子さんは、知識人の文化人として日本政府が制定した特定秘密の保護に関する法律に反対している文化人の一人です。昔、第二次世界大戦を若い頃に体験している野際陽子さんは、秘密保護により昔の日本のようになることを懸念し反対しています。また、原発にも反対しています。「原発から出た放射能を無害にできる技術が発明されるまで、原発を使ってはいけない」と述べています。政府に物言う女優さんです。
野際陽子さんの遺作となったドラマ「やすらぎの郷」の画像

上の画像は野際陽子さんの遺作となったドラマ「やすらぎの郷」の1シーンで石坂浩二さんと会話をしている野際陽子さんです。「やすらぎの郷」は、映画・テレビに関係のあった人達だけが入れる老人ホームです。昔の俳優さんや昔のスタッフさん達が再会し、懐かしんみ、新たな恋に芽生える話しです。野際陽子さんは主人公・栄を演じる石坂浩二さんと昔共演したことのある女優・九条摂子の役を演じています。
撮影場所に酸素ボンベまで持ち込んだ野際陽子さん

野際陽子さんが病になった病名は「肺腺がん」です。日本人の肺のガンの5-6割が「肺腺がん」になると言われています。早期発見が難しいと言われている病気でが、野際陽子さんは2014年に初期の「肺腺がん」が発見され手術により摘出し、2015年にも再発発見した「肺腺がん」を摘出しています。2017年に三度再発し「やすらぎの郷」の撮影中は酸素マスクを持ち込み撮影をし、6月13日に帰らぬ人になってしまいました。
まとめ:野際陽子さんは永遠の才女の女優さん

憧れだったアナウンサーを短い期間で辞めた美貌の野際陽子さんは、自分の意志を貫き憧れのパリ生活を送りました。綺麗さと知的さを兼ね備えた野際陽子さんは、着物も似合う美貌の女優さんでした。晩年は反原発など社会的活動もされたのは、昔のキャリアウーマンとしての誇りでした。ガンに負けてしまった野際陽子さん。もう少し、ドラマや映画で活躍して欲しかった女優さんです。
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