畠田理恵と羽生善治の馴れ初めは?子供の現在や病気の噂は!

永世七冠にして2018年には国民栄誉賞を受賞した棋士の羽生善治の妻は、かつて畠田理恵という芸名で芸能活動を行っていました。この記事では羽生善治と畠田理恵の馴れ初めやSNSで明らかにされたスキャンダルの真相、病気、そして羽生一家の現在について記しています。

目次

  1. 畠田理恵は朝ドラ女優
  2. 羽生善治のプロフィール
  3. 畠田理恵と羽生善治の馴れ初め
  4. 羽生夫妻の子供について
  5. 多くの人々が注目する羽生理恵(畠田理恵)のツイッター
  6. メディアの中傷に苦しんだ羽生理恵(畠田理恵)
  7. 今後も注目したい羽生理恵(畠田理恵)とツイッター

畠田理恵は朝ドラ女優

大阪府出身の畠田理恵(はただりえ)は1970年11月10日生まれ、現在の年齢は47歳です。身長は155cmで、血液型はA型です。1986年4月に月刊誌「Momoco」が行った「第2回ミスモモコクラブ」オーディションのグランプリに輝き、芸能活動を行うために大阪福島女子高等学校(現在の好文学園女子高等学校)を中退しました。

上京した畠田理恵は、ビッグアップルという事務所に所属し、雑誌のグラビアやTVに出演していました。1987年には「ここだけの話~オフレコ~」をリリースして歌手デビューを果たしています。当時の畠田理恵は、美少女アイドルとして売り出されており、ミュージシャンの谷村新司からは「ガラスケースに入れて飾っておきたくなるような子」と評価されました。

1988年以降、畠田理恵は歌手から女優に活動方向を変えていき、多くのドラマに出演します。1990年10月から1991年3月にかけて放送されたNHKの朝の連続テレビ小説「今日、ふたり」では、女優の山本陽子(やまもとようこ)とダブル主演を務めました。また、この頃にアップフロントエージェンシー(現在のアップフロントプロモーション)に移籍しています。

結婚を機に芸能界を引退

1996年3月28日に、畠田理恵は棋士の羽生善治(はぶよしはる)と結婚し、芸能界を引退します。2人の結婚式は、東京千駄ヶ谷にある鳩森神社で行われました。目黒のQEDクラブで行われた披露宴では、スピーチやお色直しは行われなかったそうです。新郎新婦や馴れ初めの紹介もなかったのかもしれません。現在、彼女は妻として羽生善治を支える日々を送っています。

店をオープンするも母の病気のため閉店

1998年、羽生理恵(畠田理恵)は東京都の自由が丘ににおにぎりと惣菜の店「リトルキッチン」をオープンしましたが、1999年に閉店しました。その理由について、彼女はツイッターで説明しました。

羽生理恵(畠田理恵)が経営する「リトルキッチン」は、経営不振で閉店したのではなく、料理を作っていた彼女の母が病気にかかったので、看病のために店を畳んだそうです。C型肝炎はキャリア(ウィルス保持者)との性交渉や、血液を介して発症する病気です。空気感染やキャリアが作った食品が原因で、病気が移ることはありません。

羽生善治のプロフィール

2018年に国民栄誉賞を授与された羽生善治は、埼玉県所沢市出身の棋士です。棋士番号は175で、師匠は2016年に亡くなった二上達也(ふたかみたつや)です。1970年9月27日生まれで、現在の年齢は47歳、身長172cmで血液型はAB型です。2018年7月現在、羽生善治は竜王のタイトルを保持しています。

中学生でプロ棋士デビュー

幼稚園の時に東京都八王寺市に引っ越した羽生善治は、小学校2年生の時から市内の将棋道場に通い始め、驚くべきスピードで将棋の腕を上げていきます。家で両親と妹の3人と対局する時には、家族が不利になったら将棋盤を逆転させるというルールがありましたが、このルールでも羽生善治は家族に勝利していました。

小学生の将棋大会で優勝を重ねていた羽生善治は、小学6年生の時にプロ棋士を育成する奨励会に入会しました。奨励会でも勝利を重ね、1985年12月18日に将棋の世界でプロと認められる4段に昇進します。彼は史上3人目となる中学生プロ棋士でした。

中学卒業後、羽生善治は東京都立富士森高等学校に進学しましたが、プロ棋士として多忙な日々を送っていたために出席日数不足となります。その後、彼は東京都立上野高等学校の通信制に転入し、この高校を卒業しました。羽生善治の母は、将棋に集中させてあげれば良かったと、息子を高校に行かせたことを後悔したそうです。

七冠を達成し結婚

1989年、羽生善治は初のタイトルである竜王を獲得します。1995年度には将棋の主要なタイトル戦を制し、七冠を達成しました。彼の活躍はメディアに大きく取り上げられ、将棋を知らない人々にも知れ渡ります。七冠達成後も、羽生善治は多くのタイトルを獲得しています。

将棋のタイトル戦は毎年行われ、規定に達すれば、引退後に使用できる永世称号が与えられます。羽生善治は7つのタイトル(名人、棋聖、王位、王座、竜王、王将、棋王)の永世称号を所持しています。将棋の歴史において永世七冠を達成したのは、羽生善治が初めてです。

永世七冠を始めとする将棋での活躍が認められ、羽生善治は2018年2月13日に国民栄誉賞を授与されています。この年の春に行われた園遊会に、羽生善治は妻の羽生理恵(畠田理恵)とともに招待されました。

趣味のチェスでも羽生善治は強い!

羽生善治の趣味は、26歳の時から始めたチェスで、彼は国際チェス連盟が定めるFIDEマスターの称号を所持しています。この称号はイロレーティング(測定値)2300以上のプレーヤーに与えられるもので、羽生善治は将棋だけではなく、チェスも強いのです。

畠田理恵と羽生善治の馴れ初め

2人の馴れ初めは雑誌の対談だった

畠田理恵と羽生善治の馴れ初めは、雑誌の対談です。芸能人として活躍していたころ、畠田理恵は保健同人社が発行していた雑誌「はつらつ」にコーナーを持っていました。1994年9月に連載が最終回を迎えるにあたり、動物好きな畠田理恵は「ムツゴロウさん」の愛称で知られる畑正憲(はたまさのり)との対談を希望します。しかし、畑正憲の都合により、彼との対談はできませんでした。

畑正憲の代役として、畠田理恵の対談の相手を務めたのが羽生善治です。2人の馴れ初めとなったこの対談の約1ヶ月後に、羽生善治は畠田理恵の舞台を見に行って楽屋を訪れるなど、恋愛に関しては攻めの姿勢を見せたそうです。2人は出会って間もなく交際を開始し、1995年7月に婚約を発表しました。

羽生善治と畠田理恵の婚約会見で、雑誌の対談という2人の馴れ初めが明かされました。また、婚約の記念として、羽生善治がダイヤモンドの指輪を、畠田理恵はダブルスーツを結婚相手に贈ったそうです。

婚約後に、畠田理恵は羽生善治の自宅に招かれます。いわゆる「お家デート」を楽しむはずが、突然、羽生善治は「ちょっと待ってて」と言い出し、隣の部屋に移動します。彼はそのまま考え続け、3時間も畠田理恵を放っておいたそうです。このエピソードを、彼女はツイッターで公開しています。

妻が明かしたこのエピソードについて、羽生善治はファンから質問を受けましたが、この出来事を覚えていなかったそうです。20年以上も前のことなので、夫妻の間に記憶違いがあることは否定できません。

当時話題となった女優と棋士の結婚

朝ドラ女優と棋士の結婚は、当時話題になりました。この2人が結婚して既に20年以上経過していますが、夫妻の馴れ初めや普段の会話、そもそも話が合うのかを気にしている人は多いようです。羽生理恵(畠田理恵)はツイッターで自分たちは「神様に与えられた才能を円グラフにしたら99%と1%でピッタリの割合の割れ鍋にとじ蓋夫婦」だと書いています。

個性的な棋士を支える妻たち

漫画「将棋の渡辺くん」は、現在、棋王のタイトルを持っている棋士の渡辺明(わたなべあきら)の日常を妻の伊奈めぐみ(いなめぐみ)が描いたもので、2人の馴れ初めはインターネット上の詰将棋のチャットだそうです。棋士には個性的な人々が多く、その生活は一般的な会社員とはかけ離れています。対局で体重が減ることもあり、妻や家族のサポートは欠かせません。

ひふみんの馴れ初めは授業のノートだった

「ひふみん」の愛称で知られ、「羽生善治論『天才』とは何か」を著した元棋士の加藤一二三(かとうひふみ)は、2017年に引退が決まった時に、真っ先に妻に報告しました。妻は学校の同級生で、中学生でプロ棋士デビューを果たした彼が学校を休んでいる間、ノートを届けてくれたことが2人の馴れ初めだそうです。

羽生夫妻の子供について

羽生善治と妻の羽生理恵(畠田理恵)には、2人の子供がいます。長女は1997年生まれで、次女は1999年生まれです。ネットの噂では、長女の名前は舞花で、東洋英和女学院高校の卒業生だと言われています。次女の名前は桃花で、田園調布雙葉高等学校を卒業したと言われています。

羽生善治は棋士なので、普段から将棋の事を考えています。そのため、突然、自分の世界に入ってしまうこともあるようですが、娘たちは「お父さんが宇宙に行った」と、父の行動を受け入れているようです。

娘のジュースを飲んでしまった父

羽生善治の長女は、父の国民栄誉賞授与式にも同席しています。現在、彼女は東京都内の大学の医学部に通っているという噂です。羽生善治の永世七冠と国民栄誉賞受賞祝賀会には、東京医科歯科大学の棋道部から花が贈られているので、娘はこの大学に通っているのかもしれません。羽生理恵(畠田理恵)は、羽生善治と娘のお気に入りの葡萄ジュースにまつわるエピソードをツイッターで紹介しています。

ある暑い日に、娘は冷蔵庫にジュースを冷やして学校に行きました。この葡萄ジュースは、2018年7月現在、成城石井のオンラインショップで1本(720ml)1390円で販売されています。おそらくは、値段に見合った味なのでしょう。家に帰れば冷たくて美味しいジュースが待っている。そんな気持ちで、彼女は学業に取り組んでいたのかもしれません。

しかし、娘が冷やしていたジュースを、家で将棋の研究をしていた羽生善治が飲んでしまいます。家族に飲まれてしまうという事態を予想していたのか、娘は別の場所にジュースを隠していたのですが、羽生善治はそれも見つけ出して飲んでしまったそうです。帰宅した娘が見たものは、空になったジュースの瓶でした。

娘の守りは盤石

羽生善治と羽生理恵(畠田理恵)の娘は、2018年に長女が21歳、次女が19歳になります。長女と次女のどちらかは分かりませんが、アプローチをかけてくる男性がいたようです。その対応に困っていた娘に、羽生善治が断るようにアドバイスをしたことを、羽生理恵(畠田理恵)はツイッターで明かしています。

このエピソードは、羽生善治もまた娘を持つ父親であることを世間に知らしめネットユーザーからは、「隣の部屋からわざわざ言いに来るなんて、必死過ぎる」という意見が上がりました。この件を機に羽生善治と羽生理恵(畠田理恵)の馴れ初めを思い出したファンもいたようです。将来、娘の結婚が決まれば、羽生善治はどのような態度を取るのでしょうか。

娘たちが語る羽生善治の姿

羽生善治への国民栄誉賞授与が決定した2018年の1月に、彼の子供たちはコメントを出しています。当時、長女は大学生、次女は高校生でした。娘たちによれば、羽生善治は優しく、尊敬できる父親とのことです。子供たちのコメントを見せられた時、羽生善治は勝負師らしからぬ表情で照れていました。

羽生理恵(畠田理恵)は、羽生善治の凄さを示すエピソードをツイッターで紹介しています。ある日、娘の学校で数独の宿題が出ました。最難関レベルの問題は難しく、母と子供が知恵を絞っても答えが出ません。そこで仕事でパリにいた羽生善治に助けを求めたところ、彼は「5分待ってくれ」と言い、約3分後に数独を解いたのだそうです。こんな姿を見せられれば、子供が父を尊敬するのは当然かもしれません。

娘相手でも棋士としての評価は厳しい

有名人の子供には、親の才能や容姿を受け継いでいるのではないかという期待が寄せられるものです。ですが羽生善治は娘たちが幼いころに「子供たちには(将棋の)才能がない」と断言しています。将棋の世界の厳しさを知っているからこそ、娘に甘い言葉をかけなかったのかもしれません。

漢字の分からない小さな子供や将棋の初心者を対象にした「どうぶつしょうぎ」は、女性棋士の北尾まどかがルールを考えたもので、4種類の駒を使います。羽生善治は当時小学生だった娘たちから「どうぶつしょうぎ」を教えられたそうです。現在医学部に通っているという噂の長女だけではなく、次女も理系らしいので、子供たちは羽生善治から論理的思考を受け継いでいるようです。

多くの人々が注目する羽生理恵(畠田理恵)のツイッター

現在6万人近いフォロワーがいる

2016年8月に、羽生理恵(畠田理恵)はツイッターを開始します。彼女は羽生善治の妻として知られていましたから、将棋ファンは羽生善治に関する情報が得られるのではないかと期待しました。しかし、彼女のツイッターはうさぎとあひるだらけでした。ツイッターを始めた理由について、羽生理恵(畠田理恵)は「あひるの情報収集」目的だと答えています。

2018年現在、羽生家では犬とうさぎを飼っており、羽生理恵(畠田理恵)のツイッターに写真が掲載されることもあります。彼女は老後にあひるを飼いたいと思っており、あひるに関するリツイートも多いです。また、保護されたペットや飼い主の元からいなくなったペットの情報を載せることもあり、羽生善治は「迷子のペットがいたら妻のツイッターに連絡を」と言っているそうです。

羽生善治の妻のツイッターは、将棋ファンの関心を集めましたが、彼らが全員動物好きというわけではありません。しかし、羽生理恵(畠田理恵)は動物のツイートに混じって、羽生善治の行動や夫婦のやりとりを呟くことがあります。一部の将棋ファンからは、将棋用と動物用でアカウントを分けて欲しいという要望が上がっていますが、彼女がツイッターを始めた経緯を考えれば、その望みが叶う可能性は低いです。

羽生善治の仕事は対局だけではなく、地方で講演を行うこともあります。また、2018年7月現在、彼は老朽化した将棋会館に関する問題を話し合う「会館建設準備委員会」の委員長を務めています。棋士の妻としての羽生理恵(畠田理恵)の苦悩がツイッターに綴られることもあります。

羽生家の人々は羽生選手のファン

ツイッターでは一時、「#羽生くんの画像をアップすると近い構図の羽生さんの画像が送られてくる」というハッシュタグが流行しました。「羽生くん」はフィギュアスケートの選手で2018年7月に国民栄誉賞を授与された羽生結弦(はにゅうゆづる)のことで、「羽生さん」は羽生善治のことです。フィギュアスケート選手と将棋の棋士という一見、接点のない2人ですが、ネットには次々と2人の写真がアップされました。

羽生理恵(畠田理恵)もこのハッシュタグに反応し、2人の写真をリツイートしています。2018年春の園遊会には、平昌オリンピックで金メダルを獲得した羽生結弦も招かれており、「羽生君と羽生さん」のツーショットが実現しました。

羽生善治と羽生理恵(畠田理恵)の子供たちは、小学校の頃にフィギュアスケートを習っていました。当時、仙台で活躍していた羽生結弦の存在はフィギュアスケートを習っている子供やその親たちには知れ渡っていたそうです。読み方は違うものの、同じ「羽生」姓という縁もあり、羽生理恵(畠田理恵)は羽生結弦を応援してます。

羽生善治と羽生理恵(畠田理恵)の子供たちは、神奈川県横浜市のスケートリンクに通っていました。習い事と学校を両立させるため、スケートリンクの近くにマンションを借り、羽生理恵(畠田理恵)が子供の送り迎えをしていたそうです。このことが原因で、週刊誌には「羽生夫妻別居」や「離婚寸前」などの記事が掲載されました。子供がフィギュアスケートを辞めたので、現在、家族の別居は解消されています。

羽生善治はネットで「うさぎおじさん」と呼ばれている

叡王戦(えいおうせん)は最も歴史が新しい将棋のタイトル戦で、本戦はトーナメント形式で行われます。棋士の中村修(なかむらおさむ)が対戦を避けたかった「うさぎおじさん」は、羽生善治のことです。羽生理恵(畠田理恵)のツイッターが、うさぎとあひるだらけであることが関係しているのは間違いありません。

ネットの一部では、羽生善治と羽生理恵(畠田理恵)夫妻は「うさぎおじさんとあひる夫人」と呼ばれ、コラ画像が作られてしまいました。厳しい勝負の世界の住人とは思えないこの呼び名は、どことなく絵本のタイトルを思わせます。

メディアの中傷に苦しんだ羽生理恵(畠田理恵)

2016年、棋士の三浦弘行(みうらひろゆき)に、対局中にスマートフォンの将棋ソフトを使用しているというカンニング疑惑がかけられました。三浦弘行は公式戦出場停止という処分を受けましたが、後に調査が行われ、「不正行為の証拠は不十分」という結論が出されました。

2017年2月13日に三浦弘行は公式戦に復帰します。羽生善治との対戦を前に、羽生理恵(畠田理恵)はツイッターを更新します。当時、一部のメディアは三浦弘行がカンニングをしたものと決めつけており、羽生善治が三浦弘行を疑っているかのように、発言を切り取って報道した週刊誌もありました。

ツイッターで、羽生理恵(畠田理恵)は事実でない報道によって苦しめられた経験を明かしています。畠田理恵として芸能界で活動していたころ、彼女は競馬の騎手である武豊(たけゆたか)との交際が報じられました。武豊は当時、タレントの佐野量子(さのりょうこ)と交際しており、1995年に武豊と結婚して芸能界を引退していますが、メディアは三角関係や「畠田理恵の略奪」を書き立てました。

メディアで報じられた武豊との交際を、羽生理恵(畠田理恵)はツイッターで否定しています。交際していないのであれば、馴れ初めがあるはずもありません。しかし、これらの報道により、畠田理恵には「男を略奪しようとする女」というイメージが付いてしまいました。

畠田理恵と羽生善治が交際を始め、その馴れ初めが世間に知れ渡った後も、畠田理恵はメディアのバッシングに遭い、「金目当ての結婚」「体で羽生善治をたぶらかした」などと書き立てられました。羽生理恵(畠田理恵)は激しい中傷を受けた相手として、TVや雑誌でコメンテーターを務めていた漫画家のやくみつると放送作家の山田美保子の名前を挙げています。

畠田理恵と羽生善治の馴れ初めとして知られる雑誌の対談は、畑正憲のキャンセルによる代役という偶然によるもので、畠田理恵が羽生善治を指名したわけではありません。当時、彼女の元には、羽生善治と別れろという内容の脅迫状が送られたそうです。2人の結婚式は、80人の警察官が警備にあたりました。

畠田理恵へのバッシングは、一般人である彼女の母親や、大阪で暮らす親戚にも及んだそうです。シングルマザーやシングルファザーが珍しくない現在では考えられない事ですが、畠田理恵が母子家庭で育ったこともバッシングの対象になり、彼女の母親は「娘が玉の輿結婚に成功して裕福な生活を手に入れた」という心無い批難を受けました。

畠田理恵を苦しめた病気

現在と違い、1990年代には事実と異なる報道をされても、SNSで否定することはできませんでした。メディアによって畠田理恵には「金持ちとの結婚を狙う計算高い女」というイメージが作られ、心労からか体重が激減します。

結婚に前後して、羽生理恵(畠田理恵)が病気に苦しんだことは間違いないようですが、2016年9月に本人が自律神経失調症とツイートしていた病気が、2017年2月のツイートでは統合失調症に変わっています。説明するまでもなく、自律神経失調症と統合失調症は別の病気です。

統合失調症という病気は、20世紀には存在しません。2002年に日本精神神経学会が改名を決議するまで、この病気は精神分裂病と呼ばれていました。そのため、結婚前の畠田理恵が、医師から統合失調症という病気を告げられる事はありません。

羽生理恵(畠田理恵)は統合失調症という病気を総合失調症とツイートし、後に訂正しています。病名の「失調症」という言葉から、彼女が自律神経失調症と統合失調症を誤って記憶している可能性は否定できません。

羽生理恵(畠田理恵)が病気から立ち直れた理由

病気から回復できた理由として、羽生理恵(畠田理恵)子供や動物の存在と信仰を挙げています。彼女はカトリックを信仰しており、牧師やローマ法王の言葉をリツイートすることがあります。また、結婚を機に芸能界を引退したことも、ストレスを減らす要因となったようです。

今後も注目したい羽生理恵(畠田理恵)とツイッター

羽生善治や子供のプライベートをツイートすることには賛否がありますが、羽生理恵(畠田理恵)のツイッターは動物の画像や羽生一家のほのぼのエピソードが楽しめます。彼女のツイートはもちろん、羽生善治の今後の活躍にも注目して行きましょう!

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