桂文枝と不倫の歌手・紫艶の現在は?フライデーの内容や年齢は?画像あり
上方落語界の重鎮である桂文枝。かつては桂三枝の名前で有名だった人物ですが、順調に行けば人間国宝の可能性もあると言われていました。しかし、紫艶という演歌歌手との不倫がその道を閉ざすことになります。紫艶との不倫画像や現在の紫艶と桂文枝についてまとめました。
桂文枝が不倫した演歌歌手・紫艶の現在とは
桂三枝といえば「いらっしゃーい」のギャグでお馴染みですが、現在は六代目桂文枝として上方落語の重鎮として活動しています。順調に活動を続けていれば人間国宝の可能性もあると言われていました。

しかし、その桂文枝は紫艶という演歌歌手との不倫をフライデーに報じられてしまったのです。また、フライデーだけでなく紫艶本人も桂文枝の不倫写真を公開するなど、泥沼な不倫撃が繰り広げられました。そんな紫艶と桂文枝は現在どうなっているのかについてまとめてみました。
演歌歌手の紫艶とは何者なのか
桂文枝の不倫相手である紫艶について確認していきましょう。紫艶は1978年1月17日生まれの40歳です。兵庫県尼崎市出身で本名は中江ひろ子というそうです。現在は演歌歌手としてではなく、セクシー女優として活動しています。

紫艶は2歳9ヶ月から民謡を歌い始めて、18歳のときに紫艶は「吉本演歌歌謡曲選手権」で優勝しています。そして、紫艶としてシングル「渋谷の猫」でデビューし、セクシー系演歌歌手として注目を集めました。また、2000年に紫艶は日本有線大賞新人賞を受賞しています。しかし、紫艶は歌手としての活動は2012年から休業しているそうです。

165センチで90-60-88でFカップというスタイルで、チャイナ服のようなタイトな服装で演歌を歌う姿は注目されていました。シングルも10枚、アルバムも2枚リリースするだけでなく、ビデオやDVDも2本リリースしています。また、写真集も複数発売しており、演歌歌手としてはビジュアル面が売りだったといえます。
セクシーなスタイルで写真集やDVDも発売
ときどき紫艶はテレビにも出演することがあり、決して有名な演歌歌手というわけではないのですが、厳しい演歌業界の中でもその美貌が注目されていました。しかし、いくらステキな美貌の持ち主といっても、演歌歌手としては鳴かず飛ばずな紫艶が、なんとか活躍してこれたのは、それを支えてくれる人物が居たからだと言われています。

芸能界においては、タニマチと呼ばれる個人のスポンサーのような存在や枕営業などで仕事をもらって活動している人がいると言われています。紫艶にとっても、自分の芸能活動を支えてくれる人物がいなければもっと短命な芸能生活になっていたかもしれません。そして、それを支えていたのがあの桂文枝だと言われているわけです。
紫艶の名付け親は桂文枝だった
紫艶は、デビュー当時は本名の中江ひろ子として活動していたのですが、18歳のときに桂文枝と出会って「紫艶」という芸名をつけてもらったそうです。つまり桂文枝は紫艶の名付け親だったわけです。そして、紫艶は18歳のときから20年に渡って桂文枝との不倫関係を続けることになります。

そもそも、この不倫関係が暴露されたのは2016年に写真週刊誌の「フライデー」に掲載された記事だったそうです。そこには桂文枝との生々しい不倫画像が掲載されており、誰がどう見ても友達の枠を越えた関係であることを感じさせるものでした。
フライデーに掲載された不倫画像とは
では、フライデーに掲載された紫艶と桂文枝の不倫画像とはどのようなものだったのでしょう。桂文枝は普段はきっちりとした着物姿で落語を行う姿が印象的ですが、プライベートではスウェットやTシャツなどラフな姿を好んでいたそうです。また、海が好きでよく紫艶を連れて海にも出かけていたそうです。

フライデーに掲載された画像を確認すると、非常にラブラブな姿を確認することが出来ます。桂文枝が紫艶にキスしている画像は複数枚存在しており、これで友人関係と釈明するのは無理があるといえますよね。どうやら紫艶と桂文枝は、紫艶が18歳のときに出会って数ヶ月で同棲関係になっていたそうです。

桂文枝は紫艶のことを本名である中江ひろ子から「ひろりん」と呼び、紫艶は桂文枝のことを「ぱぱりん」と呼んでいたそうです。また、桂文枝は自らの冠番組である「新婚さんいらっしゃい」のロゴが入ったクッションを裸で抱えながら、いらっしゃーいと紫艶をベッドに連れ込んでいたそうです。

桂文枝は、当初はフライデーの記事を否定して紫艶との交際の事実はないと否定していたものの、次第にこれらの情報が明らかになっていくと、取材に対してノーコメントを貫くようになりました。紫艶は18歳のときから桂文枝を尊敬して、身も心も捧げてきたといいうだけに、この不倫劇は泥沼化していくことになります。
桂文枝のプロフィール
改めて桂文枝のプロフィールも確認してみましょう。桂文枝は1943年7月16日生まれの74歳です。本名は河村静也で大阪府堺市出身です。落語家であり、かつては桂三枝の名前で活動しており、社団法人上方落語協会前会長であり、上方落語の名跡「桂文枝」の当代です(六代目)。

大阪府堺市に生まれた桂文枝は、5歳の頃に大阪市大正区に引っ越して、現在は大阪府池田市在住と言われています。大阪市立市岡中学校では西川きよしの姉と同級生で、大阪市立市岡商業高等学校ではレツゴー正児と2出し目桂春蝶の下級生で、それぞれと当時から交流があったそうです。

関西大学商学部第二商学科に進学していますが中退しています。桂文枝が生後11ヶ月のときに父親は肺結核で亡くなっており、母親は息子である桂文枝を引き渡しを拒否して隠れ住むようになったそうです。高校のときに演劇部に入部し、同級生とともにABCラジオの「漫才教室」で賞金を稼ぐなど才能の片鱗を見せていました。

大学時代に三代目桂米朝の落語を聞いたことから落語に興味を持ち、創設間もない落研に一期生として入部しています。そのころの芸名はロマンチックをもじった「浪漫亭ちっく」というものでした。
桂小文枝の弟子になる
番組出演した際に知り合った藤井康民に桂小文枝の弟子になりたいと打ち明けて、桂春蝶の紹介で桂小文枝の弟子になっています。とはいえ、桂小文枝は大学出であることを嫌がっており藤井康民がすべて責任を持つという形になりました。また、母親には建設会社の人事課長と偽って桂小文枝を紹介したそうです。

1967年にMBSラジオの深夜放送のオーデションに参加し、マカロニ・ウェスタン映画を題材にした新作落語を披露しました。このことがディレクターの目に止まり「歌え!MBSヤングタウン」につながり、「いらっしゃーい」などのギャグで一躍人気者となりました。

その後は、テレビ番組「ヤングおー!おー!」や「パンチDEデート」、「新婚さんいらっしゃい!」などの司会を務めたことで、全国区の人気者となりました。そして、ラジオ大阪の「ヒットでヒット バチョンといこう!」の桂文枝のアシスタントを務めたこともあるタレントの高橋真由美と結婚し一男一女を授かっています。
桂三枝から桂三枝へ
テレビ業界で上沼恵美子ややしきたかじんなどのテレビ司会者の勢いが増すと、桂文枝はテレビタレントから本業である落語に力を入れるようになりました。1995年に参議院議員選挙に出馬しようとしたものの、吉本興業と家族に大反対されて、出馬会見までしたものの告示直前に撤回しています。

2011年7月11日に師匠の名をついで六代目桂文枝を襲名し、タレントとしても桂三枝の名義での活動を取りやめました。その後は、上方落語協会の会長として自らの創作落語を中心に落語家として活動を続けています(2018年に会長職は退任)。
紫艶との不倫が泥沼化した理由とは
このようにタレントとしても落語家としても輝かしい経歴を持つ桂三枝。その中で18歳の紫艶と不倫関係を初めて20年も不倫関係を続けていたわけです。もし、このような出来事が無ければその経歴から落語家として人間国宝になれたかもしれないだけに、大きな過ちを引きずることになりました。

この不倫関係自体がフライデーに掲載されただけであれば、まだギリギリセーフな部分はありました。芸事をする人間にとって妾のような存在がいることはある種の当たり前の事柄でした。女遊びをすることで芸を磨く、ネタを探すというのは必要悪な部分ではあったわけです。

まず桂三枝の1つ目のミスは、フライデーに不倫を記事にされたときに、その関係を完全否定したことです。紫艶からすれば20年も続いて身も心モ注いだ相手だっただけに、裏切られたと感じたのは間違いないでしょう。そして、フライデーに様々な画像を暴露されると同時に、もうひとりの愛人を暴露されてしまったのです。
紫艶とは別に8年に渡る愛人も居た
記事によるとその愛人は夏目恵美子(仮名)という人物が桂三枝と8年間に渡って愛人関係であったことを暴露したのです。二人の関係は2008年に大阪の演芸場「天満天神繁昌亭」を訪れた際に、桂三枝と出会ったそうです。

繁昌亭の横にある喫茶店に居た女性は、桂三枝がたまたまそこに現れたことから一緒に写真を撮り、それを後でメールで送っててもらったそうです。女性はそのお礼を言うために再び繁昌亭に訪れたところ、桂三枝の部屋に通されたそうです。

この日をきっかけとして、桂三枝はこの女性の家に訪れるようになり、深い仲になったのだとか。どうも桂三枝は女性に将来は一緒に住んで、自分の介護をして欲しいと、最後はこの女性と一緒に居たいとささやいてくれたそうです。

このことで、完全に桂三枝は人間国宝の道は途絶えてしまったというわけです。二人の女性との長期間に渡る不倫と、その事実を否定する男らしさのかけらもない対応。ここでひとつ落語家としてうまく対応していれば、同じ落語家の三遊亭円楽のように騒動も切り抜けられたのかもしれません。
紫艶が暴露した桂三枝の恥ずかしすぎる画像たち
桂三枝は他にも不倫関係の噂が過去にあり、「東京支社長」として月60万を振り込んでいたとも言われています。また、紫艶は自らの不倫に関しては「売名行為」ではないと真っ向から否定して、演歌歌手を引退して芸能界を引退しようとしたのです。

紫艶も桂三枝から「愛人手当」として毎月20万円が振り込まれており、通算では1300万円にのぼる不倫関係への手当が振り込まれていたことが明かされました。また、それだけでなく、桂三枝は自らが出演することになったNHK大河ドラマの役である「千利休」の画像を紫艶に送っていたことも暴露されました。

しかも、それだけではなく紫艶は自らとの関係を完全に否定する桂文枝に怒って、桂文枝の全裸画像までFacebookで公開したのです。
紫艶は桂文枝の全裸画像まで公開
紫艶は桂文枝がどうしても自分との関係を認めないのは、人間国宝が絡んでいるからと暴露したようです。人間国宝が欲しい桂文枝にとっては不倫関係を認めるわけにはいかず、愛よりも名誉を取ったことに激怒したというわけなのです。

このFacebookは紫艶としてではなく、本名の中江ひろ子として開設されたFacebookで画像が公開されてすぐにそのFacebookは削除されてしまいました。いわゆる「リベンジポルノ」に当たる行為ですが、さすがにここまでしてしまうと、今度は紫艶が名誉毀損やわいせつ物頒布罪などに当たるという意見もあります。

紫艶はその後、自らの売名行為を否定する意味も含めて演歌歌手としての活動を引退し、芸能界も引退するとしていました。しかし、その後2016年に「アンドエム」所属となり芸能活動を再開しています。
セクシー女優として写真集も発売
活動再開後はセクシー女優としてアダルトビデオデビューも果たしており、ヌード写真集も発売しています。この事務所には同じくヌード写真集などを発売した元スノーボード選手の今井メロや元レースクィーンでグラビアタレントの後藤麻衣が所属している事務所です。
しかし、写真集を含めアダルトビデオの評価も芳しく無く、数作出演しただけのようです。写真集もアダルトビデオももっと昔に出していればという意見もあるようで、以前の写真集と比べるとビデオでは完全にどこにでもいる熟女的なものだったようです。

現在も紫艶はブログを更新していますが、ほとんど仕事に関係するつぶやきは行っておらず、動画配信サイトで生放送をするぐらいの活動しかないようです。以前のように写真集を発売することも出来ず、写真集の売れ行きを見れば、今後も厳しい芸能活動となりそうです。
写真集などの売名行為を叩かれまくった
紫艶は、この不倫関係に関する暴露を行った当初、売名行為であると強烈なバッシングを浴びて、それは本人だけでなく母親にも及んだそうです。そして母親は倒れてしまったそうで、改めて真実を話すとしてこれらの画像や情報が明かされたわけです。
また、番組関係者からいろいろときついことを言われたそうで、すべては桂文枝の気を引くためにやっているのでは?と言われてしまったそうです。結果的に売名行為といえるほどの効果はなく、写真集やDVDも売れず、桂文枝も人間国宝こそ厳しいものの、芸能活動は変わらず行っています。
現在の二人は完全に関係が終わっているようです。紫艶は現在も20年間すべてを注いだ男のことを思い出して涙する日もあるようです。桂文枝は紫艶の関係がニュースになる数年前から妻とは別居状態だったそうです。紫艶からすれば、もしかすると私と再婚してくれるのでは?という期待が関係を続けさせていたのでしょうか。

フライデーに紫艶との不倫関係を暴露された桂文枝ですが、大きな名誉こそ失ったものの、現在も変わらず落語会の重鎮として活動しています。

現在も人間国宝を受賞しておらず、今後もその可能性は厳しそうです。しかし、紫艶のようにすべてを失ってしまった人と比べるとマシといえそうですよね。
愛人関係を続けていた紫艶にも否がある言えそうな不倫劇。全裸画像を公開されても堂々と活動を続ける桂文枝の姿はさすがというべきなのでしょうか?驚きの桂文枝と紫艶の不倫劇をまとめて紹介してみました。
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