檀れいの年齢や性格は?生い立ちから元宝塚時代と夫との馴れ初め
元宝塚の女優であり、金麦のCMでもおなじみな檀れい。そんな檀れいは実は壮絶な生い立ちを経験しており、宝塚に入ってからも過酷な毎日を送っていたそうなんです。そして、宝塚を退団後は人気歌手であり俳優の及川光博が夫となっているんです。そんな檀れいの年齢や性格、また、その生い立ちや宝塚での活動や夫との出会いについて紹介します。現在の檀れいの年齢は何歳なのでしょうか。
目次
檀れいの年齢や性格と宝塚時代のエピソードについて
元宝塚であり、金麦のCMでも人気な檀れい。非常に明るい笑顔が印象的で、金麦のCMで癒やされたことがある人も多いでしょう。

年齢を重ねても変わらないその美しさですが、実はその生い立ちは非常に複雑なもののようです。そんな檀れいの年齢や性格、また結婚した夫である及川光博との馴れ初めについても紹介します。
実は宝塚では落ちこぼれだったと言われている檀れいは、どのような性格で宝塚の中を生き抜くことが出来たのでしょうか。そして、意外な檀れいの生い立ちに隠された秘密度はどのようなものなのでしょう。
檀れいの年齢や生い立ちに迫る
檀れいは1971年8月4日生まれで、現在の年齢は46歳のようです。現在は女優として活動しており、元宝塚歌劇団月組・星組のトップ娘役でした。

檀れいは芸名で、本名は旧姓が山崎まゆみで、現在は夫である歌手で俳優の及川光博と結婚しているので及川まゆみになっています。

芸名の由来は樹木の名前である檀(まゆみ)と本名の名前を照らし合わせたもののようです。また、檀は良くしなる植物で、檀のように何でも柔軟な姿勢でどんな役でもこなせるよに、ということも意味として込められているようです。

そして、そこに中性的な名前である「れい」というものを合わせて、芸名である檀れいという芸名が誕生したようです。所属事務所は松竹エンタテインメントで、先程紹介したように夫は及川光博です。
年齢を重ねても変わらない檀れいだが
現在46歳になった檀れいですが、その美しさは本当に変わりませんよね。そんな檀れいは、兵庫県温泉町に生まれ、幼稚園のときに学芸会で褒められたことがきっかけで、人前に立つ仕事に興味を持ったそうです。

また、高校時代にはファッション雑誌のモデルを経験したこともあり、そのことも宝塚を目指すきっかけになったようです。

檀れいの学歴としては、温泉町立温泉中学校、兵庫県立浜坂高等学校を卒業しているそうです。そして、1990年に宝塚音楽学校に入学し、1992年に第78期生として、宝塚歌劇団に入団しています。

しかし、宝塚に入団したときの檀れいは、宝塚の成績は40番で最下位だったそうです。その後、雪組「この恋は雲の涯まで」で初舞台を経験しています。

これだけ見ると、檀れいの生い立ちは、宝塚で最下位とはいえ順調な人生に見えますが、実際はその生い立ちは決して順調なものではなかったようです。
檀れいは幼い年齢のころから苦労が絶えなかった
檀れいの家系は、生まれや血筋、世間体などに厳しい部分があったと言われています。そのため、檀れいの生い立ちを確認していくと、檀れいの母親は親戚からの養女で、父親もそんな妻に婿養子になって結婚したという関係のようです。

非常に檀れいの祖父母は厳しい人物だったようで、格式を大事にして檀れいが宝塚に入ることもかなり反対したようです。

しかし、檀れいの母親は宝塚に入りたいという檀れいのことをとても応援してくれる存在だったようです。しかし、そんな母親も、投資家である男性から、投資の話を持ちかけられてお金のトラブルを抱えてしまったようです。

もちろん、そんなトラブルを祖父母が許すわけもなく、夫との関係も悪くなり、檀れいが宝塚に入ったころには離婚してしまったようです。そして、檀れいは妹とともに母親についていったそうです。

どうやら、檀れいはその頃から、父親や実家とは絶縁状態になってしまったようで、母親はその投資家の男性と結婚し新しい夫になってもらったようですね。事実上、駆け落ちといえるような関係だったようで、檀れいは稼いだお金を母親の借金の返済に使っていたと言われています。
檀れいの両親は離婚し母親と継父と駆け落ち生活に
そんな継父も2004年に他界してしまったそうです。継父の死因は事故死とも言われており、檀れいの生い立ちはこうやって見てみると、非常に複雑に感じますよね。

また、檀れいの母親は年齢を重ねたことで、介護が必要になったようで、檀れいが夫が出来てからも度々と実家に出入りしているそうです。

どうやらそのことが、夫である及川光博との離婚の噂につながったこともあるようですが、実際は夫との関係は良好なようで、夫である及川光博も、檀れいのそういった生い立ちを把握しているようです。

また、檀れいは性格的に気が強い部分があり、そんなはっきりとした性格は宝塚の中で生き残るには必要な部分だったようです。そのせいか、檀れいは性格が悪いと言われる部分もあるようですが、はっきりとものを言う芯の通った性格という見方もあるようですね。
檀れいの夫の馴れ初めと年齢差は
夫である及川光博との馴れ初めは、ドラマ「相棒」で共演したことがきっかけだったようです。及川光博は相棒ではseason7の最終話から登場し、season8からは水谷豊の相棒として活躍したことで有名です。

夫である及川光博は1969年10月24日生まれの48歳なので、檀れいとは2歳の年齢差ですね。ドラマの中では、元恋人役という関係で及川光博と共演し、その後に交際へ発展したそうです。

そして、交際を約1年半ほど続けて、2011年7月27日に及川光博と結婚しています。大物タレント同士の結婚ということで、当時はかなり話題になりましたよね。ちなみに二人には子供はいないようです。
宝塚歌劇団における檀れいの苦労
もともと、大学受験を考えていた檀れいですが、自分が本当にしたいことを考えたときに、あの学芸会での思い出や、モデルとしての活動が、芸能界で演技の仕事をしてみたいという思いにつながったようです。

そして、演技の勉強をするためという理由で、宝塚歌劇団に入ることを決めた檀れいは、最下位という順位でありながら、その入学試験に合格しています。

宝塚の倍率は25倍と言われることもあり、非常に難関なことで有名です。幼い頃から厳しいレッスンを受けてやっと入れると言われる宝塚の世界で、檀れいは3ヶ月ほどの練習で合格してしまったんです。
同年齢の仲間たちからの嫉妬
もちろん、檀れいはその3ヶ月間は血の滲むようなレッスンを受けて挑んだ試験だったといえます。しかし、まわりの人間からすれば、どうしてあの子が宝塚に入れたの?という疑問と、入ってからのその能力の差から嫉妬される生活だったようです。

宝塚に入った当初の檀れいは、お世辞にも歌も踊りも上手とは言えず、宝塚のファンからもその能力を疑問視されるほどだったようです。

性格的にも気が強い部分もあった檀れいですが、宝塚の伝統的な上下関係や礼儀作法などのマナーなどを学ばずに入ったため、そのことでまわりからイジメを受ける原因になったようです。

しかも、その美しい容姿は宝塚の中でも注目されていたわけですから、実力がないのに顔だけで宝塚に入れたということで、かなり先輩にも厳しく当たられたようです。
年齢を重ねながら実力を身につけた檀れい
そんなある日、檀れいはトップの娘役に抜擢されたことから、ファンからも激しいバッシングを浴びることになります。

宝塚の歴史はファンとともにあるといえるだけに、ファンとしても納得できない部分があったようです。また、当時月組のトップスターであった真琴つばさの相手役となったことから、檀れいのもとにカミソリ入りのファンレターが送られるという事件もあったようです。

他にも、楽屋に入る前にファンに足をひっかけられたり、メイク室では1人で泣きながら食事をしたという経験もあったようです。
それでも、檀れいは負けることはなく、月組のトップの娘役を務め、2度の中国公演に参加し「楊貴妃の再来」と言われるほどの最大の賛辞を受けることが出来たんです。
2001年に真琴つばさが退団したことから、檀れいは専科と言われる特定の組みに所属しない部門に異動し、外部出演などを経て、2003年に湖月わたるの相手役として、今度は星組のトップ娘役に就任しました。
女優としての檀れいとこれから
2005年に宝塚を対談した後は、女優に転身し、2006年に映画「武士の一分」で映画デビューも果たしています。また、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を初め、数々の映画賞を受賞しています。
年齢を重ねても美しさが変わらない
2010年にはNHK「八日目の蝉」でドラマ初主演を務め、2011年に及川光博と結婚、2015年には農林水産省の「日本食普及の特別親善大使」にも任命されています。

2018年も有吉佐和子原作の主演舞台「仮縫」が5月6日に行われることが決まっており、ファッション界で夢を求めて成長する女性という役柄に、真正面から演じるという決意を持っています。

ドラマやCMでは明るいイメージが強い檀れいですが、その生い立ちや宝塚時代は決して容易なものではなかったことは意外でしたよね。下積み時代の苦労があったからこそ、宝塚の舞台で輝きを持ち続け、そしてその後の女優としての活動も高い評価を受けているということが印象的ですよね。
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