芦川いづみの今現在は?結婚した夫・藤竜也との馴れ初め子供は?画像あり

元女優の芦川いづみさんを紹介します。日本のオードリー・ヘップバーンとまでいわれた芦川いづみさんはどんな女優さんだったのでしょうか?画像を交えて芦川いづみさんの作品を紹介します。夫の藤竜也さんはどんな方なのか、お二人の馴れ初めや子供さんいついても報告します。

目次

  1. 芦川いづみさんってどんな人
  2. 芦川いづみさんが出演した作品の画像
  3. 芦川いづみさんの電撃的結婚
  4. 結婚した夫・藤竜也さんってどんな人
  5. 芸能界を引退した芦川いづみさんは今現在なにしてる
  6. まとめ:元女優の芦川いづみさんは永遠のマドンナ

芦川いづみさんってどんな人

芦川いづみさんの紹介

元女優の芦川いづみさんを紹介します。芦川いづみさんはどうやって映画のトップスターに登っていったのでしょう。トップスターだった芦川いづみさんは結婚と同時に芸能界を引退してしまいました。結婚した夫は誰なのでしょう?夫との間の子供はいるのでしょうか?元女優・芦川いづみさんが出演した作品はどんな作品なのでしょうか?画像を交えて紹介します。まずは、芦川いづみさんプロフィールから紹介します。

芦川いづみさんのプロフィール

芸名:芦川いづみ (現在:廃業)
愛称:おムギ
本名:伊藤 幸子(旧姓:芦川)
生年月日:1935年10月6日
現在の年齢:82歳
出身地:東京市滝野川区田端町(現・北区田端)
身長:不明
体重:不明
活動内容:元 女優 (1953年~1968年) 
所属事務所:なし
家族構成:配偶者(藤竜也)、子供(長男)

高校を中退までして松竹音楽舞踊学校に入学した芦川いづみさん

元女優の芦川いづみさんは1935年(昭和10年)東京の北区で生まれています。戦後になって法政大学潤光女子高校(今の法政大学女子高等学校)に入学し17歳の時に中退して、松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校に入学しました。松竹音楽舞踊学校は松竹歌劇団(通称:SKD)の養成学校で、宝塚歌劇団の宝塚音楽学校的な存在です。歌劇団としては西の宝塚、東のSKDと言われてましたが1996年に解散してしまいました。

映画監督の川島雄三監督が発掘した芦川いづみさん

松竹音楽舞踊学校に入学した芦川いづみさんは、養成中にファッションショーに出演しています。そのファッションショーをたまたま観に来ていた松竹の川島雄三監督が芦川いづみさんを気に入り、修行中の芦川いづみさんを映画「東京マダムと大阪夫人」に出演したのが映画デビューとなりました。松竹音楽舞踊学校在学中の時です。当時の松竹音楽舞踊学校は3年制の学校でした。

日本のスター女優の仲間入りを果たした芦川いづみさん

日本映画界は日本の映画を海外にも広める目的で1959年ドイツ・ミュンヘンにて「ミュンヘン日本映画見本市」を開催しています。各映画会社を代表する女優が見本市に参加しています。上の画像前列左から、大川恵子さん(東映)、司葉子さん(東宝)、若尾文子さん(大映)、芦川いづみさん(日活)です。現地で上映されたものは「無法松の一生」、「楢山節考」などです。

日活の黄金時代を作った「日活パールライン」

日活は男性の石原裕次郎さん、赤木圭一郎さん、小林旭さん、和田浩二さんらを「日活ダイヤモンドライン」と呼び、女性たち左から、中原早苗さん、笹森礼子さん、浅丘ルリ子さん、清水まゆみさん、吉永小百合さん、芦川いづみさんらを「日活パールライン」と呼び、日活のイメージ俳優・女優の看板として日活系列の映画館が戦後統制により海外の映画を上映したものを日本映画に切り替える戦略に使いました。

昭和の映画史に必ず名前が出てくる芦川いづみさん

戦後の映画復興のため日活は、映画会社間で作られたルールの「5社協定」ができました。他社のスタッフ・俳優さん達を借りて自社の映画に出演させることを禁止したルールです。そのため引き抜きという形で戦後の日活の復活を行いました。芦川いづみさん始め、新玉三千代さん、森繁久彌さん、三橋達也さん、南田洋子さん、小林桂樹さん、北原三枝さん、三国連太郎さんらを獲得し日活の黄金時代を築きました。

吉永小百合さんが今でも感謝している芦川いづみさん

映画「あいつと私」で共演した吉永小百合さんは、芦川いづみさんについて語っています。吉永小百合さんは1年間に16本の映画に出演したこともあり、過密スケジュールで同世代の友達ができない状況でした。「あいつと私」の撮影も過密の一つだったのですが、先輩の芦川いづみさんから「基礎化粧品の使い方、撮影所での基本的作法・しきたり・身のこなし方」に至るまで親身に教えてもらいありがたかったと語っています。

今現在の女優・吉岡里帆さんと似ているといわれる芦川いづみさん

上の画像は現在売り出し中の吉岡里帆(よしおかりほ)さんです。1993年生まれの25歳の女優さんで、2013年にデビューしています。この吉岡里帆さんが、今、若い頃の芦川いづみさんによく似ていると評判です。吉岡里帆さんは女優やグラビアタレントなどのモデル業をしており、映画、ドラマ、CMなどに引っ張りだこの女優さんです。幼い頃から映画、演劇、歌舞伎、能、日本舞踊、落語などに触れて育ちました。

若い頃の芦川いづみさんは吉岡里帆さんとよく似てる?!

こちらの画像は、若い頃の芦川いづみさんの写真です。吉岡里帆さんとよく似ています。まずは外見、顔が小さく頭の形が卵形になっていて顎の先がくびれているところが同じです。他のパーツ、目や鼻や口もとなどもなんとなく似ています。吉岡里帆さんと芦川いづみさんがよく似ているとウワサされることは本当です。

芦川いづみさんが出演した作品の画像

芦川いづみさんは川島雄三監督のお気に入り

1954年に川島雄三監督が松竹から日活に移籍すると、川島監督は松竹歌劇団に断りを入れ芦川いづみさんを日活に引き入れました。日活に移った芦川いづみさんは川島雄三監督の傑作と言われる作品「洲崎パラダイス赤信号」や「幕末太陽傳」に出演しています。上の画像は松竹に移ってすぐの映画「洲崎パラダイス赤信号」の芦川いづみさんです。芦川いづみさんにとって川島雄三監督はスターへの土台を作ってくれた恩人です。

始めて石原裕次郎さんと芦川いづみさんが共演した映画「乳母車」の画像

芦川いづみさんが銀幕のスターになっていく中で、数多くの作品で石原裕次郎さんとの共演があります。上の画像の映画「乳母車」は、芦川いづみさんと石原裕次郎さんが初共演した作品です。田坂具隆監督の作品で原作は石坂洋次郎さんの同名小説の映画化したものです。父に愛人がいる娘の役を芦川いづみさんが演じ、愛人との間に女の赤ちゃんがいて愛人の弟に石原裕次郎さんが演じる愛をテーマとする映画です。

日活のスター女優が揃った映画「若草物語」の画像

日活の映画「若草物語」は、世界中で愛されている小説の同じ題名の内容とは異なる話しの映画です。長女・瀬川早苗役の芦川いづみさん、次女・高村由紀役の浅丘ルリ子さん、三女・高村しずか役の吉永小百合さん、四女・高村チエコ役の和泉雅子が出演しています。嫁いだ長女の家に家出してきた姉妹達が繰り広げる物語で、愛と結婚を描いた青春映画です。

石原裕次郎さんと青春映画で共演した代表作「陽のあたる坂道」の画像

映画「陽のあたる坂道」を紹介します。「読売新聞」に連載された石坂洋次郎さんの小説の映画化です。ヒロイン大学性の倉本たか子役の北原三枝さん、画家を目指す田代信次役の石原裕次郎さん、高校生の田代くみ子役の芦川いづみが演じています。田代家の次男・信次は自分が愛人の子であること知り周りの人々が変化していく青春ドラマです。この映画はブルーリボン賞をもらっています。

もう一つの青春映画の代表作「あいつと私」の画像

映画「あいつと私」1961年も、石坂洋次郎さんの同名の小説を映画化した青春映画です。やんちゃな大学性・三郎役に石原裕次郎さん。大学の女子同級生・けい子に芦川いづみさん。けい子の妹役に吉永小百合さんが出演しています。仲良くなった三郎とけい子は夏休みにグループで軽井沢に行き三郎と年上の女との関係を知り別れる。性に関することや出生に関する話題が次々に出てくる話しです。

「嵐を呼ぶ男」を2本制作した日活

上の画像は映画「嵐を呼ぶ男」1957年のドラマー役に石原裕次郎さんとマネージャー役に北原三枝さんのコンビが有名ですが、日活は1966年にドラマー役に渡哲也さんとマネージャー役に芦川いづみさんのコンビでリメイク版を制作しています。実は芦川いづみさんは1957年の「嵐を呼ぶ男」にも出演していますが、このときは大屋の娘・島みどり役でした。

和製オードリー・ヘップバーンといわれていた芦川いづみさん

多くのドラマや映画に出演した芦川いづみさんは、日本のオードリー・ヘップバーンとまで言われた美人で素敵な女優さんでした。中でも石原裕次郎さんとの共演の回数は多く、浅丘ルリ子さんや石原裕次郎さんと結婚した北原三枝さん同様日活の花でした。芦川いづみさんが銀幕から消えて行く頃には、吉永小百合さん、和泉雅子さん、十朱幸代らにバトンタッチされて行くのです。

芦川いづみさんの電撃的結婚

芦川いづみさんが夫となる藤竜也さんと共演した映画「四つの恋の物語」

芦川いづみさんは夫になる藤竜也さんと映画「四つの恋の物語」1965年公開で同じ映画に出演しています。4人姉妹には芦川いづみさん、十朱幸代さん、吉永小百合さん、和泉雅子さんが出演し、藤竜也さんは十朱幸代さんの恋人役を演じています。「四つの恋の物語」で芦川いづみさんを見た藤竜也さんは一目惚れをしてしまい、6歳の年の差(年下)など気にせず猛烈にアタックするのです。

芦川いづみさんと藤竜也さんの結婚に反対したのは日活

芦川いづみさんは夫になる藤竜也さんのアタックを受入付き合うことにしたのですが、二人の付き合いに難色を示したのは日活でした。当時の芦川いづみさんは日活の看板スターであり、一方の藤竜也さんは無名の俳優さんだったのです。二人が結婚してしまえば、芦川いづみさんの人気は落ち売上に影響すると言うのが日活の言い分でした。

芦川いづみさんと藤竜也さんの結婚を支援したのは石原裕次郎さん

芦川いづみさんと夫になる藤竜也さんの結婚に反対して日活を説得してくれたのは石原裕次郎さんでした。石原裕次郎さんと北原三枝さんの結婚に苦労をした石原裕次郎さんは、「お互いが好合っている」のが一番であることを芦川いづみさん藤竜也さんに確認し日活を説得しました。日活が二人の結婚を許してくれた芦川いづみさんは、北原三枝さんを見習い結婚後は今現在まで芸能活動を行っていません。

石原裕次郎さんが救世主だったと語る藤竜也さん

現在になり藤竜也さんは、石原裕次郎さんに芦川いづみさんとの結婚の味方についてもらおうと必死になり嘘をついたことを「サワコの朝」のインタビューで応えています。既に大学を卒業していたにも関わらず「学生です」といい、裕次郎さんから「どこの学生か?」と聞かれ「慶応です」と応えたら、裕次郎さんは「よし、俺にまかせろ」と応えたと藤竜也さんは言っています。芦川いづみさんを得たいがための嘘でした。

今現在でも幸せな芦川いづみさんと藤竜也さん

1968年芦川いづみさんと夫になった藤竜也さんは結婚しました。芦川いづみさんも夫となった藤竜也さんを尊敬し、姉さん風を吹かすこともなくいい妻として夫・藤竜也さんを支えています。藤竜也さんは、ある日肘をひねってケガをした時に、芦川いづみさんを横にして「この人が側にいてくれて良かった」と心の中で念じました。今では「寝る前に握手をして寝る」などとオノロケを言っています。

芦川いづみさんと藤竜也さんの間に子供はいる?

芦川いづみさんと夫の藤竜也さんの間に子供がいるかどうか調査しました。藤竜也さんのインタビューの中に「息子がいる。適度な距離感をおいています」などと応えています。子供の年齢は、推定で50歳前ぐらいの男性です。芸能界とは関係ない一般人として生活されていますので、芦川いづみさんと夫の藤竜也さんはいっさい子供の情報を漏らさないようにしています。

結婚した夫・藤竜也さんってどんな人

藤竜也さんのプロフィール

芸名:藤竜也
愛称:ツモちゃん
本名:伊藤龍也
生年月日:1941年8月27日生まれ
現在の年齢:77歳
出身地:中国北京生まれ 神奈川県小田原育ち
身長:173cm
体重:63kg
血液型:O型
活動内容:俳優 
所属事務所:藤竜也エージェンシー
家族構成:配偶者(芦川いづみ)、子供(長男)

子供の頃の藤竜也さんは神奈川県育ち

藤竜也さんは1941年第2次世界大戦が始まった年に中国北京で生まれています。藤竜也さんのお父様がペンキ会社に勤められており、日本から北京に赴任されていたために北京で生まれています。終戦前に日本に戻り、子供の頃は祖父母が住んでいた神奈川県小田原市へ疎開し、終戦を向かえています。終戦から2年経って藤竜也さん一家は横浜へ移っています。子供のころ戦後の露天商がきらびやかだったと回顧しています。

藤竜也さんは芸能界入りしたきっかけは?

子供の頃から住み続けた藤竜也さんは、横浜市南区にある関東学院高等学校に入学し卒業しています。そして、日本大学芸術学部演劇学科に入学していますが、入学したての藤竜也さんはなんとなく演劇学科を選択しただけでした。当時は石原裕次郎さんの真似をして歩くのが流行しており、藤竜也さんも裕次郎スタイルで銀座の日劇前で日活の人にスカウトされ日活に入社しました。

藤竜也さんトレードマークの髭は目立つためのアイテムだった

日活に入社した藤竜也さんは、俳優稼業の現実を知らされます。来る日も来る日も通行人の役ばかりで台詞の一つもない下積み生活を数年役者として行いました。その後、悪役や用心棒などの役をもらうようになり、1962年に映画「望郷の海」で銀幕デビューをしました。今現在の藤竜也さんのトレードマークの髭も、他の役者さんとは違う目立った事をしなければ役をもらえないと悟り髭を生やしました。

藤竜也さんと一躍有名にした映画「愛のコリーダ」の画像

1976年藤竜也さんを一躍有名にした大島渚監督の作品「愛のコリーダ」に出演し話題を呼びました。「愛のコリーダ」は阿部定事件をヒントに制作されたため、男と女の愛と憎悪を表現したもので、男性の大切な物を女が切りとったりするシーンがあります。藤竜也さんが台本を渡されたのは映画発表会前日のことであり、降りることができない環境がつくられていました。その後藤竜也さんは1年間芸能活動を休止しています。

俳優として遅咲きだった藤竜也さん

その後藤竜也さんは、NHKのドラマ「かぶき者慶次」や、また北野武監督の映画「龍三と七人の子分たち」で主演を演じるようになり多くの人が藤竜也さんを知るようになりました。芦川いづみさんと結婚した時には無名の俳優さんだった藤竜也さんは、遅咲きの俳優さんだったようです。

芸能界を引退した芦川いづみさんは今現在なにしてる

芸能界を引退した芦川いづみさんは夫の藤竜也さんを支えている

芸能界を引退し結婚した芦川いづみさんは、芸能界やマスコミから完全に姿を消し藤竜也さんの奥さんになられています。今現在は一般の主婦として藤竜也さんを支えています。上の画像は藤竜也さんと夫婦で、石原裕次郎さんの世田谷区成城の自宅へお見舞いに行かれたときの画像です。1979年結婚して10年後の芦川いづみさんの画像です。芦川いづみさん44歳の姿ですが、引退された当時の歳を感じさせない写真です。

日活のスタッフの集いに参加した芦川いづみさん

上の画像は1960年代に活躍した日活の俳優さんやスタッフさんたちが集まった時の2017年記念写真です。今現在の芦川いづみさんの姿です。芦川いづみさんは前列2人目にいます。その横に宍戸錠さん、一つ飛んで浅丘ルリ子さん、後列中央には渡哲也さんの姿もあります。今現在は、芸能界からは姿を消し、夫である藤竜也さんの活動を支える宇置き妻として頑張っているようです。

まとめ:元女優の芦川いづみさんは永遠のマドンナ

SKDに入団した若い娘が、あっという間に日活のスターの座を掴んだにも関わらず、無名だった俳優・藤竜也さんの妻になり子供を産み芸能界から姿を消したのは、今となっては正しい選択だったのかもしれません。今でも芦川いづみさんと毎夜握手して寝ることを、恥ずかしがらず言える藤竜也さんはお互い幸せ者です。藤竜也さんいとって芦川いづみさんは永遠のマドンナなのでしょう。

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