山口百恵の今の顔写真は?生い立ちから引退後の現在の姿まで調査
21歳という若さで、人気絶頂のうちに芸能界を引退した山口百恵。ファイナルコンサートでのパフォーマンスは、今でも伝説となって語り継がれています。もはや社会現象と言ってもいいほどの人気を博した山口百恵ですが、今の夫・三浦友和との結婚を機にあっさりと芸能界を引退してしまいました。結婚後、山口百恵がメディアの前に姿を表すことはなく彼女が今どうしているか気になっている人も多いでしょう。そこで、山口百恵の今の姿とともに彼女の生い立ちを振り返ってみましょう。
目次
- 元トップスターの山口百恵は今何をしている?
- 山口百恵のプロフィール
- イメージ路線の変更で大ブレイクした山口百恵
- 映画や人気ドラマで女優としても活躍した山口百恵
- 今の夫・三浦友和と山口百恵の馴れ初め
- 複雑だった山口百恵の生い立ち
- 父親への憎しみを募らせていた少女時代
- 歌手を目指したのは母親に楽をさせたかったから
- 芸能人として活躍する娘に迷惑行為を繰り返す父親
- 山口百恵と父親の関係はどうなった?
- 芸能界引退直前に自叙伝「蒼い時」を発表
- 人気絶頂期に芸能界を引退した山口百恵
- 事務所との不仲説が引退の理由と噂されたことも
- 結婚後から今に至るまでメディアとは距離を置いている
- 喧嘩したことがない!夫・三浦友和との夫婦仲は良好
- 山口百恵の二人の息子は今何をしている?
- 気になる今の姿は?現在の山口百恵の写真画像まとめ
- 今はキルト作家として活躍している山口百恵
- 山口百恵の今の夢とは?
- 幸せな家庭を手に入れた山口百恵
元トップスターの山口百恵は今何をしている?

昭和の歌姫と呼ばれた山口百恵。同世代のアイドルは「明るい」「かわいい」がトレードマークでしたが、山口百恵には愁いを帯びたような不思議な雰囲気がありました。その独特な雰囲気が山口百恵の人気を押し上げた理由の一つかもしれません。昭和のトップスターだった山口百恵ですが、結婚後ほとんどメディアに姿を現していません。そこで今回は、山口百恵の生い立ちを振り返りながら今の姿までを調査してみました。
山口百恵のプロフィール

山口百恵というのは本名、今の夫三浦友和と結婚して三浦百恵となりました。生年月日は1959年1月17日、出身地は東京都の渋谷区です。山口百恵は歌手としてのイメージが強いですが、数多くの映画や人気テレビドラマシリーズに出演するなど、女優としても評価されていました。また、芸能界での一番初めの仕事は歌手ではなく女優としての映画出演でした。
オーディション番組「スター誕生!」がデビューのきっかけ
山口百恵が芸能界デューしたのは、当時のオーディション番組「スター誕生!」に応募したことがきっかけです。1972年に行われたオーディションで、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝を勝ち取りました。その結果、20社以上から指名を受たといわれています。多くの指名を受けながら、山口百恵はホリプロに所属することが決まりました。
応募のきっかけは森昌子

山口百恵がオーディション番組「スター誕生!」に応募したきっかけは、自分と同い年である森昌子がテレビで活躍しているのを見たことだそうです。自分と同い年の少女がテレビで歌っている姿を見て、「自分にもできるかもしれない」と感じたのかもしれません。「自分の森昌子さんのようになりたい」と思ったことが、オーディションに応募するきっかけになったということです。
イメージ路線の変更で大ブレイクした山口百恵

山口百恵の芸能界デビューは、1973年に公開された「としごろ」という映画出演でした。その1か月後には映画と同じタイトルである「としごろ」という曲で歌手デビューを果たします。しかしこのデビュー曲は思ったようにセールスが伸びなかったと言います。そのため、山口百恵は大幅なイメージチェンジを図ることになります。
「ひと夏の経験」で歌手として大ブレイク

デビュー曲が思ったほど売れなかったことを受けて、山口百恵は大きなイメージチェンジを図ります。2曲目の「青い果実」は歌詞の内容が大胆なものになっており、「青い性路線」と呼ばれ人気を博しました。いわゆる「セクシー路線」とは異なり、まだ幼さを残した少女が大胆な内容の歌詞を歌うというところに人気が集まっと言えます。

山口百恵が1974年に発表した「ひと夏の経験」は、この流れを汲んで歌詞がきわどい内容となっています。山口百恵の見た目は純朴そのものでしたから、歌詞の内容と見た目のギャップがある種の背徳感を感じさせ、それが多くの人を魅了したのでしょう。この「ひと夏の経験」で、山口百恵の人気は不動のものとなりました。
映画や人気ドラマで女優としても活躍した山口百恵

山口百恵と言えば歌う姿が思い浮かぶ人も多いと思いますが、多数の映画やテレビドラマに出演し演技力の評価が高い女優でもありました。1974年には名作映画「伊豆の踊子」に出演し高い評価を得ています。その後、13作の映画で主演を務めていることからも、山口百恵の人気ぶりがうかがえます。
今の夫・三浦友和と山口百恵の馴れ初め

山口百恵が今の夫である三浦友和と出会ったきっかけは、映画「伊豆の踊子」での共演でした。三浦友和は、当時二枚目俳優として若い世代から非常に人気のある俳優でしたから、ビッグカップルの誕生ということになります。山口百恵と三浦友和は12作もの映画で共演し、山口百恵は運命的なものを感じていたと言います。
ゴールデンコンビと呼ばれた山口百恵と三浦友和

山口百恵と今の夫の三浦友和は、映画だけでなく6作も続いた人気テレビドラマ、その他多くのCMで共演しています。山口百恵と三浦友和が出演する映画やドラマは次々とヒットし、いつからか二人合わせて「ゴールデンコンビ」と呼ばれるようになったのです。これだけ一緒に仕事をしていれば、お互いに親近感が湧くのも自然な流れなのかもしれません。
世間を驚かせたリサイタルでの突然の交際宣言

山口百恵と三浦友和の交際が世間に知れ渡ったのは、1979年に大阪で行われたリサイタルで、山口百恵が突然の交際発言をしたことがきっかけです。「私の好きな人は、三浦友和さんです」と告白し、会場を驚かせました。その後三浦友和も会見を開き、真剣交際をしていることを宣言しました。
複雑だった山口百恵の生い立ち

絶大な人気を誇り、顔を知らない人はいないというくらいのスーパースターになった山口百恵ですが、実は彼女の生い立ちは非常に複雑なものでした。山口百恵は典型的な「明るい」アイドルとは違い、少し陰があるような愁いを帯びたような雰囲気の持ち主です。この独特の雰囲気は、もしかしたら複雑な生い立ちを経験したからこそなのかもしれません。
山口百恵の父親には別に本妻がいた

山口百恵の父親には、別に本妻がいました。つまり、山口百恵の母親は愛人という立場だったということです。2人の間には、山口百恵ととの妹二人の子供がいました。日曜日しか帰ってこない父親に、幼いながらも違和感を感じていたのでしょう。山口百恵にとって父親は「帰ってくる」のではなく「やってくる」人という認識だったと言います。
家庭は貧しく生活保護を受けながら生活していた

山口百恵の父親は医師だったということですが、山口百恵の家を経済的に助けることはなかったようです。山口百恵の家計を支えていたのは母親の内職と生活保護による援助だったと言います。中学1年生の時、山口百恵は少しでも家計を助けようと新聞配達のアルバイトをしていたそうです。
父親への憎しみを募らせていた少女時代

いつまでたっても本妻と別れず、家にお金を入れない父親に対して、憎しみを抱くようになっていったという山口百恵。貧しい家庭を必死で支える母親の姿を見て育った山口百恵は、母親を愛する分父親への憎しみを募らせていったのでしょう。山口百恵は後に発表する自叙伝で、父親のことを「あの人」と呼び、「自分に父親はいない」とまで言っています。
歌手を目指したのは母親に楽をさせたかったから

山口百恵が歌手を目指したきっかけは、同い年の森昌子がテレビで活躍する姿を見てオーディションに応募したというものですが、貧しい家庭に育った山口百恵は幼いころから「母親を楽にしてあげたい」という思いが強かったようです。たくさんの仕事がある中で歌手を選んだのは、やはり家を助けたいという気持ちがあったからでしょう。
いつも母への感謝を忘れなかった山口百恵
複雑な家庭環境にもかかわらず、山口百恵はまっすぐで素直な子供に成長しました。一般的にこのような家庭環境の子供は正確が歪んでしまったり、間違った道に足を踏み入れてしまうことも多いのですが、山口百恵にそのようなことはありませんでした。
山口百恵は家を複雑な環境にした元凶である父親に対して憎しみを抱いてはいたものの、母親に対しては常に感謝を忘れなかったと言います。山口百恵が世間に引け目を感じることなく成長することができたのは、母親の大きな愛が支えになっていたからと言えるでしょう。
芸能人として活躍する娘に迷惑行為を繰り返す父親

歌手・女優として人気が出てきた山口百恵ですが、それを素直に喜べない事件が起きました。その事件とは、父親が山口百恵の親権を母親から奪おうとしたというものです。それだけでも最低なのですが、親権を奪うのが無理だとわかると山口百恵に対して多額の和解金を要求したというのです。

それだけでなく、山口百恵のギャラをむしり取ろうとしたり、事務所から勝手にお金を借りるなど迷惑行為を繰り返したと言います。もともと嫌っていた父親にこのようなことをされれば、ますます憎しみが募ってもおかしくないでしょう。
山口百恵と父親の関係はどうなった?
幼いころから父親を嫌っていた山口百恵ですが、デビュー後に父親から受ける数々の嫌がらせでますます父親への憎しみが増していったようです。この時点で関係はもはや修復不可能のように見えますが、山口百恵と父親の関係は最終的にどうなってしまったのでしょうか。
手切れ金を渡して父親と縁を切った山口百恵

山口百恵は、これまで憎んできた父親と縁を切る決断をします。山口百恵は父親と縁を切るために、多額の手切れ金を支払ったと言います。「血縁を切ったことにいささかも後悔していない」という山口百恵。親子の縁を切るという決断はかなり大きな決断だったと思いますが、積年の恨みはかなり根深いものがあったのでしょう。
芸能界引退直前に自叙伝「蒼い時」を発表

山口百恵は、芸能界を引退する直前の1980年9月に自叙伝「蒼い時」を発表しています。この自叙伝には自身の複雑な生い立ち、芸能界の裏事情、今の夫・三浦友和との初体験などが赤裸々に語られており、発売当初から大きな話題となりました。
赤裸々な内容の自叙伝が大ベストセラーに

山口百恵ほど人気があり知名度の高い有名人が赤裸々に私生活を語った自叙伝は、多くの人の興味をそそりました。「蒼い時」は発売1か月後には100万部を売り上げ、同年12月には200万部の大ベストセラーとなったのです。この自叙伝では、自分の母親が「愛人」という立場であることが初めて明かされ、山口百恵の出生について包み隠さず書かれていることも世間に衝撃を与えました。
人気絶頂期に芸能界を引退した山口百恵

山口百恵が芸能界を引退したのは、まだ21歳の時でした。14歳でデビューし、7年間の短い芸能活動に幕を閉じたのです。歌手としても女優としてもまさに人気絶頂の時で、多くの人に惜しまれながらの引退でした。これほど多くの人から惜しまれながら引退した芸能人というのもあまりいないのではないでしょうか。山口百恵は、それほど多くの人に影響を与え人々に愛されたスーパースターだったと言えます。
引退の理由は今の夫・三浦友和との結婚

山口百恵が多くの人に惜しまれながら芸能界を引退した理由は、今の夫三浦友和との結婚です。結婚しても芸能活動を続ける女性は多いですが、山口百恵は「結婚するなら完璧に近い形でやっていきたい」と家庭に専念することを決意したのです。複雑な生い立ちを持つ山口百恵は、人一倍「幸せな家庭」に対するあこがれが強かったのかもしれません。
今も語り継がれる伝説の引退パフォーマンス

山口百恵が1980年10月に行われたファイナルコンサートで行ったパフォーマンスは、今でも語り継がれる伝説のステージです。コンサートの最後曲である「さよならの向こう側」を泣き顔になりながら歌い、最後にステージにマイクを置いて静かにステージの裏へと去っていきました。

ウエディングドレスのような真っ白い衣装に身を包んだ山口百恵は非常に美しく、その印象的な去り方は今でも多くの人の胸に残っていることでしょう。山口百恵の芸能活動期間は7年という短い間でしたが、1970年代で最も多くのレコードを売り上げた歌手でした。
事務所との不仲説が引退の理由と噂されたことも

山口百恵が引退を発表した時、事務所との不仲説が浮上したこともありました。山口百恵ほどの大物の引退をあっさり認めた事務所に、多くの人が不信感を感じたことが原因かもしれません。実際、山口百恵と事務所がもめたことはあったそうですが、引退の直接の原因とは関係が無いようです。

事務所とは結婚後も良好な関係を続けいるということで、やはり山口百恵が芸能界を引退した理由は結婚で間違いないと言えます。また山口百恵が芸能界に入ったのは「家を助けるため」という目的があったからで、芸能人としての地位や名声にはあまり執着がなかったことから、あっさりと芸能界を辞めてしまったと考えられます。
結婚後から今に至るまでメディアとは距離を置いている

山口百恵は結婚後、全くと言っていいほどメディアの前に姿を現していません。芸能人の中には「ママタレ」と呼ばれる、自分の子育てをアピールしてファンに親近感を与える芸能人もいますが、山口百恵は潔く一切の芸能活動をやめて完全に家庭に入る形をとりました。その潔さゆえに、いつまでも色あせない印象を人々に残しているのかもしれません。
結婚後から今までメディアに顔を出したのは一度だけ

山口百恵が結婚後公の場に顔を出したのは、長男を出産したあとの記者会見に夫と共に出席した一度だけです。山口百恵が人気歌手・女優として活躍していたとき、週刊誌に写真を撮られたりゴシップを流されたりしてマスコミにはうんざりしていたのかもしれません。山口百恵は結婚して家庭に入ってから、メディアに顔を出さない姿勢を一貫して守っています。
長男の入園式でマスコミに追いかけられ子供を守る一幕も

山口百恵が引退したあとも、相変わらず家にマスコミが押し掛けてきてプライバシーを侵害されるような場面が多々あったようです。特に大きく報道された事件は、山口百恵の長男の入園式に起きた事件です。入園式当日にマスコミが家に押しかけ、車に乗っている長男の顔に無理やりカメラを向けようとして子供がおびえてしまう場面がありました。
これにブチ切れた山口百恵は、車から降りてカメラマンを平手打ちしたと報道されています。この事件は、芸能人のプライバシー保護について見直すきっかけとなったとも言われています。引退してからもなおマスコミに追いかけられる山口百恵は、やはりそれだけ注目度の高い人物だったということでしょう。
幾度となく復帰説を書きたてられる

山口百恵は芸能界引退後、アン・ルイスに「ラ・セゾン」という作詞を提供しています。この曲がヒットすると、山口百恵が作詞したということが話題になり、「山口百恵復帰説」がさまざまな週刊誌で書き立てられました。しかし山口百恵が表舞台に復帰することはなく、これらの情報は全て憶測から生まれたものとされています。
喧嘩したことがない!夫・三浦友和との夫婦仲は良好

山口百恵と三浦友和は1980年に結婚しました。結婚してから40年近くの歳月が過ぎたわけですが、なんと二人は喧嘩したことがないほど仲がいいのだそうです。その理由について三浦友和は、「我慢しなければならない出来事が起こらない」と語っています。幸せな夫婦生活を送っていることが伝わってくるエピソードです。
今でも休日には夫婦2人でデートする

山口百恵と三浦友和はどちらも映画鑑賞が趣味なのだそうです。三浦友和が休日の日は、2人で映画鑑賞に出かけることが多いと言います。東京中の劇場を回るそうで、夫婦割の席を予約して行くのだとか。夫婦共通の趣味があることも、夫婦円満でいられるコツなのかもしれません。
お笑い番組が好きという意外な一面も

山口百恵と三浦友和の間には二人の子供がいますが、どちらも成人しているので今は「子供が中心」という生活ではないようです。食事のメニューも自分たち夫婦がゆっくり楽しめるようなものが多く、お笑いなどのバラエティー番組を見ながら食事を楽しむことが多いと言います。
山口百恵の二人の息子は今何をしている?

山口百恵には2人の息子がいます。今2人がなにをしているかというと、分野は違いますが2人とも芸能人として活躍しています。これまではテレビに出演しても母親である「山口百恵」の名前を出すのはタブーとなっていましたが、最近は家族のエピソードを語る場面も増えてきています。
シンガーソングライターとして活躍する長男
山口百恵の長男はシンガーソングライターの山口祐太朗です。2008年に「Peaky SALT」というバンドのボーカルとしてメジャーデビューしたのですが、思うようにCDが売れないこととメンバーの脱退で活動を休止することに。その後ソロとして活動を続け、最近では母親である山口百恵の名曲をカバーしたアルバムを発表しています。
次男は今注目を集める人気俳優

山口百恵の次男は、俳優の山口貴大です。「リポビタンD」の16代目CMキャラクターに選ばれたことで、知名度があがりました。多くの映画やドラマに出演し、注目度が増してきている俳優の一人です。弟の祐太朗とは仲が良く、一緒に飲みに行ったり、誕生日プレゼントを交換し合う仲だと言います。
気になる今の姿は?現在の山口百恵の写真画像まとめ

美しく色気のある山口百恵の顔が好きだったという人は多いのではないでしょうか。そこで気になるのが、現在の山口百恵の姿です。週刊誌で今の山口百恵の写真が掲載されたり、ネットで今の姿の写真画像が流出したりしていますが、実際のところ今の山口百恵はどんな姿になっているのか写真画像を集めてみました。
劣化した?今の山口百恵の写真画像

ネットに出回っている山口百恵の今の写真画像を見ると、「劣化した」「オバサンになった」という書き込みが多く見られます。今の写真画像を見てその変わり果てた姿にショックを受けたという人も少なくないようです。
59歳という年齢を考えれば劣化するのは当たり前

しかし山口百恵の年齢はもう50歳を過ぎています。引退した時はまだ21歳の時でしたから、当時の写真画像と今の写真画像を比べれば、顔が劣化したと感じてもおかしくないでしょう。しかも山口百恵は既に芸能人を引退した普通の主婦です。「普通の59歳」の写真画像だと思ってみれば、全く違和感は感じません。
幸せそうな夫婦の写真画像

この写真画像は山口百恵と三浦友和夫妻がグアム旅行に行った時の写真です。画像を見ると少しふっくらした印象ですが、年齢を考えるとそれほど劣化しているという感じはありません。それよりも、写真に移っている二人が寄り添う姿と幸せそうな顔をしているのが印象的な画像です。
今も変わらず美しい山口百恵の写真画像

「劣化した」「オバサンになった」と言われる今の山口百恵ですが、元の顔立ちが美しいのできちんと身なりを整えた画像を見ると「美しい女性」です。特に女性は、完全にOFFの時と外に出かける時では化粧も身なりも全く違うでしょう。気を抜いているときに取られた写真で「劣化した」と判断されるのは本意ではないはずです。

年齢を重ねれば誰でも顔つきや体型は変わっていくもの。ネットに出回っている、悪意を感じさせるような画像を鵜呑みして人を批判するのはあまり賢明は行動とは言えません。特に昔の写真と比べれば、顔が違うのは当たり前です。今は今、昔は昔という目で見てあげてはどうでしょうか。
今はキルト作家として活躍している山口百恵

現在の山口百恵は。家庭の主婦の顔だけでなくキルト作家としての顔も持っています。キルトフェスティバルに作品を出品するほどの腕前で、ベッドカバーやラグなどかなりの大作も作成し注目を集めているようです。
今の肩書はキルト作家「三浦百恵」

キルト作家として活躍する山口百恵は、「三浦百恵」という名前で作品を発表しています。結婚して本名が三浦百恵になったので当然と言えば当然ですが、やはり芸能人としての「山口百恵」は捨てたのだということを再確認させられます。
キルトフェスティバルに作品を出品

山口百恵は毎年キルトフェスティバルに自身の作品を出品しているようです。作品の評価も高く、毎回多くの注目を集めているということです。正確な作業を求められるキルト作りは、「完璧な家庭を作りたい」と芸能界を引退した山口百恵にはピッタリの趣味なのかもしれません。
山口百恵の今の夢とは?

お金を稼ぐという目標を達成し、幸せな家庭を築くという夢をかなえた山口百恵ですが、現在切実な願いを胸に抱いていると言います。それは孫の顔を見ること。現在二人の息子は結婚しておらず、「早く初孫が見たい」という願いがとても強くなっているようです。
今の夢は初孫にて作りキルトをプレゼントすること

今の山口百恵の夢は、初孫に手作りのキルトをプレゼントすること。これだけの完成度なら、贈られたほうも嬉しいでしょう。友達の孫にプレゼントを贈る機会が多くなり、「自分も早く孫が欲しい」という気持ちが高まってきているようです。
幸せな家庭を手に入れた山口百恵
人気絶頂の時に、多くの人に惜しまれながら芸能界を引退した山口百恵ですが、芸能界での名声や富と引き換えに幸せな家庭を手に入れました。自身の複雑な生い立ちから、「幸せな家庭」というものに人一倍憧れていた山口百恵が幸せをつかんだことは非常に喜ばしいことです。これからも幸せな家庭を守っていけるよう陰ながら応援していきたいものです。
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