沢田研二の昔は色気がすごい?イケメンな若い頃の画像が今と別人?

ジュリーこと沢田研二は昔から非常にイケメンでカッコいいと大人気な人物でした。いまのアイドルに負けないほどの人気があった沢田研二ですが、そんな昔からのイケメン画像を振り返りながら現在の沢田研二の活動を確認してみましょう。現在もカッコいいジュリーなのでしょうか。

目次

  1. 昔の沢田研二の画像がイケメンでカッコいい
  2. 沢田研二の昔から現在までの経歴
  3. 沢田研二の中性的でカッコいい雰囲気が人気に
  4. 昔から変わらないジュリーの笑顔
  5. 昔と違って大きく変わった沢田研二
  6. 沢田研二は昔も現在もイケメンでカッコいい!

昔の沢田研二の画像がイケメンでカッコいい

ジュリーこと沢田研二は昭和を代表するイケメンでカッコいいアイドルです。沢田研二の若い頃は、現在のアイドル人気とは比べ物にならないほどの爆発的な人気を誇っていました。

現在と昔ではイケメンの定義は違えども、沢田研二のその中性的な魅力は変わらないカッコいいものだといえます。改めて、沢田研二の昔の画像とともに現在の沢田研二までの経歴を確認してみましょう。

そしてそんな昔はカッコいいの代表だった沢田研二は、現在はどんな沢田研二へと成長しているのでしょうか。あの沢田研二も年齢を重ねて大きく変化してしまったことも話題になっています。

沢田研二の若い頃がイケメンで色気がやばい!現在と画像で比較!

沢田研二の昔から現在までの経歴

沢田研二は1948年6月25日生まれの現在70歳です。沢田研二の本名は澤田研二で、ニックネームはジュリーです。これは沢田研二本人が女優のジュリー・アンドリュースのファンだったことが由来となっています。

沢田研二の現在の妻は女優の田中裕子で、かつては元ザ・ピーナッツの伊藤エミが沢田研二の妻でした。沢田研二は身長は171センチと決して高身長ではありませんが、その中性的な雰囲気が沢田研二の魅力でした。

両親の実家がある鳥取県鳥取市で生まれた沢田研二は、京都府京都市育ちで現在は横浜市中央区に在住しています。1960年代後半からグループサウンズ全盛期に、沢田研二はスーパースターといえる活躍をしており、ソロになってからも爆発的な人気を誇っています。ソロとして1982年から1991年の9年間はシングル売上の歴代1位でもあります。

沢田研二が生まれた時、実家で父親は舞鶴市内の火薬研究所の取引先に勤務しており、二番目の子供だったことから沢田研二に「研二」という名前を名付けています。そして、沢田研二は京都市立第錦小学校、京都市立岡崎中学校を卒業し、1964年4月に京都府立鴨沂高等学校に入学しています。しかし、沢田研二は後に高校を中退しています。

子供時代の沢田研二はプロ野球選手に憧れており、巨人の川上哲治や藤尾茂のファンでした。実際に中学に入学した沢田研二は野球部のキャプテンを務めており、一塁を守っていました。京都大会で4位になっており、京都府大会に出場しましたが、ここで負けたことがきっかけで沢田研二はプロ野球選手の夢を諦めています。

高校に入った沢田研二は空手部に所属しており、もともと中学時代はいわゆる番長だったようで、沢田研二は腕っぷしに自信があったようです。

昔はスポーツが得意だった沢田研二

沢田研二は京都のダンス喫茶「田園」でドアボーイのアルバイトをしているときに、グループサウンズの「サンダース」に声をかけられて、17歳で沢田研二はローディー兼ボーカリストになっています。

そして、その沢田研二のステージを見た「サリーとプレイボーイズ」のサリー(現在の岸部一徳)にからリードボーカルとして誘われています。そして、沢田研二は翌日からサリーとプレイボーイズに正式加入し、グループ名は「ファニーズ」に改名されています。

このファニーズとして活動を始めたことが沢田研二の運命を大きく変えており、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」に出演した際に、芸能プロデューサーの上条英男と、現在の田辺エージェンシーであるスパイダクション、そして共演したロック歌手の内田裕也から声をかけられています。

沢田研二の中性的でカッコいい雰囲気が人気に

結果的に、リーダーの瞳みのるが内田裕也の自宅を訪ねて、メンバー全員が渡辺プロと契約して「ザ・タイガース」としてシングルをリリースしていきます。

当初、沢田研二は「沢ノ井謙」という芸名を勧められたものの、沢田研二は本名でやりたいと拒否しており、1967年2月5日にシングル「僕のマリー」でデビューを果たしました。

そして、セカンドシングル「シーサイド・バウンド」で人気が爆発し、続く「モナリザの微笑」や「君だけに愛を」で一気にグループサウンズのトップに躍り出ました。

昔の画像や動画を確認すると分かりますが、沢田研二が登場して歌い出すと黄色い声援が巻き起こっており、その人気ぶりを伺うことが出来ます。イケメンでカッコいい沢田研二はブロマイドがトップクラスに売れており、現在のように画像や動画が手軽に確認できない時代ならではだったといえます。

昔の沢田研二の人気はグループサウンズの代表だった

沢田研二が在籍するザ・タイガースは、1068年8月12日に後楽園球場でコンサートを行っており、これが日本初のスタジアムコンサートでした。

また、1969年3月1日には、アメリカの音楽雑誌として人気である「ローリングストーン」の表紙にも登場しており、日本版が刊行される前で、日本人が表紙を飾ったのはザ・タイガースが最初で最後でした。このように人気絶頂だったザ・タイガースですが、1971年1月24日に行われた日本武道館のコンサートをもって解散しています。

ザ・タイガース解散後の沢田研二は、1971年2月1日に新たなバンドである「PYG」に参加しています。このバンドはいわゆるニューロックという形で登場してきたバンドであり、沢田研二と荻原健一のツインボーカルと、岸部一徳らの作詞・作曲が見事に合わさった本格的なバンドでした。

ところが、昔はロックという音楽は反体制のジャンルとして認識されており、それを最大手だった芸能事務所が行うことに反感も有り、コンサートではトマトや空き缶を投げつける人物もいたのだとか。

昔から変わらないジュリーの笑顔

ジュリーこと沢田研二は1971年11月1日にシングル「君をのせて」でソロデビューを果たしました。しかし、オリコン週間チャートでは最高位23位、累計売上も10万枚とあのカッコいいと話題だった沢田研二とすれば、いまいちな売上でした。

しかし、ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦プロデュースのもと、沢田研二はこれから十数年に渡ってトップ10入りし続けることになります。そのスタートとなったのは1972年3月11日に発売された「許されない愛」で、オリコン最高位4位でした。

同時期にPYGのツインボーカルの相方であった荻原健一が俳優業が本格化したことからPYGは自然消滅に近い形になっています。そして、1973年4月21日に「危険なふたり」が65万枚を売り上げて沢田研二のソロ初の1位となりました。

この曲で第4回日本歌謡大賞を受賞しており、この歌謡大賞の視聴率は47.4%という最高視聴率を記録しています。このことで、沢田研二はソロとしてもトップの人気を確立し、以降はスタイリストの早川タケジによって斬新なファッションが話題になっていくことになります。

若い頃の画像では独特なファッションに驚く

もともとグループサウンズ出身ということもあり、若い頃からやや奇抜なファッションだった沢田研二。そこに早川タケジとタッグを組んだことで、若い頃以上に奇抜なファッションを画像で確認することが出来ます。

1974年に「追憶」がリリースされて58万枚の売上で2曲続けてオリコン1位を獲得しました。1975年1月に沢田研二は「愛の逃亡者 THE FUGITIVE」でイギリス、「MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE」でフランスに進出しており、フランスでは週間ラジオチャートのチップ4に入るヒットを記録しました。

フランスのゴールデンディスク賞を日本人として初めて沢田研二が受賞しており、日本だけでなく欧米を中心にシングルがリリースされています。その後も、ハワイやグアム、シンガポール、香港などでコンサートも行われました。

昔はザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚していた

若い頃から人気だった沢田研二の結婚はやや遅く、1975年6月4日に、7年間の交際を経てザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚しています。二人の結婚式は同年7月20日に比叡山延暦寺で行われており、翌日の沢田研二の比叡山フリーコンサートには夫婦揃ってステージに上がっています。

結婚しても若い頃からの人気は衰えず、同年8月21日に発売された「時の過ぎゆくままに」は5週連続オリコン1位、累計売上92万枚を記録し、沢田研二にとって最大のヒット曲になりました。

時の過ぎゆくままには、沢田研二との仕事を熱望していた久世光彦が渡辺プロダクションに企画を持ち込み、3億円事件をテーマにしたTBSドラマ「悪魔のようなあいつ」の挿入歌になったものです。

このドラマで沢田研二は主演を務めており劇中歌に選ばれています。そして、このドラマで共演した岸部一徳はドラマの放送開始から間もなくして井上堯之バンドを脱退して、現在のような俳優としての道に進んでいます。

トラブル後も見事復活

沢田研二はファンとの揉め事が度々起きており、暴行事件などを複数回起こしており1ヶ月の謹慎になっていたこともありました。

「コバルトの季節の中で」で活動再開したものの、賞レースを全て辞退するなど若い頃から続いた沢田研二の活動も微妙な時期に入るかと不安視されていました。

しかし、1977年2月に発売した「さよならをいう気もない」で、金色のキャミソールの衣装でテレビに登場し、同年5月に発売した「勝手にしやがれ」が爆発的なヒットとなりました。この曲でかぶっているパナマ帽を客席に投げ飛ばすというパフォーマンスは、多くの子供たちが学校でマネする社会現象にもなりました。

昔以上に沢田研二の過激なヴィジュアルが物議を醸した

以降の沢田研二は、若い頃以上に奇抜なファッションが目立つようになり、コンサートではインディアンのようなチークをしたり、ブルーのラメ入りのアイシャドウをするなど華美な化粧をしてステージに上がることが増えました。

1978年にリリースされた「サムライ」では、ナチスを想起させるような軍服を着ており、「LOVE(抱きしめたい)」では、スタジオに雨を降らせて、血で染まった包帯を手に巻くなど、過激なヴィジュアルが行われています。

賛否両論があったとはいえ、1978年の年間のテレビ出演は700本以上、ラジオ300本、取材300本、地方公演100日など、1日に3回もテレビに出演したこともあったほどです。また、この頃の沢田研二は積極的にバラエティ番組にも出演しており、まさにお茶の間のアイドルへと転身したともいえます。

昔と違って大きく変わった沢田研二

このように昔から大人気でイケメンでカッコいい沢田研二。現在も昔の画像を見るとその魅力的な姿に驚かされます。しかし、昔の沢田研二と違って、現在の沢田研二はちょっとイメージが変わっているといえるかもしれません。

上の画像でも昔の沢田研二と比べるとちょっとカッコいいという印象から変化してきているかもしれません。とはいえ、イケメンとしての面影は残っておりジュリーとしてのカッコいい感じが漂っています。

こちらの画像が現在のジュリーこと沢田研二であり、イケメンでカッコいいと言われていた昔とは大きく変わってしまいました。特に沢田研二の体型が大きく変わってしまったのが、昔との大きな違いといえます。とはいえ、現在も沢田研二として精力的にライブをこなしていることを尊敬します。

プライベートの沢田研二の画像では完全に歳をとったという感じですが、やはり昔から芸能人として活躍してきたオーラのようなものを感じさせています。現在のジュリーは昔のジュリーとはまた違った魅力があるのかもしれません。

2000年以降の沢田研二

一時休養や表舞台から距離を置いていた沢田研二。2000年以降の沢田研二として、2001年ごろから過去の映像が放映解禁になり、またいろいろな番組に出演するようになりました。

2002年に沢田研二は自主レーベル「JULIE LABEL」を設立しています。現在の沢田研二の楽曲には「平和」という歌詞が多く使用されるようになったのが特徴と言えます。

2008年には沢田研二の還暦を記念して初の二大ドームコンサート「沢田研二 還暦記念コンサート 人間60年 ジュリー祭り」を開催しており、東京ドーム・大阪ドームで両日5万4000人の観客を集めています。このコンサートでは1000人のコンサート隊を従えて、約6時間半をフルコーラスで80曲歌生きるというカッコいいコンサートになっています。

昔よりも体型は太ったと言える沢田研二ですが、その歌手としての生き様は年令を重ねてなお衰えることはないものでした。また、近年ではザ・ワイルドワンズやザ・タイガースなど過去の仲間たちとスタージを行うことも多くなっています。

若い頃に一緒にステージに立っていた沢田研二と岸部一徳が、いまでも仲の良い姿を見せてくれるのは嬉しいものです。昔を思い出して沢田研二のコンサートを楽しむ人も多く、沢田研二の曲を聴きながら若い頃を思い出すのもひとつの楽しみ方です。

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沢田研二は昔も現在もイケメンでカッコいい!

昔はイケメンでカッコいいと言われることの多かった沢田研二。その沢田研二は年齢を重ねてもやはりジュリーでありカッコいい沢田研二だったといえます。現在も一年で約40公演をこなす全国ツアーを行うこともあり、往年の沢田研二ファンを楽しませてくれています。

さすがにフルコーラスはしんどいと沢田研二はジョークを飛ばすこともあるようですが、それでも沢田研二はステージに立ちながら往年の名曲を披露してくれています。沢田研二の常にチャレンジ精神あふれる生き様は芸能史の中で間違いなく伝説の人物として語り継がれるイケメンでカッコいい人物です。

昔の沢田研二の画像はとってもセクシーで、若い頃の沢田研二は他の芸能人にはない魅力があったといえます。昔の沢田研二がステージに立つと、観客が失神してしまうほど熱狂的なファンが居たほどです。そういったエピソードを含めて沢田研二の若い頃の人気を知ることが出来ます。

現在の沢田研二は渋いおじいちゃんといえるかもしれませんが、ステージの沢田研二の姿を見るとやはりジュリー!と叫びたくなるパフォーマンスのようです。沢田研二には70歳になった現在もステージに立ち続けて欲しい存在といえますね。

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