天海祐希の宝塚伝説!格好いい宝塚時代は異例づくめで凄かった?

ドラマや映画、CMなどメディアを問わず大活躍している女優の天海祐希さん。宝塚歌劇団の男役トップスターだったことは、あまりにも有名です。理想の上司ランキングでは7連覇と、他の追随を許さぬ大きな存在ですが、天海祐希さんは宝塚時代にも数々の伝説を残しています。その伝説を一言で表すなら「異例づくめ」。そんな異例の伝説を画像や動画とともに振り返ってみましょう。ブレることのない天海祐希さんの格好よさが満載です。

目次

  1. 宝塚時代の伝説天海祐希さんに迫る!
  2. 女優天海祐希さんの基本プロフィール
  3. 伝説の天海祐希さんを知る前に宝塚の情報をおさらい
  4. 宝塚音楽学校を主席入学した天海祐希さん
  5. 宝塚の演出家植田紳爾氏「よくぞ生んでくださった」
  6. 完全なイケメンだった天海祐希さんの宝塚時代
  7. ダンスはもちろん歌唱力までパーフェクトな天海祐希さん
  8. 宝塚の初舞台から目立つ役に抜擢!
  9. 宝塚入団1年で主役に!
  10. 新人舞台が終わる7年目でトップスターへ
  11. ファン数がハンパじゃなかった天海祐希さんの宝塚時代
  12. トップスターからたった2年で宝塚を退団した伝説
  13. 天海祐希さんが宝塚退団後にトップになった人は皆先輩
  14. 異例の羽を背負わない宝塚退団式
  15. ワイドショーで特集されるほどだった天海祐希さんの宝塚退団
  16. ファンを格付けしないという格好良すぎる対応
  17. ファンとのお茶会でも天海祐希さん自ら仕切る!
  18. 宝塚のルールまで変えてしまった天海祐希さん
  19. 天海祐希さんは退団後に宝塚の式典に出ていない
  20. 天海祐希さんはこれからも伝説を作り続ける!

宝塚時代の伝説天海祐希さんに迫る!

ドラマに映画、CMに雑誌と大活躍の天海祐希さん。上司にしたい芸能人ランキングでは2016年に7連覇を達成し、老若男女問わず人気を博しています。そんな天海祐希さんは言わずと知れた元宝塚トップスターで、現役時代数々の伝説を残したことでも有名です。どんな伝説があるのか見ていきましょう。

女優天海祐希さんの基本プロフィール

ドラマ「離婚弁護士」や「BOSS」「女王の教室」などで凛々しく格好いい女性を演じ宝塚ファンのみならず日本中からの支持を獲得する天海祐希さん。CMの数も非常に多く、1997年には日本アカデミー賞新人賞を受賞してから、数多くの受賞歴を輝かせています。そんな天海祐希さんのプロフィールを確認しましょう。

天海祐希さんは1967年8月8日生まれ、身長は171cmで東京の上野出身。血液型はO型で本名が「中野 祐里」であることから近しい人には「ゆりちゃん」と呼ばれています。事務所は財前直美さんや山口智子さんが所属する研音です。

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伝説の天海祐希さんを知る前に宝塚の情報をおさらい

宝塚歌劇団は1914年の初公演から今日まで、未婚の女性だけで構成された歌劇団で兵庫県の宝塚市に本拠地があります。女性だけですが男役と娘役があり、宝塚の男役といえば、あまりに格好いいので「男よりも男」と言われることが多く、熱狂的な女性ファンを獲得することでも有名です。

宝塚歌劇団を目指す女の子は宝塚音楽学校で規則正しい教育を受けて団員となります。宝塚音楽学校の入試倍率は平均20~25倍、最高48倍という超難関で毎年の受験シーズンではニュースになるほどです。団員になると5つの組(花、月、雪、星、宙)といずれにも所属しない専科に分かれます。

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宝塚音楽学校を主席入学した天海祐希さん

宝塚音楽学校に入学できるのは14歳から19歳の未婚の女子だけです。ダンス、バレエ、日本舞踊、歌唱力で審査され入学の可否が決定します。入学希望者は各地から集まり、入学後は寮生活を送ることがほとんどです。

天海祐希さんは当時東京の阿佐ヶ谷にあったバレエ教室に通って宝塚音楽学校への入学準備をしていました。高校1年生のときには「合格する」と言われていましたが、今合格するよりレッスンを積んでからということで1年見送り、2年間1度も休まずにレッスンに通っていたそうです。

入学式の時の画像です。厳しいレッスンの甲斐もあって、天海祐希さんは狭き門である宝塚音楽学校に首席で入学し、代表者としてスピーチを行っていました。当時はまだ高校2年生から3年生になろうとする年頃でしたが既に注目を集める存在だったといわれています。

宝塚の演出家植田紳爾氏「よくぞ生んでくださった」

植田紳爾(うえだしんじ)さんは宝塚歌劇団専属の演出家です。1975年に演出助手として宝塚歌劇団に就職し、その後脚本や演出を務め、1996年から2004年まで宝塚歌劇団の理事長を務めていました。現在は特別顧問になり、日本演劇協会の会長でもある人物です。

天海祐希さんが入学試験を受けた時、植田紳爾さんは試験管を務めていました。天海祐希さんに出会った時植田紳爾さんは天海祐希さんのお母さんに「よくぞ生んでくださった」と伝えたそうです。それだけ抜群の人材に出会えたということにほかなりません。

完全なイケメンだった天海祐希さんの宝塚時代

天海祐希さんの宝塚時代が三浦春馬さんに似ていると話題に

入学式の映像はまだ女の子らしさがあってあどけない印象ですが、宝塚時代の天海祐希さんは格好いいを通り越して神がかっています。メイクをしなくてもここまで格好いいのかと度胆を抜かれる画像は要チェックです。

格好いいにもほどがあります。完全なイケメンです。女性であると知らされずにこの画像を見たら何人もの女性が惚れてしまうでしょう。この画像は少し前に「三浦春馬だと思ったら天海祐希だった」としてSNSで拡散したものです。

こちらの画像は三浦春馬さんです。たしかにどことなく似ていますね。超イケメンとして人気を獲得している三浦春馬さんと見間違えられるくらいですから、天海祐希さんが男役としてトップスターになるのも当然のことだったでしょう。

美少年としか形容しようがない完璧なルックス

宝塚時代の天海祐希さんの画像をいくつか見てみましょう。舞台用から稽古中までどんな時でも格好いいです。

「絵画かな」と思ってしまうほど芸術的に整った端正な顔立ちで、こんなに格好いい人は男性でもなかなかいません。天海祐希さんを生んでくれたことに感謝する植田紳爾さんの気持ちもよくわかる気がします。

こちらは稽古中の画像です。おそらくはトップスターの頃の画像で、バッチリメイクではないのに格好いいです。表情といい身のこなしといい、完全なイケメンとしか言いようがありません。

もう普通に美少年に見えます。二次元から飛び出してきたような完成度の高さに脱帽です。小顔で高身長、スラッとした体型で中性的な雰囲気があります。面長美形の黄金比はここにあり、といって過言ではないでしょう。

ダンスはもちろん歌唱力までパーフェクトな天海祐希さん

2年間一度も休まずにバレエのレッスンに通った天海祐希さんですからダンスが完璧なのはもちろんですが、歌唱力もすばらしいです。動画をいくつか見てみましょう。

天海祐希さんの登場は2分22秒のところからです。1991年上演の「ベルサイユのばら」でアンドレ役を務めています。堂々とした立ち姿に華麗なステップ、迫力ある歌声で女性ファンの心を掴んで離しません。

このときの天海祐希さんに惚れたという声が多い「ミリオン・ビーツ」の時の動画です。攻撃的でセクシーな男らしい魅力を放っています。ダンスのキレがハンパじゃないです。後にも先にも天海祐希さん以上の男役は現れないだろうと言われるのも納得の格好いい姿です。

麻乃佳世さんと天海祐希さんのタッグは身長差が黄金比で相性が素晴らしいと言われています。天海祐希さんは以前お昼の伝説的な番組「いいとも!」で、女性が女性を持ち上げるのは大変ではあるものの、娘役と息が合うとスッと抱き上げることができるのだと語っていました。

宝塚の初舞台から目立つ役に抜擢!

GIF画像ですが宝塚音楽学校卒業当時の天海祐希さんはレアなのでチェックしてみてください。入学時と比べると別人のようになっていますね。この後73期生として宝塚歌劇団に入団し、雪組公演の「宝塚をどり讃歌/サマルカンドの赤いばら」で初舞台。初舞台から目立つ役どころに抜擢され、ここから異例づくめの伝説が始まります。

宝塚入団1年で主役に!

初舞台の役どころからして異例でしたが、入団からわずか1年で主役を飾ったのは今もなお更新されることのない最速・最年少記録です。入団1年目から7年目は新人公演を演じるのですが、7年間でも主役級が回ってこない人が多い中、1年目の終わりに主役になるというのは異例中の異例でした。

月組に所属し初主演を務めた1987年11月の「ミー・アンド・マイガール」は1995年12月の退団公演にもなっています。初主演後は立て続けに新人公演の主役・準主役に抜擢され、不動の人気を獲得していきました。

こちらは1995年の時の動画ですが「ミー・アンド・マイガール」の主役であるビル役はこのような役どころでした。粋なステップにコミカルな演技、歌唱力と総合して求められるので入団1年目でこの演技をこなしていたというのは信じられないことです。

新人舞台が終わる7年目でトップスターへ

天海祐希さんの数ある伝説の中でも、7年目でトップスターというのは一線を画しています。本来7年目というのは新人公演中の期間で、トップスターになることはないものだからです。最低でも10年、それでも早いと言われる中、まだ新人期間中の7年目の終わりには異例の昇格を果たします。この最年少記録は今もなお破られていません。

現在の若い宝塚ファンは、この「ゆりよしコンビ」を生で見られなかったことを残念がる人が多数で、生で見れたファンたちにとっては青春そのものだといいます。あまりにも天海祐希さんが格好いいので本気で恋をしていた人たちがたくさんいました。

ダンディな色気が感じられる画像です。天海祐希さんの宝塚時代の男前ぶりは、それだけで伝説といって良いレベルでした。持って生まれたルックスというのもありますが、身のこなしや表情も含めて「格好いい」を極めていたのです。

ファン数がハンパじゃなかった天海祐希さんの宝塚時代

天海祐希さんは当時、ファンに対してかなり塩対応だったと言われています。出待ちのファンに媚びることなく素通りしたり、当時一般的だった舞台の観客によるカメラ撮影についても舞台に集中できなくなるからやめるように促すなど他のトップスターとは異なる振る舞いを見せていました。

塩対応ながらも退団時には5,000人のファンが見送りに詰めかけました。当日行けなかった人のことも考えればファンの数が尋常ではなかったことがわかります。今もなお宝塚時代の天海祐希さんのファンは根強く、たびたびSNSでも話題に上っています。

トップスターからたった2年で宝塚を退団した伝説

異例の速さで昇格した天海祐希さんですが退団の早さも異例でした。トップスターになってからわずか2年で宝塚を去ってしまったのです。この異例づくめの事態に、古参の宝塚ファンの間では苦々しいコメントも寄せられましたが有無を言わせぬ貫禄が天海祐希さんにはありました。

まずは真琴つばささんの退団決定後のスピーチを見てみましょう。スピーチは5分40秒あたりから始まります。東京公演の千秋楽なので退団まではまだ他の公園が残っている時のスピーチですが、宝塚での思い出やファンへの感謝が詰まっています。

そして最後の宝塚千秋楽では、力強い言葉とともに、盛大な感謝の言葉で締めくくっています。声の高まりから、感極まっている様子がありありと伝わってきますね。

こちらは真矢みきさんの退団の挨拶です。現在の真矢みきさんと比べると想像もつかないくらいのイケメンボイスでした。最後まで格好いい男役としてのスピーチで、ファンへの感謝、宝塚への深い愛情が込められています。

さて、天海祐希さんのスピーチです。なんといっても自由!そしてわりとあっさり!ファンへの感謝というよりは仲間への思いが強く、この雰囲気はある意味一番男らしいといえるかもしれません。

天海祐希さんが宝塚退団後にトップになった人は皆先輩

天海祐希さんは73期生ですが、天海祐希さん退団後の1995~2004年までの10年もの間、月組のトップスターになったのは皆先輩でした。

天海祐希さんの後にトップスターになった久世星佳(くぜせいか)さんです。天海祐希さんの4つ上の69期生で、天海祐希さん前の1990~1993年までトップスターだった67期生涼風真世さんの頃からライバル役を担うことが多くありました。

真琴つばささんは71期生です。久世星佳さんの後1997~2001年までトップスターを務めました。元々は花組でしたが久世星佳さんの退団に伴い月組に組み変えしてトップスターになったという経緯があります。

紫吹淳さんは天海祐希さんの1つ上にあたる72期生ですが年齢は紫吹淳さんの方が1つ下です。花組、星組、月組を経て専科になり、再び月組に戻ってトップスターになりました。2001年~2004年まで務めています。紫吹淳さんの後にトップスターになった彩輝なおさんは76期生、瀬奈じゅんさんは78期生です。

異例の羽を背負わない宝塚退団式

天海祐希さんだからこそ?自分を通した退団式

宝塚といえば羽!というイメージがある人もいるでしょう。トップスターともなれば誰よりも大きな羽を背負うのが通例です。しかし天海祐希さんは大きな羽が嫌いで、普段から小さい羽を背負っていました。そんな要望は劇団側から拒否されるのが当たり前という認識でしたがそれを打ち破ってしまったわけです。

しかも、退団前の最後の公演では小さい羽すら背負いませんでした。後にも先にも羽を背負わなかった人はいません。まさに異例で「天海祐希さんだから許された」という伝説の1つとして語り継がれています。

ワイドショーで特集されるほどだった天海祐希さんの宝塚退団

「涙のサヨナラ公演」とありますが、天海祐希さんはサヨナラの挨拶も記者会見でも涙を流しませんでした。ファンの涙のことだったんですね。天海祐希さんの退団はワイドショーでの特集やスポーツ誌の1面を飾り、宝塚ファンならずともその存在が広く知られていたことがよくわかります。

動画はこちら。出待ちのファンがすごい数ですが、手を振るわけでもなく会釈だけで済ませるクールぶりがブレていません。「春の嵐が駆け抜けたような存在」という表現は的を射ていますね。これだけの貫禄を持ちながら、当時まだ28歳だったというのも改めて驚きです。今もサッパリした明るい性格で、一本筋の通った格好いい女性です。

ファンを格付けしないという格好良すぎる対応

天海祐希さんはファンを格付けしないことでも有名でした。宝塚のファンは推しのタカラジェンヌごとに非公式のファンクラブが形成され、独自のルールで運営されています。音楽学校時代から目をつけたタカラジェンヌを応援する私設団で、タカラジェンヌ出席のお茶会を開いたりチケット購入の代行などを行っています。

宝塚の基本的なファンの構成と格付け

私設応援団ながらその多くは明確なルールのもとに運営されます。年会費やお茶会の運営、会員の名簿を管理しているのでタカラジェンヌからプレゼントがある時の発送などを執り行います。非公式ながら宝塚歌劇団とは切っても切れない関係性を構築しているのです。

会員の格付けは基本的に貢献度で変わります。チケットをどれだけ購入したか、会服を購入しているか、グッズを購入しているかなど、はっきり言えば「どれだけ金銭を貢いだか」という格付けです。貢献度が最も高い人が幹部になります。公演チケットの代行も貢献度の高い人から優先され、貢献度が低いと落選するそうです。

タカラジェンヌからのプレゼントも幹部に近いほど豪華だったり、マネージャーのように身の周りの世話をすることが許されたりします。出待ちのときも幹部の人が仕切っていて、声掛けの文言も幹部が決定します。一糸乱れぬ行動が求められるファンクラブはしばしば「怖い」と言われるほどです。

天海祐希さんはファンを区別しない

もはや文化となっていたファンクラブですが、天海祐希さんはファンを一切格付けしませんでした。幹部だろうとそうでなかろうと、プレゼントは全員に同じワイングラスを贈り、熱烈なファンから送られた劇団側への要望書についても「私が判断すること」と一蹴しています。このサバサバ対応も伝説の1つです。

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ファンとのお茶会でも天海祐希さん自ら仕切る!

出待ちファンなどへの塩対応ぶりの理由は、舞台で全力を出し切っているので、舞台の外でまでサービス精神を発揮する余裕がないというものだそうです。しかし、ファンに対する熱い思いも持っています。しかしその考え方が独特なのでクールに見えただけのようです。それがよくわかるエピソードがあります。

塩対応といっても天海祐希さんはファンクラブとのお茶会や、ファンに対してプレゼントを贈ることは良しとしていました。決してファンをないがしろにしていたわけではありません。むしろファンのことを誰よりも大切にしていたことがわかるのは「お茶会で自ら仕切る」と「出待ちのファンへの時間規制」という伝説です。

宝塚ファンとのお茶会の通常の流れ

時代を問わず宝塚トップスターのお茶会はかなり大規模なものになるので、ホテルの大広間を借り切ったディナーショーのようなイメージです。握手という触れあいこそあるものの、基本的にはタカラジェンヌのお話を拝聴する形式となっています。開催から受付まで私設ファンクラブの幹部たちが行い、司会進行もファンが務めるのが通例です。

主役自らが仕切るというのは異例すぎる

天海祐希さんはそんな通例すら打ち破ります。お茶会はかなりの人数が集まるので、当日はかなりザワザワしていたそうです。写真撮影時のファンのモタつきに業を煮やした天海祐希さんは「テキパキと動きなさい。さっさと終わらせればその分たくさんお話しできるんだから」と仕切りだしたといいます。

画像からもわかるようにお茶会の様子は映像化され販売されています。お茶会に行けなかった人も映像で楽しむことができるんですね。自ら仕切るという異例の伝説も映像として残っています。このあまりに異例の行動は天海祐希さんの性格がよくわかる話として広まっています。

天海祐希さんの宝塚現役時代のお土産画像はなかなか珍しいです。まだSNSが無い時代でしたから、それも当然かもしれません。当時のファンにとって青春時代を呼び起こすアイテムとして大切にされています。

宝塚のルールまで変えてしまった天海祐希さん

時代とか文化とか、そういった慣例は天海祐希さんにとって気にすることではないようです。ファンクラブの一糸乱れぬ「爆竹拍手」も「自然としたいと思った拍手は嬉しい。爆竹拍手は気持ちのいいものではない」といったことを述べています。拍手の仕方にまで言及するとはすごいです。

舞台上の画像や映像を見る限りでも格好いいのですが、天海祐希さんが伝説とされているのは舞台の外での慣例をぶっ壊す行動の数々です。疑問があることや間違っていると思うことはハッキリと主張するという姿勢は、当時こそ反感を買うこともあったでしょうが、結果的には物事を改善していくことにつながりました。

慣例だろうとぶっ壊す心意気が格好いい

天海祐希さんの現役時代は、タカラジェンヌはプライベートでの外出も髪をヘアピンでガチガチに固めるのが慣例でした。しかし天海祐希さんはそれにすら疑問を持ちます。そして同期たちと話し合って劇団側にルール変更を要求しました。そのおかげで今のタカラジェンヌや音楽学校生はヘアスプレーで固めればいいことになりました。

天海祐希さんは客観的な視点で物事を見る感覚の持ち主

出待ちについても天海祐希さんは独自のルールを設定しました。この時代は夜中までファンが稽古終わりのタカラジェンヌを外で待っていたのですが、22時以降の出待ちを禁止しました。これも異例のことで、古参の宝塚ファンからすると「他ではいいのになんでなの」と反発されることもあったそうです。

この22時以降禁止というのは、周囲への迷惑ということもあったでしょうが、何より若い女性が夜中までうろうろしているのは危ない、気になって稽古に集中できないというのが理由とのことでした。慣例だから許すというのではなく、自分の意志を明確にできる姿は格好いいです。

天海祐希さんは退団後に宝塚の式典に出ていない

宝塚退団後に天海祐希さんが宝塚のイベントに参加している画像は見つかりませんでした。それもそのはず、天海祐希さんは2014年の宝塚歌劇団100周年記念式典すら欠席しているのです。その理由は確執などというものではありません。

退団の挨拶でのスピーチにもあったように、天海祐希さんは次の世代が歩く道をつくり、自らはその肩書に頼ることなく次の道へ前進していくという意志の顕れなのです。そのため式典には参加していませんが、同期の姿月あさとさんの退団には駆けつけています。このことからも、確執などないことは明らかです。

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天海祐希さんはこれからも伝説を作り続ける!

天海祐希さんの宝塚時代の画像や動画とともに当時の伝説を見てきました。どれも格好いいものばかりで、その物怖じしない、自らの道を行く姿勢は今もなお全くブレることがありません。理想の上司としての評価にもあるように、幅広い層からの指示を獲得する天海祐希さんは、これからも伝説を作り続けていくことでしょう。

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