山岡久乃の死因の真相!養女の存在や和田アキ子や水前寺清子との関係は?

国民的にお母さん役のイメージが定着していた山岡久乃。人気ドラマを突如降板して話題になっていた矢先に亡くなっています。山岡久乃の死因とは一体なんだったのでしょうか。養女の噂や、和田アキ子や水前寺清子との生前の繋がりについても見ていきましょう。

目次

  1. 山岡久乃の死因は?大物芸能人との深い繋がりが
  2. 若い頃の山岡久乃を画像で振り返ってみよう
  3. 水前寺清子と山岡久乃の不仲説は本当?
  4. あの和田アキ子を叱っていた⁉国民的お母さんのイメージの山岡久乃とは
  5. 結婚していた?子供や養女の噂の真相について
  6. 山岡久乃の生涯を振り返って まとめ

山岡久乃の死因は?大物芸能人との深い繋がりが

女優として様々なドラマに出演していた山岡久乃。国民的にもお母さん役のイメージが定着しており、様々な人気ドラマでその優しいお母さん像を演じています。特に山岡久乃の代表作品とも言えるのが、国民的ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」です。山岡久乃がこのドラマの顔と言っても過言ではなく、長寿ドラマでもあるこの番組で長年主役を演じていました。

しかし、そんな山岡久乃は突如このドラマを降板して話題となります。様々な降板理由が噂される中、さらに世間に衝撃が走ったのが山岡久乃の訃報です。享年72歳と、まだまだ女優として活動を見込まれていた中の突然の知らせに、世間は悲しみの色に染まります。山岡久乃の死因とは一体なんだったのでしょうか。様々な疑問が残されてしまっています。

そこで今回は、山岡久乃の死因について生涯を追って詳しく見ていきましょう。生前に話題となった、水前寺清子との因縁とも言える関係や和田アキ子との関係についても一緒にご紹介していきます。また、結婚経験のある山岡久乃ですが、養女の噂も浮上しています。子供がいたのか、養女とは一体どういう事なのかなど様々な疑問を紐解いていきましょう。

・愛称:???
・本名:山岡 比佐乃(やまおか ひさの)
  ・生年月日:1926年8月27日~1999年2月15日
  ・現在年齢:享年72歳
  ・出身地:東京都東京市大森区(現在の大田区)
  ・血液型:???
  ・身長:162㎝
  ・体重:49㎏
  ・活動内容:女優、声優
  ・所属グループ:なし
・事務所:???
  ・家族構成(娘、父、旦那、嫁、兄など):養女

まずは山岡久乃について詳しくご紹介していきます。山岡久乃は、1942年に宝塚音楽舞踊学校に入学し役者としての人生を歩み始めます。しかし、この直後第二次世界大戦が勃発した事をきっかけに、劇団生活の限界を感じた山岡久乃は、一度も舞台に立つ事はなく中退しています。そして、終戦後に俳優座養成所に入り、再び役者として勉強をし始めます。

1946年には俳優座に入団、1954年には劇団青年座を結成しています。その後、舞台を支えながらも多くの映画に出演するようになり、総合女優としてその名前を広めて行きます。テレビドラマに初めて出演したのは、1953年と劇団青年座を結成する前年です。正式に分かってはいませんが、1953年に放送されたドラマ「竜舌蘭の誓い」だったのではとされています。

山岡久乃が国民に親しまれるようになったのは、1970年に放送されたドラマ「ありがとう」です。このドラマで山岡久乃はお母さん役を演じ、当時娘役を水前寺清子が演じています。このドラマは、なんと視聴率50%を突破した事で怪物ドラマとも呼ばれています。このドラマでのイメージが定着した事で、後々にも山岡久乃は国民的にもお母さん女優として親しまれる事となります。

この後は様々なドラマに途切れる事なく出演している山岡久乃は、主役はもちろん脇役もこなしています。そして、1990年には山岡久乃の代表作でもある「渡る世間は鬼ばかり」の主役として出演しています。お母さん役のすっかり定着していた山岡久乃ですが、このドラマでは当時の日本のお母さん像でもある白い割烹着姿で出演し、さらに日本のお母さんとして定着しています。

しかし、そんな「渡る世間は鬼ばかり」を1998年に突如降板し大きな話題となります。降板の理由については、このドラマがパート3に入る頃に石井ふく子への不信感があった事と、自身の体調不良によるものと降板後に明かされています。総胆管結石および肝機能障害などの体調不良もあり、年齢的な事も考え降板後は自分の好きな仕事だけしていこうと決めた事も一緒に明かされています。

山岡久乃から降板した正式な理由がコメントされていますが、当時のメディアはこの正式な降板理由よりは様々な噂の方を報道しており物議をかもしています。山岡久乃が認知症になったのではないかや、橋田壽賀子との確執問題など様々な降板理由が噂され、ワイドショーや週刊誌は当時この噂を多く取り上げています。それだけ、山岡久乃は注目度の高い女優でもあったのです。

しかし、1998年12月に山岡久乃は胆嚢癌である事が発表されてしまいます。発表の際には、復帰の意思も見せていた山岡久乃ですが、この発表から僅か2ヶ月後に惜しまれながら亡くなってしまいます。死因は、胆嚢癌による心不全とされています。直接の死因は心不全ですが、その死因の原因には患っていた胆嚢癌の存在が死因に大きく影響していたのです。

山岡久乃の葬儀は、これだけ多くの大物俳優や女優が揃う葬儀は珍しいとまで言われるほど、生前の山岡久乃との親交があった芸能人が参列し話題になりました。山岡久乃の棺を乗せた車が1時間をかけて明治座、帝国劇場、芸術座をまわるなど、大物女優としての人生を語っています。

また、この時沿道には山岡久乃のファンが1万人集まり、日本のお母さんとの別れを多くの国民が悲しみました。

若い頃の山岡久乃を画像で振り返ってみよう

若い頃の山岡久乃の画像をいくつか見ていきましょう。山岡久乃の若い頃の画像画像を探していて目に付くのが、やはりお母さんとしての山岡久乃です。画像でも分かるように、若い頃から既にお母さんとしてのイメージが定着していた為か、若い頃の画像を探しても必ずと言っていいほど役柄が関係して割烹着姿などのお母さんを連想するような画像ばかりが見つかりました。

また、最も山岡久乃の若い頃の画像で見つかったのがこの画像です。劇団時代の山岡久乃の画像です。前例中央にいるのが若い頃の山岡久乃ですが、若い頃からはっきりとした目鼻立ちの女性だった事が分かります。実は、後半でご紹介しますがこの若い頃の画像には結婚する事となる夫の姿も写っています。後ろの右から2番目の人物が、後々結婚する夫となる人物です。

また、若い頃の画像の中には水前寺清子と写った画像も見つける事が出来ました。この画像は、水前寺清子と共演した「ありがとう」のワンシーンです。怪物ドラマとまで呼ばれるほど、当時かなりの人気を集めていたドラマでもあります。しかし、この水前寺清子とは後々ドラマでの役が影響して不仲説が出ています。これについてはこの後ご紹介していきます。

水前寺清子と山岡久乃の不仲説は本当?

さて、水前寺清子と山岡久乃の不仲説について詳しく見ていきましょう。水前寺清子とは親子と言う設定で共演している事から、不仲説はただの噂ではないのかと詳しく調べてみた所、どうやら本当だった事が分かりました。この原因について、本番中にアドリブで山岡久乃がいきなり水前寺清子に平手打ちをした事がきっかけで不仲になったようです。

水前寺清子はこの時、親にも殴られた事がないのにと驚き、同時にどうしてこの方に殴られなければならないのだろうと疑問を抱いたそうです。その結果、ドラマに関係のない場面では一切山岡久乃と口をきかないようにしてしまい不仲になってしまったそうです。しかも、平手打ちは1回だけではなく、シリーズ中に何度もされていたんだそうです。

本番前、山岡久乃は水前寺清子に対して空振りをするからよけろと指示していたそうですが、本番になると必ず平手打ちをヒットさせてきたそうです。これには、山岡久乃が意地悪なのではと感じてしまいますが、実は裏話があります。平手打ちを指示していたのは、山岡久乃本人ではなく石井ふく子だったのです。

このドラマのプロデューサーをしていた石井ふく子は、水前寺清子に対してはこんちくしょうと思う相手とドラマをやりなさいと指示しています。その言葉を受け、水前寺清子は山岡久乃とのドラマ撮影に挑んだと明かしています。

その結果、見事3シリーズに渡って水前寺清子は山岡久乃と親子役で共演しきる形となったのです。不仲説は本当ですが、水前寺清子は本当に恨んでいる訳ではないようで、ドラマ後の対談では仲の良い姿を見せています。

あの和田アキ子を叱っていた⁉国民的お母さんのイメージの山岡久乃とは

また、山岡久乃について調べていると、和田アキ子とのエピソードもありました。しかも意外な事に、あの今では恐れおののかれている和田アキ子を山岡久乃が叱り飛ばしたと言う話です。詳しく調べてみると、現在もお酒好きのイメージのある和田アキ子ですが、若い頃からお酒が好きだったようで度々朝まで飲んでそのまま仕事に行くという生活をしていたそうです。

和田アキ子は、若い頃からヒットに恵まれて大物になっています。そのせいか、つい気の緩みでお酒を飲んで仮眠した所、ドラマの撮影に寝過ごしてしまったそうです。しかも、現場に急いで駆けつけた所お酒の飲み過ぎで胃痙攣を起こしてしまい、すぐに撮影に移れなくなってしまう事態となってしまいます。この時共演していた山岡久乃は、この事態に激怒します。

ドラマをなんだと思っていると𠮟咤した山岡久乃は、𠮟るだけでなく和田アキ子には愛情が足りないと指摘します。そして和田アキ子の好物を聞き、肉じゃがと茄子の煮びたしと答えた和田アキ子の為に、その後毎朝和田アキ子の為に肉じゃがと茄子の煮びたしを作ってきたそうです。𠮟るだけでなく、改善できるように状況を作り上げてあげたのです。

その結果、和田アキ子はそれ以来遅刻をしなくなったそうです。しかし、𠮟られた事は当時の和田アキ子にはかなり怖かったようで山岡のおっかぁはめっちゃ怖かったと明かしています。しかし、和田アキ子が山岡のおっかぁと呼んでいるところを見ると、山岡久乃の愛情は確かに伝わっていたのでしょう。お母さんのイメージがあるだけでなく、性格もお母さんのように優しい事を感じます。

山岡久乃は、和田アキ子だけでなく様々な大物芸能人を叱っていたと言う話もあります。森繫久彌とのコンビ作品が多い山岡久乃ですが、左とん平からは森繫久彌を𠮟る事が出来るのは山岡久乃だけだとまで言われています。時には優しく、時にはしっかりと𠮟ると言ったまさにイメージだけでなく実際にも多くの人のお母さんとして山岡久乃は親しまれていたのです。

結婚していた?子供や養女の噂の真相について

さて、最初に少し触れていますが山岡久乃は結婚しています。山岡久乃が結婚したのは、1956年です。当時、青年座の創設時に一緒にいたメンバーである俳優の森塚敏と結婚しています。しかし、結婚生活は長くは続かず1971年に離婚する事となります。結婚までの馴れ初めについてや離婚の原因について詳しく調べてみましたが、残念ながら見つかりませんでした。

結婚していたとなると気になるのが、子供についてです。どうやら、結婚生活で2人の間に子供を授かる事はなかったようです。山岡久乃について子供の情報は何もない事から、子供はいないとされます。その後再び結婚する事もなく、森塚敏と離婚してからは独身を貫いている事から、その後子供を授かったと言う事もないと推測されます。

しかし、ここで山岡久乃に実の子供ではありませんが養女の存在がある事が分かりました。養女の存在が発覚したのは、山岡久乃が亡くなった後の事です。現在の山岡久乃の過去の作品の継承者として、養女が任されていた事が発覚したのです。子供がいなくて養女を引き取ったのかと調べてみると、養女を迎え入れたのは財産整理をする為だった事が分かりました。

山岡久乃は、自身が胆嚢癌になった事で「渡る世間は鬼ばかり」を降板し財産整理をするなど、生前整理を行っていたのです。財産整理や、自身の出演した作品の権利などについてはこの時養女となった子供に託しています。さらに、養女はどうやら血縁者である事も分かっています。山岡久乃の姉か兄の子供である姪っ子が養女となっていたのです。

山岡久乃の葬儀の際に喪主を務めたのも、この養女でした。また、晩年に山岡久乃は仲の良かった黒柳徹子や池内淳子と一緒に有料老人ホームに入居し、隠居生活をのんびり過ごしたいと話していたそうです。子供がいなく独身の人から最近注目されてきている生前整理ですが、山岡久乃は当時既に生前整理についてしっかりと考えていたようです。

山岡久乃の生涯を振り返って まとめ

若い頃から女優としての人生を歩み、国民的にもお母さんと親しまれていた山岡久乃の人生を振り返ってみました。そこには、芝居にかける思いや、役柄のイメージだけでなく本当のお母さんのような山岡久乃の人柄がありました。多くの人に惜しまれて亡くなっていますが、今後も山岡久乃の名前は名女優のお母さんとして語り継がれていく事は間違いないでしょう。

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