福留功男の現在!消えた理由は悪評?病気?性格?徳光和夫の告白とは!

人気情報番組「ズームイン朝」でおなじみ人気アナウンサーの福留功男ですが、現在ではテレビで見なくなりました。福留功男が消えた理由として、性格が悪いという悪評があります。その真相を探りつつ、先輩アナウンサー徳光和夫との関係や、現在の活動についても深く解説します。

目次

  1. 福留功男の年齢などプロフィール
  2. 福留功男の性格への悪評!?
  3. 福留功男の消えた理由は?
  4. ズームイン朝の後任徳光和夫との不仲?
  5. 福留功男のその後や現在は?
  6. 今後テレビに復帰することはあるか

福留功男の年齢などプロフィール

人気番組だった「アメリカ横断ウルトラクイズ」や「ズームイン朝」と聞くと、名物アナウンサー福留功男を思い出す人もいることでしょう。福留功男は人気アナウンサーでしたが現在はテレビで見なくなってしまいました。テレビから消えた理由はなんでしょうか?消えた理由として性格が悪いという悪評が原因と噂されています。その噂の真相に迫ります。

また、福留功男がテレビから消えた本当の理由や、不仲説が流れる先輩アナウンサー徳光和夫との関係性についても解説します。まずは人気アナウンサー福留功男の詳しいプロフィールをご紹介します。

・愛称:トメさん
・本名:福留功男
・生年月日:1942年1月28日
・現在年齢:76歳
・出身地:高知県香美郡香美市
・血液型:A型
・身長:161㎝
・体重:???
・活動内容:アナウンサー、タレント、司会者
・所属グループ:フリーアナウンサー
・事務所:???
・家族構成:妻、娘二人

福留功男の経歴

福留功男は明治大学文学部演劇学科を卒業します。大学在学中から日本テレビ報道局でアルバイトをしており、1966年に日本テレビに入社します。入社当時は報道記者でしたが、しゃべりの素質を見出されてアナウンス部に異動になります。

その後、後に大人気番組となった「アメリカ横断ウルトラクイズ」の企画が持ち上がります。番組の日程上、長期海外出張が可能なアナウンサーが必要になり、当時レギュラー番組を持っていなかった福留功男に白羽の矢が立ったのです。「アメリカ横断ウルトラクイズ」は年1回のレギュラー番組となり、福留功男のアナウンサーとしての司会も高く評価されました。

ウルトラクイズが年一回の番組になった後、高校生からも「アメリカ横断ウルトラクイズ」に出場したいとの手紙をもらいます。そこで誕生したのが、福留の企画で生まれた「全国高等学校クイズ選手権」なのです。

アナウンサーとしての知名度がさらに上がった1988年、福留功男は人気ニュース番組「ズームイン朝」の第2代目総合司会に就任します。先輩アナウンサーである徳光和夫の後を引き継ぐ形となりました。福留功男はアナウンサーとしてだけでなく、番組の制作、構成にも深く関わり、「ズームイン朝」は視聴率20%を超える人気情報番組となりました。

福留功男の性格への悪評!?

人気アナウンサーとしての地位を築いた福留功男ですが、急にテレビから消えた原因として、性格が悪いという悪評が原因ではないかという噂があります。福留功男の性格に関する悪評のいくつかをご紹介します。

悪評エピソード①子供向け番組への不服

福留功男は1971年に「まんがジョッキー」という子供向け番組に出演し脚光を浴びます。しかし当の本人は、このままでは子供向けキャラクターになってしまうのではと危惧を抱き、降板を申し出たというエピソードがあります。しかし会社命令に背いたという事で、表舞台での仕事を剥奪されるというペナルティーを科されてしまいました。

当時は会社や上司の命令に刃向うことは問題視される世の中でしたから、厳しい処遇を受けるのも当然だったのかもしれません。結果、福留功男は内勤業務に回され、ペナルティーが解けた後もあまり出番がない状態が続きました。この一件が福留功男の性格に関する悪評につながっているのかもしれません。

悪評エピソード②ADへの暴行

悪評の一つに、福留功男に対するADの評判がかなり悪いという指摘があります。ADを殴る蹴るの暴行を加えたという話まであります。ただし暴行を確証するものははっきりしておらず、あくまでもネット上に広まっている噂にとどまっていますが、福留功男の性格に起因すると考えられます。しかし笑顔のイメージが強い福留功男からは信じられないエピソードです。

悪評エピソード③ポケットに手を入れた態度

福留功男がメインアナウンサーを務めた「ズームイン朝」は日本テレビのスタジオから放送されており、一般の人の目に触れる機会があったようです。噂では福留功男はカメラが回っていないときは性格が変わったといいます。福留功男がポケットに手を突っ込んだまま、スタッフに怒鳴り散らすところが放送されてしまうという事故があったというエピソードもあるくらいです。

福留功男の性格にまつわる3つの悪評をまとめてみました。男性アナウンサーの私生活や性格などは普段あまりクローズアップされませんから、意外だと感じる点もあるかもしれません。噂レベルの悪評もありますが、火のない所に煙は立たぬと言いますから、やはり性格の問題があったと言えるでしょう。

ポジティブな見方をするとすれば、悪評は福留功男の一途な仕事に対する向き合い方に起因するとも言えます。生放送中のセリフを全て暗記して台本を一切見ないで司会することもあったというほど仕事に真摯に向き合っていて、生放送では一秒のタイムロスも許さなかったそうです。仕事に対する厳しさが、性格への悪評につながってしまったのかもしれません。

福留功男の消えた理由は?

上述の福留功男の性格にまつわる悪評ですが、それがテレビから消えた理由なのでしょうか。はっきりしたことは言えませんが、福留功男がテレビから消えた真相として2つの点を挙げることができます。

①高すぎるギャラ

福留功男は1991年に日テレを退社し、「クレイジーフォー」という事務所を立ち上げました。当時人気アナウンサーだった福留功男はギャラが高額だということで業界では有名だったそうです。福留功男が出演した「ブロードキャスタ」では1本なんと時給200万だったそうです。視聴率の悪化と高額なギャラが原因で、2009年に担当する番組がすべて打ち切りになってしまったのです。

②病気

高額なギャラに加えて福留功男は病気を患ったこともテレビの第一線から退いた原因と言われています。福留功男は若いころから心臓病を患っており、今では症状が悪化してペースメーカーが入っているようです。ですから身体障害者第1級の認定を受けています。

また、福留功男はベル麻痺と呼ばれる顔面神経麻痺を患ってしまいます。顔の左側の筋肉がコントロールできなくなる症状に襲われたため、人前で顔を出さなければならないテレビを引退するきっかけになったと言われています。仕事への一途な姿勢を見せていた名アナウンサーでも病気には勝てなかったのです。

ズームイン朝の後任徳光和夫との不仲?

福留功男というと、切っても切り離せないのが「ズームイン朝」の司会を引き継いだ先輩アナウンサー徳光和夫との関係です。不仲説がありますが真相はどうなのでしょうか。関係するエピソードをご紹介します。

福留功男は独裁者?

「アメリカ横断ウルトラクイズ」は当時福留功男と徳光和夫が交代で総合司会を務める予定だったそうです。しかし徳光和夫が「ズームイン朝」のレギュラー司会者となったために長期海外出張ができず、結局福留功男が毎回司会を務めることになりました。そんな関係の深い徳光和夫は当時の福留功男を「独裁者のようだった」と後に告白しています。

「独裁者」と聞くとあまりいいイメージを持たないのが率直なところです。福留功男はアナウンサーとして担当する番組の構成や進行にも深く関わったと言いますから、さまざまな事柄に口を出し、自分の思い通りに仕切っていたのかもしれません。またADなどに厳しい仕方で当たって、性格が悪いというイメージが浸透してしまったのでしょうか。当の徳光和夫が「独裁者」発言の真意を語っています。

徳光和夫が真実を語る

徳光和夫が福留功男について「独裁者」と語った件ですが、「アメリカ横断ウルトラクイズ」での福留功男の印象を語っていたようです。「ニューヨークへ行きたいかー。」の掛け声はこの番組の有名なシーンですが、福留功男が何か言うと、大勢の出場者が呼応して叫ぶという様子が、さながら独裁者ヒトラーの姿に重ね合わせたのでしょうか。福留和夫を身近で見ていた徳光和夫らしい表現です。

そんな先輩アナウンサー徳光和夫ですが、福留功男をどう思っていたのでしょうか。「仲が悪いわけではない。でも特に好きでもない」とあっけらかんとしたコメントをしています。あっさりと言ってしまうあたり、二人の仲は決して悪くはなさそうです。もともと徳光和夫は「アメリカ横断ウルトラクイズ」でクイズに敗れた敗者の味方として司会者の福留功男と対峙したため、そこから不仲説が拡散していったと考えられます。

後に福留功男は、不仲説には「ズームイン朝」の先代アナウンサーだった徳光和夫のフリがあったことを「24時間テレビ」で明かしています。40過ぎて仲がいいのは気持ち悪いから、ケンカしていることにしないか?と徳光和夫の方から持ちかけたそうです。福留功男は断ったそうですが、すでに言ってしまったと徳光和をは返したそうです。

結局のところ「ズームイン朝」で先輩、後輩の関係である徳光和夫とは深刻な不仲ではなかったと結論できるでしょう。それどころか同じアナウンサーとして互いに尊敬し認め合う関係だったことがうかがえます。福留功男は「ズームイン朝」の番組の企画、構成にも関与していて、プロデューサー役もこなしていたことから、徳光和夫は彼のことをアナウンサーとプロデューサーをかけた造語「アナデューサー」と評価したのです。

福留功男のその後や現在は?

ギャラの高さや、深刻な病気などの理由により、一時テレビから消えてしまった人気アナウンサー福留功男ですが、現在では徐々に復帰の兆しがあるようです。福留功男の現在の活動や、彼を支える家族に関する知られざるエピソードをご紹介します。

福留功男の妻は?

福留功男は結婚していますが、あくまでアナウンサーですので、結婚の情報は詳しく公開されていません。しかし一般の方と結婚されているようです。福留功男の妻は名物アナウンサーの伴侶として長年支えてこられたことが分かるエピソードをご紹介します。

人気アナウンサーだった福留功男は一時期テレビの第一線から退くわけですが、再び活動を再開するきっかけとなったのが妻の後押しだったのです。レギュラー番組の司会のオファーがあった際、福留功男としては年を考えて復帰するつもりはなかったようですが、妻から「あなたと一緒にテレビの黄金時代を築いた方と仕事したいんじゃないの?」と言われたそうです。妻の言葉で福留功男は復帰を決心したのです。

福留功男の娘は?

福留功男には娘が2人います。そのうちの一人はなんと日本テレビの社員で、1998年の「アメリカ横断ウルトラクイズ」にはスタッフとして、父福留功男に同行したというエピソードがあります。現在は娘二人とも独立しており、福留功男は現在は妻と二人暮らしをしています。

2013年に復帰

先ほども触れましたが、福留功男は家族の後押しもあって、2013年に仕事に復帰しています。レギュラー司会者を務めたのはBSフジの「ザ・スター」という音楽番組です。毎回テレビ黄金期に活躍した戦友ともいうべきゲストを招いてインタビューをするという内容で、福留功男だからこそできる番組です。2014年10月まで司会を担当しました。

またBS朝日では「留さんのニッポン焼き物紀行」という月一回の番組で旅人を務めています。福留功男には陶芸のイメージはありませんでしたが、日本各地を回って、その土地その土地の焼き物文化に触れるナビゲーターを務めています。陶芸家の名人への話の引き出し方や相槌などが絶妙で、ベテランアナウンサーとしての魅力が光る番組になっています。

かつてはペースメーカーが埋められドクターストップがかかり引退したものの、4年の休止期間を経て、福留功男は心境の変化や家族の後押しで復帰を果たしました。身体障害者であり、高齢でもありますから福留功男のペースで仕事を行っていくようです。

今後テレビに復帰することはあるか

前述の通り、現在BS放送での復帰を果たした福留功男ですが、今後地上波のテレビで復帰することはあるのでしょうか。今の地上波はやりたくないと言っているそうです。現在のテレビ番組の芸人任せの番組制作手法に嫌気がさしているんだそうです。また、若い人たちに道を譲るというスタンスで、どうしても必要とされる場合を除いて、オファーを断っているそうです。

もちろん高齢で、かつ身体障害者でもある福留功男ですから、無理のない仕方で仕事を続ける必要があります。しかし福留功男のテレビでの活躍は、身体に障害を持っていたり高齢の視聴者を勇気づけるものになること間違いありません。

「ズームイン朝」で朝の顔だったころの福留功男や、「ニューヨークに行きたいか―」と叫んでいたころの福留功男の雄姿はもう見られないかもしれませんが、再びテレビで見かけるようになれば、ファンとしてはうれしいものですね。

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