梓真悠子が夫と離婚!原因は遊び人だから?息子は慶應で父は加山雄三?
梓真悠子と言えば加山雄三の長女で女優のかたわら、セレブ料理研究家として結婚生活を過ごしていましたが離婚をしていたそうです。梓真悠子が遊び人だったためではないかと噂です。息子は慶應に通っているようですが離婚して現在生活がなりたっているのでしょうか?
目次
梓真悠子のプロフィール
・愛称:まゆこちゃん
・本名:池端真悠子
・生年月日:1976年7月26日
・現在年齢:42歳
・出身地:神奈川県横浜市
・血液型:O型
・身長:164cm
・体重:44kg
・活動内容:タレント・女優・料理研究家
・所属事務所:???
・所属グループ:???
・家族構成:父・加山雄三、母・松本めぐみ、長兄・池端信宏、兄・山下徹大、妹・池端えみ
最近めっきりテレビなどに姿をみせなくなった梓真悠子(あずさまゆこ)ですが、一般の夫と離婚していたのだそうです。セレブ生活などで神田うのとパーティを開き、豪華な暮らしをしていた梓真悠子ですが二人の息子を持ち私立の慶應に通わせているらしいのですが、どのような生計を立て暮らしているのか話題になっています。そんな梓真悠子の経歴から見ていきましょう。
梓真悠子の経歴

梓真悠子は加山雄三の長女(第三子)として生まれました。加山雄三と言えば昭和の大スターとも言われた俳優でもあり歌手、アーティストとしても有名です。最近では所有する「光進丸」というクルーザーが焼失したことでも話題になっていました。幼稚舎から大学まで慶應義塾に通うお嬢様でした。子供の頃から料理が好きで、父親である加山雄三が手料理で作ってくれた料理を手伝うこともよくあったそうです。
多忙な昭和の大スターの加山雄三は、必ず朝食は加山雄三自ら作り、子供たちと一緒に朝食をとることをモットーにしていたそうです。食べることが好きな加山雄三は作るほうもプロ並みの本格派だったそうで、梓真悠子は父親の作る朝食はとても美味しかったと言っています。ふわふわのカニ玉あんかけが一番思い出に残っている父親の得意料理だったようです。

加山雄三のクルーザーの光進丸には家族で出かけ、息子も娘もみんなで料理を作って海上合宿のように過ごすことも多かったそうです。子供たちが大きくなるまで朝食の担当は加山雄三が作り、また梓真悠子も一緒に手伝いをすると加山雄三はよく褒めてくれたそうで、料理の腕前はかなり高かくなり、料理で人を喜ばせることに目覚めたきっかけになったそうです。

慶應義塾大学文学部在学中にスカウトされ芸能界入りを果たします。21歳のころでした。「毛利元就」というNHK大河ドラマに出演し、「ハイビジョンフラッシュ」にも出演されていました。慶応義塾大学を卒業すると百貨店勤務の一般の男性と1999年に結婚してからは、料理が得意だったこともあり、料理研究家としてクッキングサロンを開くことになりました。

度々、料理研究家として「食の情報最前線」というラジオ番組に出演したり、「メレンゲの気持ち」「暮らしのレシピ 」「おしゃれ工房」など多数のテレビ番組に料理研究家として出演もするようになりました。息子を2人授かりました。幸せな結婚生活を過ごしていると誰もが思っていました。

父親が加山雄三ということもあり、交友関係も幅広く、神田うのやセレブと言われた方々が特にお友達のようです。ブログには、セレブパーティーに参加する梓真悠子のドレスアップし、息子が二人もいるとは思えないほど美しい姿が度々掲載されるなど、人がうらやむほどのセレブ奥様ぶりでした。
梓真悠子の慶應に通う息子たち

「全身全霊をかけて向き合えば、親子の絆は揺るがない」
息子と作ったランチを囲んで左が長男の悠貴、右が次男の輝明です。皿と大鉢は加山雄三の手作りだそうです。2008年の取材で8歳の息子と5歳の息子と言っていましたので、現在18歳と15歳になるようです。上部の画像は、2011年の取材時の画像ですので、当時11歳と8歳の時の画像です。梓真悠子は褒めて息子を育てたいと語っていて、遊び人とはほど遠い印象の画像です。

しかし、2012年の10月に梓真悠子が夫と離婚していたと報道が出ます。現在噂になっているのが、離婚を隠していたそうで、その理由がセレブ生活が破綻したことがばれるのが嫌だったことが離婚を公表しなかったというのです。本当でしょうか?噂の真相に迫ってみましょう。
近所に住む東京の高級住宅街の隣人の話によると、一般の家庭が住めるほどの場所でもないし、二人の息子を市立の有名難関学校に通わせるなんてどこからお金が流れているのか不思議だったという証言もあったりしたそうです。

また梓真悠子の知人によると、夫とはよくケンカをして家を飛び出して来ては外泊する日が多かったそうです。芸能一家で育った梓真悠子と一般の家庭で育った夫との価値観に違いや隔たりがあったのも当然だったのでしょう。それでも父を見習い、朝食時には手料理を作って息子たちとコミュニケーションしていたのだそうです。

結婚当時、梓真悠子は徹子の部屋に出演した時に息子がニューヨークで生まれた事や、夫と知り合ったきっかけなどを幸せそうに話したそうです。交際のきっかけも夫の誠実さに惹かれたそうで、両親の様に温かい家庭を築きたいとおっしゃっていました。そんな梓真悠子が12年ほどの結婚生活を終わらせました。いったい何があったでしょう。
梓真悠子が夫と離婚!

2012年の10月に離婚報道がなされた時に、加山雄三が「画業15周年記念愛のおくり物加山雄三絵画展」の東京の日本橋高島屋で取材に応じていました。梓真悠子は3年前から別居していたそうで、相談はかなり前から加山雄三にしていたらしく、夫との離婚は2011年に成立した事を語っていました。離婚した夫は8歳年上の一般人でしたので、梓真悠子は離婚当時は35歳で夫は43歳の時と伺えます。

上流階級のセレブ生活は、旦那がいて可愛い子供がいて、自分も自立し美や健康な容姿でいることを維持させ安定な生活を送るのがモットーとされているようで、その一つである夫と離婚したとなるとセレブでいられなくなるというのが公表を差し控えた理由と噂されておりますので、その真相を記者が加山雄三に聞いています。

何がセレブですか、全然セレブじゃない
遊び人でセレブであることを否定し、普通に生活をしている事を強調した加山雄三は、お金が無ければセレブ生活は出来ないと断言していました。離婚の理由は詳しくは分からないとも言っており価値観の違いではないかと語っていました。夫婦間のすれ違いに関する事は本人しか分からないのかもしれません。
離婚の真相は?梓真悠子の遊び人が原因?

現在ネットに噂になっているのが梓真悠子の離婚の原因は、梓真悠子が遊び人であることも一因との噂があります。なぜ梓真悠子は遊び人と言われるようになっているのでしょうか?調査してみましたの遊び人と言われる画像と共に見ていきましょう。

友人である神田うのなどの著名人とパーティーへドレスアップして参加する日々がブログに掲載されていたり、料理の取材と称して、子供を寝かしつけた後、夜中に食事に出かけることもあったそうです。そのことから遊び人といわれるようになったと推測されます。本人のブログでも遊び人ではなく料理研究家として外食するのは仕事の一環であると公言していますので、勘違いされてもおかしくはないでしょう。
現在梓真悠子の生計はどうなっている?

ネットでは遊び人が過ぎた為に夫と離婚せざるを得なくなった現在は生計が立てられなく加山雄三に養われているのではないかと心配する声が多く掲載されています。では、現在シングルマザーとなった梓真悠子の収入はいったいどうなっているのでしょうか?料理研究家として以前はテレビ番組でも活躍されていましたが最近見かけられなくなっています。現在はどうしているのでしょうか?

2011年から現在に至るまでブログが途絶えているとネットで噂になっていますが、移動しFacebookに「梓真悠子クッキングサロン」を掲載されています。梓真悠子のクッキングサロンは盛況なようで、参加者も多数見受けられます。主宰する近藤由香里が石鹸を手作りする教室にて、『石鹸つくりと共にランチを楽しむ料理salon』を開催しクッキングとのコラボレーション企画で実業家としても手腕を発揮しているようです。

コラボ企画はその他にも「MICHIYO&MAYUKO倶楽部」というコラボレーションはファンの間で人気が高く、梓真悠子のテーブルセッティングが高評価を受けているようです。料理研究家でもありミセスモデルでも活躍中の内田みち代とのコラボ企画です。
ギャラリーのオーナーでも活躍

また、加山雄三の絵画を扱っている「KAYAMA YUZOギャラリー」のオーナーも兼任しているようですので子育てに料理教室にギャラリーの経営と忙しく実業家として活動しているようです。ギャラリーでは加山雄三の作品をカレンダーにして販売し即日完売しているようですし、百貨店などで展示会を開催しているようでもあるので収入はかなり多いと見込まれます。
また料理教室もセレブのお友達が多いこともあり、上流階級の方を顧客にもっているのであれば一般の料理教室とはわけが違うでしょうし、自宅でやっているわけですので家賃もかからないわけですので、一般の家庭からしたら、息子二人を慶應に通わせ育てて行くには十分暮らしていけるのではないでしょうか?

離婚して翌年の梓真悠子の誕生日会を高級料理店で開催したこともブログで公表されていたそうです。生活にはあまり困っていないご様子です。先にもご紹介しましたが梓真悠子の父親は加山雄三です。加山雄三の家系図がまたけた違いに凄いことになっているのをご存知でしょうか?そんな加山雄三の家系図を紹介して参りましょう。
梓真悠子の家系図が凄い!

梓真悠子は加山雄三の絵画を扱うギャラリーのオーナーでもあり、クッキングサロンも経営していますが、加山雄三の長女です。また親子三代にも渡って俳優一族でもありますし三代に渡り慶應に通う慶應一家でもあります。そんな梓真悠子の家系図を見ていきましょう。
父親は加山雄三

梓真悠子の父は加山雄三であります。昭和の大スターです。歌手・俳優・アーティストとしても有名な加山雄三は、茅ヶ崎で家事手伝いの方が2人もいた家庭で育ち、慶應大学卒業後は、俳優として大ヒットした二枚目の若大将といわれた日本を代表するスターです。「サライ」は谷村新司と24時間番組で制作されたことでも有名です。最近では若すぎる80代としてもネットを賑わせているようです。
母親は元女優の松本めぐみ

梓真悠子の母は女優の松本めぐみです。加山雄三との出会いは「エレキの若大将」の共演です。自分の船に女性を乗る初めての女性だったそうですが、船酔いしない松本めぐみを気に入り交際がスタートしたらしいです。10歳年下ですが父親のホテル事業が破綻し23億円の借金を夫婦二人で返済ほど芯の強い女性でもあります。
長兄は花火師の池端信宏

梓真悠子の長兄の池端信宏(いけはたのぶひろ)は慶應出身で画家でもその才能を開花させ、オリンピックのリオ開催の閉会式の花火を花火師として演出するほどの才能の持ち主です。またミュージシャンやCGデザイナー、映像作家としも活躍されています。
次兄は俳優の山下徹大

梓真悠子の次兄の山下徹大(やましたてつお)は慶應出身でバイプレーヤーとして俳優として現在でも活躍中です。ドラマ「ハンチョウ」、「相棒7」、映画の「ICHI]、CMも「第一生命」などにも起用される二枚目俳優です。「花火師」で映画監督も手掛けています。第8回インディーズムービーフェスティバル一般部門10位入賞を果たすほどの実力の持ち主です。40代ですがいまだ独身です。
妹も女優をしていた池端えみ
妹はかつて日本で女優をしていた池端えみです。池端絵美子の本名で芸能活動を2006年までドラマでは「さとうきび畑の唄」、映画では「呪怨 ザ・グラッジ3」など、CMも出演していましたが、現在はニューヨーク在住で女優活動をしているようです。2010年頃に外国の方とご結婚されているようです。幼稚舎より慶應に通われていました。
祖父母も芸能人!

祖父母も上原謙、小桜葉子の俳優夫婦です。小桜葉子の高祖父は岩倉具視(いわくらともみ)です。上部画像の白黒の画像でも日本人離れした彫の深い美男美女のカップルに当時は話題沸騰だったようです。上原謙は全盛期の頃は高額所得者ランキングに入るほど売れっ子でしたが、ホテル事業に手を出して失敗し、23億円の借金を残すことになりましたが後に加山雄三が完済しております。

加山雄三もスキー場を手掛けますが100億万円もかけた総工費もむなしく、2011年に閉鎖となりました。梓真悠子も波乱万丈な家庭で育っておりますが、慶應に幼稚舎から大学まで通わせてもらい、父親の偉業に感謝しているようです。離婚をしても料理教室やギャラリーのオーナーと忙しく子育てをこなせるのも苦労した両親を見ているから克服出来ていると推測されます。
シングルマザーでありながら実業家になっていた!

料理研究家として華やかな場所へも参加することで遊び人と言われているようですが、2人の息子を慶應に通わせ実業家として立派に活躍している梓真悠子の姿が調査の結果判明いたしました。離婚を乗り越え、父に教わった愛情や情熱が困難も乗り越えられる事に感謝して前進しているような現在の梓真悠子に今後の活躍を期待しましょう。
加山雄三に関する記事はこちら
記事へのコメント
気軽にコメントしよう!
※コメントは承認後に公開されます。