山本文郎と嫁の由美子の馴れ初めや夫婦生活は?現在や子供についてまとめ

ベテランアナウンサーとして人気だった山本文郎が世間を驚かせたのは31歳年下の女性との結婚でした。山本文郎が結婚した嫁である山本由美子との夫婦生活はどのようなものだったのでしょう。また、山本文郎の子供や現在の山本由美子について紹介します。

目次

  1. アナウンサーの山本文郎の嫁との馴れ初めについて
  2. 山本文郎はアナウンサーとして非常に信頼された
  3. 31歳差での結婚が話題に
  4. 山本文郎には子供も居る
  5. 嫁とは別に長年懇意にしていた女性がいた
  6. 山本文郎が亡くなった現在の嫁と子供

アナウンサーの山本文郎の嫁との馴れ初めについて

元TBSアナウンサーで、その落ち着いた雰囲気からフリーアナウンサーになってからも、司会者として活躍していた山本文郎。

その山本文郎が世間を一番驚かせたのは、なんと31歳差での再婚でした。どのような敬意で嫁である山本由美子との結婚にいたったのでしょうか。

残念ながら山本文郎は亡くなってしまったのですが、現在の山本文郎の嫁である山本由美子と子供たちに調査しました。

また、山本文郎のアナウンサーとしての歴史やその死の真相についても調査しました。突然の山本文郎の死はどのようなことが原因だったのでしょうか。

山本文郎のアナウンサーとしての歴史

山本文郎は1934年12月23日生まれで2014年2月26日に79歳で亡くなっています。元TBSアナウンサーで、フリーアナウンサーになってからは、司会者の仕事でも活躍しました。

山本文郎は東京都小石川区出身で、ひとり子として誕生しています。1944年に母方の実家がある島根県に1人で疎開をした経験もあったそうです。

また、山本文郎の父親は開業医だったそうですが、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍に召集されています。そして、広島陸軍病院勤務中の1945年8月6日に被爆して全身やけどを負ったそうです。その後、15日経って亡くなってしまったそうです。

オリンピックの実況を夢見てアナウンサーの道に

山本文郎は東京都立九段高等学校を経て、早稲田大学文学部国文科を卒業しました。そして、オリンピックで実況することを夢見て、スポーツ担当のアナウンサーを志しました。

1957年4月にアナウンサー五期生としてラジオ東京に入社しました。アナウンサーを挑戦したもう一つの理由には、友人が、東京生まれ東京育ちなので、言葉のなまりが無いからアナウンサーのテストを受けてみたほうがいいとアドバイスしたそうです。

ちなみに、ラジオ東京だけでなく、NHKからも内定を出ていたそうですが、結果的にラジオ東京を選んだそうです。

山本文郎はアナウンサーとして非常に信頼された

山本文郎はラジオ東京で歌謡。演芸・情報番組を担当しました。また、念願だったスポーツアナウンサーとして卓球やバレーボール、ラグビーなど様々なスポーツを担当しました。

そんな山本文郎も、若手のころに野球中継を担当して、スポンサーの企業名をずっと間違えて言い続けてスポンサーに叱られたことがあるのだとか。

また、野球中継の中で選手がサイクルヒットを達成しています。しかし、そのときに最後のレフトスタンドへのホームランを打球が上がった瞬間に「ショートフライ」と言ってしまったそうです、

慌ててレフトへのホームランですと訂正してたものの、これを最後にスポーツ実況から外されてしまったそうです。

失敗を経て信頼されるアナウンサーに

このような失敗を経験している山本文郎ですが、1967年11月15日にアナウンサー研修室の設置に伴ってチーフアナウンサーになっています。

また、報道局ニュース部専門職部長、報道局編集部専門職部長兼ラジオ局アナウンス室専門職部長、報道総局社会情報局専門職局長、社会情報局理事などを要職を歴任しています。

1976年からはテレビの関東ローカルワイドニュース番組「テレポートTBS6」で2代目メインキャスターを担当しています。

そのことから関東地方では11年に渡って「TBS夕方の顔」として活躍しました。また、番組降板後は「JNNニュース22プライム」の司会となった森本毅郎に変わって、1987年からは「モーニングEye」の2代目司会者になっています。

山本文郎は1994年9月に、TBSを定年3ヶ月前に退職しており、その後は「オフィスぶん」を設立してTBSと専属キャスター契約を結んでいます。

31歳差での結婚が話題に

1996年10月に完全にフリーアナウンサーとなった山本文郎は、土日の2日間にゴルフコンペを開催するなど、のんびりとした生活を過ごしていたようです。

そんな山本文郎がいきなり世間を騒がせたのは、31歳年下の女性との再婚でした。これは芸能界の結婚の最高年齢の記録を更新するものとなっています。

もともと山本文郎は、1958年にお見合いの末に1959年2月7日に結婚しています。そして、宮内庁職員が利用する皇居内の式場にて挙式をあげています。

芸能界でも最高齢の結婚だった

1997年の元旦にこの妻を脳梗塞で亡くしています。そて20008年1月に、山本文郎は73歳で31歳年下の由美子と再婚をしています。

これまでの芸能界で再婚をした最高齢記録は、俳優の上原謙と歌舞伎俳優の中村富十郎の同年齢の66歳というものでした。山本文郎は73歳で結婚したため7歳も記録を更新しているのです。

再婚した山本文郎は、千葉県鎌ケ谷市に移住しています。また、その再婚が大きな話題となり2008年には新語流行語大賞授賞式で司会を務めており、バラエティ番組やトーク番組に出演することも増えました。

また、結婚した山本由美子はオフィスぶんで山本文郎のマネージャーを兼務するようになったそうです。

再婚して夫婦になった嫁との馴れ初めとは

晴れて夫婦となった嫁との馴れ初めはどのようなものだったのでしょう。山本由美子との馴れ初めは、TBS時代に司会を務めていたラジオ番組「こども音楽コンクール」に、嫁の兄が出演していたことがきっかけだったようです。

実は嫁も再婚だったようで、由美子の1回目の結婚披露宴で司会を務めたのが山本文郎だったそうです。

そして、山本文郎が前妻を亡くした直後に、由美子も離婚していたことを年賀状で知ったそうです。このことから、久々に再開して、お互いの相談をしているうちに、愛が芽生えて夫婦なることを決断したそうです。

山本文郎には子供も居る

山本文郎は前妻との間に1男を授かっており、孫も2人居ます。そして、再婚するときには嫁の連れ子である2男を養子縁組にしているのです。

夫婦になってからは、嫁とテレビ番組に一緒に出演することも多かったようです。2009年には「新婚さんいらっしゃい!」の新春特集「芸婚さん いらっしゃーい!2009」に夫婦揃って出演し話題になりました。

実は山本文郎は自殺未遂の経験もあり

このように31歳年下の嫁が出来て、子供とも養子縁組をした山本文郎。しかし、その後に自殺未遂を起こしたことがあります。

山本文郎は2010年7月に、リストカットをして救急車で運ばれているのです。その自殺未遂の理由には様々な噂があるようです。

ひとつは、山本文郎の息子が原因だったという噂です。養子縁組した子供は当時高校生と中学生ぐらいの年齢だったそうで、どちらかの子供が少し荒れていた時期があったそうです。

すでに結婚をして二人の息子たちと由美子と同居を始めていた山本文郎ですが、その自殺未遂をした山本文郎を見つけたのは由美子だったそうです。

嫁とは別に長年懇意にしていた女性がいた

実は結婚した嫁とは別に、山本文郎は長年懇意にしていた女性がいたそうです。その助成は2009年7月11日に、東京・小田原線千歳船駅に身を投げて自殺しているそうです。

そして、この女性が自殺した日は山本文郎と由美子の結婚記念日でした。山本文郎と嫁にとっては初めての結婚記念日に、その女性が自殺しているだけに夫婦になったことが無関係とは言えないそうです。

女性はホステスを務めていた人物で、山本文郎とは40年来の知り合いだったと言われています。

山本文郎が店に通い始めるようになると仲が良くなり、女性とそのお母さんと3人で食事をしたり、猫をプレゼントしたこともある関係だったそうです。

しかし、山本文郎が再婚したことでショックを受けた女性は自殺してしまったと言われています。そして、山本文郎はこの女性が亡くなって1年ほど経ったタイミングで自殺未遂を起こしたわけです。

嫁である由美子は自殺しようとしたことを否定

山本文郎の自殺未遂というニュースに、嫁である由美子はあくまで自殺する気は無かったようだと答えたそうです。

ただし、女性が自殺したことはずっと責任を感じていたそうで、自らを傷つけるという意味でリストカットを行ったのでは?と考えているそうです。

40年という長い交友関係だけに、前妻が亡くなったら結婚しようというような口説き文句をしていたのかは不明です。しかし、女性としても前妻が亡くなったことから、自分と一緒になってくれると考えていた可能性は高そうです。

山本文郎が亡くなった現在の嫁と子供

山本文郎は40代まで、1日に40本以上のたばこを吸うヘビースモーカーでした。しかし、42歳のときに糖尿病を患い、糖尿病から派生した心臓病、肺気腫、間質性肺炎を抱えることになりました。

そのことで、山本文郎は体質改善の一環としてタモギタケ茶を愛飲するようになり、それを緑茶とブレンドさせた「文さんの健康抹茶」シリーズの開発に携わることになりました。

肺胞出血で79歳で亡くなった

山本文郎は2014年2月26日に79歳で肺胞出血という病気で亡くなっています。亡くなる直前には嫁に「まだまだ死ねないね」とい言葉をかけたとも言われており、その死は多くの人に惜しまれるものとなりました。

山本文郎は2月21日ごろから体調不良を訴えており、胸と背中の痛みがあったそうです。そして、主治医がいる千葉県内の病院に搬送され、院内で吐血したそうです。

検査の結果から、肺胞からの出血が確認されたものの、意識もあり小康状態が続いていたそうです。しかし、25日になると容体が急変し、痛みや苦しさを訴えながら眠るように息を引き取ったそうです。

肺胞出血は、肺胞内から出血が止まらなくなり、吐血が続き、全身衰弱によってショック死や突発死することがある病気のようです。

ただし、肺胞出血は、その誘因となる疾患があるようで、山本文郎の場合は肺がんや狭心症などにつながる疾患を抱えていたのではと言われているそうです。

現在もその死を惜しむ声が多い

山本文郎は亡くなる前週の19日まで夫婦で共にパーティーの司会をこなしており、その突然すぎる死には驚きの声があがりました。

山本文郎がかつて木曜日のコメンテーターを務めていたレギュラー番組「ひるおび!」では、山本文郎のTBS時代の映像を交えながらその訃報を伝えています。

神道信者であったことから、千葉県鎌ケ谷市で近親者による密葬を神式で行われたそうです。また、生前は湿っぽいことや葬式が嫌いだったことから、葬式という形ではなく「さよならはいわないよ文さん引退式」という名前のお別れ会が赤坂BLITZで行われました。

そして、夫婦として一緒に仕事もすることが多かった由美子は、現在もその仕事を引き継ぐ形でタレントとして活動しています。

また、遺骨に関しては、前妻が突然亡くなったことを悔やんでいたことから、死後も幸せになってほしいという想いを込めて、遺骨を前妻の眠る墓に納めたそうです。

現在は新しい恋に前向きだとか

山本由美子は、山本文郎が亡くなって1年後のインタビューの中で、急逝した旦那を思って毎日涙を流す日々だったそうです。

食卓には山本文郎の分のお箸や茶碗を並べてしまうこともあったそうです。結婚生活は5年7ヶ月となっており、旦那の意志をついで現在もタレントとして活動していることを明かしています。

遺産目当てと言われた結婚ですが、実際は遺産と言えるほどのお金は残っていなかったとも言われています。山本由美子は、そのかわりに多くの人脈を残してくれたと説明しており、現在も幅広い仕事に携われているそうです。

生前、とてもヤキモチだったという山本文郎ですが、現在の山本由美子は新しい恋も考えているのだとか。

山本文郎との結婚生活自体はやりきったという気持ちもあるそうで、結婚自体は考えていないようですが、1人の女性としてこれからも恋をする可能性はあると考えているそうです。山本文郎との義理立てながら今後は生涯独身を貫くつもりのようです。

子供たちに芸能界に携わって欲しい

また、山本由美子は自身の連れ子である二人の子供に対して、山本文郎と同じくテレビ業界の仕事をして欲しいという気持ちもあるそうです。

そして、2018年2月26日に山本文郎との思い出を綴った「文さん、大きな愛をありがとう」という本を出版しています。これは、山本文郎の命日にあたる日でした。

子供がテレビ業界の仕事に携わっているのかは不明ですが、山本由美子はファッションデザイナーの桂由美のPR担当の仕事をしているそうです。

夫婦としての生活を振り返るとともに、改めて再婚を考えていないことも綴られているそうです。現在もその夫婦としての生活を振り返りながら、子供たちと共に忙しい毎日を送っているそうです。

31歳の年の差という驚きの結婚でしたが、その夫婦としての愛は本物だったようです。また、現在も山本文郎の再婚した年齢は芸能界の記録にもなっており破られていないようです。山本文郎が残した想いは、しっかりと嫁である山本由美子に受け継がれているようですね。

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