黒柳徹子の恋人は外国人ピアニスト?ワイセンベルクとの交際関係は?
黒柳徹子には結婚まで考えた外国人ピアニストの恋人がいたと噂されています。謎が多い黒柳徹子の外国人ピアニストの恋人は、ワイセンベルクとの説が根強くあります。外国人ピアニストの恋人ワイセンベルクの生涯をまとめて、黒柳徹子との関係に迫ります。自伝ドラマで語られた黒柳徹子と外国人ピアニストの恋人関係をご紹介して、黒柳徹子の生涯の恋人とのホットな恋愛エピソードをまとめました。
目次
- 黒柳徹子に外国人ピアニストの恋人の噂
- 黒柳徹子のプロフィール
- 黒柳徹子の生い立ち
- 黒柳徹子の代表的な出演作品
- 黒柳徹子と『徹子の部屋』
- 黒柳徹子の秘密の恋人は外国人ピアニスト?!
- 黒柳徹子のピアニストの恋人?!ワイセンベルクのプロフィール
- クールな外国人ピアニストと黒柳徹子のホットな恋人関係
- 黒柳徹子のピアニストの恋人と壮絶な人生
- 黒柳徹子の恋人と収容所のエピソード
- 渡米しピアニストとして成功
- ドラマ化で注目!黒柳徹子とピアニストの恋人
- 黒柳徹子とニューヨーク
- 黒柳徹子と恋人のピアニストとの出会い
- 当初すれ違いだった黒柳徹子と恋人のピアニスト
- ニューヨークでピアニストと再会し恋人関係に
- 恋人ワイセンベルクは既婚者?!
- 黒柳徹子と外国人ピアニストとの交際
- 外国人ピアニストの体調不良と恋人との別れ
- ピアニストの恋人との死別
- 黒柳徹子と恋人の外国人ピアニストの関係まとめ
黒柳徹子に外国人ピアニストの恋人の噂

いくつになっても可愛らしい黒柳徹子には、長年結婚も考えた外国人ピアニストの恋人がいたというエピソードがあります。黒柳徹子と外国人ピアニストの彼氏との出会いから恋人関係のエピソード、なぜ恋人同士が結婚に至らなかったなどの流れが気になるという人も多いのだそうです。40年間に及んだという遠距離恋愛と彼氏との恋人関係を調べてみました。

黒柳徹子の彼氏という外国人ピアニストは、実際にはっきりと名前が伝えられているわけではありません。インターネット上では、恋人とのエピソードの詳細や亡くなった事実、恋人関係があった時期などから、黒柳徹子と親交のあったピアニストのワイセンベルクが彼氏ではないかと言われています。彼氏と言われる外国人ピアニストのワイセンベルクについて、恋人関係の詳細をもっと知りたいというファンも多いのだそうです。

彼氏と伝えられる外国人ピアニストのワイセンベルクと黒柳徹子との恋人関係に迫り、黒柳徹子と外国人ピアニストの恋人との関係や、外国人彼氏との付き合いなどについてご紹介していきます。

それにはまず。黒柳徹子の青春時代を紐解き、若かりし頃の黒柳徹子をご紹介していきたいところ。また、恋人と言われている外国人ピアニスト、ワイセンベルクが黒柳徹子にとってどんな恋人でどんな彼氏だったのか、どのようなピアニストだったかを調べていく必要がありそうです。
黒柳徹子のプロフィール
黒柳徹子
(くろやなぎ てつこ)
1933年8月9日東京都港区乃木坂出身
現在84歳
ユニセフ親善大使
『窓ぎわのトットちゃん』著作者
司会・女優・タレント

黒柳徹子は、日本のテレビタレント創成期から現在までマルチに活躍中です。外国人ピアニストの恋人ワイセンベルクなど、過去に噂になった彼氏遍歴も話題になっています。
黒柳徹子の生い立ち
音楽一家の黒柳徹子の両親

黒柳徹子はヴァイオリニストの黒柳守綱を父に、声楽家でエッセイストの黒柳朝を母に持ちます。子どもの頃の黒柳徹子は学校では問題児扱いを受け、小学校を退学させられるというエピソードは良く知られています。黒柳徹子の大ベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』では、子ども時代の黒柳徹子のエピソードがたっぷり楽しめます。

黒柳徹子は現在の東京音楽大学の声楽科に学びますが、オペラ歌手への夢を断念します。その後、自分の子どもに上手に絵本の読み聞かせができるお母さんになりたいと、NHKの俳優に応募。これがきっかけで芸能界にデビューすることになります。
黒柳徹子の代表的な出演作品

生まれは乃木坂、育ちは北千束。黒柳徹子は大学を出ると、テレビ放送の前月にテレビ女優としてNHK放送劇団に入団しています。日本にテレビが誕生すると同時にスタートした黒柳徹子のタレント人生。まさにテレビタレントの草分けといった存在です。

NHKでは子ども向け番組に多く出演し、ラジオドラマでは子どものキャラクターを演じています。日本の声優の先駆けだったということです。人気番組は数多くありますが、NHKではラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』を皮切りに『ブーフーウー』などの子ども番組で人気を集めました。

その後『若い季節』『夢であいましょう』などのレギュラー番組でも話題を提供していました。『NHK紅白歌合戦』では1958年に最初に司会を務めています。

黒柳徹子は声楽の専攻で実際には舞台に立つことに憧れていたということで、杉村春子の文学座へ入団を希望していました。そこで文学座付属演劇研究所に入所しています。舞台へのあこがれがつのる黒柳徹子は数年間をかけてゆっくりと仕事をセーブして、最終的には1971年に単身ニューヨークへ演劇修行に渡っています。現地の演劇学校に入学し、ダンスのレッスンも受けてアメリカ留学時代を送ります。
黒柳徹子と『徹子の部屋』

留学を経て芸能界に復帰したのが、現在の『徹子の部屋』の前身にあたる『13時ショー』という番組の司会業でした。黒柳徹子のライフワークにもなっているテレビ番組で、日本人で知らない人はいないのではないかというほどの存在感を誇ります。多彩なゲストを相手に独特なペースで繰り広げられるトークは、黒柳徹子の持ち味のひとつです。

1976年からスタートした『徹子の部屋』ですが、黒柳徹子が現役で今でもお茶の間にゲストとの鋭いトークを見せてくれます。この同一の司会者が同じ番組を行うということでは、最多放送回数が記録されていて、ギネス世界記録にも認定されているということです。実に30年以上休むことなく続けられているということで、2006年には菊池寛賞を受賞しています。

『徹子の部屋』スタートから2年後に開始された『ザ・ベストテン』はTBS系で放送された音楽番組ですが、こちらも最高視聴率が41・9パーセントという驚異の人気番組でした。黒柳徹子は上品な司会業やユニセフでの活動から、恋人の存在や彼氏との熱愛報道には無縁の存在のようなイメージがあります。しかし実際には生涯忘れられないほどのホットな恋人が存在したというのはロマンチックなエピソードということになりそうです。
黒柳徹子の秘密の恋人は外国人ピアニスト?!
黒柳徹子の外国人のピアニストの恋人の存在について、検索をかけるファンが多いといいます。黒柳徹子の外国人のピアニストの恋人のエピソードは、当の黒柳徹子が自身の言葉でテレビの『1周回って知らない話 黒柳徹子に失礼な質問10連発SP』で恋人がいた、結婚を考えたと答えたことから浮上しています。
実際、2017年に放送された黒柳徹子の自伝をドラマ化した『トットちゃん』の中で、人気外国人ピアニストが恋人役として登場していました。ドラマの中では黒柳徹子とは日本語で会話をしていた外国人ピアニストの恋人カール・祐介・ケルナーという人物が、実在の黒柳徹子の外国人の人気ピアニストの彼氏だということになります。

恋人のモデルは、外国人ピアニストのアレクシス・ワイセンベルクではないだろうかということで、インターネット上には黒柳徹子とワイセンベルクの恋人関係について書かれたサイトや、当時の古い画像がアップされているという状態です。
黒柳徹子のピアニストの恋人?!ワイセンベルクのプロフィール
アレクシス・ワイセンベルク
(アレクシス・ジギスムント・ワイセンベルク)
外国人ピアニスト
1929年7月26日ブルガリア、ソフィア出身
2012年1月8日没
14歳でピアニストとしてデビュー
1946年ジュリアード音楽院入学
1947年レーヴェントリット国際コンクール優勝
同年ニューヨーク・フィルと共演しデビュー。

黒柳徹子の恋人と噂されるワイセンベルクは、2012年1月8日スイス、ティチーノ州ルガーノにて、パーキンソン病との長期にわたる闘病生活の後死去しています。この時、ワイセンベルク82歳でした。
クールな外国人ピアニストと黒柳徹子のホットな恋人関係

ワイセンベルクといえば、クラシックファンの間ではカラヤンと共演をしていたピアニストとして人気がありました。クールな演奏スタイルでピアニストとして濃厚な感情表現は感じさせないというイメージもあり、そんなワイセンベルクに実は黒柳徹子との隠れた長い恋人関係があったとすると、少し意外なイメージがあるということのようです。

職人気質のクールなピアニストのホットな恋人事情。黒柳徹子とピアニストのワイセンベルクが恋人同士だったというゴシップはあったようです。来日の度に親交が深まる二人の恋人関係に、結婚するのではという説もあったといわれています。とは言えピアニストのワイセンベルクが黒柳徹子と恋人関係にあった、秘密の外国人ピアニストの彼氏だったといわれると、本当の話なのかな?と首をかしげるファンもいるのかもしれません。
黒柳徹子のピアニストの恋人と壮絶な人生

ワイセンベルクは、外交官の父とピアニストの母を両親に持ちます。母はウィーンの音楽学校で学んだピアニストでした。ピアニストの母の影響か、3歳からブルガリアの著名な作曲家パンチョ・ヴラディゲロフの元でピアノのレッスンをスタート。8歳の頃にはすでに人前でピアノを演奏していました。

両親が離婚訴訟中に父親によって、ワイセンベルクと母がユダヤ系であることを当局に密告されてしまいます。ワイセンベルクと母は偽造書類を使い、共にブルガリアのソフィアからトルコへ逃亡中しようとしたといいますが、結局当局に見つかってしまい、強制収容所に3か月間拘束されてしまいます。
黒柳徹子の恋人と収容所のエピソード

ワイセンベルクの伝説の一つに、この収容所から3か月という短期間で開放された理由として、後の天才ピアニストが毎日弾いていたアコーディオンから奏でられるシューベルトをいたく気に入っていた番人が、ワイセンベルクと母を逃がしてやったというものがあります。

叔母さんから贈られたという古いアコーディオンが、ワイセンベルクと母の命を救ったというエピソードです。ある夜、いつものようにアコーディオンの演奏を聴きに来る番人が、慌てた様子でワイセンベルクと母をトラックに載せます。たどり着いたのは列車の駅でした。

開いていた窓から身の回りの品物とアコーディオンを放り込まれたワイセンベルクは、ドイツ語で「GOOD LUCK」と一言いい残した番人に別れを告げ、国境を越えイスタンブールへ逃れることができたというエピソードです。収容されていたキャンプは最後のキャンプへ移動する一つ前の場所で、番人が開放してくれなければ、ワイセンベルクと母は生き残ることができなかったといわれています。

一方では、母親が自身が所有していた宝石などを投げ売って番人に渡し、ワイセンベルク共々、どうにか放免してもらったという説もあるのだそうです。どちらにせよ、戦争の混乱の中、ワイセンベルクのピアニストとしての才能が、最終的には母とワイセンベルクの命を救うことになったということのようです。
渡米しピアニストとして成功

ワイセンベルクはスバ抜けたピアニストとしての資質から、若くしてその才能を認められるも戦争の混乱に翻弄されています。アメリカに渡ってからのワイセンベルクは名門ジュリアードに入学。若手有力ピアニストとして華々しく活動をスタートしています。しかし1956年に音楽活動から引退。10年間もピアニストとしての活動を休止していました。

この間、ワイセンベルクはフランス国籍を取得します。ワイセンベルクは職人芸ともいえるピアノのテクニックを体得し、10年後に華麗にピアニストとして復帰を果たしています。7か国語が話せたとも伝えられているワイセンベルク。世界中をリサイタルで回る日々が始まります。

ピアニストとして復帰してからは、カラヤンと共演することで再びホットな人気ピアニストに。多くの名盤を世に残し一流ピアニストの名を欲しいがままにしたという人物像です。
黒柳徹子と恋人の外国人ピアニストが出会ったのは東京

フランスをベースに世界中を演奏旅行していたワイセンベルクですが、恋人関係が噂される黒柳徹子との出会いは、どうやら東京オリンピック開催時の東京です。その後ニューヨークで再会し、プロポーズを受けたというエピソードがドラマ『トットちゃん』で語られています。
ピアニストとして華やかな生涯を終えたワイセンベルクですが、ユダヤ系としてブルガリアに生まれ、戦争に翻弄されながらも生き延び、戦火を逃れ、ピアニストとして認められたのはアメリカです。その後フランス国籍を取得しますが、亡くなったのはスイスですがイタリア語圏のエリアと、外国人として長く世界地図を股にかけて移動をしていくスケールの大きさにも驚かされます。
ドラマ化で注目!黒柳徹子とピアニストの恋人

テレビ朝日系で放送されたドラマ『トットちゃん』は黒柳徹子の半生をもとに、脚本を大石静が担当。清野菜名(黒柳徹子役)と松下奈緒(黒柳徹子の母・朝役)がW主演したことも話題になりました。

ドラマ『トットちゃん』は黒柳徹子の半生の物語ですが、それだけではありません。黒柳徹子をめぐる周囲の人々の人生もカラフルに描かれていて、黒柳徹子の両親、とりわけ黒柳徹子の母、朝さんの生涯が興味深いというファンも多かったといいます。

黒柳徹子は生涯独身を貫いていますが、その時々に気になる恋人の存在はあったようで、そうした若き日の黒柳徹子とその彼氏や恋人とのエピソードにも注目が集まっていました。

特に、黒柳徹子本人もワイドショーで認めてしまった、外国人ピアニストとの馴れ初めや恋人関係はしっかりドラマの中で描かれています。

黒柳徹子自身が、ドラマでの彼氏との恋人エピソードはほぼ実話で本当にあったことと認めているため、さらに黒柳徹子の噂の恋人、外国人ピアニストは誰なのかという声が巻き起こってしまったという結果のようです。

噂の恋人、外国人ピアニストは「カール・祐介・ケルナー」という役名で、演じているのは城田優です。謎めく外国人ピアニストの恋人の名前ですが、日本名を入れる事によって日本語での会話が自然に見えるという結果になっています。黒柳徹子曰く、実際の恋人で人気外国人ピアニストとの会話は、英語だったということです。黒柳徹子は英語が流暢ですから、このあたり、外国人との恋人関係には全く困らなかったようです。
黒柳徹子とニューヨーク
黒柳徹子がニューヨークに渡ったのは1971年のことです。実際の滞在期間は1年間ということですが、1984年からユニセフの親善大使を務め、パンダ保護の活動にも70年代から積極的にかかわってきている黒柳徹子は国際派のイメージも強い人物です。

70年代のニューヨークの風景と当時の若々しい黒柳徹子の画像はSNSなどを中心に若い世代にも愛されています。黒柳徹子の「トットちゃんオンラインショップ」ではすっかり有名になった黒柳徹子のニューヨーク時代の画像をプリントしたTシャツが人気アイテムになっています。
トレードマークの「玉ねぎヘア」同様、黒柳徹子のスタイルには独特のテイストがあり他の人には真似できない魅力になっています。ニューヨーク時代に有名になった振袖姿ですが、花嫁用の振袖を黒柳徹子の母・朝さんが骨とう品店で入手し、黒柳徹子に手渡してくれたのだそうです。今や若い世代にとっての黒柳徹子のアイコン的なインパクトのある画像ですが、自由を愛し、天真爛漫に生きる黒柳徹子のイメージそのものの画像です。
黒柳徹子と恋人のピアニストとの出会い
ピアニストの恋人と乃木坂上倶楽部

『トットちゃん』によれば黒柳徹子と噂の恋人、外国人ピアニストとの出会いは乃木坂上倶楽部と言われています。東京オリンピック開会式の夜に行われたパーティでした。『カレーのシイナ』のナンが食べたかった黒柳徹子は、余っていたナンをくれないか、と人気外国人ピアニストに尋ねるのですが、下品なことはやめろとたしなめられるというエピソードが語られています。

乃木坂上倶楽部というのは、黒柳徹子の父でヴァイオリニストの黒柳守綱が住んでいた「乃木坂クラブ」をモデルにしています。黒柳徹子の母の朝さんは駆け落ち同然に父のアパートで生活をスタートしています。
当時最先端といわれた「乃木坂クラブ」は、1階部分が交流の場となっていて、カフェ・シイナという喫茶店がありました。お風呂は無料、食堂は食券を買って利用するスタイルだったということです。
当初すれ違いだった黒柳徹子と恋人のピアニスト

父にラフマニノフやドビュッシーの演奏なら右に出る者はいない有名ピアニストだと教えられ、大阪公演に出かけてカレーのナンの一件を謝罪しますが、時間がなく、帰国前に羽田に来てくれれば時間を取って会えるというものの、結局黒柳徹子は羽田へ出かけることができません。恋人との出会いはすれ違いと謝罪で始まっています。
ニューヨークでピアニストと再会し恋人関係に

その後、ニューヨーク滞在中の黒柳徹子はセントラルパークのホットドッグスタンドで、偶然に人気外国人ピアニストと再会しています。翌日も同じホットドッグスタンドで会った黒柳徹子とカール祐介ケルナーですが、プライベートコンサートを開催するからと言って、黒柳徹子を招待します。
プライベートコンサートの会場に出向くと、それは人気外国人ピアニストのカール祐介ケルナーが黒柳徹子のために貸し切りにしたピアノバーでした。黒柳徹子が大阪公演で感動したと伝えた、ドビュッシーの『アラベスク』を演奏したカール祐介ケルナーは、『私のお気に入り』を歌いながらピアノを弾き、ついに黒柳徹子にプロポーズします。

後に黒柳徹子はプロポーズされて結婚したいと思ったこともあったけれど、仕事を諦めて海外へ移住することはできなかったと語っています。『トットちゃん』では、結婚してパリで一緒に暮らそうとプロポーズを受けていますが、黒柳徹子は即答できずに別れてしまいます。
恋人ワイセンベルクは既婚者?!

ワイセンベルクの私生活はあまり多くが語られていません。ワイセンベルクはフランスでの生活を数年送った後、スペインに拠点を移した時期に前後して結婚し、子どもが生まれています。子どもは息子が一人、娘が二人で二人の娘に関しては、現在でもスペインに在住中といいます。

黒柳徹子はこの謎のピアニストの彼氏とは結婚を考えず、遠距離恋愛を続けていったと語り、その恋人関係は40年にも及んだといっています。

既婚者と不倫関係だったのではといったインターネットでの情報もあるのですが、ワイセンベルクの私生活に謎が多いことや、没後のメディア報道にも子どもの情報はあっても妻に関する情報が皆無なことから、詳細は不明です。ワイセンベルクが亡くなったのはスイスで、家族の拠点がスイスにあったからと説明されています。

ドラマ『トットちゃん』では黒柳徹子の母である朝さんが、外国人ピアニストと恋人関係にあることを知り、相手が既婚者かどうか心配するというシーンがあります。母の勘は鋭いものということでしょうか。

黒柳徹子と人気外国人ピアニストとの恋人関係は、年に数回会える程度のもので、お互い多忙だったこともあり、結局結婚には至らず、最終的には彼氏とされる外国人ピアニストとの健康問題から疎遠になっていったということです。彼氏の外国人ピアニストは亡くなってしまったので、恋人との交際自体も終わってしまったといわれています。
黒柳徹子と外国人ピアニストとの交際

ワイセンベルクの初来日は1969年のこと。黒柳徹子は来日する恋人のワイセンベルクの公演を見る為、東京、大阪、日立などのリサイタルの会場に足しげく通っていたそうです。国内だけでなく、海外公演の会場にも忙しいスケジュールの合間を縫って駆けつけていたとも伝えられています。海外へ出かけていって恋人との交際を続けていたということで、恋人同士だというのに年に数回だけしか会えなかったとも伝えられました。

もちろん『徹子の部屋』にもワイセンベルクは出演しています。当時芥川也寸志と黒柳徹子が司会を務めていた『音楽の広場』でも何度もゲスト出演しています。クールな演奏スタイルで知られるワイセンベルクですが、出演の際には後ろ向きでピアノを弾いたり、ユーモアのセンス溢れる楽しいピアニスト像でも知られているようです。

当時はワイセンベルクも結婚前だったタイミングのようで、黒柳徹子と人気外国人ピアニストとの恋人関係にまつわるゴシップでは結婚間近とも伝えられていたようです。
外国人ピアニストの体調不良と恋人との別れ
ワイセンベルクの最後の来日は1998年。来日直後に『徹子の部屋』に出演こそしたものの、結局この年のリサイタルツアーは体調不良を理由に中止になってしまいました。ワイセンベルク69歳の時の話です。恋人と噂された黒柳徹子の番組には体調不良をおして出演したという形になったようです。

それ以降、ワイセンベルクの日本への来日公演はなく、30年近くパーキンソン病と闘病を続けていたといわれています。ピアニストとして表舞台からは姿を消した形になりますが、スイスではピアニストを目指す若手のためにピアノを教える仕事を継続していました。ヨーロッパ各地でのリサイタルの際にも、多くの子どもたちにピアノのレッスンをボランティアで行っていたということで、ワイセンベルクの弟子たちも活躍中です。
ピアニストの恋人との死別

ワイセンベルクはスイスで闘病生活を続けていましたが、2012年1月8日亡くなっています。82歳でした。しばらくピアニストとして活動をしてこなかったこともあり、死去のニュースであらためてワイセンベルクに注目が集まっていました。黒柳徹子は遠距離恋愛をしていた生涯の恋人とは、相手が亡くなったことで恋愛関係が終焉したと説明しています。一生の恋人だったということでしょう。
黒柳徹子と恋人の外国人ピアニストの関係まとめ

黒柳徹子と外国人ピアニストとの恋愛は恋人が亡くなってしまったことで終わってしまいました。黒柳徹子によれば、この先結婚があるかもしれない、こういうことは何が起こるかわからないからというわけで、結婚相手が現れるのかもしれません。しかし、あまりに濃密な恋愛を経験すれば、その経験だけで頻繁な恋愛は必要ないのかもしれないとも語っています。そのくらい、大切な恋人だったということでしょう。

30代に出会った外国人ピアニストの彼氏を40年間遠距離恋愛で思い続けるというのは、恋人同士といってもなかなかできることではなさそうです。黒柳徹子の半生はエピソードの連続で、もっとたくさん恋人とのエピソードや恋愛話を聞いてみたいと思うファンも多そうです。これからも黒柳徹子の活躍に注目していきたいですね。
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