岡田有希子の脳みそ写真とは?仰向け画像や遺書など自殺の真相まとめ
ポスト松田聖子とまで呼ばれた岡田有希子。人気絶頂にもかかわらず自殺で惜しくもこの世を去ってしまいます。当時、岡田有希子の脳みそが映り込んだ写真が出回り、脳みそ写真にショックを隠せなかったファンも大勢います。自殺の真相とは一体どのようなものなのでしょうか。
目次
岡田有希子の自殺の真相とは?「爆報!THEフライデー」で振り返る
2016年2月に放送された「爆報!THEフライデー」に出演した田原俊彦の口から、同期であり当時ポスト松田聖子とまで呼ばれるほどの人気を博していた岡田有希子の名前が出ていました。現在岡田有希子を知る人は少ないようですが、岡田有希子は人気絶頂期に飛び降り自殺と言う形でこの世を去ってしまい、当時後追いするファンも現れてしまうほどの社会現象となりました。
「爆報!THEフライデー」では、そんな岡田有希子を偲ぶ発言を田原俊彦がしており、素敵な女の子だったと振り返っています。この「爆報!THEフライデー」が放送された当時、岡田有希子の死去から30年の月日が流れていました。当時の芸能界の環境も岡田有希子の自殺に繋がったのではと、田原俊彦が発言し再び岡田有希子の自殺についてスポットが当てられています。
田原俊彦は、「爆報!THEフライデー」で当時の芸能界は隔離された社会だったとコメントをしており、それが直接ではないにしろ岡田有希子の自殺に影響していたのではと指摘しています。18歳と言う若さで亡くなってしまった岡田有希子ですが、隔離された芸能界では悩みを打ち明ける事が出来ずに自殺と言う最悪の結果になってしまったのかも知れません。
岡田有希子が自殺した当初、脳みそが映り込んだ写真や画像がカラーで報道される異例の事態となりました。遺体がカラーで掲載され、現在も記憶に残っていると言うファンは少なくはないのではないでしょうか。中には、岡田有希子の遺体を触り仰向けにした写真まで撮影した記者もいたと言う話があります。現代では考えられないような、自殺現場の報道がされていました。
そこで今回は、岡田有希子の自殺の真相について「爆報!THEフライデー」で田原俊彦から語られた自殺の真相と照らし合わせて見ていきましょう。岡田有希子はなぜ自殺を選んでしまったのでしょうか。
人気絶頂のアイドル歌手であった当時18歳の若き岡田有希子を自殺に追いやった真実について、岡田有希子が残した遺書の内容も見ていきましょう。また、脳みそ写真の報道についてや当時のファンの取った行動など様々な面から見ていきます。
岡田有希子のプロフィール
・愛称:ユッコ
・本名:佐藤 佳代
・生年月日:1967年8月22日
・現在年齢:18歳没
・出身地:愛知県一宮市
・血液型:O型
・身長:155㎝
・体重:44㎏
・活動内容:アイドル歌手、女優
・所属グループ:なし
・事務所:サンミュージック
・家族構成(娘、父、旦那、嫁、兄など):姉
岡田有希子が芸能界にデビューしたのは、1984年の事でした。当時数々のスターを生み出していた人気番組「スター誕生」での決勝大会がきっかけで4社からスカウトを受け、岡田有希子はサンミュージックとキャニオンレコードと契約する事となります。先ほどご紹介した田原俊彦は、このキャニオンレコードに所属しており岡田有希子と同期と言う関係になります。
契約時には、地元の高校に進学していた岡田有希子ですが、松田聖子や山口百恵のような日本を代表するトップスターになることを目標に掲げていた岡田有希子は、その後芸能人が多く在学する事で有名な堀越学園に転校し、芸能活動を本格化していきます。その目標通り、岡田有希子は1984年にはアイドル歌手としての初の取材を迎え同年中には様々なテレビ番組に出演するようになります。
この年にシングルを発表するなど目覚ましい活躍を見せていた岡田有希子は、事務所の先輩でもあり当時絶大な人気を博していた松田聖子の第2のポストとして岡田有希子の名が称されるようになっていきます。しかし、岡田有希子にとっては誰かの真似事で売れていく事は不本意だったようで、憧れのアイドルは誰かと問われた際には岡田有希子と答える姿を見せています。
翌年の1985年には岡田有希子の人気が定着しつつあり、グラビア雑誌の密着取材や全国ツアーなども岡田有希子はこなしています。また、同年11月から放送されたドラマ「禁じられたマリコ」で初主演を務め、確実に人気を増やしていく事となります。過酷なスケジュールだったにも関わらず、当時の岡田有希子はほとんどNGも出さずに女優としてのスキルも見せつけています。
過去に自殺未遂も!問題の岡田有希子の脳みそ写真とは?
脳みそ写真が撮られる直前に自殺未遂?
そんな人気を着実に増やしつつあった岡田有希子ですが、1986年4月から全国コンサートを開始した直後に自殺によって亡くなっています。この岡田有希子の自殺は、脳みそが映り込んだ写真で報じられて当時問題となりましたが、実はその直前にも岡田有希子は自殺未遂を図っていたのです。4月8日、岡田有希子の一人暮らしをしている自宅マンションで事件が起きています。
自殺未遂と未然に防ぐ事ができたのは、岡田有希子の上の階の住人が異臭に気づいた事がきっかけです。岡田有希子はこの時、リストカットをした後にガス自殺を図っていたようです。発見された当時、岡田有希子は押入れに入って泣いていたそうです。すぐに岡田有希子は病院に搬送され、事なきを得る事となります。そして、当日岡田有希子は芸能事務所に戻る事となります。
タクシーで事務所に戻った岡田有希子は、なんとその足で事務所のビルから飛び降り自殺をしてしまったのです。岡田有希子は顔面から直撃し、即死状態だったそうです。鉛筆で書かれた岡田有希子直筆のノートにしたためた遺書も見つかっており、自殺未遂を図り事なきを得た直後の自殺と言う岡田有希子のファンのみならず世間にとってもショックな事件となりました。
岡田有希子が自殺!脳みそが飛び散った画像がカラーで掲載される事態
当時人気絶頂だった事もあり、岡田有希子の死は各社総出で報道して話題となりました。しかし、問題となったのは報道の仕方です。自殺未遂を嗅ぎつけた記者は、当日岡田有希子が事務所に戻って来るという事もあり事務所に張り込んでいた人も少なくはなかったようです。なので、岡田有希子が飛び降り自殺をした現場を目撃した記者が大勢いる事態となったのです。
現在ほど報道のあり方について厳しくなかった事もあり、フォーカスやフライデーと言った大手報道雑誌の記者はあろうことか岡田有希子の遺体をカラーで報道したのです。さらに、この写真には顔面から直撃した事によってか飛び散ってしまった脳みそが映り込んでいたのです。写真に抑える事も問題と感じますが、カラーで、しかも脳みそが映り込んでいる状態を撮影した事に遺憾を感じます。
脳みそだけじゃない!仰向け写真まで撮っていた?
脳みそが映り込んだカラー写真を掲載しただけでも問題ですが、なんとうつ伏せで倒れ込んだ岡田有希子を仰向けにしたと言う噂もありました。これについては、岡田有希子の脳みその画像のように画像が流出する事もなく真実かは定かな情報ではありません。しかし、当時は現在ほど報道のあり方に厳しくなかった事や、脳みその映り込んだ写真を報道していたとなると信じてしまいます。
実は、岡田有希子の遺体を仰向けにしたのは報知新聞の記者だったのではと詳細まで噂に入っています。岡田有希子の遺体のカラー写真を掲載していたのはフライデーやフォーカスが挙げられていましたが、報知新聞までそのような考えられない行動をしていたのでしょうか。岡田有希子の仰向けにした画像がない為、報知新聞が実際に仰向けにしたと言う根拠はありませんでした。
この噂は根強く、現在も報知新聞には仰向けにした岡田有希子の遺体の写真が眠っていると信じている人は多いようです。真相は分かりませんが、仰向けにした記者がその後交通事故にあったと言う噂もあるようです。実際には交通事故にあった記者は仰向けにした記者ではないようですが、いずれにしても遺体を仰向けにすると言う非常識な行動を避難する為に作られた噂のようです。
ニュースにも脳みそが映り込んでいた?
この岡田有希子の脳みその映り込んだ写真は、現在も画像としてネットに存在しています。モノクロやモザイクがかけられた画像から、当時報道されたカラーで脳みそと思われる物体が映り込んだリアルな画像など様々な画像が存在しています。しかし、あまりにも非常識な写真と思われるので今回はその岡田有希子の画像は自粛して掲載する事を控えさせていただきます。
また、まだ岡田有希子の遺体にシートがかけられた状態の映像も残っています。当時の岡田有希子の自殺直後のニュースで流れた映像ですが、こちらの映像も画像ほど脳みそなど詳細まで映り込んではいないものの、遺体がまだ現場に残っている状態です。映像の最後には、道路に付いた血痕などを洗い流している警察の様子が映し出されています。
岡田有希子を後追いするファンまで!当時の状況
岡田有希子の自殺現場にファンが集まる事に
仰向けにした記者がいる、遺体をカラー写真で掲載したなどの当時の記者の行動が問題となったこの岡田有希子の自殺事件は、さらに波紋が広がる事となります。それが、岡田有希子のファンの行動です。人気絶頂で、ポスト松田聖子とまで呼ばれた岡田有希子の当時の人気は想像以上のものでした。現場には多くの岡田有希子のファンが集まる事となり、悲しみを露にしています。
その数は、なんと300人に上ったそうです。寄せられた花束の高さは2mになり、岡田有希子が当時多くの人のアイドルとして親しまれていた事が分かります。しかし、岡田有希子のファンの行動はこれだけではありませんでした。フライデーなどに掲載された生々しい遺体の写真や、報道番組から流される画像や映像が影響してか、後追い自殺をするファンが現れたのです。
岡田有希子の死後1ヶ月の間に、なんと後追い自殺をしたファンは30人に上ったそうです。中には、岡田有希子の自殺したその現場で命を断ったファンもいます。岡田有希子のようになりたい、そう感じたファンが後追い自殺すると言う事態となり、社会現象となったのです。後に、この現象は「ユッコ・シンドローム」と呼ばれて問題となりました。
脳みそ写真で正常な判断が出来なかった?
この「ユッコ・シンドローム」の原因として挙げられているのが、当時の報道のあり方です。生々しい遺体の写真がカラーでフライデーなどの大手から報道され、中にはリストカットした時の岡田有希子の映像まで流れる、そう言った事が繰り返して流された事によって、ただでさえ訃報に悲しむファンにさらにショックを与えて正常な判断が出来なくなったのではと言われています。
遺書に綴られた自殺の真相
さて、なぜ岡田有希子は自殺してしまったのでしょうか。この真相については「爆報!THEフライデー」で遺書に書かれていた俳優、峰岸徹への片想いが関係していたとしています。「爆報!THEフライデー」では、岡田有希子が日記のように綴っていたノートが遺書になっていたと報じており、その遺書の中で峰岸徹への熱い想いが綴られていると共に失恋していた事も記されていたとしています。
さらに、この遺書に記されていた失恋が1度目の自殺未遂の原因で間違いないとしています。しかし、なぜか飛び降り自殺の原因については、岡田有希子の事務所社長は自殺未遂がきっかけで大変な事をしてしまったとパニックを起こして自殺したのではないかと否定していたようです。岡田有希子の遺書の画像なども出回ってはいるようですが、正式な自殺の真相はうやむやになっています。
峰岸徹と岡田有希子は、「禁じられたマリコ」で共演をしています。親子ほど年が離れており、峰岸徹は岡田有希子の事を可愛がっていたそうです。一途だったとされている岡田有希子は、この峰岸徹の優しさに惚れ込んでしまったのでしょうか。しかし、当時峰岸徹には婚約者や前妻との子供がいた為に岡田有希子とは恋愛には発展せずに失恋してしまっていたようです。
元々岡田有希子は感情の起伏が激しい所もあったと事務所の社長はコメントをしており、1度目の自殺未遂では失恋のショックからの自虐行為に至ってしまったのかも知れません。しかし、遺書と思われる岡田有希子のノートに峰岸徹の名前が記されていたとなると、飛び降り自殺に至った事も失恋のショックが少なからず影響していたのかも知れません。
岡田有希子の遺書が公開されている訳でもないので、峰岸徹との関係を裏付けるものもありません。何よりもこの悩みを相談出来ずに1人で悩みこんでしまった事も影響しているのは間違いありません。18歳と言うデリケートな年齢の頃に、多忙で遊ぶ事も相談する相手もいない状況だったからこそ、岡田有希子は遺書となったノートに想いをしたため悲しい結末を迎えてしまったのでしょう。
岡田有希子の自殺について まとめ
岡田有希子の自殺の真相について遺体のカラー写真の報道など様々迫ってみましたが、振り返ってみてもなんとも痛ましい事件になっていました。カラーで遺体を掲載するなど、現在では考えられない事です。岡田有希子の自殺の真相についてもですが、周りがしっかりとサポートしていれば避けられた事件だったのかも知れません。岡田有希子の活躍を讃え、ご冥福をお祈りいたします。
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