山口百恵の生い立ちが複雑で悲しい?引退理由や夫・三浦友和との結婚も紹介

昭和の歌姫と呼ばれた元歌手の山口百恵の名前は、当時リアルタイムでテレビを見ていなかった世代でも知っている人は多いでしょう。ウェディンドレスのような真っ白い衣装に身を包み、マイクをステージに置いた伝説の引退ステージは現在でもテレビで放映されることがあります。芸能界で華々しい活躍をし、現在は結婚して芸能界を引退した山口百恵ですが、その生い立ちは非常に複雑なものでした。そこで、山口百恵が乗り越えてきた複雑で悲しい生い立ちの真相と、夫・三浦友和との結婚について調査してみました。

目次

  1. 複雑で悲しい生い立ちの山口百恵
  2. 山口百恵のプロフィール
  3. 何があった?山口百恵の複雑な生い立ち
  4. 過酷な生い立ちのせいで父親を憎むようになった山口百恵
  5. 山口百恵が歌手を目指したのは生い立ちが理由?
  6. 母親の愛情のおかげで素直に育った山口百恵
  7. 自身の出生の秘密を知ったのは山口百恵が高校生の時
  8. 嫌がらせを受けても母親への感謝の気持ちを忘れなかった
  9. エッセイで自身の複雑な生い立ちを告白した山口百恵
  10. 自叙伝を出すまでは自分の生い立ちを隠していた
  11. 生い立ちについてガセネタを流されたことも
  12. 父親と縁を切り悲しい生い立ちと決別した山口百恵
  13. 山口百恵の引退は生い立ちが理由だった?
  14. 悲しい生い立ちを乗り越え幸せな結婚をした山口百恵
  15. 山口百恵の結婚相手は三浦友和
  16. 人気絶頂期に惜しまれながら芸能界を引退した山口百恵
  17. 結婚後は芸能界と距離を置いている
  18. 喧嘩したことがない!夫・三浦友和との夫婦仲は良好
  19. 芸能人として活躍する山口百恵の2人の息子
  20. 現在はキルト作家としての顔を持つ山口百恵
  21. 複雑な生い立ちの山口百恵の現在は幸せなお母さん

複雑で悲しい生い立ちの山口百恵

昭和の歌姫・山口百恵は現役を退いた今もなお、多くのファンを魅了し続けています。昔のアイドルと言えば「明るい」「かわいい」がトレードマークでしたが、山口百恵には少し陰があり、他のアイドルとは一味違う魅力がありました。そんな山口百恵ですが、かなり複雑で悲しい生い立ちの持ち主なのです。そこで今回は、山口百恵の生い立ちから夫・三浦友和との結婚までをご紹介します。

山口百恵のプロフィール

山口百恵という名前はもともと本名でしたが、現在は結婚して三浦百恵となっています。生年月日は1959年1月17日。歌手・女優として活躍し、その人気は社会現象となるほどでした。しかし山口百恵は結婚後、芸能活動は一切していません。山口百恵が芸能活動をしているときの所属事務所はホリプロ、レコード会社はソニー・ミュージックエンターテイメントに所属していました。

芸能界デビューのきっかけは「スター誕生!」

山口百恵が芸能界デューしたのは、当時のオーディション番組「スター誕生!」に応募したことがきっかけです。1972年のオーディションで牧葉ユミの「回転木馬」を歌って準優勝を勝ち取り、20社以上から指名を受けたそうです。山口百恵はそのオーディションで、審査員に「青春ドラマの妹役ならいいけど歌手は諦めたほうがいい」と言われたそうです。

ホリプロの所属となった山口百恵は、翌年「としごろ」という映画で芸能界デビューし、その1か月後には同じ題名の曲で歌手デビューも果たしています。歌手としてのイメージが強い山口百恵ですが、芸能界で一番初めの仕事は映画への出演でした。そして「諦めたほうがいい」と言われた歌手への道も同時に歩み始めました。

きわどい歌詞の曲で大ヒット

山口百恵の歌手デビュー曲「としごろ」は、期待以下のセールスで終わってしまいました。そこで2曲目の「青い果実」は、イメージ路線が大幅に変更された曲でした。少女が大胆な歌詞を歌うというコンセプトは、この曲から始まっています。この路線変更が大いに当たり、山口百恵がヒット曲を連発するきっかけとなりました。

山口百恵が歌手として大ヒットしたのは、「ひと夏の経験」という曲を歌ったことがきっかけでした。歌詞の内容がきわどいことでかなり話題となった曲です。山口百恵はいわゆる「セクシー路線」とは違い、見た目は純朴な少女そのもの。きわどい歌詞と純朴な見た目のギャップが、山口百恵の人気をさらに押し上げる形となりました。

数々の映画に出演し女優としても大活躍

「ひと夏の経験」で大ブレイクした山口百恵は、同年に名作映画「伊豆の踊子」に出演し、女優としても大きな評価を得ました。「伊豆の踊子」は、後に夫となる三浦友和と初共演した映画でもあります。この映画に出演した以降は、13作の映画で主演を務めました。山口百恵はテレビドラマにも数多く出演し、人気シリーズドラマ「赤いシリーズ」では6年に渡って出演しました。

何があった?山口百恵の複雑な生い立ち

テレビや映画で華々しい活躍をしていた山口百恵ですが、その姿とは裏腹に彼女の生い立ちは非常に複雑で悲しいものでした。山口百恵の出生は普通の子供とは違っていて、その生い立ちは幼い子供の心に大きな傷をつけるものでした。山口百恵の生い立ちに何があったのか、その複雑で悲しい生い立ちについてみていきましょう。

「愛人の子」という悲しい生い立ちの山口百恵

実は山口百恵の父親と母親は、正式な夫婦ではありませんでした。山口百恵の父親にはもともと妻がおり、山口百恵の母親は「愛人」という立場だったのです。妻がいる身分にも関わらず山口百恵の母と関係を持ち、山口百恵と妹二人の子供を授かっています。山口百恵の父親は頻繁に家に通い、山口百恵とその妹を可愛がっていたようですが、本妻と別れることはありませんでした。

過酷な生い立ちのせいで父親を憎むようになった山口百恵

山口百恵の父親は医師だったそうですが、山口百恵の家を経済的に助けるという意思はなかったようです。医師という職業であれば、給料もそれなりにもらっていたはずです。多少の経済援助はできると考えるのが普通でしょう。しかし何らかの事情があったのか、父親が山口百恵の家にお金を入れることはなかったようです。そのため、子供の頃の山口百恵の家庭は、かなり貧しい環境だったようです。

貧しい家庭で育った悲しい生い立ち

山口百恵の家庭は、母親が内職をして家計を支え、それだけでは賄えないので生活保護を受けていたそうです。山口百恵は少しでも家計を助けようと、中学1年生の時新聞配達のアルバイトをしていたと言います。自分たち家族3人が苦しい思いをしているのに何の援助もしてくれない父親を、山口百恵はだんだん憎むようになっていったと言います。父親を憎んでしまうというほど、生活が苦しかったということでしょう。

山口百恵が歌手を目指したのは生い立ちが理由?

子供時代の複雑な生い立ちのせいで、山口百恵は内職をして貧しい家計を支える母の姿をずっと見てきました。そのため「母親に楽をさせてあげたい」という思いがずっと胸にあったようです。そんな時、自分と同い年の森昌子がテレビで活躍しているのを見て、「自分にもできるかもしれない」と感じたのでしょうか。

「自分も森昌子さんのようになりたい」と、オーディション番組に応募したと言います。「有名になりたい」というよりは、歌手になってお金を稼ぐことができれば、母親に楽をさせてあげられるという思いが強かったのでしょう。山口百恵が芸能界引退後に一切テレビに姿を現さないのも、芸能界にそれほど執着がないからかもしれません。

母親の愛情のおかげで素直に育った山口百恵

「愛人の子」という複雑な生い立ちにも関わらず、山口百恵は学校でいじめにあうこともなく母親想いの素直な子供に成長しました。一般的にこのような複雑な生い立ちを持つ子供は、性格が歪んでしまったり、非行に走ってしまう子供も少なくないでしょう。しかし山口百恵は正確が歪むことも非行に走ることもなく、とても素直な子供に成長しました。

山口百恵がまっすぐで素直な子供に成長したのは、母親の愛情が大きかったからと言えるでしょう。生活保護受けるなど生活はかなり苦しかったようですが、母親の愛は十分に注がれていたようです。愛情たっぷりで育てられた山口百恵も、母親への感謝はいつも忘れなかったと言います。

横須賀での6年間は大切な思い出

山口百恵は少女時代の6年間を横須賀で過ごしています。山口百恵は、この町で過ごした6年間に対する思い入れが非常に強く、今でも胸が締め付けられるような懐かしさを感じると語っています。自由で正直な自分でいられたその6年間の自分が、一番好きだったと山口百恵は語っており、貧しい生活ながら母親の愛情に包まれた幸せな生活を送っていたのかでしょう。

自身の出生の秘密を知ったのは山口百恵が高校生の時

山口百恵が自身の出生の秘密を知ったのは、高校に入学して間もないころです。高校生という多感な時期に自分が「愛人の子」だと知った衝撃は想像しただけでこちらが苦しくなってしまいます。しかもその事実が衆目にさらされた当時の山口百恵の心中を想うと、あまりにも不憫というほかありません。

週刊誌に戸籍謄本が暴露された

山口百恵は、高校に入学する頃はすでに芸能界での仕事を始めていました。ちょうどその頃、週刊誌に「山口百恵の出生の秘密」として戸籍謄本が掲載されてしまったのです。人気歌手のゴシップ、しかもそれがセンセーショナルな内容となれば、話題にならないわけがありません。事実を知らされた山口百恵はさぞ驚いただろうと思われるかもしれませんが、山口百恵の実際の反応は冷静そのものでした。

嫌がらせを受けても母親への感謝の気持ちを忘れなかった

自分の出生の秘密を世間に大々的に暴露されれば、誰でもショックを受けるでしょう。特に思春期の子供にとって、この状況は非常に辛いものだったと思います。「大人が寄ってたかって嫌がらせをしている」と感じてもおかしくないでしょう。そんな状況にもかかわらず、山口百恵は怯むことなく堂々とした態度を貫きました。

山口百恵は、自分の出生の秘密を知ったときそれほど驚かなかったと言います。山口百恵は、その事実を知っても自分の存在に変わりはないし、母親に対する気持が変わることはなかったと語っています。なにより感じたのは、これまで引け目を感じさせなかった母の愛の大きさへの感謝の気持ちだったと言います。山口百恵の母親の愛情は、それほどに大きく、常に山口百恵の支えとなっていたと言えるでしょう。

エッセイで自身の複雑な生い立ちを告白した山口百恵

山口百恵は芸能界引退の直前である1980年9月に、自叙伝「蒼い時」を発表しています。その内容はかなり赤裸々なもので、日曜日しか帰ってこない父親のこと、本妻に睨まれながら父親と会っていたこと、苦しい家庭の経済事情など自身の複雑な生い立ちが余すことなく書かれています。父親への憎しみも隠すことなく語られ、彼女の本音を知る手掛かりとなる本です。

「私に父親はいない」と自身の生い立ちを語る山口百恵

山口百恵の父親が母親と愛し合うようになったとき、山口百恵の父親は母親の父に「責任を持ってきちんとします」と挨拶に行ったのだそうです。しかし父親が「きちんと」する時は訪れず、本妻と別れることはありませんでした。父親は山口百恵とその妹を認知はしたものの、本当の家族になることはなかったのです。

たまに家に通ってきて、貧しい家を助けることもしない父親に対して、山口百恵は憎しみを抱くようになっていったようです。山口百恵は「蒼い時」の中で、「私に父親はいない」と断言しています。普通であれば父親は「帰ってくるもの」ですが、山口百恵にとっての父親は「やってくる」ものという認識になっていました。山口百恵は自叙伝の中で父親のことを「あの人」と呼び、その憎しみが非常に深いものだと感じます。

自叙伝を出すまでは自分の生い立ちを隠していた

山口百恵は、自叙伝「蒼い時」で自らの生い立ちを告白するまでは、母親が愛人であったことは伏せていました。山口百恵のイメージダウンを恐れたのか、デビュー当時山口百恵は、「幼いころ両親が別れたので父親はいない」と言うようにホリプロに指示されていたそうです。

芸能事務所としては、人気絶頂である山口百恵の清純なイメージを保つことが最優先だったのでしょう。しかし自分の仕事のためとはいえ、正直な性格の山口百恵にとって嘘を付かなければならない状況は苦しかったに違いありません。

生い立ちについてガセネタを流されたことも

芸能事務所に指示されていたこともあり、自身の出生について多くを語らなかった山口百恵は、ありもしない生い立ちをでっちあげられて噂が広まることもありました。ある事実を突拍子もないことに結び付けてゴシップにされてしまう。芸能人は有名になればなるほど、プライバシーというものがなくなっていく職業なのでしょうか。

父親が在日朝鮮人というのはガセネタ

「山口百恵の父親は韓国・朝鮮系」という噂が流れたことがあります。しかしこれは明らかなガセネタで、山口百恵の父親は日本人、山口百恵も正真正銘の日本人です。なぜこのようなうわさが流れてしまったのかというと、山口百恵が子供時代に横須賀に住んでいたことと関係があるようです。

横須賀には「不入斗」という町があり、朝鮮系の方が多く住んでいるため「コリアンタウン」と呼ばれています。山口百恵がこの近くに住んでいたことが噂の元になっている可能性があります。また、父親が仕事で朝鮮に行くことが頻繁にあったので、そのこともこの噂の原因となっているのでしょう。どちらにしても根拠も何もないガセネタです。

父親と縁を切り悲しい生い立ちと決別した山口百恵

山口百恵が歌手や女優として有名になると、父親は山口百恵の事務所から勝手にお金を借りたり、母親から親権を奪おうとし、それが無理だとわかると多額の和解金を要求してきたそうです。そんな父親の行動にうんざりした山口百恵は、手切れ金を渡すことで父親と完全に縁を切ろうと考えました。親子の縁を切ったことを、山口百恵は後悔していないと言い切っています。

山口百恵の複雑な生い立ちは父親が原因だった

山口百恵の生い立ちが複雑なのは、もともと妻がいるにもかかわらず愛人との間に事もを作った父親が原因です。そのため山口百恵は子供のころから父親を好きではありませんでした。それに追い打ちをかけるように、山口百恵が芸能人として成功したとたん親権を奪おうとするなどの行為を見て、ますます父親への憎しみが募っていったのでしょう。その結果が、手切れ金を渡して親子の縁を切るという結末です。

山口百恵の引退は生い立ちが理由だった?

山口百恵は人気絶頂の中、多くのファンに惜しまれながら芸能界を引退しました。結婚を機に引退するにしても、山口百恵があまりにもあっさり芸能界を引退したため、芸能事務所との不仲説がささやかれたこともありました。また、「引退の理由は生い立ちに関係があるのでは」などさまざまな憶測が飛び交いました。

引退の理由は生い立ちではなく結婚が理由だった

山口百恵の芸能界引退の理由を詳しく調べたところ、やはり三浦友和との結婚が理由で間違いないようです。芸能事務所ともめたこともあったようですが、芸能界を引退したあとも良好な付き合いを続けているということです。山口百恵はもともと芸能界に未練がないタイプで、オーディションに応募したのも家計を助けるためという理由があったからです。

そのため、ある程度お金を稼いで目標が達成されたことで、もうこれ以上芸能界へ残る意味がないと感じたのかもしれません。また山口百恵は非常にまっすぐでまじめな性格なので、結婚したら家庭に集中したいという思いがあったのではないでしょうか。自分が芸能人でいることで家族に我慢をさせるくらいなら、芸能界を潔く引退したほうがいいと考えたのでしょう。

悲しい生い立ちを乗り越え幸せな結婚をした山口百恵

愛人の子という悲しい生い立ちを持つ山口百恵は、「幸せな家族」に対するあこがれが人一倍強かったのではないでしょうか。その念願がかなって1980年に俳優の三浦友和と結婚し、父親に手切れ金を渡すことで縁を切った山口百恵は、真の意味で自由になり幸せな家庭を手に入れたということになります。

子供の頃の悲しい生い立ちを持つ山口百恵は、自分の子供には絶対に悲しい思いはさせたくないと考えていたでしょう。結婚後芸能界からキッパリ引退したのも、子供を育てることを想定したからかもしれません。「絶対に幸せな家庭を築く」という強い意志の表れと言えるかもしれません。

山口百恵の結婚相手は三浦友和

山口百恵が結婚した相手は、俳優の三浦友和です。1970年代に活躍した俳優で、「二枚目俳優」として主に10代の女性から絶大な人気がありました。そんな人気俳優をハートを射止めたのが、山口百恵だったというわけです。2人の交際が週刊誌で報道された当時は、大変な話題となりました。

夫・三浦友和との馴れ初め

山口百恵が後の夫となる三浦友和と出会ったのは、名作映画「伊豆の踊子」での共演がきっかけでした。山口百恵はその後13作の映画で主演を務めますが、そのうちなんと12作で三浦友和と共演しているのです。まさに運命的な出会いと言えるでしょう。山口百恵が1979年に大阪で行われたリサイタルで「私の好きな人は、三浦友和さんです」と宣言し、周囲を驚かせたのは有名なエピソードです。

ゴールデンコンビと言われた二人

山口百恵は、人気テレビドラマシリーズ「赤いシリーズ」でも三浦友和と共演し大ヒットしました。山口百恵と三浦友和が共演する映画やドラマが次々とヒットしたことから、百恵友和コンビはゴールデンコンビと言われるようになったのです。

人気絶頂期に惜しまれながら芸能界を引退した山口百恵

山口百恵が多くのファンに惜しまれながら引退しました。引退直前に開催されたファイナルコンサートで、「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」とステージにマイクを置いたパフォーマンスは有名で、伝説の引退コンサートとなりました。

山口百恵が引退したのは21歳の時で、彼女が芸能活動を行っていたのはたったの7年間程度でした。短い芸能活動期間にもかかわらず、山口百恵は1970年代最もレコードを売り上げた歌手でした。引退後もCDやDVDは売れ続け、今なお人気が衰えないほど日本に大きな影響を与えた人物と言えます。

結婚後は芸能界と距離を置いている

山口百恵は長男を出産した際に記者会見を開きテレビの取材を受けたことがありますが、それ以降テレビに姿を現すことはなく、メディアとは距離を置いている状態です。1982年に作詞家としてアン・ルイスに曲を提供し、「芸能界復帰か」とマスコミに騒がれたこともありますが、芸能界復帰はありませんでした。

マスコミにプライバシーを侵害され平手打ちする一幕も

山口百恵には二人の息子がいますが、長男の入園式でマスコミとトラブルになる一幕もありました。入園式当日にマスコミが園や自宅を取り囲み、車の中にいる子供に強引にカメラを向けたため子供がおびえてしまったのです。激怒した山口百恵は車を降りてカメラマンを平手打ちしたのだとか。この出来事は各週刊誌で報道され有名になりました。

喧嘩したことがない!夫・三浦友和との夫婦仲は良好

「理想の芸能人夫婦」として名前が挙がることも多い山口百恵・三浦友和夫婦ですが、結婚後40年近く経った今でも夫婦仲は良好のようです。長い結婚生活の中で喧嘩をしたことがないと語る三浦友和。我慢しなければならないことが起こらないのが、夫婦喧嘩をしない理由だそうです。

休みの日は二人でデート

三浦友和の仕事が休みの日は、今でも二人でデートに出かけるそうです。2人の共通の趣味は映画鑑賞だそうで、東京中の映画館を巡っているということです。共通の趣味があることも、夫婦仲が円満に続く秘訣かもしれません。

意外?お笑い番組を一緒に見ることも多い

山口百恵・三浦友和夫妻がお笑い番組が好きというのは少し意外な気がしますが、好きな番組は録画してみるほどバラエティが好きなのだそうです。2人で食事をしながら、人気が出そうな芸人を予想したり、ネタつくりに関して意見を言い合ったりしたいるそうです。

芸能人として活躍する山口百恵の2人の息子

山口百恵・三浦友和夫妻には、2人の息子がいます。2人とも芸能界の道を選び、それぞれの分野で活躍されています。兄弟の仲は良いそうで、2人で飲みに行ったり誕生日プレゼントを交換することもあるそうです。

長男はシンガーソングライターの三浦祐太朗

山口百恵の長男はシンガーソングライターの三浦祐太朗です。「Peaky SALT」というバンドでメジャーデビューを果たしますが、CDが思うように売れずメンバーの脱退もあり現在は活動休止中ということです。現在はソロアーティストとして活動を続けておりラジオなどでも活躍しています。2016年にはドラマに出演するなど、俳優としても活躍の場を広げています。

次男は俳優の三浦貴広

山口百恵の次男は、父親の三浦友和と同じ俳優として活躍しています。大学時代は精神保健福祉士を目指していたようですが、結局俳優への道を選びました。父・三浦友和の紹介で映画デビューを果たします。その演技が評価され、数多くの映画、ドラマに出演しています。「リポビタンD」の16代目CMキャラクターに起用され、認知度が一気に上がりました。

現在はキルト作家としての顔を持つ山口百恵

現在の山口百恵は、キルト作家として活躍しているそうです。キルトフェスティバルに作品を出品することもあるそうで、かなりの大作も発表しています。山口百恵の夢は孫にキルト作品を贈ることだそうで、「そろそろ孫が欲しい」という思いが強いようです。

複雑な生い立ちの山口百恵の現在は幸せなお母さん

複雑で悲しい生い立ちを持つ山口百恵ですが、現在は幸せな結婚をして二人の子供を持つ母親となっています。2人の子供は立派に成長しそれぞれに活躍をしています。夫の三浦友和との夫婦仲も円満で、まさに絵にかいたような幸せな家庭と言えるでしょう。つらい過去を経験した分、大きな幸せをつかんだ山口百恵。ますます幸せになってほしいと願うばかりです。

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