ZARD坂井泉水は美人!全盛期の美しい画像やエピソードまとめ

坂井泉水によるソロユニットZARDは90年代JPOPを代表するアーティストの一人で、あまりメディアに露出しなかったものの美人ということが知られています。ここではアーティストの実力と美人であることを兼ね備えた坂井泉水の写真と、語り継がれるエピソードを紹介します。

目次

  1. 90年代を代表する美人女性歌手ZARD坂井泉水とは
  2. 美人で作詞の才能もあるZARD坂井泉水のエピソード
  3. 古さを感じさせない写真!美人女性歌手ZARD坂井泉水
  4. 美人女性歌手ZARD坂井泉水『負けないで』のエピソード
  5. 美人女性歌手ZARD坂井泉水が問う社会問題
  6. 美人薄命!ZARD坂井泉水晩年のエピソード
  7. 死後も語り継がれる美人女性歌手ZARD坂井泉水

90年代を代表する美人女性歌手ZARD坂井泉水とは

美人薄命として現在でもネットで語り継がれるZARD坂井泉水

・愛称:坂井泉水(さかいいずみ)、さっちん、さっちー、カマチン、カマチ
・本名:蒲池幸子(かまちさちこ)
・生年月日:1967年2月6日
・現在年齢:享年40歳
・出身地:福岡県久留米市
・血液型:A型
・身長:165cm
・体重:???
・活動内容:歌手、作詞家
・所属グループ:ZARD
・所属芸能事務所:スターダストプロモーション
・家族構成:父、母、妹、弟

ZARDは女性歌手の坂井泉水によるソロユニットで、『負けないで』や『揺れる想い』など90年代に数々のヒット曲を出したことで知られる一方、美人でありながらメディアへの露出が少ないことでも知られています。ZARD坂井泉水は2006年に子宮頸がんを発症してから入退院を繰り返していましたが、2007年5月に入院中の病院にて階段から転落し、脳挫傷で亡くなっています。

ZARD坂井泉水が亡くなってからもその人気は衰えず、2018年に入ってからも命日の5月27日には所属していたレコード会社ビーイングの社屋にて献花台が設置され、現在でも多くのファンが追悼に訪れています。夭折したZARD坂井泉水は、美人であることが多くのファンにとって更に印象的であるためか、その美しさやエピソードについてネット上でも様々なところで語られています。

ここでは美人でありながらも、あまりメディアに登場することのなかったZARD坂井泉水にまつわるエピソードを、写真とともに紹介します。

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美人で作詞の才能もあるZARD坂井泉水のエピソード

大物歌手にも提供!ZARD坂井泉水が作詞した曲を歌ったアーティストとは

90年代に数々のヒット曲を世に送り出したZARD坂井泉水はその時代を代表するJPOPの女性歌手として有名です。それと同時にヴォーカリストとしてのみならず、作詞の才能もあったため、大物歌手の楽曲にもZARD坂井泉水の作詞したというエピソードもあります。

同じくビーイングに所属するのDEENをはじめ、同時代人気のあったFIELDOFVIEWやWANDSといった90年代にブームになったロックバンド以外にも、台湾出身の大物女性歌手テレサ・テンやベテラン歌手森進一に提供された歌にもZARD坂井泉水が作詞を手がけたものがあります。

ZARD坂井泉水がテレサ・テンに提供した『あなたと共に生きてゆく』という楽曲はオリコン97位と記録は振るわなかったものの、この曲がテレサ・テン最後のオリコンチャートに入った曲となりました。この楽曲はヒットしたとは言い難いものでしたが、そのまま忘れ去られてしまうことはなく、2016年に女性歌手の由紀さおりがテレサ・テンカバーアルバムの収録曲としてリリースしています。

古さを感じさせない写真!美人女性歌手ZARD坂井泉水

ネットの画像どれを見ても美人で古くないのはなぜ?ZARD坂井泉水のエピソード

ZARD坂井泉水が美人ということはネットでよく言われることで、その写真も人気があり、ネットでも様々な画像が紹介されています。どのような美人の写真であれ、一般的に時代が経つにつれて美人なのは分かるものの、その一方で時代を感じさせるような古さを感じてしまうものです。その一方でZARD坂井泉水は実力派の女性歌手でありながら、その写真はどれも美人で古くささを一切感じさせないものとなっています。

ZARD坂井泉水を世に送り出した音楽プロデューサーの長戸大幸氏はエンタメステーションのインタビューにて、ZARD坂井泉水をプロデュースする際、髪型を変えず、流行を意識しない部屋着のような服装に加え、アクセサリーも控え、メイクも薄めというようにして、親近感を持たせようとしたと話しています。

もともとZARD坂井泉水は美人であるため、メイクが薄くとも見栄えするということはあります。これに加えて流行を意識しないファッションに統一する一方で、おしゃれに見えるようプロデューサーの方針だけでなくZARD坂井泉水自らも工夫しています。このようなファッションがかえって時代を経てからも古くささを感じさせず、現在になってもなお、どの画像を見ても美しさを感じられるものとなっています。

美人女性歌手ZARD坂井泉水『負けないで』のエピソード

ZARD坂井泉水の代表曲『負けないで』はどのように作詞されたのか

ZARD坂井泉水の代表曲といえば『負けないで』といっても過言ではなく、現在でも応援ソングとしてZARD全盛期を直接知らない世代からの支持も高いものとなっています。更に東日本大震災で家族を失った高校生が震災から70日後の、本人だけでなく日本全体がまだ震災のショックが色濃い中で、チャリティーコンサートにて懸命に『負けないで』を演奏したというエピソードもあります。

ここではZARD坂井泉水の『負けないで』のジャケット画像と、自らが書いた手書きの歌詞の画像とあわせて、この歌詞がどのようにして書かれたのかというエピソードを紹介します。

ZARD坂井泉水は生前、楽曲制作に打ち込むためにメディアへの露出はほとんどありませんでした。常にスタジオで自身のヴォーカルについて厳しくチェックし、何度も歌い直しをしてレコーディングに打ち込んでいた他、衣装選びも残された写真から分かる様に、シンプルながらおしゃれに見える工夫をしてイメージを大切にしていました。

そういった中でZARD坂井泉水が一番こだわり抜いた所は歌の歌詞で、亡くなってからも300にも登る、未発表のままの手書きの歌詞が見つかっています。画像の直筆歌詞は所々悩みながら書き直されており、ただ歌うだけの美人女性歌手にとどまらず、ZARD坂井泉水の作詞家としてのこだわりがうかがえるものとなっています。

例えば手書きの『負けないで』の歌い出しの「視線がぶつかる」という所は画像では黒く塗りつぶされていますが、この箇所はもともと「目と目が合った様な」と書かれていました。また「あの頃の」という箇所は修正され「あの日の様に」と書き換えられています。

更に印象的な曲のサビの部分である「最後まで走りぬけて」という所も、画像で塗りつぶされている箇所はもともと「あきらめないで」となっているという様に、細かい部分であれZARD坂井泉水が試行錯誤しながら歌詞を書き綴った様子を手書きの歌詞の画像から垣間見られる様になっています。

こうしていかにして想いを伝えるかという様に考え抜いて書かれたZARD坂井泉水による歌詞は、誰もが口ずさみやすく、現在でも世代を超えて愛されて続けています。この曲は24時間テレビのチャリティーマラソンに取り入れられていることに加え、高校野球の入場行進曲にも選ばれたこともある他、様々なところで定番の応援ソングとして選ばれるものとなっています。

美人女性歌手ZARD坂井泉水が問う社会問題

王道のJPOPを行くZARD坂井泉水が投げかけたメッセージと写真で見る90年代

ZARD坂井泉水といえば応援ソングの定番『負けないで』や、夏のときめく恋心を歌った『揺れる想い』など誰でも親しみやすい王道のJPOPといったイメージが一般的です。その一方でZARD坂井泉水はメッセージソングのような楽曲も発表し、ヒットを記録しています。

例えば『I'minlove』はタイトルを見る限りではラブソングのようですが、歌詞の内容は「心震わすニュースのパレード」「お隣の顔も知らない」「冷凍食品にも飽き飽き」といった現代にも通じる社会問題を連想させるフレーズがちりばめられています。

『I'minlove』について、偽りを知らない瞳がテレビ画面からこちらを見ているという内容の歌詞もあるこの曲を、坂井泉水はアフガニスタンの紛争をテレビで見たことをきっかけに書いていたというエピソードがあります。坂井泉水はテレビで子供をはじめとした罪のない人々が紛争で犠牲になる様子を見て、彼らを救えない無力感に苛まれながらも、愛を持って信じ続けようということをこの曲で伝えています。

更に坂井泉水が写真のFIELDOFVIEWに提供した「君がいたから」は、95年の阪神淡路大震災や一連のオウム事件の直後に書かれたもので、孤独に苛まれる人、皆の中でうまく生きられずに思い悩む人をテーマとして取り上げています。それでいながら政治や思想的な主張には一切傾倒せず、不安を感じる現代人に普遍的に通じるような温かみのあるメッセージソングに仕上げられています。

美人薄命!ZARD坂井泉水晩年のエピソード

謎に包まれた美人女性歌手ZARD坂井泉水の語り継がれる晩年とは

ZARD坂井泉水はもともと体調が不安定な一面があり2004年に大阪で再追加公演を行った際、開演前になってステージ裏の化粧室から出られなくなったというエピソードもあったほどです。その後の2006年には子宮頸がんと診断され、子宮全摘出手術を受けるも、その後がんの肺への転移が見つかるなどで入退院を繰り返しています。更にこの頃にはうつ病も患っており、抗うつ剤を服用していたというエピソードもあります。

そして2007年5月26日、病院のスロープから落下したところを発見され、集中治療室で治療を受けるも、翌27日に後頭部強打による脳挫傷で40歳という若さでこの世を去ることとなりました。ここではZARD坂井泉水晩年の、闘病中だった頃のエピソードについて紹介します。

入院直前のリクエスト!ZARD坂井泉水のウェディングドレス写真

ZARD坂井泉水といえばシンプルな普段着で親しみやすいイメージとして知られていますが、2006年にリリースされたシングル「ハートに火をつけて」はタイアップしたドラマに合わせた画像のイメージのようなウェディングソングでした。この時ZARD坂井泉水はスタッフに「ドレス、着てみたいな」と珍しくリクエストし、この時のウェディングドレス姿の写真も残されています。

このプロモーション映像のために真っ白なウェディングドレスがZARD坂井泉水のために用意され、撮影は当時恵比寿にあった結婚式場にて行われました。この撮影は朝7時から夜の11時近くまで時間をかけて行われましたが、ZARD坂井泉水の体調はすでに思わしくなく、撮影の直後に子宮頸がんで入院しています。

スタッフはこの時ZARD坂井泉水の病気が深刻なものだとは気づかず、撮影が長時間になってしまったことに責任を感じると後に語っています。入退院を繰り返していた坂井泉水から今度は「水族館で撮影をしたい」という連絡がスタッフに伝えられました。しかしながら撮影の直前で体調不良のため中止となり、その後の5月27日にZARD坂井泉水は帰らぬ人となりました。

ファンの間で有名なZARD坂井泉水の心優しいエピソード

ZARD坂井泉水は晩年闘病生活を送っていましたが、病院で知り合った末期がんの女性患者に『負けないで』を枕元で歌ってあげたというエピソードがあります。自らも闘病中でありながら、病室を訪れて女性患者を勇気付けようとしていた、この心優しくどんな時でも一女性歌手であり続けようとしたエピソードはファンの間では有名で、現在でも語り継がれるものとなっています。

死後も語り継がれる美人女性歌手ZARD坂井泉水

ミステリアスさもまた魅力!美人女性歌手ZARD坂井泉水

美人女性歌手として今でも人気のあるZARD坂井泉水の死因について、転落事故という説や自殺という説、実は余命いくばくもなかったという説以外にも、通り魔に襲われたのではといった憶測まで出ていますが、現在でも本当の理由についてはいまだに不明のままです。

ZARD坂井泉水自身、プライベートについてはほとんど知られていない、謎の多い女性歌手として今でもその死因や現役当時のプライベートな話題などについて噂されることがあります。しかしながら、それらも本当なのかデマなのか未だにはっきりしないものとなります。

世代を超えて愛され続ける美人女性歌手ZARD坂井泉水

美人女性歌手ZARD坂井泉水の葬儀は5月30日にて近親者のみで行われました。その後の一般向けに行われた音楽葬では、4万100人ほどのファンが弔問に訪れてその死を悼みました。

またZARD坂井泉水が生前に発表した最後のアルバムとなる『GoldenBest~15thAnniversary~』は2006年10月に発表され、亡くなる直前のオリコンチャートでは300位圏外でしたが、逝去後には3位まで急上昇し、その翌週には2位にランクインするほどのヒットになりました。

現在でも尚、フィルムライブやベスト盤CDやDVDの販売などが行われ、ZARD坂井泉水が活躍していた時代を知らない10代や20代のファンも増え続けています。ここでは美人薄命として語り継がれるだけでなく、JPOPを代表する実力派女性歌手としても人気の高いZARD坂井泉水について、その美しい写真や画像を交えて紹介しました。

洋楽邦楽問わず、音楽が時代の流行を牽引していた90年代に登場したZARD坂井泉水。そのメロディ、ヴォーカル、歌詞、どれを取っても親しみやすく、ZARD坂井泉水は90年代JPOPシーンを代表する女性歌手と言っても過言ではありません。

美人であるといった話題もネットで多く見られますが、ヴォーカルや歌詞を徹底的に追求したスタイルはポップな作風からは想像しにくいもので、その生き様はまさしく音楽に一生を捧げたと言えるものでしょう。

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