吉田羊の出身大学・高校はどこ?桜美林大?学生時代のエピソードまとめ
女優の吉田羊の生い立ちはどのような感じだったのか紹介していきます。高校や大学はどこのへいったのでしょう。高校や大学時代のエピソードなども紹介します。大学を卒業してから女優として活躍するのに時間がかかった吉田羊は、いったい何をしていたのでしょう。
目次
吉田羊のプロフィール

・愛称:ひつじ
・本名:吉田羊右子(よしだ ようこ)
・生年月日:1974年2月3日
・現在年齢:44歳
・出身地:福岡県久留米市
・血液型:O型
・身長:163㎝
・体重:???
・活動内容:女優
・所属グループ:劇団東京スウィカ
・所属事務所:ORANKU(おらんく)
・家族構成:両親、兄(2人)、姉(2人)
吉田羊の出身はどこ?

吉田羊は福岡県久留米市の出身です。久留米市は福岡県の南西部に位置して、その西に佐賀県が接しています。市の中心には福岡県一の筑後川が流れ、古くは室町時代から栄えた場所です。ゴム工業が古くから栄え世界に名だたるブリヂストンもこの地が発祥の地です。その久留米市出身の吉田羊の子供の頃のエピソードを紹介します。
吉田羊の家庭はキリスト教・名前の羊の意味は?

牧師の父親と、幼稚園の保育士との間に吉田羊は1974年の昭和49年に生まれました。本名は羊右子(ようこ)です。キリスト教の牧師である父親は子供に「羊」という文字を入れています。キリスト教では「羊」は特別な意味を持ちます。「神の子羊」の子羊とはイエスを指します。また、聖書の中で人間のことを羊に例えて表現する箇所がいくつも出てきます。羊はキリスト教では特別な表現で、娘に羊という字を入れました。
吉田羊の父親が務めている教会は久留米荒木キリスト教会

吉田羊の父親が務めている久留米市の教会は、久留米荒木キリスト教会といいます。キリスト教の中でもバプテスト派に属します。建物は元産婦人科医院だったところを譲り受け、教会を仕立てました。キリスト教の宗教改革の時に誕生した宗派でプロテスタントやバプテストが生まれました。吉田羊の父親はパブテスト派の牧師でした。
吉田羊の幼年期はおませな女の子であった

吉田羊が生まれた時には、既に兄が2人、姉が2人いました。吉田家の5番目の子供として育った吉田羊は周りが自分より年上の人たちの環境で育ったため、同じ年の子供たちよりおませな女の子でした。小さい頃から歌謡番組を見ていたため、早く歌詞や曲を覚え松田聖子や中森明菜の歌を家族の前で歌うのが好きな女の子でした。女優としての吉田羊のベースはこの頃に出来上がっていたのです。
吉田羊のエピソード「中学1年生までままごと遊びをしていた」

吉田羊のエピソードとして、「ままごと遊び」が大好きな女の子でした。吉田羊は中学校1年生まで「ままごと遊び」をしていたのですが、さすがに中学生にもなると「ままごと遊びに」付き合ってくれる友達もいなくなり、吉田羊の「ままごと遊び」は中学校1年生で終了しました。架空の世界を創り出すドラマや役者と「ままごと遊び」はどこか共通するものがあります。
吉田羊が通っていた中学・高校はどこ?
出身の久留米で中学校・高校はキリスト教の私立学校に進学した吉田羊

吉田羊は公立の小学校を卒業すると、カトリックでキリスト教の久留米信愛女子中学校・女子高校に進学をしました。今では共学の学校となっており久留米信愛中学校・高校となっています。吉田羊の信愛女子高学校の先輩には、吉田羊も大好きだった松田聖子がいます。中学校までは目立ったところがない吉田羊ですが、高校に進級した吉田羊に変化が出始めました。吉田羊の写真は中学校の卒業アルバムです。
高校でイメチェンし高校の体育祭では応援団長を務めた吉田羊

高校に進学した吉田羊にはエピソードがあります。高校に進んだ吉田羊は、イメージチェンジし髪をショートカットにしました。中学までは髪を二つに束ねていましたが、髪をショートカットにしたことでボーイッシュになり女子ばかりの高校だったため、人気ものになりファンクラブができました。また、高校の体育祭では写真のように応援団長を務めたためファンクラブは益々大きくなりました。
高校を卒業する頃の吉田羊はどこの大学に行くか迷っていた
高校を卒業する頃になると、どこの大学に進学するが考え出した吉田羊です。将来の夢を、まだ決めかねていた吉田羊は、どこの大学に行くか迷っていました。信愛学院にそのまま進み保母さんになるか、福岡県の中心福岡市の大学に行くか、それとも大阪が東京の大学に行くか考えました。

そして最終的に女優の吉田羊は、東京にあるキリスト教の学校でもある桜美林大学に入学しました。キリスト教の大学というところが、親の仕送りをもらえる決め手となりました。
吉田羊が通っていた桜美林大学はどこ?
吉田羊の出身大学はどこ?

吉田羊は公式には出身大学の名前を非公開としています。出身大学を非公開にしている理由は女優の実力と出身大学は無関係と信じているからです。でもファンの中には、吉田羊の出身大学がどこか気になるところです。
非公開にしていた出身大学・桜美林大学はどこにある?

吉田羊はテレビのバラエティ番組で「多摩南部のカトリック系の大学」と言っていました。多摩南部のカトリック系の大学は「玉川学園大学」と「桜美林大学」がありますが、「栃木県の漫才コンビU字工事の出身大学と同じ出身の大学」というコメントがあり、桜美林大学が出身ということが判明しました。吉田羊の出身大学は桜美林大学です。
桜美林大学を卒業し考え出したエピソード
吉田羊の桜美林大学生のエピソードとして、大学3年生の時に同級生が就職活動を始めた頃、吉田羊も桜美林大学を卒業してどうするかを考え始めた吉田羊でした。少し、吉田羊は就職活動をしますが「自分には会社務めはできない」と判断します。桜美林大学3年生の時に劇団とか芸能事務所のオーディションを受けることはせず、就職活動雑誌の片隅に「劇団員募集」の求人を見つけ、小さな劇団に入団します。
吉田羊が通っていた桜美林とは?
吉田羊が非公開としてしている出身校・桜美林大学

吉田羊が通っていた桜美林大学はどこにあるかというと、東京都の西のはずれ神奈川県相模原市と隣接する人口45万人が住む街です。桜美林大学は市の中心部より少し北へ行った場所に位置し、東京の町田市常盤町という場所に本部を置きます。1966年に設立された開校約50年の学園です。
吉田羊が非公開としている出身大学・桜美林大学の名前の由来は?

桜美林という名前の由来は、土地の名前ではなくフランスの思想家ジャン=フレデリック・オベリンのオペリンを文字ってオペリン=桜美林と名づけました。また、学園創立者の清水安三がアメリカ合衆国オハイオ州のオベリン大学に留学したこともオべリンと名付けることを決定づけています。桜美林の周りには多くの桜の名所があり、学園の中にも多くの桜があったため桜の文字を含めた名前になっています。
今では芸術・文化にも力を入れている吉田羊が非公開としている桜美林大学

現在の桜美林学園は幼稚園から大学院までを持っている、一貫性のある学園として活動しています。吉田羊が通っていた時にはなかった「芸術文化」の学部も創設され、一般的な学業だけでなく文化・芸術にも力入れている学園です。現在の大学での学生数は約9000人の大学です。
吉田羊はどうやってメジャーデビューした?
女性3人で劇団「東京スウィカ」を立ち上げた

就職雑誌で入団した吉田羊は、その後劇団を退団し2000年に女性3人で劇団「東京スウィカ」を立ち上げました。吉田羊、比佐廉(ひされん)、石津陽子の3名で創った劇団です。比佐廉は役者もこなしますが、演出家としても才能があり劇作家でもあります。芸談を退団した吉田羊は比佐廉の家に転がり込み、二人で生活を始めます。
劇団「東京スウィカ」を立ち上げた時のエピソード

「羊ちゃんが主演女優をやってくれるなら私は脚本と演出をしたい!」と持ち掛け、さらに「引退を考えている」と語っていた石津に「制作を手伝ってくれたまえ!」と、
劇団「東京スウィカ」を立ち上げるエピソードとして、比佐廉は吉田羊の才能を見抜き役者として頑張っていき、吉田羊を主演として、多くの劇を制作しようと独立することを吉田羊に提案しました。さらに、劇団をやめようとしていた石津陽子にも演出を手伝うことを依頼し、劇団「東京スウィカ」は旗揚げしました。
人気があった劇団「東京スウィカ」

劇団「東京スウィカ」の初演は阿佐ヶ谷の小劇場で行われ、その後、シアターモリエールや下北沢の「劇」小劇場、赤坂レッドシアターなどで、多くの方々に支えられて劇団「東京スウィカ」は7年間活動をしました。吉田羊の年齢が33歳のときです。演劇活動を初めて13年の月日が経ちました。その間に、石津陽子は結婚と農業をやりたいため劇団「東京スウィカ」を退団しています。
多くの仲間たちが出演してくれた劇団「東京スウィカ」

吉田羊に転機が訪れるエピソードがあります。吉田羊の「東京スウィカ」演技を何度も見に来ていた大手芸能プロダクションに詰める女性のマネージャー(名前は非公開)が吉田羊の演技に惚れており毎日のように演技を見に来ていました。ある日そのマネージャーは吉田羊に「映像に出てみないか?」と声をかけ、吉田羊が興味を持ち始めたため、そのマネージャーは事務所を辞め芸能事務所「ORANKU」を設立しました。
吉田羊に魅せられて独立までしてしまった今のプロダクション社長とのエピソード

芸能事務所「ORANKU」は、今でも吉田羊が所属している事務所であります。2007年に設立し、今でも社員は代表取締役であるマネージャーと役者の吉田羊の二人だけです。年齢が33歳になっての吉田羊を売りこむのですから、はじめは随分苦労をしました。しかし、役者経験豊富で様々なキャラクターを演じることができる吉田羊の仕事を見つけることは、さほど時間がかかりませんでした。
吉田羊に見せられた現プロダクション社長はすべての資産をつぎ込んだ

「私の趣味は吉田羊。吉田羊のマネジャーであり、母であり、子であり、大ファンであると言えると思います」「出演番組を100回くらい、多いものは300回くらい見ちゃったりします」
芸能事務所「ORANKU」のY社長は、2015年の中居正広が司会する金スマスペシャルに吉田羊が出演し、マネージャーでもあるY社長からいただいたコメントを中居正広が上記の引用を披露しています。金スマはY社長の出演も依頼したのですが裏方に徹するとの理由で断っています。無名の頃からの吉田羊と二人三脚で歩んできたY社長だからこそ本音で、吉田羊と語ることができ二人で一人前とも言っています。
吉田羊が年齢を非公開にしている理由
キャスティングをする際に実年齢にとらわれず「見た目で使ってほしい」という思いから
吉田羊は現在自身のプロフィールを非公開にしています。それは吉田羊なりの信念があるからです。例えば年齢を非公開としています。既に年齢がバレている吉田羊ですが、それでも吉田羊は年齢を非公開にしています。その理由は「年齢で役を決めて欲しくない」。「この役だった今の吉田羊に当てはまる」と年齢に関係なく今の吉田羊の出演を決めて欲しいというエピソードが残っています。
吉田羊の映像初デビューは昼メロドラマ「愛の迷宮」

芸能事務所「ORANKU」のY社長が吉田羊に見つけた最初の仕事は昼ドラ「愛の迷宮」でした。劇団「東京スウィカ」時代に吉田羊が、川島なお美・下條アトムと3人で演じた劇「とんでもない女」を2007年4月に観た藤尾隆監督の目に留まり、映像デビューとなりました。「愛の迷宮」では、吉田羊は夫に不満を持つ主婦の役を演じ、夫に別の女との間に子供がいることを知ると復讐する役を演じています。
吉田羊をアピールするために始めたコスプレ年賀状は今も続いている
芸能事務所「ORANKU」のY社長と吉田羊は、吉田羊の売込作戦として年賀状に二人で着ぐるみを着て芸能関係者に年始の挨拶状を送っています。その時の年賀状が上の画像です。2008年はネズミ年ですから吉田羊はネズミに扮しています。マネージャーの顔が出ている貴重な一枚です。その後も、ぬいぐるみを着た吉田羊とマネージャーは年賀状を送り続けています。
コスプレ年賀状が縁で朝ドラに出演した吉田羊

年賀状コスプレを目にしたNHKのプロヂューサーは、2008年朝の連続テレビ小説「瞳」に使ってみようと考え、吉田羊は病院の看護士役で出演します。共演した中井貴一に吉田羊の演技が目に留まり、中井貴一は吉田羊を演出家・三谷幸喜に紹介します。
三谷幸喜に気に入られ劇団の復活劇に出演した吉田羊

三谷幸喜は紹介された吉田羊を気に入り、1994年から休んでいた、劇団「東京サンシャインボーイズ」の再旗揚げに三谷幸喜から劇に出演するように頼まれ2009年の「returns」に出演しました。長年の劇場での経験が身を結び、やっと一流の役者仲間入りを果たした吉田羊でした。遅咲きの役者とのことで、年齢は非公開としたほうがいいと助言されたのもこの頃です。
連続して朝ドラに出演した吉田羊はスペシャル番組で主演を演じた

吉田羊は、NHK朝の連続テレビ小説「瞳」の後、2010年の「ゲゲゲの女房」、2012年の「純と愛」と立て手続きに出演します。「純と愛」では吉田羊が演じていた桐野富士子を主人公としたスペシャル番組「富士子のかれいな一日」が制作され、放送されました。脇役での朝ドラ出演での吉田羊でしたが、徐々に実力をつけ朝ドラスペシャルの主演を演じました。
アルバイト禁止令だ出ていた吉田羊

2007年に映像の世界に入り込んだ吉田羊の生活は楽なものではありません。衣装や稽古にもお金がかかります。しかし、事務所のY社長は俳優以外のアルバイトなどの副業をすることを一切認めませんでした。足りないお金はすべて、Y社長が立て替えて、借金という形でお金を用立てていました。吉田羊がY社長への借金を完済したのは2014年の「HERO」出演の8年間かかったのです。
数々の賞を受賞しスター女優の仲間入りを果たした吉田羊

吉田羊は「HERO」で東京ドラマアウォード助演女優賞を獲得していますが、それ以上に吉田羊の実力を認めたのは映画「ビリギャル」で主人公さやか(有村架純)の母親・あかり役です。吉田羊は、日本アカデミー賞で優秀助演女優賞、ブルーリボン賞で助演女優賞、エランドール賞と数々の賞を受賞し、テレビ、映画界で吉田羊の名前は瞬く間に、世間の人が知るところとなりスター女優としての仲間入りを果たしました。
吉田羊は学歴や経歴を気にしない女優

20年の演劇経験が今の自分がると自負している吉田羊は、年齢や学歴を非公開にしていました。女優・吉田羊は、今の自分の実力を見て自分の役割が果たせる仕事のオファーを待っています。劇団を作る時や芸能事務所「ORANKU」を立ち上げる時など、吉田羊の人生を左右する時は、必ずと言っていいほど同性から声を掛けられる吉田羊は不思議な魅力を持った女優さんです。これからどんな同性が現れるのでしょうか?
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