酒鬼薔薇聖斗の現在や本名・結婚や事件まとめ!嫁や子供の情報や顔写真も

「神戸連続児童殺傷事件」の犯人として、社会を震撼させた酒鬼薔薇聖斗。その酒鬼薔薇聖斗は現在どのような生活を送っているのでしょうか。酒鬼薔薇聖斗の現在や結婚、またその本名が気になるところです。本名を変えて現在は事件を忘れ結婚して世の中に紛れているのか調査しました

目次

  1. 酒鬼薔薇聖斗の事件や現在と結婚や本名について
  2. 事件の衝撃から現在でも本名や画像に関する情報は多数
  3. 酒鬼薔薇事件と呼ばれるきっかけとなった第三の事件
  4. 殺害相手の本名などを知っており自らの欲望で殺害
  5. 酒鬼薔薇聖斗の警察への挑発の始まり
  6. 事件後の現在は結婚などの噂もあり
  7. 酒鬼薔薇聖斗は本当に結婚しているのか
  8. 現在も酒鬼薔薇聖斗の事件は風化していない

酒鬼薔薇聖斗の事件や現在と結婚や本名について

平成の時代が終わろうとしている現在ですが、その平成の中でも忘れられない事件があります。それは「神戸連続児童殺傷事件」という事件で、現在においてもこの事件のことを覚えている人は多いのではないでしょうか。

この事件を起こした酒鬼薔薇聖斗は現在どのような生活を送っているのでしょうか。実はこの酒鬼薔薇聖斗は現在は本名を変えて、結婚して子供も居ると言われています。自らが起こした事件の被害者からすると非常に複雑な現在だといえます。

そんな酒鬼薔薇聖斗の現在や本名、また結婚した嫁の存在や子供について紹介します。現在の酒鬼薔薇聖斗の顔画像や嫁や子供の顔は発覚しているのでしょうか。結婚して本名を変えたとはいえ、酒鬼薔薇聖斗が起こした事件は決して消えることのない大きな衝撃だったといえます。

事件当時はその本名や顔画像に関する情報が行き交った

神戸連続児童殺傷事件は1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳だった中学生による連続殺傷事件です。この事件は少年が名乗った名前から別名として「酒鬼薔薇事件」や「酒鬼薔薇聖斗事件」という名前でも呼ばれています。

こちらの画像は現在の酒鬼薔薇聖斗と思わしき人物の画像です。現在は一般の人と同じように日常生活に溶け込んでいることが画像から伝わってきますが、彼が起こした事件は今後も消えることのない日本史上稀に見る凶悪少年犯罪でした。

当時から事件を起こした酒鬼薔薇聖斗の本名や顔画像に関する情報が錯綜しており、各週刊誌がスクープとしてその本名や顔画像を掲載しようと取材を続けたようです。そのため、当時以上に現在ではその本名や顔画像を確認することは容易になっています。

事件の衝撃から現在でも本名や画像に関する情報は多数

酒鬼薔薇聖斗が起こした事件に関しては、逮捕されてその後に本人が出版した著書の名義から「少年Aと」表記されることも多く、事件を起こした当時も顔や本名に関しても報道の可否が議論されました。

事件の概要とsちえは、数カ月に渡って複数の少年が被害を受けることになり、2名が死亡しており、3名が重軽傷を負うという結果になっています。問題だったのはその被害はもちろんですが、酒鬼薔薇聖斗が起こした事件の手口であり、事件に関する声明文や被害者の頭部を中学校の正門に置くなど、センセーショナルな事件として報じられました。

また、酒鬼薔薇聖斗本人だけでなく、その父親や母親を中心とした家族、そして被害者家族に関する情報までが記事になるなど、個人情報の扱いに関しては未成熟な時代だった故に加熱する報道が大きな問題を呼びました。

いわば「劇場型犯罪」と言われるような、マスコミなどに対してもあえて自分の存在をアピールするような行為が続いた事件であり、ワイドショーはもちろん、一般の人の間でもその声明文を解読しようとする動きがあるなど、模倣犯を引き起こすことに繋がる危険性もあった事件でした。

現在まで続く事件の詳細と経過

まず1997年2月10日午後4時頃に、神戸市須磨区の路上で小学生の女の子2人が、ゴムのショックレスハンマーで殴られ1人が重症を負いました。犯人がブレザーを着用し、学生カバンを所持していたという情報があり、女児の父親は近隣の中学校に対し犯人が分かるかもしれないからと生徒の写真を見せてほしいと要望しています。

しかし、学校側はあくまで警察を通してほしいと拒否しており、父親は兵庫県警に被害届を出して生徒写真の閲覧を再度要求しました。しかし、結果的には写真は開示されることはありませんでした。

このことは、後の事件が起きてから、警察や学校側が何らかの対応をしていれば、次の事件たちを防ぐことは出来たのでは?という批判に繋がっています。また、そもそも犯人をかばうような行為になっていたのでは?という指摘も多いようです。ただし、事件に関しては被害者家族の要望もあり、当初は非公開になっていました。

第二の事件

同年3月16日午後0時25分、神戸市須磨区竜が台の公園で、付近に居た小学4年生の女の子に手を洗える場所を尋ね、学校に案内させた後にお礼を言いたいからという理由で振り向かせたところを、金槌の一種である八角玄能で殴りつけて逃走する事件が起きました。

殴られた女の子は病院に運ばれたものの、3月23日に脳挫傷で死亡しています。また、午後0時35分ごろに、別の小学3年生の女の子の腹部を、刃渡り13センチの小刀で刺して2週間の怪我を負う事件も発生しました。

刺された女の子は、ナイフの刃先が胃を貫通しており、背中の静脈の一歩手前で止まっていたそうです。静脈に刃先が達していた場合は、助かる可能性は低かったと言われています。手術の際は1.8リットルの輸血も行われており、奇跡的に女の子は助かったといえるでしょう。

酒鬼薔薇事件と呼ばれるきっかけとなった第三の事件

酒鬼薔薇聖斗は、はっきりと人を殺したいという欲求にかられるようになり、殺すのに適当な人間を探すために、昼過ぎから自転車に乗って家を出たそうです。

10分ほど町内を自転車でブラブラと回った酒鬼薔薇聖斗は、その後に、多井畑小学校の近くの道で反対側から歩いてくる男の子を見つけたそうです。この男の子は同地区に済む放射線科医師の小学5年生で11歳の次男でした。男の子は祖父の家に行くために自宅を出て歩いていたときだったようです。

実は酒鬼薔薇聖斗はやんわりとこの男の子のことを知っていたそうで、多井畑小学校の5年生のころに、同じ小学校の中にある身体障害者のための「なかよし学級」にその男の子がいたことを覚えていたそうです。

また、酒鬼薔薇聖斗の家に遊びに来ていたこともあり、これは一番下の弟が同級生だったからでした。男の子が家に居た亀に興味を示していたことを知っており、この事件のときに男の子を見つけたときにそういったことを一気に思い出したそうです。

酒鬼薔薇聖斗は男の子に近づいて、近くの山に亀が居たから一緒に見ようと誘っており、山頂の手前にあるケーブルアンテナ施設の入口付近まで連れていき、その場で絞殺して遺体を隠したようです。この絞殺も酒鬼薔薇聖斗自身が、首を絞めて殺したいという自らの願望が反映されたものでした。

殺害相手の本名などを知っており自らの欲望で殺害

この事件においては、酒鬼薔薇聖斗の事件に対する用意周到さが現在でも注目されることがあります。というのも、酒鬼薔薇聖斗は指紋がつくことを恐れており、手袋をはめて、一気に首をしめており最終的には馬乗りになるような形で締め付けています。

しかし、酒鬼薔薇聖斗も子供であったことから絞殺し切れておらず、そばにあった石で殴ろうとしたり、ナイフで殺そうとしています。しかし、ナイフは持ってくるのを忘れており、岩は取れなかったため、靴で顔などを殴りながら、靴紐を解いてそれを使って絞殺しています。

その後の酒鬼薔薇聖斗の供述から、なかなか男の子が死ななかったことに対するいらだちと同時に、自らが人を殺そうとすることに対する高揚感などがあったことを説明しています。絞殺後は一種の満足感のようなものがあったそうで、その前に起こした2つの事件とは違った達成感があったようです。

酒鬼薔薇聖斗は事件を起こしてからも普段どおりの生活を続けていた

酒鬼薔薇聖斗は殺害した男の子の死体を近くのアンテナ施設の近くに隠しています。なお、アンテナ施設がある施設に入るために南京錠を破壊しており、新しい南京錠を買いに行くなど、事件の隠匿に関する行動もとても少年事件の範疇を越えたものになっています。

ただし、このときに南京錠とともに金ノコ(当初は糸ノコギリと供述)を万引きして手に入れています。これは金銭的な問題と同時に、レジで顔を覚えられることを避けるためでした。

驚きなのは、酒鬼薔薇聖斗は事件後に友人とビデオショップで待ち合わせをしていたことから、友人との待ち合わせ場所に合流しており、約2時間ほど遊んで自宅に帰っています。

自宅に帰ると酒鬼薔薇聖斗は、母親から男の子が居なくなっていることを伝えられているものの、素知らぬ顔をしていたそうです。その日の寝るときに、南京錠を破壊するために使った糸ノコギリを使って、今度は人の首を切りたいという衝動にかられており、過去に何度も猫などの動物を殺していた経験から、翌日に殺害した男の子の首を切断する計画を練っていたそうです。

事件の被害届けや男の子の本名などの情報

男の子に関しては、事件当日の午後8時50分に家族から須磨警察署に捜索願が提出されました。そして、翌日になると、酒鬼薔薇聖斗は男の子の首を切断するため、家を昨日と同じように出ています。

遺体を遺棄した現場にたどり着くと、糸ノコギリで男の子の首を切断しており、そのことにはまったく抵抗がなかったそうです。その後、切断した首と押し問答のようなものを繰り広げたそうで、その首をビニール袋に入れて、兵庫県立北須磨高等学校へ向かっています。

酒鬼薔薇聖斗の供述によれば道中に機動隊員と思われる人物に声をかけられているものの、疑われることは無かったようで、危ないから早く帰るように言われただけだったようです。そして、入角ノ池という池の近くの穴に首を隠し、切断に使った道具は池に投げ捨てています。

翌日、警察は男の子の行方不明事件として午前11時40分に須磨警察署が公開捜査を開始しています。警察やPTAなど150名が捜索にあたっていますが、この間に酒鬼薔薇聖斗は首を家に持ち帰っており、遺体がどうせ発見されるならと、頭部をあえて人目につくところに置くことを考えました。

そして、自らが通っていた神戸市立友が丘中学校に通うことで、警察から自分が捜査対象になることを逃れようと画策します。また、学校に首を置こうと考えたのは、学校に責任をなすりつけて、こんな自分が出来たのは学校教育のせいだという恨みがあったと言われています。

酒鬼薔薇聖斗の警察への挑発の始まり

5月27日の午前1時頃から午前3時頃までの間に、酒鬼薔薇聖斗は中学校の校門前に頭部を遺棄しています。そして、男の子の口に自らが書いた手紙をくわえさせています。

すぐにはその場を離れておらず、5分ほど首が置かれている校門の風景を眺めてから帰宅しています。朝になると事件は大きくニュースになっており、隠していた遺体も発見されていました。また、テレビ朝日の特別報道番組でジャーナリストの黒田清が手紙に書かれた「酒鬼薔薇聖斗」を「サカキバラセイト」という人名として解釈し、一気に各社が人名として扱うようになりました。

未成年が起こした事件のため本名ではなく酒鬼薔薇聖斗が一般に

現在も事件当時に酒鬼薔薇聖斗が未成年であったことから、現在も本名ではなく酒鬼薔薇聖斗として少年の名前が報道されており、多くの人がその強烈な名前を印象付けられることになります。

テレビでは、犯人像を30代から40代の男性と報道したり、まったく見当違いな推理が進んでいたりしたことに、酒鬼薔薇聖斗は喜びを感じていたと言われています。そのことが、酒鬼薔薇聖斗が「神戸新聞社宛の手紙」を書くことにつながりました。

この印象的な手紙は現在でも少年犯罪が起きるたびに取り上げられており、現在見ても不気味な手紙といえます。自分の本名ではなく酒鬼薔薇聖斗という名前の読み方に対する訂正などを行っており、警察関係者らは、その内容から手紙が犯人が書いたものであることを確信したと言われています。

後の取り調べなどから、このときの酒鬼薔薇聖斗は自分が調子づいてしまっていたと振り返っており、筆跡やその文章に引用された本などから、警察は次第に酒鬼薔薇聖斗が誰なのかに気づき始めていたそうです。

しかし、少年が犯罪を起こしている可能性の中で、その逮捕に踏み切るのは大きな決断が必要だったようです。マスコミは別の「黒い袋の男」と言われる人物をずっと探しており、30代くらいの男性を追いかけていたと言われています。そのため、酒鬼薔薇聖斗が逮捕された際には冤罪説が出ており、現在でも冤罪を疑う人が居るほどです。

事件を起こした酒鬼薔薇聖斗の逮捕

酒鬼薔薇聖斗は6月28日に、朝から任意同行を求められ、犯行を自供しています。これは当初は否認していたものの、取調官が犯行声明文のコピーを見せながら、その筆跡などに関する一致を指摘しており、声をあげて泣き出しながら犯行を自供したとなっています。

実は、このとき警察は筆跡が一致しているという裏取りなどはまだ終わっておらず、決定的な証拠が無かったそうです。酒鬼薔薇聖斗は、男の子を殺害したこと以外の事件も認めており、ニュースはこれらの事件が一人の少年が起こしたものとして大々的に報道することになります。

酒鬼薔薇聖斗に対する精神鑑定などが行われており、ADHDという診断を受けています。完全な責任能力はあるものの、反社会性パーソナリティ障害に相当する行為障害と思われるものが見えられており、更生するためには長期間の医療的処置が必要として、医療少年院への送致がふさわしい処遇という形になっています。

1997年10月13日に酒鬼薔薇聖斗は神戸家庭裁判所で医療少年院への送致が決定され、関東医療少年院にうつされています。その後は、第二の事件に対して8000万円の慰謝料を支払うことも決定しています。

事件後の現在は結婚などの噂もあり

2001年11月27日に治療が順調であることから酒鬼薔薇聖斗は東北少年院に移されています。しかし、2002年には治療は順調であるものの、なお綿密な教育が必要として収容を継続されることが決定しています。

2004年3月10日に成人した酒鬼薔薇聖斗は少年院を仮退院しています。このことは、法務省を通じて被害者の家族に連絡が行われており、2005年1月1日に本退院が許可されました。

そして、2005年5月24日に被害者少年の八周忌に、酒鬼薔薇聖斗が弁護士を通じて、遺族への献花を申し出たものの遺族は申し出を断っています。

2007年3月似、第二の事件に対して初めての謝罪の手紙が届けられています。しかし、遺族はその姿勢や賠償についての責任などへの意志が感じられないと疑問を投げかけたと言われています。慰謝料は酒鬼薔薇聖斗の両親が出版した本の印税の他、1ヶ月1回酒鬼薔薇聖斗から4000円、両親から8000円が支払われている報道が行われています。

結婚や本名を隠しての生活が続いていると噂に

酒鬼薔薇聖斗は2004年に行われた法務省幹部への取材などから、出所後はある団地で生活していたことが発覚しています。そこでは、法務省関係者と同居し、一緒に炊事や買い物を行う社会勉強が行われていたそうです。

そして、少年院で取得した溶接の資格を生かして、工場で働くなど真面目な生活をしていたようです。そこでは本名とは違う名前で勤務していたと言われており、本来の本名をバレないようにしていたようです。また、母親とも定期的に会うこともあったと言われています。

身元引受人と養子縁組して本名から名前を変えた

どうやら酒鬼薔薇聖斗は、別の身元引受人と養子縁組をしており、そこで本名を変更し、出生地や学歴などの偽のプロフィールを用意したそうです。本名を隠せば分からないとはいえ、周りはまったくその正体には気づかなかったそうです。

子供のときに起こした事件とはいえ、犯罪者予防更生法では、1週間以上の旅行は許可が必要という制約などはあるものの、飲酒もできて、好きなゲームをプレイするなど基本的には自由な生活を送れていたそうです。

これに対して、事件で亡くなった被害者は、被害者家族にとって子供のときのまま時間が止まっており、子供のときに起こした事件とはまったく無関係に近い生活を送っていることは、受け入れ難い出来事だったかもしれません。

本名だけでなく姿も大きく変わっていた

また、事件に関してたくさんの顔写真などが出回っていたものの、出所後の酒鬼薔薇聖斗は少年院の中で身体を鍛えていたことから、非常にたくましい身体に育っていたと言われています。このことから本名を変更したこともあり、昔の顔写真程度では、周りも気づかない状態だったようです。

犯罪者予防更生法の適用期間も過ぎると、同居人も必要ではなくなり、完全なフリー状態になれるということも驚きですよね。酒鬼薔薇聖斗の場合は2004年末でそういった状態になったと言われています。

法務省は様々な意見を汲み取って、酒鬼薔薇聖斗に関する居住地や勤務先に浮いて偽情報を流していたという噂もあります。そのため、酒鬼薔薇聖斗の新しい本名や結婚して嫁が居るなどの情報、また東京や埼玉に居るなど様々な情報が飛び交うようになりました。

結婚していた両親は離婚することで本名などを変えた

そのため、酒鬼薔薇聖斗は現在は地元神戸に戻って、嫁と生活しながら子供と一緒に居るのでは?と疑心暗鬼になる人たちも居たそうです。また、事件後に家族は親戚のもとに身を寄せており、離婚して本名を帰るなど、弟二人は別の土地で暮らす生活だったそうです。

現在もこの事件自体がたびたび話題になることも多く、同時にプライバシーに関する問題も議論になっています。事件当時は、未成年だった酒鬼薔薇聖斗に関する本名や顔が分かる画像などが週刊誌に掲載されるなど、その報道あり方も大きな問題となりました。

本名や顔写真だけでなく、酒鬼薔薇聖斗の犯行記録ノートや、神戸市教育委員会の指導要録など、本来なら外部に流出しないものまで資料として掲載されており、ワイドショーでは酒鬼薔薇聖斗の自宅が映された際に、表札が見えたことから本名が完全にバレる問題も起きています。

また、結婚していた両親に関する問題点も指摘されるようになり、両親たちや残された弟たちは顔をバレないように生活する必要があったようです。結婚生活に関する問いかけや子育てに対する指摘など、事件後の残された家族は精神的にかなり憔悴しきった状態が続いたと言われています。

現在の少年法に関する変更にも大きく関係しており、当時と現在では少年犯罪に関する法律の仕組みも大きく変わっています。現在は成人年齢に対する変更も決定しており、2022年には18歳が成人扱いになる予定です。

結婚に関する仕組みなども変わる事が決まっており、男女ともに結婚が18歳という形に変更になるのも注目点です。この決定に絡んで、現在も多くの制度が変更されていく可能性もあり、少年犯罪に対する報道の仕組みも変わっていく可能性がありそうです。

酒鬼薔薇聖斗は本当に結婚しているのか

酒鬼薔薇聖斗は出所後に結婚して子供が居ることを自らの著書「絶歌」に記しています。この結婚に関しては、本の中で被害者遺族に結婚式の招待状を送ったということから、結婚して嫁がいることが分かるわけです。いきなり出所して結婚をすることになりましたと言われても、被害者遺族からすれば受け入れられるものではないですよね。

結婚だけでなく、本の出版に関しても遺族は判定しており、酒鬼薔薇聖斗は現在も遺族の心を痛めつける存在だといえます。結婚して嫁が居るだけでなく、子供も居るとなれば、自らの起こした事件に対して考え方も変わったのでしょうか?

結婚して嫁や子供が居ることで現在は気持ちに変化も

現在の酒鬼薔薇聖斗は結婚して嫁や子供が居ることから、やっと自らの起こした事件の罪の重さを知ったそうです。結婚を経験して子供が生まれれば、被害者遺族に対する気持ちや接し方ももっと変わってもいいかもしれません。

ただし、結婚して嫁と子供がいる現在も、本質的な自分の異常性は改善されていないと言われており、子供のときに起こした事件は、結婚と子供の誕生後も完全に変わったとはいえないようです。実際にそういった結婚や嫁、子供に関することを聞き出そうとした週刊文春の記者を脅すような行動も起こしています。

現在は結婚した酒鬼薔薇聖斗だが本質は…

このように現在の酒鬼薔薇聖斗も決して本質的な部分では変わったとはいえず、先程の文春の記者には「顔と名前は覚えた」という脅しとも取れる発言もしたようです。しかし、週刊誌の記事が完全に事実とはいえないだけに、現在の姿がどこまで真実かは難しいところです。

結婚した嫁は酒鬼薔薇聖斗のことを知っているのかなど気になることはたくさんありますよね。また、結婚して生まれている子供がもし、父親が起こした事件のことを知ったらどのような気持ちを抱くのでしょうか。

しかし、住むところに感じては都内を転々としていたとも言われており、現在も都内のとあるところで生活していると言われています。こちらも、週刊誌に写真が載ったことから結婚した嫁とまた引っ越した可能性もありそうです。

嫁はなぜ酒鬼薔薇聖斗と結婚したのか

気になるのは酒鬼薔薇聖斗と結婚した嫁のことです。現在も結婚したという情報に関しては間違いないと言われていますが、相手が酒鬼薔薇聖斗だと知った上での結婚だったのでしょうか。

実は海外でもこういった危険な殺人を起こした相手と結婚したという女性は多く存在しています。特に大量殺人などを起こして有名になった相手は、一種のファンのような存在が生まれて、その中の女性と結婚したということは少なくありません。

結婚した酒鬼薔薇聖斗は現在は30代を越えた年齢にになり、嫁も居て子供も居てと人並みの生活を送れているといえます。現在の生活を被害者家族がどのように感じているのかが気になりますよね。自分の子供たちも今頃結婚して幸せな生活を送っていたのに…という気持ちは拭えないかもしれません。

現在も酒鬼薔薇聖斗の事件は風化していない

現在も酒鬼薔薇聖斗が起こした事件に関しては風化することはありません。2018年にも酒鬼薔薇聖斗に関する書籍が新しく刊行されており、その治療プロセスや発達障害による少年犯罪に対する問題提議が記されています。

酒鬼薔薇聖斗自身も現在のように結婚して人並みの生活を送っている中で、いつ危険な衝動が蘇らないとは言えないでしょう。現在は出所後に刊行した「絶歌」の印税が数千万と言われており、そのお金を慰謝料にあてているという噂もあります。

また、酒鬼薔薇聖斗本人なのかは不明ですが、酒鬼薔薇聖斗を名乗った人物がメルマガを開始しようとするなど、現在も改めて事件に関する話が話題になることがあります。

何よりも世間では再犯を心配する声があり、結婚したとはいえ、その家族を含めて今後のことを心配することも多いようです。結婚した嫁も普段の生活で困ることは無いのか気になります。事件を題材にした映小説「友罪」が2018年に映画化されています。

現在の居場所が不明という噂も

2004年に出所し結婚をした酒鬼薔薇聖斗。一時期は住んでいるところがかなり特定されていたようですが、2018年現在はその足取りがつかめなくなっているという噂があるようです。結婚して子供も居るだけに、あまり引っ越しを繰り返すのは難しそうですが、結婚相手もそのあたりは覚悟の上だったのでしょうか。

少なくとも現在の酒鬼薔薇聖斗に関する画像は出回っているものの、結婚した嫁や子供に関しては流石に不明のようです。結婚相手や子供には罪は無いと言えますし、結婚相手までを落ち詰めるような報道はやりすぎかもしれません。

また、現在も被害者家族は酒鬼薔薇聖斗を許しているわけではなく、絶歌の印税の一部である1000万円の慰謝料の受け取りも拒否したと言われています。ちなみに、酒鬼薔薇聖斗の弟たちは現在それぞれまったく違った生活を送っています。

次男に関しては学者を目指して大学の工学部に進学したものの、現在はアニメ関係の学校に通っているそうです。また、三男は現在は高校を中退してすでに働いているそうです。弟たちが結婚しているかは不明でした。

今後も酒鬼薔薇聖斗に絡んだニュースは続く可能性がある

2018年も酒鬼薔薇聖斗に関するニュースや記事などは継続して取り上げられており、その後のことに関して調べる人も多いようです。何よりも、現在は酒鬼薔薇聖斗は普通に生活して結婚して子供も居るということに驚く人が多いようです。

名前に関しては度々変更を行っているようで、出所してからも二度ほど名前を変えているという噂もあります。現在も引っ越しを重ねる中で、名前を変えているかもしれません。

現在は絶歌に絡んで開設されていた酒鬼薔薇聖斗と思わしき人物のホームページも亡くなっており、有料のメルマガなどに関しても話は消えてしまったようです。ネットという匿名の世界では、本当に酒鬼薔薇聖斗なのかという疑問がつきまとうと言えますし、大きなニュースになればなるほど被害者家族の心を傷つける事柄になります。

平成という時代が終わろうとしている中で、酒鬼薔薇聖斗が起こした事件は最注目されることは間違いないといえます。結婚してからのことに関しては不明な部分も多く、あくまで酒鬼薔薇聖斗の本から結婚して子供が居るという情報が確認されているだけです。

すでにその顔に関しては大きく変化しているという話や、整形をしているということもありすれ違う程度ではとても分からない状態のようです。しかし、自分の身近な場所に酒鬼薔薇聖斗が居るとしたら、それを素直に受け入れられるかは難しい問題ですよね。

結婚して誕生した子供には罪がないと言えるので、せめて子供に関しては何事もなく成長していって欲しいですよね。また、この事件自体は風化させず、同じような事件が二度と起こらないようにするのが先決です。少年犯罪史上最も残忍と言われるこの事件は、変化していく現代社会に対して大きな問いかけでもあったと言えます。今後も事件を教訓にして、子供たちが安全に暮らせる社会にしていきましょう。

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